ストレイ・トライブ
暗い暗い森の中。
いつまで進んでも、木と草と少しの花しか見当たらない。
時々、流れる小川で口をすすぎ、休憩を取る。木漏れ日がまぶしくて、見上げると顔を覆ってしまう。
僕は一体、何者なのだろう。覚えているのは、「シェイプ」という名前だけ。何故ここにいるのか、ここがどこなのか、まったくわからない。
水たまりを覗くと、自分の姿が映る。茶色い毛に覆われ、三角の耳がひょっこり出ている。それに、目の周りが黒くなっている。
多分、獣人なのだろうけれど、この辺では珍しくないようだ。ついさっきも、声を掛けようとしたらどこかに跳ねていった、ウサギのような生き物を見つけた。この世界で、僕の言葉が通じる人がいるのかも分からない。
しばらく歩くと、開けた場所に出た。誰かが整備したように、ここだけ草が刈り取られ、切り株が円く並んでいる。まるで、ここで休憩してくれと言わんばかりだ。
そこだけ木がないせいか、木陰がなく、光が直接降り注ぐ。ここはまるで、コンサート会場のようだ。
「あれ、君ももしかして、迷い人?」
森のステージに目を奪われていると、どこからか声がした。その声の方を向くと、僕よりも薄い茶色の毛で覆われた獣人が現れた。タイプ的にキツネだろうか。
「えっと……君は?」
「僕はフォルク。迷い人……ストレイ・トライブって言われる種族の一人さ」
「ストレイ・トライブ?」
聞いたことのない単語に戸惑う。迷い人とは、一体何なんだろう。
「この森にはね、何故自分がここにいるのか、分からない獣人がたくさんいるんだ。だから、目的がない者同士、仲良くしようって思ってるんだ」
「他にも、僕みたいな人が?」
「うん、今二十人くらいかな。さあ、君も」
フォルクはそう言うと、僕の手を引いて歩き出した。その反動でこけそうになるが、フォルクは「大丈夫?」と抱えてくれた。
「ご、ごめん……あ、名前、まだだったね。僕はシェイプ。でも、名前くらいしか覚えてないから、自己紹介は……」
「大丈夫だよ。これからよろしく、シェイプ」
正直不安だったけど、仲間がいると思うと、期待の方が大きい。僕はフォルクに手を握られたまま、森の奥に進んだ。
獣道をしばらく進むと、また開けた場所に出た。大きな木に、いくつか家が建てられている。多分、この辺の木を切って作ったものだろう。手作りの階段やはしごもある。
「ここは……」
「ストレイ・トライブの村さ。みんなで協力して、それぞれ一人一軒の家を建てたんだよ」
木に建てられた家を見ていると、リスと思われる子供が窓から手を振っていた。僕もつられて手を振り返す。
「家、無いんでしょ? だったら新しい家を作ろう」
「え、でも……」
「心配しないで。ここではみんな助け合って生きているんだから。もちろんシェイプ、君にもいろいろ手伝ってもらうから」
そう言うと、フォルクは大きな木の根元にある木の家に向かった。
この森では、それぞれの得意なことを活かして、お互い協力しながら生きているようだ。
例えば、サルの獣人は得意な木登りで食料を集め、ビーバーの獣人は木を切り倒す。それを、ゴリラの獣人が運ぶ、といった具合だ。
手慣れている様子の獣人たちは、あっという間に家を組み上げていく。
「すごい……こんなに早く……」
「もう慣れてるからね。彼らに任せておけばあっという間さ。あ、そうだ、家ができるのはまだ時間がかかりそうだから、一緒に水を汲みに行かないかい?」
「う、うん、そうだね。何もしないのもあれだし」
ちょうど、何かできることは無いかと思っていたところだ。僕はフォルクと一緒に、川の上流に水を汲みに行くことにした。
水汲み場となる川は、村から少し離れたところにあった。僕が水を飲んだ場所の少し上流に当たるらしい。
バケツ一杯の水を汲み、村にある水を溜める桶に入れる。これを何回も繰り返すのだが、結構な重労働だ。
「結構大変でしょ? 疲れたら、村で休んでいいから」
フォルクは笑顔でそんなことを言うが、まったく疲れる様子がない。一方の僕は、二往復したところで息が上がってしまった。
「はぁ、はぁ、ちょ、ちょっと休憩……」
三往復目の水を運ぶ途中、バケツを持つ手が震えてきた。ちょうどいい感じの切り株があったので、そこに座って休むことにした。
少し休んだら、すぐにまた水を運ぼう。そう思いながら周りを見渡した。
周りは背の高い木に囲まれ、風で緑色の葉が揺れている。ちらちらと見える木漏れ日がまぶしく、葉が揺れるたびに目をつぶってしまう。
頭をぶるぶると振り、そろそろ休憩を終わろうとした、その時だった。
ふと森の奥に目をやると、何か大きな影が見えた。
「あれは一体……」
気になった僕は、バケツを置いてその影の方へ向かった。僕の背丈の半分ほどある草が邪魔でくすぐったい。
近づくほどに、影は大きくなっていく。そして、徐々に形がはっきりとしてきた。
「これは……ロボット?」
実際に動いているところは見た覚えは無いけれど、そんな言葉がこぼれた。
多分昔は銀色だっただろう角張った体に、今はコケが生え、草が絡みついている。近づいて触れてみると、冷たく固い感触が手に伝わってきた。
何をモデルにしているのかは分からない。でも、どこかで見たことがあるような感じだ。ややふとっちょで体型は違うが、フォルクのようなキツネの獣人にも似ている。
コケが生えている、といってもそんなに古いものではなさそうだ。せいぜい数年前のものだろう。
「何でこんなものがこんなところに……」
「おーい、シェイプ、ここにいたのか」
後ろからフォルクの声が聞こえてきた。そういえば、水汲みの途中だったんだ。
「途中で水の入ったバケツがあったから、どうしたのかと思って」
「あ、ご、ごめんフォルク、ちょっとこれが気になっちゃって……」
「ああ、これか……」
フォルクは空のバケツを片手に、ロボット……のような鉄の塊を見上げた。
「この村には、言い伝えがあってね」
「言い伝え?」
「そう。村のピンチが起こった時、このロボットが助けてくれるっていう」
「え、これが?」
確かに、僕たちが何かと戦うよりはマシだろうけど、なんとも頼りない気がする。こんな状態で、どういうふうにどんなピンチに立ち向かってくれるのだろうか。
「単なる言い伝えだし、本当のところはわからないよ。それに、言い伝えによると、そうそう簡単には動かないらしいからね」
「どういうこと?」
「このロボットを動かすためには、村の住人のキズナが必要らしいんだ」
「キズナ? えっと……つまりは、みんなが仲良くないとダメってこと?」
「うーん、そう……なのかな。まあ、今のところ村にピンチなんて来てないし、問題ないんじゃない?」
動かすためには村の住人のキズナが必要。キズナ……どうすればいいんだろう?
「それより、そろそろご飯の準備ができるみたいだし、一度村に戻ろうか」
フォルクに手を引かれ、僕はロボットを後にした。
ふと振り返った時、僕にはそのロボットが寂しがっているように見えた。
村に戻ると、もうほとんど家が出来上がっていた。周りの家とほとんど同じだ。
「シェイプ、もうすぐ出来上がるよ。その前に、長老にあいさつをしに行こう」
「長老?」
「この村で、一番長く暮らしている獣人だよ。いろんなことを知ってるんだ」
そう言って、フォルクは僕の手を引いて樹に向かった。
森一番の大きさではないかというこの大きな樹を、いくつも階段を登っていく。そして、一番上にある家にたどり着いた。
「ここが長老の家だよ」
フォルクは「お客さんを連れてきました」と言いながら、その家の中に入っていく。木で囲まれた家は、かすかにぬくもりを感じる。そして、入ってすぐの部屋の奥に、毛が白いタヌキの獣人が、あぐらをかいて座っていた。
「ほほぅ、おぬしも……」
「あ、はい、シェイプと言います。いつの間にか森にいて、それで……」
「わかっておる。ここには、そういった獣人が集まってきておるからな」
長老、と呼ばれているタヌキの獣人は、じっと僕を見ている。何かついているのかな?
「そういえば、この村の言い伝えは聞いたかの?」
言い伝え……フォルクが言っていたやつかな。
「えっと、村がピンチになると、ロボットが助けてくれるっていう……」
「そうじゃ。ただし、そのためにはみんながキズナを深めねばならぬ」
フォルクも言ってたけど、キズナって結局何なんだろう?
僕が首をかしげていると、長老はいつの間にかお茶を出してくれた。
「ともかく、皆何も分からないまま、この村に集まってきたのじゃ。村のみんなと、仲良くしておくれ」
結局ロボットのことはわからなかったけれど、とりあえずうなずいておいた。
それから、長老はいろんなことを話してくれた。この村のこと、簡単な村のルール、みんなと協力して生きていくこと。そんなことを話しているうちに、どうやら僕の家が出来上がったようだ。
「それにしても凄いですね。家ってこんなに早くできるなんて」
「ふぉっふぉ。皆が力を合わせればどうということはない。シェイプも、いずれ村の一員として、力を合わせてくれればそれでよい」
長老は、そう言って、家まで送ってくれた。
迷い人、ストレイ・トライブ。それに、森に放置されたロボット、キズナ、無くなった僕の記憶。
何も分からないまま、僕はこの村のこの家に住むことになった。