光の巨人
今日は娘の晴れ舞台、入学式。
僕は久しぶりに有給休暇をとっている。
普段より寝坊はしてるが、髭も剃ったし出かける準備は整えた。
「パパ、私たち準備できてるからね」
「コーヒーくらいゆっくり飲ませてよ〜。なんならタクシーで行ったっていいんだからさぁ」
「ダメよ!折角歩いて通学できる高校に入学できたんだから、歩いて行くって決めたでしょ」
「でもぉ、30分近く歩くじゃない?」
「駅までだって15分は歩くでしょ!そんなに変わらないわ」
「わ、分かってるよぉ。出かける準備は終わってるんだ。カナちゃんが淹れてくれたコーヒーを楽しむくらいはいいだろう?」
「もう、なるべく早くしてよね!」
カナちゃんというのは僕の奥さんのことで、元バレー部という事もありスラリと背が高く、ショートカットのよく似合う自慢の奥さんだ。
カナちゃんはカフェを経営しているので、淹れてくれたコーヒーは実に美味しい。
ちょっとサバサバしている方なので、娘の晴れ舞台でもお化粧はいつもとそれ程変わらない。
そんな訳で、女性陣二人もお出かけの準備は万端なのである。
「パパ、ママのコーヒー好きだもんね」
「そりゃあ好きだよ、美味しいもの」
「ふふ、ラブラブじゃん」
「まあね」
サラリと娘に惚気てみせる。
娘は親の惚気を、眩いばかりの笑顔で返した。
僕の娘『ミナ』は、母親に似て美人で背が高い。
カナちゃんとハッキリと違うのは、豊かに実った胸元だったりする。
そのあたりを褒めると父親とはいえセクハラになりかねないし、カナちゃんの冷めた視線も痛いからね。
心の中で大きさと形の良さを褒めておこう。
僕はコーヒーを飲み終わり、ホッと一息ついてネクタイを締める。
その途端、携帯が震えだした。
クライアントの『〇〇さん』と待受に表示されてる。
予想通りであるが、当たって欲しくない最悪の予想だ。
「もしもし、お世話になっております…」
電話に出た時点で、カナちゃんは僕と一緒に出掛ける事を諦めたようだ。
呆れ顔で、早々にミナを連れて出てしまった。
英断ではあるが、僕にとっては悲しい英断である。
出際にミナが、小さく手を振ってくれた事が唯一心の救いかな。
手を振り返した僕は、止むを得ず仕事の電話に意識を戻す。
TVから流れる今日の星座占いで、僕とミナの星座である獅子座は最悪だそうだ。
僕は先に出たカナちゃんとミナに追いつくために急いで歩いてはいるが、そうそうすぐに追いつけるものでもない。
クライアントの電話は難解ではなかったけれど、厄介ではあったのだ。
要点を押さえて部下に指示をし、その旨をクライアントに折電を済ませた頃には15分以上経過してしまっていた。
『やれやれだね』
小走りではなく、ちょっとしたランニングにしないと学校に到着する前の二人に追いつくのは難しいか。
覚悟を決めて走り出そうとした瞬間、目の前が真っ白になり一瞬にして視界が奪われる。
『カッーーーーッ』
突然前方で巨大な光柱が現れ、目が灼けるような閃光が起こった。
凄まじい閃光は一瞬の出来事で、すぐに視界は戻りはじめるが、今度はサウナのような熱風が全身を包む。
熱さよりも強烈な風圧を受け、その場に留まる事で精一杯だ。
周りから悲鳴や叫び声が聞こえるけど、今はそれどころじゃない。
閃光が放たれた中心の方には、僕が追いかけている家族がいるはずなのだから。
多くの人々が光の柱から全力で逃げている中、僕はただ只管に光の柱に向かって走った。
カナにもミナにも携帯が繋がらないからだ。
彼女達の安全が確保できれば、僕だってこんな場所から今すぐにでも逃げ出したい。
巨大な光の柱は神秘的だけど、こんなものが現実に存在する事がどうしようもなくおかしい事だ。
柱に近づくほど熱気がムワッとして、空気を焼いたような匂いが強くなる。
逃げ出す人の中には火傷をしている人がちらほら見て取れた。
「カナーッ、ミナーッ」
走りながら愛する家族の名を叫ぶ。
彼女たちが無事ならば、もうとっくにすれ違っていたっておかしくないはずだ。
僕が光の柱に近づきすぎたせいか、柱は目の前に見上げるように聳えている。
皓々と光を放つ光の柱は、非現実な世界に紛れ込んでしまったのではないかと思うほど、圧倒的に大きかった。
そんな恐ろしい現実と、どうしようもない焦燥感を掻き消すように、僕は愛する家族の名前を叫び続ける。
「カナーッ、ミナーッ、カナーッ」
「…ゃっ…くん、……やっ…くん」
蚊の鳴くような声で、僕の愛称を呼ぶ声が聞こえた。
ヤスヒロを略してやっくん。
こう呼ぶのは親以外にはただ一人のはず。
「カナッ?カナちゃん?」
カナちゃんが、植え込みの角に蹲っていた。
膝を擦り剥き血を滲ませて、顔を真っ赤に腫らし苦悶の表情を浮かべている。
僕は急いで駆け寄り、取り出したハンカチを膝に当てて、倒れ込みそうなカナちゃんの肩を抱いた。
「カナちゃん大丈夫?顔が酷く腫れてる。さっきの光で顔を火傷したんだね?」
「やっくん、わたし、今ほとんど目が見えないの。ミナは?ミナは近くにいるの?」
「ごめん、ミナは見当たらない。でも、きっと近くにいるはずだ。すぐに僕が見つけるから安心して」
「私はいいから、ミナを探して!」
「ダメだ!こんな状態のカナちゃんを放ってはいけないよ。何があったの?」
「…………光ったの」
「僕も遠目で見たよ」
「………突然だったの………突然目の前が真っ白になって………ものすごく熱くて、ふきとばされて」
「カナちゃんはあの光のそばにいたんだね。大丈夫、すぐに病院へいこう」
「ダメよ!ミナがっ!ミナが大丈夫じゃないもの……」
「大丈夫、僕が見つける。それに今のカナちゃんじゃミナの助けにならないだろう?少し歩けばすぐに駅に着く。そこまで行けば光の柱から逃げてきた人たちが避難しているはずだから、まずはそこまで避難しよう。救急車だってすぐに来るさ」
「柱?そう………柱が光っているのね。でも、ミナが…」
「心配しないで、僕に任せて。カナちゃんはまず怪我を治すんだ。ミナが無傷なら嬉しいけど、火傷くらいしているかもしれない。その時カナちゃんがミナのそばにいなきゃね」
「やっくん………わかったわ。ミナを必ず見つけて」
「大丈夫、必ず見つけてカナちゃんのところへ連れて行くよ。さぁ、まずは駅まで戻ろう」
「うん」
カナちゃんを抱き上げるように起こし、痛めている膝の方に回って肩を貸す。
辛そうな顔をしているが、歩けないわけではなさそうだ。
今のゆっくりしたペースでも、駅までは10分とかからない。
まだ見つからないミナの事を思うと後ろ髪を引かれる思いだけれど、僕はカナちゃんを連れて歩き出した。
駅に到着すると、駅前の交番にちょっとした人だかりができていた。
僕と同じように考えて、駅の交番近くに怪我人を集めているのだろう。
その輪の端にカナちゃんを座らせる。
「じゃあ、ミナを探してくるからね。助けが来たらすぐ病院に行くんだよ」
「うん、だいぶ右目は見えるようになってきたから大丈夫よ。やっくん、ミナのことお願いね」
カナちゃんはまだ左目を開けられていない。
そんな状態でも、気丈にミナの心配をしている。
「まかせて、必ず見つけて連れてくるから」
僕は3秒だけギュッとカナちゃんを抱きしめると、振り向きもせずに光の柱へと走り出す。
少しばかりの照れと、それを万倍するミナを心配する気持ちが僕を突き動かしていた。
まずは、さっきカナちゃんと合流した地点を目指して走る。
遮二無二柱を目指して走っていると、前方に見える光の柱がだんだんと乳白色に濁っていた。
皓々と放っていた光も、今はもう殆ど光を発していない。
柱の急激な変化に嫌な予感を感じた僕は、走るスピードを緩めて路肩に止まる1BOXカーのカゲに入った。
するとすぐに巨大な柱にピキピキとヒビが入り、グラグラと揺れ始める。
『崩れる?』
巨大なランドマークタワーが、崩壊した時の映像が脳裏を過る。
車のカゲに隠れたくらいでは絶対に助からないが、僕は足がすくんで動くことが出来ない。
ピキピキという音が大きくなり、とうとう巨大な柱が崩れた。
ガラスが一斉に砕ける瞬間のように、乳白色の物体が一気に弾ける。
とんでもない質量が瞬間的に崩れて、大災害が起こるはずだった。
しかし、その柱のカケラ達は砕けた途端、光の粒子へと還っていく。
滝のように流れる光の粒子に僕自身も包まれながら、その凄まじい光景をただ眺めることしかできなかった。
消えていく光の粒子の中から現れた、光の巨人に心を奪われてしまったからだ。
巨人は眩く光るため、シルエットしか確認できない。
だけど美しく、何もかも巨大な女性の巨人だという事だけは理解できた。
不可思議な光景だった。
神々しく輝く光の巨人は、その美しい肢体をくの字に曲げて咆哮をあげる。
凄まじい高音で建物の窓が弾けるように割れ、アスファルトはうねる波のように揺れた。
音と共に生じた衝撃波が巨人の近くにあるクルマを吹き飛ばす。
同様に僕の鼓膜も吹き飛ばされた。
目の前でフラッシュを焚かれたような衝撃が僕の鼓膜にも起こり、キーンと全身を突き抜ける。
三半規管がバカになって、立っている事もままならない。
そんな状況でも、僕は光の巨人の姿から目を反らせずにいた。
全身発光体である光の巨人のシルエットは、泣いている少女のように見える。
耳を擘いた咆哮は、悲しみに嘆いている美しい天使の咆哮に感じられたんだ。
『ああ、間違いない。あの光の巨人は僕の愛する娘、ミナだ』