間借の魔剣と魔女狩りの男
夢というのは人が眠りにつく際に記憶が情報として整理されて起きると聞いたことがある。だから印象深い出来事や気にしていることを夢に見やすいのだと。
「おはよう、海李」
父さんが俺を起こしにきた。どうやら無意識のうちに目覚ましを止めてしまったようだ。時計を見れば時刻は七時過ぎ。いつもよりは少し遅い起床と言ったところだ。
「おはよう、父さん。すぐ行くよ」
いつも通りならば部屋着に着替えてから朝ご飯だが、少し遅れているし着替えなくてもいいだろう。
肌寒さに目を瞑って食卓に着くともう家族全員揃っていた。朝の挨拶をすれば母さんも兄貴も返してくれる。
「弟よ、今度またゲームで対戦するぞ。新しいテクを身につけたんだ」
「いいけど、もう負けそうになるからって俺本人に攻撃するのはナシだからな」
この前俺が圧勝したからか、リターンマッチを請求される。兄貴あんまりゲームうまくないんだよな。楽しそうではあるんだけど。俺とのダイアグラムは7:3ってところだ。
「海ちゃん、お弁当はお部屋に置いておくからね」
「ん、ありがとう」
母さんが弁当と水筒を持って二階へ上がっていく。昨日の夜、今日の弁当は明太子だと言っていたっけ。福岡のおじさんが送ってくれたものだったはずだからかなり美味しいはずだ。
「海李、次の土曜日に予定は空いているか?そろそろ新しい服を買わないといけないぞ」
「お前は本当に着たきり雀だからなぁ」
「うるさいぞ、兄さん。物持ちが良いと言ってくれ」
「おしゃれにもっと気を使わないと、来年には大学生だろう?制服で登校はできないんだぞ」
耳に痛くて目を逸らす。窓の外を見ると、庭の梅の花が咲き始めていた。もうすぐ春が来る。受験勉強もさらに根を詰める必要があるだろう。こうやっていつまでも、こんな生活を送ることができればどんなに―――
『起きろ、カイリ!』
彼女の声で目を覚ました。わざわざ起こしたということは何かが起きたのか…それともこれから起きるのか。ここは暖かい自分の家のベッドではなく、街から街へ荷物を運ぶ馬車の中。揺れは酷いが慣れれば眠れないほどじゃない。
「どうしたんです、お客さん」
突然飛び起きた俺に驚いたのか御者がこちらを覗き込んでくる。
「何も聞かずに黙って飛ばしてください」
窓の外を確認すれば山の稜線がわずかに赤みを帯び始めている。そろそろ日の出の時刻だろう。周りを見てもまだまだ目的の街には着きそうにもない。気を鎮めて、耳を研ぎ澄ますと、この馬車のものでない馬の足音が微かに聞こえた。
「御者さん、ここから一番近い開けた場所に全速力で向かってください」
「え、いや」
「いいから!」
俺が声を荒げると御者さんは馬に鞭を入れた。見る見るうちにスピードが上がり、山を凄い勢いで駆け下りて行く。後ろの幌を開けてみると土煙が見える。追ってくるということはやはりそういうことだろう。
「というかなんで馬走らせてるんですか!?」
「なんでって…」
振り返った瞬間、俺の足の真横に矢が突き刺さった。
「説明が必要で?」
「飛ばしますね!」
馬車はさらに加速する。御者さんも何者かに追われていることに気が付いたようだ。こんな辺鄙なところでわざわざ追ってくる相手はろくでもないやつらと相場が決まっている。しかしこちらは満載の荷馬車を抱えているわけで、どうやったって振り切れるものではないだろう。馬車が揺れる。荷物が転がりそうになるのを抑えるものの、反対側の荷が崩れた。
「もうすぐ開けた場所に出ますけどどうするんです!?」
そんな崩れた荷の様子に気がついた様子もなく御者さんは叫ぶ。
「俺はここで降りる!」
「へ?」
「街まで全速力で行くんだ!代金は柱に括っとくから!」
「いや、お客さん、飛び降りるってアンタ…」
周りを見渡せば山を下り終えたのか森の入り口がポッカリと口を広げていた。おそらくここでキャンプをする旅人が多いのだろう。所々燃え殻というか焚き火の跡が見受けられた。
「理由も聞かずに乗せてくれてありがとう!」
右手で俺自身の荷物を掴むと荷台から飛び出した。左手で腰の剣の束に手をかける。
血の巡りが太くなるような、冷たい氷が全身を舐めるような感覚が走る。
円運動、回転、勢いを殺す。俺の身体はコマのように廻りながら、大きく土煙を立てて、そして最後には停止した。馬車は急には止まれない。森の中でUターンもままならないだろう。そのまま走り抜けていく。
「いや、何回やっても怖いわ」
『なら私に身体を貸すんだな』
「まだちょっと早いかな」
まあ、多分貸すことになるけど。警告くらいはしてやらないと可哀想だ。手加減なんてできないわけだし。そんなことを思いながら服に着いた土を払う。
「馬車から飛び降りるなんて面白いことする兄ちゃんだなァ」
身体は満足に洗ってなさそうだし装備も統一感がない。でもところどころ妙に質が良さそうで、まさに盗賊って感じの四人組が現れた。
「でしょ?だから観覧料の代わりに見逃してくれたりしない?」
そう提案してみると盗賊の一団は顔を見合わせると大きな声で笑い始めた。
「いいぜ、どうせオレらの目的はあの馬車だ」
「旅人から剥いだところで旨味は少ねえ」
「見逃してやるからとっとと失せな」
「それにお兄ちゃん金持ってそうでもねぇしな!」
シッシッ、と手を振られる。まあ、確かに四人組で一人の旅人を襲っても得られるものは少ないか。
「うーん、でもあの御者さんにもお世話になってるし。もう一芸見せるからさ、そっちも見逃してくれよ」
「おい兄ちゃんよ、オレらを馬鹿にしてんのか?」
槍を持った男が眦を吊り上げた。さっきから主となって話をしているしこの男が頭目なのだろう。一人だけちょっと装備が豪華だし。
「別にテメェを見逃さなくたってオレらは困らねぇんだ」
後ろの男が弓を構える。多分あれが荷馬車に矢を撃ち込んできた人物だろう。中々の腕前だと考えるべきだが、まあ彼女にかかれば問題はないだろう。
「いや、困ると思うよ?」
俺の言葉に完全に盗賊たちは戦闘態勢に入った。頭目だけはまだ槍を構えていないが残りの三人は剣と弓と棍棒を持っていつでも俺を襲う準備ができている。
「世の中には関わらない方がいいモノがある」
右手を剣にかける。
「まあ、一応の警告はしたし」
因果応報ってやつだろう。どうせ多くの旅人や商隊を食い物にしてきたのだろうから。
「じゃ、後は任せた」
『ああ』
俺の腕が勝手に動き、剣を引き抜く。彼女に肉体を差し出すためのいつものプロセスだ。しかし、相変わらず黒と赤の混じり合ったような綺麗な刃だ。私が軽く剣を振るとその勢いに押されて、再び大きく土煙が立った。近くの木が揺れ、木の葉が舞い落ちる。明らかに普通の人がなせる業ではない。盗賊どもの馬が暴れる様子を見せかけたが、落ち着いた。よく調教された馬のようだ。落馬してくれた方がやりやすかったのだが。
「ま、関係ない」
踏み込む。
「な」
「え」
突如として四人の中心に表れた私にそれぞれが驚いた様子を見せる。力を込めて一閃。馬ごと弓を持っていた男の身体を断ち切った。
『馬が!』
心のうちで急に叫んだのは無視。素早く身を翻し、軽く宙を飛ぶ。回転しつつ狙いを定めて棍棒を持っていた男の首を刎ねる。頭がころりと転げ落ち、血が勢いよく吹き上がった。
「おっと、危ない」
血は落ちにくいからな。服を汚すとカイリが煩い。服を全然買い替えないし、替えも全然持たないのが悪いと思うんだが。
「くそぉ!」
「遅せえ」
我に返り、剣を構え始めた男だが、構え終える前に私の投げた短剣が胸を穿っていた。信じられないという顔で地面に落下する。鈍い音を背に―――おそらく、だが―――盗賊の頭目に向き直る。そいつが何かを言おうとするが、その前に馬を蹴り飛ばす。驚いた馬が急に立ち上がり、頭目は地面に叩き落された。
「お前は、なんだ!なんなんだ!明らかにそれは普通じゃねえ!普通じゃねえよぉ!」
一瞬で全滅した仲間に恐れをなし、無様にも這って逃げ出そうとする。
「旅の途中の魔剣使いだよ」
「魔に連なる…そんな…」
「関わるべきじゃ、なかったな」
いまさら立ち上がって逃げだす頭目を背から一太刀。十歩離れた位の距離なら、踏み込まずともそのまま斬れる。これなら返り血を浴びる心配もない。
「よし、全滅だな」
『いや、よくないけど。馬が全部逃げたぞ。どうやって街まで行く気だ』
「あ」
剣を収める。
「おい、スティリア!逃げるな!体を戻すな!責任もって街まで歩け!こっから、街まで何キロあると思ってるんだ!」
『異世界の単位はわからん』
「お前!このっ…お前!」
『というか休め。短時間とはいえ私を表に出したんだ』
お前の肉体が保たない。そう彼女は続けると何も言わなくなった。話は終わり、いいから休め、だ。木陰まで歩くと、それだけで体中が痛む。彼女に頼らなければ、俺は生き延びられない。この王権や魔なるものどもがまかり通る世界で、ただの学生だった俺、本瀬海李はあまりにも無力だ。
俺がこの世界に来て、2年。月日の流れは早い。いまだに俺は無力だ。だが、約束は果たす。スティリアを元の人間の身体に戻す。俺も元の世界に帰る。そのために全ての元凶たるあの女…黒の魔女を見つけ出し、報いを受けさせる。
これは俺と彼女の物語。
帰る場所のない二人の復讐劇。
世界を奪われた青年と肉体を奪われた女傑の流離譚だ。





