精霊王が選んだのは、食べること寝ることが大好き!なお太り令嬢でした
「大好きなのは、食べることと寝ることです!」
この発言は、わたくしを貴族令嬢界隈においてぼっちにした。
令嬢とは自らを律するもの──大好きと言っていいのは音楽や絵画であるとか、婚約者に囁く時だけであると決められていたのだ。知らなかった。
わたくしはバシャンと紅茶を浴びせられて、初めてのお茶会をとぼとぼと後にした。
この日から、素直に喋ることがこわくなった。
あの痛い経験から十年。
わたくしプリメリア・スウィーフト公爵令嬢は十五歳になり──
鏡の中を半眼で見つめていた。
ふんわりとウェーブしたストロベリーブロンドの髪は、全体のシルエットを膨張させている。シミひとつない乳白の肌は、まるで全身白パンだ。さくらんぼのような赤の瞳と、ぶっくりと赤い唇は、パンのトッピングのよう。
前に突き出したお腹にドレスが乗っかってパニエいらず。ちょこんと見えるつま先は布の靴に包まれていて、ハイヒールを履くことができないちび。
立てばわたあめ、座れば桃まん、歩く姿は桜大福。
イメージはこんな感じ?
つい食べ物のことが頭に浮かんでしまう。
そう、相変わらず食べることと寝ることが大好きなままだから。
だめだなぁ……。
少々動き回ってドレスの着付けを確認したわたくしは、メイドたちにへちょりとした微妙な笑みを見せた。
くすくすと笑っていたメイドたちはサッと姿勢を正す。
「いかがですか?」
わざわざ髪の毛をしっかり巻きましたよねー? なんて言えない。
「ありがとう。満足です、ご苦労様」
メイドたちは頭を下げてわたくしを見送る気が満々だ。
むしろさっさと退場しろという感じかな。この後、体型談義に花を咲かせるのでしょう。
ほっそりとした美人こそが良いとされるこの国では、わたくしのような体型の者は少々の悪口に晒されても仕方がないという雰囲気がある。
さて、精霊祭に向かわなきゃね……。
あっ、扉にはさまった。
無様にも腕にはさまれた跡をつけてしまったので、精霊祭をお休みできないかなと思ったけど叶わず、ショールで隠して廊下を急ぐ。
余計にシルエットが膨張しているのはしょうがないわ。
覚悟を決めるとしましょうか。
「わあっ……!」
会場につくと自然に口から歓声が漏れた。
王族が住まう城の中庭が解放されていて、長テーブルがいくつも並べられている。招待客の貴族たちが立食パーティを楽しんでいて、今年の恵みの方針について忙しく話している。あちらこちらと人々が入れ替わる度に、たくさん飾られている紫色に金刺繍の国旗が揺れた。
上向きの風で、虹色のシャボンが空に送られていく。魔力を込めたシャボンは、雲にまで届く精霊様へのノックなのだ。
わたくしも会場に足を踏み入れて、魔力を込めたシャボンをひとつ空に放つ。
そして、ぼっちゆえに磨いてきた魔法を発動させた。
「──ステルス」
気配を断つ。
幼い頃にやらかして以降、わたくしは気を抜くとすぐにおかしな絡まれ方をしてしまうので。
人混みで、ぷよぷよサッサッと丸みのシルエットが動く。わたくしだ。
手に持った皿に、オードブルを一品ずつ乗せていく。
体を誰にも触れさせることなくすばやく隙間をすり抜けて、テーブルからテーブルに移動する。旬の野菜も果物もたくさん! 今年初めて収穫した精霊苺なんて、貴族として吟味しなければいけないのですよ、うんうん。ああっ、あっちには海の恵みの初鰹! しぼりたて牛乳のプリン!
なんて素晴らしいのでしょう。
人混みが苦手だけど来たかいがありました。
たっぷりの料理を持って会場の隅に移動すると、ポツンと席に着く。
このような料理が、貴族たちに食べられず乾いていってしまうと思うと、あまりにももったいない……。
せめてわたくしが食べられる分は美味しくいただきますわ。
祈りを捧げてから、ぱくりと精霊苺を一口。
衝撃が走った。
美味しく……ない?
いや普通の苺としては上等だけれど、精霊苺ともなれば、甘みはもっと強く酸味はまろやかで水分もとろりとしているはず。なんだろう……この異変。
驚きのあまり、ステルスが切れてしまっていた。
令嬢たちに気づかれてしまった。
「桃色豚って能天気よね。あら豚の話よ!」
グサっ! と背中に言葉が突き刺さる。
つらぁい。
わざわざ鬱憤を晴らしに会場の隅までいらした令嬢たちは、いつもわたくしをからかっている子達だけど、今日は一段とピリピリしているように感じる。
少し思案して、気づく。
ああ、彼女たちも選ばれなかったんだ。
子爵や男爵位では、精霊様を呼ぶ舞台に上がることもできないから。
わたくしが見上げる先のバルコニーでは、国王様と司祭様、王子様、婚約者候補たちがずらりと揃って空を見上げている。
司祭様がおごそかに告げる。
「──空に太陽と月と星がそろいました。聖霊様、リージュエル王国の声をどうかお聞き届けください。この豊かな土地を守るべく、乙女の魔力を差し上げましょう。ともに契約を結ぶべく手を差し伸べて下さいますよう──」
空に光のカーテンが舞い始めた。
観衆は歓喜し、バルコニーに揃った選ばれし令嬢たちが聖歌を高らかに歌い上げる。
あのうちのどなたかが、精霊様の契約者になり、また一年間土地を富ませる栄誉をいただくのでしょう。
舞台に呼ばれることもなかったわたくしには関係のない話です。
「公爵令嬢なのにね」
周りの笑い声が耳に痛いなぁ……。
スウィーフト公爵家は、一応王家に連なる血筋であるとはいえ、大きな活躍をするでもなくいつも静かにサポートをする立場なので、貴族社会で軽んじられることも多い。争いを調整するために多少の嫉妬は受け止める防波堤でもある。目立たないこと、我慢強くあること、現状の維持と少しの成果を上げることを家訓にしていて、家が大きくなることは望んでいない。
さらにわたくしはこの見た目だし、歌も特別上手いわけではないから、精霊様のお目汚しになるだろうと王族の方にも下げられてしまった。……悲しくなるからそろそろやめよう。
令嬢たちも立ち去った。
ふと下を見ると、料理が乾き始めている。
ああもったいないことをしてしまった……早く食べましょう。と、フォークをローストビーフに刺した時だった。
空から差し込んだ一筋の強い光が、わたくしを照らしたのだ。
引き寄せられるように、上を向く。
息を呑んだ。
繊細に光る布を幾重にも重ねた衣装を見事に着こなす美貌の男性。
夜を映したような黒髪に、青と銀がグラデーションになった瞳。形のいい鼻や唇のパーツが完璧に配置され、芸術品のような印象を受ける。
世界に祝福されているのがひと目でわかる。
精霊様だ……!
だんだんとこっちに向かってくるのを、息もできずに見つめていた。
「……っ」
わたくしの目前に立って、にこりと微笑んでくれた。
それだけで彼の足元には花が咲き誇る。
おかしい。
これまで現れてくれた精霊様はずっと女性型だった。
しかし今回はどう見ても男性型で、契約前にも関わらずこの地上で魔法の花を咲かせてみせて、わたくしごときに微笑みかけてくださっている。
何が起きているの……?
彼は、口をぱくぱくとさせてから、首を傾げている。
地上の人間と契約をしなければ話せないところは、これまでと同じらしかった。
ど、どうしたらいいの?
何も言葉が出てこない。普段から話すことや社交の場を避けていた弊害が、こんなときに……!
王族の方々が大慌てで動き始めているけれど、この場所にやってくるまでは時間がかかるだろう。
頭がぐるぐるしてきた。
わたくしは……動揺のあまりフォークを口元に持っていき、ローストビーフを噛み締めた。
本能がやらかした。
(食べたーーー!?)って周りの人々が唖然としている。
悪夢のような光景だっただろう、精霊様の前で豚の食事だ。
な、何か言わなくちゃ。
「め、召し上がりますか?」
馬鹿ーーーーー!
正面から、手を差し出される。
精霊様と地上の人間が契約を交わそうというご招待……!
三秒の間に(断れるだろうか?)(王族の承諾を……)(いや無理、精霊様が無表情になってきてるぞまたせるな)と判断する。
手を、ぷにっと、献上した。
精霊様は晴れわたる空のように微笑んだ。
「美味しそうな魔力」
それがわたくしを選んだ理由なのですか!?
体の底から熱いものが吸い上げられる感覚があり、わたくしは意識が遠のいていった──。