この想いは、いつもあなたのそばにある 〜受け継がれゆく意思と異能〜
日も暮れかけた古代遺跡の一角。その壁を見て、雷神は違和感を覚えた。
よく見ると、小指も入らぬ壁の凹みの中に、米粒のように小さなスイッチがある。雷神は愛用の短剣を手に取り、その切っ先で迷わずそれを押した。
カチリというわずかな動作音の後、床がぐにゃぐにゃと変形し始める。まるで意思を持つスライムのように。
「……当たりだな」
そう呟くと同時に雷神の足は沈み始めた。蟻地獄に嵌ってしまった蟻のようで、しかし身じろぎする事はせず。床はあっという間に雷神を頭まで飲み込む。
床の中はうねうねと動き、体のあちこちを押されてはどこかへと誘導されていく。
毎度の事だが、あまり気持ちの良いものではないな。
そう思いながら不思議な力には逆らわず、ただ身を任せた。次の瞬間、浮遊感に襲われた雷神は、右足からストンと降り立ち膝をつく。先ほどまでとは違う場所。天井には特段何もない。
周囲を視認すると、少し先に正八面体の透き通った大きな宝石が、台座に乗せられてあるのを発見した。
「メモリークリスタルか」
古代遺跡にのみ存在するメモリークリスタルは、装飾品ではなく、記憶媒体として使用される。触れる事で勝手に録画が開始され、過去の録画データを見ることも可能だ。
雷神はゆっくり近付くと、正八面体のうちの一面に手を置いた。
するとメモリークリスタルはほんのりと黄色い光を放ち始める。中を覗いてみるが、何のデータも見つからなかった。
「記録無しか。ここを踏破したのは俺が初めてという事だな。攻略が楽な遺跡のように作られているから、熟練ハンターも見落としたんだろうが」
その先を見ると、かなり広いが密閉された空間になっているようだった。縞模様に塗られた光苔の塗料のせいで、目がチカチカとする。
「ここが最深部だな。広い……これは帰り道を探すのは骨が折れるぞ」
齢十二の頃から十五年もの間、古代遺跡を専門としてハントしてきた雷神だが、こんなタイプの最深部は初めてだ。心を躍らせると同時に、ある気掛かりが胸に刺さる。
「今日中に帰れるか分からんな……アリシアが心配してないといいが……」
雷神は思い浮かべる。
美しい緑眼と金髪の持ち主を。生涯で最も愛したと言える女を。
『大丈夫よ、ロクロウ。あなたも私も、絶対に後悔なんてしない。ね?』
己の偽名を嬉しそうに呼ぶ、その人を。
アリシア……俺は、どうすればいい?
自身の中にある二つの欲望が、どちらも負けまいと葛藤し合う。
雷神はメモリークリスタルから離れると、少しの間、目を瞑った──
五年前、ある王都に入った時。
雷神は異能であるその素早さを、惜しむ事なく披露していた。
人はその神速を讃えて雷神と呼び、また、同業者からはその稼ぎからマネーメイカーとも呼ばれている。
いつも冷めていて、何を考えているか分からない。そんな風に言われる雷神はこの時、激しく息を切らせていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
雷神はグッと奥歯を噛みしめると、頭を掻きむしった。
思い出すたび、自身の頭を壁に打ち付けたくなる衝動に駆られる。そしてどうしようもなくなり、走り回る。それこそ、雷神の如きスピードで。
「何、やってるんだ、俺は……‼︎」
目の前にある壁に、本当に頭を打ち付けた。ガンと音がなり、喧嘩に負けた額から血が流れる。
嫌になる。逃げた自分が。全てから逃げ出そうとしている自分が。
そう、もう一度頭をぶつけようとした瞬間。その声は上がった。
「ちょっとぉ、どうかしちゃったのかしら⁈ 壁に勝てると思ってたのなら、物凄い天然ね‼︎」
若い女の声だ。雷神は顔を持ち上げた。ゆるくウェーブのかかった見事な金髪、そして光り輝くようなエメラルドグリーンの瞳の女が、こちらを見て呆れているようにも笑っているようにも見えた。
「ほら、さっさとそこの壁、掃除してもらえない⁈」
「何だ、あんたは」
「私、ここの家の者なのよね! 流石にこれは見逃せなかったわ!」
壁面についてある血を見て、雷神は袖で拭い取る。
「悪かった。いくらあれば足りる」
懐に手を入れていくらかを取り出して見せると、女は首を振った。
「お金はいらないのよ、掃除をして欲しいだけ! 待ってて、雑巾を持ってくるわ」
そう言って家の中に入っていく。面倒だったので、今のうちに金だけ置いて消えようかとも考えた。が、逃げるほどのことじゃ無い。そう思い直し待っていると、救急箱を抱えて戻ってきた。
「おい、雑巾は」
「雨が降りそうだからもういいわ。まぁ、綺麗にパックリ割れてるわね!」
そう言いながら女は雷神の額から流れる血を拭き取り、包帯を巻いてくる。
「貸せ、自分でやる」
「そう? あらぁ、お上手ね!」
まるで子供に言うように褒められて、雷神は少し眉根に力をいれた。
何なんだ、この女は。
雷神は自分を『負』の人間であると自覚している。負の対局が正であるなら、それには該当しないだろう。言うなればそう、この女は『陽』であり『明』だ。
「じゃ、うちにいらっしゃい!」
「……は? 何を言っているんだ、あんたは」
「あんたじゃなくて、アリシア! さぁ、名乗ったんだから、あなたも名乗りなさいな!」
ででーんと仁王立ちで言われると、妙に清々しい。雷神は苦笑しながら偽名で答える。
「俺は、ロクロウだ」
「ロクロウ? 素敵な名前ね! こっちにいらっしゃい、もう降ってくるわよ」
偽名はいつも、イチロウからジュウロウまでを順に使い回している。どの偽名もこの地域の人間には大笑いされる名前のはずだが、アリシアの反応は違った。
こんな反応をする女は、二人目だな……
そう考えながら、雷神は過去を忘れるべく左右に首を振った。それを見たアリシアが、強引に雷神の手を引っ張ってくる。
「ほら、降ってきたわ。洗濯物を取り込むのを手伝って!」
有無を言わさぬ言葉に、雷神はつい従ってしまう。洗濯物を取り込むと、そのまま彼女の家へと足を踏み入れてしまった。
「母さーん、お客様ー! 今日泊まって行って貰うからー」
その言葉にギョッとする。いつの間にそんな話をしたというのか。勝手に決めるにも程がある。
「おい、泊まるつもりなんか……」
「あら、いらっしゃい。お友達?」
すぐに顔を出した女の母親の名は、ターシャというらしい。ゆっくりして行ってと優しい物腰で言われると、むず痒くてペースが乱された。
結局、雨の中宿を取りに行くのは面倒で、雷神はその日、アリシアの家の世話になる事に決めたのだった。
与えられた部屋でしばらく過ごしていると、夕食だと声を掛けられる。しかしそこにはまだ夕食の準備はなされておらず、雷神は眉根に力を入れた。
「おい、食事じゃなかったのか?」
「そうよ、今から作るの。手伝って!」
当然のように言われ、芋と包丁を渡される。面倒な所に泊まる事になってしまったと溜め息をつくと、どうやらアリシアに見られていたようだ。顔を上げると、ばっちりと目が合った。
「ロクロウ。溜め息をつくと、幸せの神様に嫌われちゃうのよ? ね、母さん」
「そうね、天使様がいつも見てくださっているから、溜め息をつきたくなった時ほどにっこりと笑って差し上げなさい。そうすればきっと、幸せの神様から素敵なプレゼントを頂けるわよ」
子供に聞かせるような話で、大の大人が笑えるものかと悪態をついてしまいそうだ。
しかし、アリシアもターシャも、二人の瞳は真剣で。
そうなのかもしれない、と雷神に思わせる説得力がどこかにあった。
幸せの神様、か……
馬鹿らしいと思いつつも否定は出来ず、芋の皮を剥き始める。アリシアはそんな雷神の姿を見て、何故か嬉しそうに微笑んでいた。
夕食時には、アリシアの父親が帰って来た。フェルナンドと名乗った彼は、常にわっはっはと声を上げて笑う豪快な男だった。
食事は、あふれんばかりの会話と笑顔で満たされた。まさに絵に描いたような光景。
しかし雷神は、何と危機感に乏しい家だろうと思った。毎度こんな調子ならこの家庭を心配してしまう。世の中、良い人間ばかりとは限らないのだから。
そう……この、雷神のように。
夕食中、雷神は三人に質問攻めにされた。
トレジャーハンターを生業としているというと、儲かるのか興味津々のようだ。
稼げない奴はどれだけ遺跡や迷宮を回っても稼げないと教えてやると、アリシアはいたずら猫のような目でこちらを見てくる。
「あなたはどうなの、ロクロウ」
「俺か? 俺は稼ぐ。同僚からマネーメイカーと呼ばれるくらいにはな」
「はっはっは! それは稼いでいそうだな!」
「じゃあロクロウは、この町に留まって遺跡を調べるのかしら?」
その疑問にすぐには答えられなかった。そんなつもりでここに来たわけではなかったが、この近辺にも遺跡はあるし、しばらく腰を据えるのもいいかもしれない。
「そう、するかな」
「そうか。じゃあうちを拠点に動くといい!」
フェルナンドの提案に雷神は首を横に振る。
「適当に宿を取るからいい」
「遠慮するな、アリシアの友達だろう!」
「いや、友達になった覚えは……」
「アリシアが軍学校の宿舎に行ってから寂しくてな!」
「そうなのよ、良ければこの家を使って。ね?」
強引な夫婦に押し切られ、雷神はいつの間にかコクリと頷いてしまっていた。
そうして雷神はそのままこの家に居つく事になる。
しかし、このアリシアの両親を死なせてしまうなど、この時の雷神には思いもしない事であった。