ぼくだけの魔法戦士~世界の命運は彼女の気分にかかっている~
青い月の光が降り注ぐ真夜中の河川敷で、高校二年生の佐藤圭汰は、不良グループに囲まれ、暴行されていた。
「そんなに強く腹を蹴ったら、そいつマジで死んじまうぜぇ」
「野犬に襲われたってことにすればいいけどさぁ」
「おまえ、前島さんのオンナを寝取っておいて、ただで済むとは思ってねーよな?」
「だから、ぼくは何もやっていな……ぐはっ」
佐藤は腹を蹴られ、草むらにうずくまる。いったいこれで何度目だろうか。もう彼の胃の中には口から吐き出せるもの何も残っていなかった。
「てめーらは甘いんだよ! もう引っこんでいろ!」
ドスの利いた声を浴びせられ、離れていく不良たち。
リーダーの前島が、肩に鉄パイプを担いで、近づいてくる。
「明美はなぁー、お前にヤラレたショックで、もうオレ様に合わす顔がないって、泣いているんだぜぇー! オレ様はもう、あいつの綺麗なカラダを見ることも抱くこともできねぇーんだ……このオレ様の悲しみが分かるか!? なあー、サトーよ!」
鉄パイプの先端が眉間に突きつけられる。その先端にびっしりとこびりついた血糊――
佐藤の恐怖心が加速する。次に犠牲になるのは自分だろう――そう予感した彼は、震える足を手で押さえ、逃げ出した。
だが、痛めつけられた身体は彼の想像以上に不自由で、草に足をとられて転んでしまう。
「え? マジで殺すの?」
「いったん落ち着きましょうーぜ、前島さん!」
子分たちの困惑する声と、草をこする足音が聞こえる。
急いで手をついて振り向くと、前島の狂気の顔が目に飛び込んできた。
殺される――不可避の運命を悟ったその瞬間、大地はぐにゃりと曲がり、景色の輪郭が幾重にも分かれていく。視覚と聴覚が経験したことのないほどにかき乱される。
まるでコマ送りの映像を見ているように、鉄パイプが目の前に近づいてくる。その衝撃による痛みの感覚だけが、辛うじて〝じぶん〟という存在をつなぎ止めていた。
異常な状態から回復したのはその数十秒後のこと。
ゆっくりと立ち上がる。
不思議と、もう痛みは感じない。
ガクガクと震える前島の子分たちの視線の先には、得体の知れない黒い影。
ライオンのようなシルエットに、頭の部分にはぎょろりとした眼球が無数に付いている。この世のものとは思えない、悍ましい姿。
その怪物の足元には人間らしき姿が……
「うわあー、助けてくれー!」
前島の悲鳴だ。
無情にも子分たちはクモの子を散らすように逃げていく。
佐藤は直感した。前島はあの怪物に殺されるのだ――と。
後ずさりすると、かかとに何かが触れる。
鉄パイプだ。
夜空に放物線を描いて、鉄パイプが怪物の手前の草むらに突き刺さった。
誰が投げたのか。
ここには自分しかいない。
なら、投げたのは自分か……
なぜ投げた?
自分を殺そうとした男を――なぜ救おうとした?
そもそも、自分には鉄パイプを怪物の体に突き刺す力は無かった。
怪物の意識を、前島から逸らすことぐらいしかできなかった。
自分が先に死んで、前島も……死ぬ。
結局、力のない自分は……無駄死にだ。
怪物の頭にある無数の眼球が、一斉に佐藤に向けられた――
〈アンタ、あの男を助けたいの?〉
耳元で少女の声が聞こえた。
周囲には誰もいない。
いよいよ幻聴が聞こえるようになってしまったのか……
〈ねえ、アンタに訊いてるんだけど? あれ、言語変換が効いていない? あーあー、ハローハロー?〉
「お前は誰だ?」
この状況に不釣り合いな『幻聴』。だからこそ、それが幻聴ではないことを彼は理解した。
〈オッケー、ちゃんと聞こえているようね。あっ、あたしを探しても無駄よ? だって、今あたしは、アンタの身体の中にいるんだもの。そんなことより、あたしの目的とアンタの最期の願いが合致して、良かったわぁー! ほんと、良かったわぁー〉
「えっ……最期の願い!?」
〈そ。あんたはあの男を助けたい。あたしは悪魔獣を滅したい。ね、これって見事に目的が合致しているよね? こっちの言語でウィンウィンっていうんでしょ? ほんと、良かったわぁー!〉
「悪魔獣……あの怪物のこと?」
〈そっか、こっちの世界のアンタはまだ知らないのね。じゃ、冥土の土産に教えてあげるけど――〉
佐藤の心はざわついた。
痛みはないものの、鉄パイプで殴られた頭の傷口からは、止めどなく血が流れていた。
〈あたしは魔法戦士エレナ = ガレッティ。平行世界からあの悪魔獣を追ってここまで来たの。でも、こっちの世界では、あたしたちのカラダは実体化が難しいの。だから、あいつは運良くこの近くで見つけた死にかけの動物に寄生したというわけ!〉
「死にかけの……」
〈そして、あたしも運良くアンタを……あ、ごめんなさい、あたしったら、すぐ調子に乗って、言わなくてもいいことまで言っちゃうのよ。あたしのバカぁー!〉
脳内が騒がしすぎる――
死への不安が確信に変わったとき、佐藤は夜空を見上げる。
巨大隕石の落下による大災害で、国内の電力供給がおぼつかなくなった昨今、都市部でもこぼれるような星の輝きが見られるようになっていた。
大宇宙に思いをはせると、自身の悩みなどちっぽけなものに思えてくる――
「分かった……ぼくは前島を救う! そしてきみは悪魔獣を倒す! それでウィンウィンだ!」
〈オッケー! あんたの命、あたしが派手に燃やしてやんよ!〉
佐藤はザザッと足を広げて、戦闘の構えをとった。
まるで操り人形になった気分だった。
「〈駈け巡れテストステロン・弾けろアドレナリン・一気にどっかーんといっちゃってぇー〉」
口が勝手に魔法の呪文を語り出す。
翻訳機能の限界を感じさせる呪文だし、想像していた魔法とはだいぶ違ってもいた。
まず、頭の中が万能感で満たされ、空も飛べるような気分になった。
足の筋肉が覚醒し、どこまでも跳躍できるような気分になった。
腕を振れば、どんな相手でも倒せるような気になった。
雄叫びを上げながら、悪魔獣が突進してくる。
それを怯むことなく、迎え撃つ佐藤のパンチ。
わずかに悪魔獣の勢いが勝ち、軽く飛ばされる佐藤。
だが、覚醒した筋肉と万能感で満たされた精神力によって、佐藤はすぐに立ち上がった。
〈アンタ、基礎体力がなさ過ぎじゃない?〉
「す、すみません……」
しょぼんと肩を落とす佐藤。
身体の動きを操られているとはいえ、彼自身の意志でも身体を動かすことはできるのだ。
〈良い物が落ちていたわ、これを使いましょう!〉
拾ったのは、例の鉄パイプだった。
「〈スーパーウェポン発動ー!!〉」
呪文を唱えるが、今度はなにも起きなかった。
〈やっぱりアンタの協力が必要みたい。さ、イメージして、このパイプは世界で一番強力な武器なんだって〉
先端に血糊と土がこびり付いて汚くなっている鉄パイプ。
だが、佐藤の万能感は、目に見えるすべての現実を凌駕する――
〈こ、これが……この世界で一番強い武器? 何て名前かしら?〉
「エクス……」
〈え? なに?〉
「聖剣エクスカリバーだぁー!!」
〈あ。なんかごめんね? アンタがとても恥ずかしい思いをしていることだけは、すごーくよく伝わってきたの。うん。だから、あたしはこの〝聖剣エクスカリバー〟で悪魔獣を倒すよ!〉
「もう、ひと思いにやってくれぇー!」
佐藤の万能感は、羞恥心には敵わなかった。
だが、すぐに気を取り直して、聖剣エクスカリバーを構える。
鋭い牙をむき出して、虎視眈々と襲いかかるタイミングをはかる悪魔獣。
両者、ほぼ同時に飛びかかる。
聖剣は銀色の弧を描いて悪魔獣の体を両断した。
やがて悪魔獣の体から蒸気のような白い煙が立ち上がり、その後には犬の死体が残されていた。
鉄パイプに付着していた血液は、その野犬のものだったのだろう。
野犬は前島に殴られたときの恨みから、悪魔獣に寄生されたあとも殺意の標的を前島に向けさせた。
結果的に、前島は悪魔獣の一撃から、佐藤を救っていたのだ。
「ぼくはもう……死ぬのか……」
〈あたしがアンタの身体から抜け出た瞬間に……ね〉
「そっか……」
〈ほんと、ごめんねぇー。せめてもの償いに、抜け出る瞬間にあたしの天使のような可愛い顔を見せてあげるから。童貞のまま死にゆくアンタにせめてもの――〉
「はっ? ちょっと待って、ぼくが童貞かどうかなんてキミに判るわけ……あっ、ぼくの記憶を覗いたのか」
〈ううん、ちがうよ? あたしはアンタの見た目で判断しただけなんだよ?〉
ひどい――佐藤は地面に座り込み、星空を見上げた。
満天の星空にぽっかり浮かんだ満月。月の光で天の川は見えないけれど、最期の瞬間に満月を眺めるのも風流かもしれない――佐藤は現実逃避した。
〈じゃ、あたしはもう行くよ……さよなら、名前も知らないけど……アンタのことは……しばらくの間は忘れないと思うから……あ、あれ? あれれ? あわわっ……〉
佐藤の体から力が抜け、地面に横たわる。
遠のく意識の中で、魔法戦士エレナの慌てふためく声が聞こえたような気がした。
――あの子の顔、見えなかったじゃん――
佐藤圭汰は、やるせない気持ちを残したまま〝永遠〟の眠りについた。