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6 伸ばしたその手は空を切り


 夜の街を、レクスは駆けていた。薄手のパーカーを羽織り、傍らには、青い光に包まれたトリリアが。家々の間、ビルの屋上から屋上を走り抜け、進む。

 場所はいつもの廃墟街だった。オラッカたちはオニキスの指示でここに身を隠し、主命を待っている。罠に気をつけながら、レクスたちは潜伏するオラッカたちを少しづつおびき出して倒し、数を減らしていた。

「ちょっと、待ってってば!」

 後ろから杏華の声が聞こえて、レクスは速度を落とした。いつものコスチュームに身を包んだ杏華が、同じくパーカーを着て、アムニアを伴い、ぜえはあと息を荒げながらついてくる。

 魔物たちが活性化する夜、歌潟市街をパトロールするのがレクスたち『フェアリオン』の日課になっていた。といってもまだ二日目だが。

「ふ、ふん。初日に六体も遭遇したのに、よくそんな元気よね。威勢だけはいいんだから」

 呼吸を整えながら、杏華が言ってくる。が、その後ろでアムニアがぼそっとつぶやく。

「十四体だ。お前がビビって足を踏み外して腰強打で動けなくなってから、トリリアと勇者の大将だけで八体倒した」

「う……」

 半眼のアムニアの指摘に、杏華は黙り込んだ。

(なんつーか、アムニアあいつ、夏原に対して辛辣だよな)

 レクスは胸中でうめく。レクスが見たところでは、杏華の能力はかなり高いと思える。もともと魔法の知識があるのに加えて、アムニアの魔力による後押しが強烈だ。攻撃的な炎の魔法の性質は、サポート主体のトリリアにはない強みでもある。だが、その高過ぎるスペックがかえって杏華の重荷になっているように感じた。急激な能力の上昇に怖気づいている、という印象だ。

「あんまり緊張するなよ夏原。普段通りにやれば――」

「――わかってるわよ、そんなことっ!!」

 杏華に叫び返され、レクスは口をつぐむ。

(レクス~……)

(言うな……わかってるから……)

 トリリアのいさめるようなささやきに、小声で返す。励ますつもりで、彼女のプライドに触れてしまった。謝ったほうがいいのだろうが、下手な言い方は火に油だろう。

 レクスが迷ううちに、杏華はあからさまに不機嫌になり、無茶な速度で前へと進んでいく。アムニアはというと、それを止める気はないようだった。彼女はどうも、かなりスパルタな方針で杏華を鍛えようとしているらしい。多少怪我をしようとも、前へ前へ突っ込ませようという腹積もりだろう。

「きょ、杏華、ちょっと待って――」

 呼びかけても無視して彼女は跳んでいく。彼女の後を追うように、赤い軌跡が夜空に描かれる。

 後ろ頭で困ったような気配を発していたトリリアが、突如、羽を逆立てたのを、レクスは感じた。

「レクス――」

「止まれッッ!!」

 トリリアの指示を察して、レクスは叫ぶ。声は夜闇を裂き、杏華の肩がびくりと震えた。

「な、何よ。私は悪くないからね! そんな怒鳴ったって――」

「警戒して! 敵が来る!」

 振り向いた杏華の言い訳をさえぎって、トリリアが告げる。アムニアが羽を震わせ、火の粉のように魔力の粒子を舞い上げながら戦闘態勢に入った。

 ビルの間から、黒い影が矢のように飛び出し、レクスたちの上空に浮かぶ。黒ずくめの、仮面の男。

「良い夜ですね、フェアリオンの諸君!」

「ブラックオニキス!」

 宙に浮かびながら、オニキスが低く含み笑いをもらす。レクスの背筋に悪寒が走る。

(絡め手で来るだろうと思ってたが――正面から来やがっただと!?)

「止まれ、夏原!」

 レクスはとっさに声をかけた。飛び掛かろうとしていた杏華が、アムニアからの魔力のサポートを止められて急停止する。

「ちょ、ちょっとアムニア! どういうつもり――」

「状況を見ろ阿呆! いったん退くぞ!」

 アムニアが退避を命じる。ブラックオニキスが、詠唱を始めていた。彼の周囲の空気が蜃気楼のように歪み、魔法の才能がないレクスでもわかるほどに、魔力が膨れ上がっていく。

(何か仕込んできやがったな――策か、新兵器か、あるいは両方……!)

「トリリア、しっかり掴まってろ!」

「あいあい!」

 一も二もなく、レクスはその場から逃げだした。ビルから飛び降り、舗装された大通りの路面に転がる。

(接近してきたってことは、あの魔法はさほど射程がない。だったら地上のほうがいい――魔法を当てたいなら、奴も地上に降りざるを得ない)

 起き上がったレクスは、その場で再び前転し、後頭部のトリリアの気配を確認しながら路地裏に逃げ込む。背後にオニキスの降り立つ気配がした。やはり、オニキスの周囲でのみ効果が発生する魔法のようだ。そして。

(最善手は、相手の射程外からの飛び道具!)

 紅蓮の炎の渦が、オニキスごと大通りを埋め尽くした。杏華の魔法だ。アムニアがうまくやったらしい。だが……

「……魔力で相殺された。魔法の発動は止めたけど、ダメージにはなってない……」

 トリリアが冷静につぶやくのが聞こえる。レクスは聖剣の柄を構えながら、路地から出た。なるべく平然と、何の脅威も感じていないという風で。

「死んだか、黒団子?」

 レクスの挑発に、オニキスは含み笑いで返した。隠れもせず、大通りの、溶けたアスファルトの河の上にわずかに浮いている。

「邪魔をするとは無粋ですね。ようやく完成した魔法のお披露目だというのに」

「興味ねえよ。同好の士とやってくれ」

 ぺっ、と唾を吐き捨てる。オニキスは「それは残念」と肩をすくめた。

「きゃああっ!?」

 悲鳴とともに、杏華が別の路地から転がり出てくる。後を追って、オラッカが二頭出てきた。

「こ、こっち来るな、このっ――」

「撃つな!」

 黒剣を構える杏華だが、アムニアが制止する。レクスは内心冷や汗をかいていた。

(オニキスの魔法を止めるには、杏華とアムニアの最大火力が必要。だからオラッカ相手には気軽に撃てない……僕が雑魚を倒すのが一番いい。だがオニキスが狙ってくるのは……)

 黒瑪瑙の中から、こちらに視線が注がれているのをレクスは感じていた。数の上では先日より有利なはずだが、手の内が割れて対策を練られたことで、確実に追い詰められている。

(どうする? 危険だが、僕が魔法をかわしつつ、オニキスに接近戦を挑むほうが勝算があるか……?)

 だが、オニキスは魔法を詠唱しようとはしなかった。代わりに、懐に手を入れる。

「私の魔法がお気に召さないとあれば、こちらなどはいかがでしょう?」

 いかにもわざとらしい商売人の口調。攻撃するべきか否か、レクスは一瞬の判断に迷ったが、オニキスが懐から取り出したものを見て、それも吹き飛んだ。

 緑色の、エメラルドに似た、拳大の宝石。複雑な意匠を持つそれが、月光の下で美しく輝いている。だが、その造形はあまりにも悪趣味だった――小さな少女が、手足を後ろに縛り上げられ、苦悶の表情を浮かべている。あまりにも生々しいその相貌を前に、レクスは息を呑む。

「ひどい……!」

 後頭部のトリリアの悲痛な声で、レクスはその宝石が何なのか完全に理解してしまった。妖精だ。妖精が生きたまま宝石化させられている。

「この形にたどり着くまでに、何度も試行錯誤を重ねました。その甲斐はあったと言えましょう――これが、最も効率的に魔力を生み出すことのできる形です。我が妖精商会の、最大の目玉商品となるでしょう」

 愛おしげに宝石の表面を撫でながら、オニキスが言う。

「腐れ外道が……」

 怒りで目の裏が真っ赤に煮える。レクスは奥歯を軋らせた。柄を手に、オニキスを見据える。

(多少のリスクなんざ構うか。奴が、近づいて来た瞬間に斬り捨てる……!)

 沸騰する脳内で、そう決意する。瞬間、オニキスの輪郭がぶれ、移動を始めるのがわかった。

 だが、予想に反してオニキスはこちらに向かってはこなかった。彼はオラッカの元へ飛び、そのうちの一体に命じて、大口を開けさせる。

(しまった!)

 一転、茹だっていた頭からさっと血の気が引く。杏華は反応できていない。オニキスが何をやろうとしているのか把握できていないのだろう。

「撃てっ!!」

 アムニアの指示に、杏華がはっと剣を構える。あらかじめアムニアが用意しておいたのだろう全力の一撃が、鋭い炎の矢となってオニキスを撃つ。

 オニキスは、避けも返しもしなかった。炎の矢がマントを貫き、右肩に炸裂する。だが、その威力は本来の効果に比べて微々たるものだった。オニキスの右肩は真っ黒に焦げ、えぐれているが、それだけだ。先ほどと同じく、魔力で抑え込んだのだろう。

 全力で駆け寄りながら、レクスは歯噛みした。間に合わない。

 オラッカが、緑の妖精石を呑み込んだ。瞬間、その体躯が倍以上に膨れ上がる。

 みちみちと、嫌な音を立てて肉が増殖する。たるんでいた皮がぴんと張り、眼窩の奥に隠れていた目玉――瞳のない、緑色の眼球――が姿を見せる。頭の皮が黒く硬質化し、鎧のように形を変え、上から順に身体を覆っていく。

 その背が電柱よりも高くなっても、なお変化は止まらない。爪がねじくれて伸び、緑色の目が膨れて、眼窩の大きさを越えて飛び出す。全身の肉が身体の枠の限界を超えて、なおも巨大化する。

 空中に飛翔しながら、ブラックオニキスが笑い声を上げた。

「ハハハッ!! どうです、これが! 魔力によって強化された、その名もブラックオラッカ――」

(見りゃわかるってんだよ!)

 胸中で悪態をつきながら、レクスは聖剣の柄をベルトにひっかけ、両手を腰だめに構えていた。ブラックオラッカの足元までたどり着くと、まだ装甲に覆われていない腹部めがけ、下から突き上げるように、双掌を撃ち込む!

(内臓ごと引っくり返しやがれ!)

 掌底はこの上なく綺麗に入った。ブラックオラッカの巨体が、撃ち込まれた衝撃に波打つように震え、怪物は堪らず噴水のように嘔吐する。吐瀉物(としゃぶつ)の中に、予想よりも高く吹き飛んでいく、緑の宝石が見えた。

「――なぁああ!?」

 心底予想外だというようなオニキスの叫びが聞こえる。レクスはブラックオラッカの身体を蹴って石に手が届くか目算するが、高さが足りないと判断して舌打ちした。

「夏原、取ってくれ!」

「っ!?」

 せめてもと杏華に呼びかけるが、彼女はあからさまにためらった。無理もない、ほんの一瞬で状況が動き過ぎている。アムニアがはっと気付いて杏華に呼び掛けているが、間に合わないとレクスは感じた。オニキスが石に向かって右手をかざし、その手に黒い粘着質の何かが発生する。あれで絡め取るつもりだろう。緑の妖精石は未だ空中にあった。緑の光と青い光が、夜空に輝いて――

 レクスはぎょっとした。いつの間にか、トリリアが妖精石のすぐそばまで飛んでいる。彼女は誰よりも早く妖精石を掴むと、レクスの方へ急降下を始めた。だが――

「よせ、逃げろトリリアっ!」

 レクスの制止もむなしく、ブラックオニキスが放った黒い粘着質の網が、トリリアと妖精石を捕える。否――

 そのさらに一瞬前。トリリアは妖精石を、レクスに向かって投げていた。一瞬の差で、妖精石は網を逃れ、そして。

「受け止めて、レクス――きゃうっ!?」

 網はトリリアを捕えた。そして、弾けるような速さで、オニキスの手元に戻る。

 レクスは、反射的に、トリリアの指示に従っていた。緑の妖精石を受け止める。

 オニキスが、ばっとマントをひるがえすのを、レクスは現実感なく見上げていた。……逃げようとしている。あの無駄に饒舌な男が、捨て台詞の一つもなく。

 成果を得たからだ。他のすべての状況を置いて、逃げるに余りあるだけの。

「ま――」

 怒りではなく。

 足元が地の底まで抜けるような恐怖に突き動かされ、レクスは叫んだ。

「待てっ!! この、野郎――!!」

 妖精石を懐にしまい――トリリアが受け止めろと言ったからだ――ならば捨て置くわけにはいかない――彼女の指示は正しいのだから――オニキスを、追う。網を抱えているからか、それとも受けた傷が要因か、先ほどまでの速度はオニキスにはなかった。だが、それでも地を走るしかないレクスは圧倒的に不利だ。

「トリリア――――!!」

 剣の柄を痛いほど握り締めながら、レクスは叫ぶ。聖剣だ。グラスカラドの刃があれば、あんな魔法使いなどすぐに粉微塵に切り裂いてやれる。彼は勇者なのだから。いや、今は違うが、それでも元勇者だ。危機的状況など何度もあった。何度も切り抜けてきた。トリリアと共に! だから――

「レクス――!」

 網に捕えられたトリリアが叫ぶ。網から小さな手を突き出し、レクスに助けを求めている。

「大丈夫だトリリア! 今、僕が――」

「レクス! 二人を助けてっ!」

 きっぱりと。レクスの背後を指差しながら、トリリアが言う。

 走りながら、レクスは面食らった。二人? 二人を助けて?

 どの二人なのかはわかる。アムニアと杏華。状況も、振り返らずとも想像はついた――妖精石を呑み込んだオラッカは、魔力を得てより強力な魔物となっている。石を吐き出させたことで無尽蔵の力ではなくなっているものの、変化が元に戻ったわけではないだろう。二人だけでは手に余る魔物だとしてもおかしくはない。

 だが、彼女にしては馬鹿げた指示だとレクスは苦笑した。トリリアを見捨てて二人を助ける? あまりにも馬鹿馬鹿しい。彼にとって、トリリアより大切なものなど、この世にはない。何一つ。

「わ、」

 だから、優先するべきものは決まっていた。

「――わかっ、た」

 その場で足を止め、くるりと振り向き――トリリアとオニキスに背を向け――レクスは、元来た道を走り出す。口の中に血の味が広がった。知らぬ間に、頬の内側の肉を食いちぎっていたようだ。頭の中で誰かが絶叫していた。馬鹿げている。馬鹿げている。こんな選択は馬鹿げている! だが――

(―――トリリアは、間違えない。絶対に)

 レクスは誰よりも、それをよく知っていた。


 大通りの戦いは、決着がつこうかというところだった。

 ぼろぼろになった杏華が、ブラックオラッカの巨大な手に掴み上げられ、ぐったりとしている。アムニアが周囲を跳び回り、オラッカの顔面の柔な部分を狙って炎を撃ち込んでいるが、杏華を通した時と比べて明らかに威力が低い。多少の傷を与えても、ブラックオラッカの再生力は瞬く間に傷を塞いでしまう。

 レクスが間合いに入った瞬間、握り込んだ柄に刃が生まれるのがわかった――魔力が充分なら、トリリアの任意でこの刃は生み出すことができる。自らが捕えられてからの数瞬の間に、トリリアは、レクスが最大限に力を発揮できるタイミングを割り出したのだ。

(お前って、やつは――!)

 抑えようもなく感情が込み上げる。その全てを、目前の敵への怒りに変えて、叩きつけた。

 聖剣グラスカラド。水の刃が、滑るように空を薙ぎ、ブラックオラッカの足を切断する。巨体が一瞬傾くが、驚異的な再生力が足を繋ぎとめる。

 だが一瞬の傾きで充分だった。前のめりになり突き出された腹に、角度を変えた斬撃を二発喰らわせ、切り落とす。内臓が重みで零れ落ち、黒っぽい血がバシャバシャと、冗談じみた勢いで降り注ぐ。

「おぉおおぉあああっっ!!」

 獣のように叫びながら、レクスはブラックオラッカの腹に手を突き込み、内臓を引きずり出した。巨獣が叫び声を上げ、ぐらりと倒れる。

 首が射程内に入った瞬間、レクスは斬撃を叩き込んだ。太い首元から血が噴水のごとく溢れ、首がずれる。

 再生する暇を与えず、レクスはブラックオラッカの頭部をめった切りにした。斬られては再生し、再生しては斬られる。肉はその度にずれ、いびつに盛り上がり、元の形を失っていく。無心で、剣を振り続ける――

 気がつくと、刃は消えていた。ブラックオラッカの頭部は原形をとどめないほど変形し、黒い硬皮と白い肉の入り混じる奇怪な塊と化している。塊はやがて、倒れかけた姿勢のままぶるぶると震え――そして、血と肉を撒き散らしながら弾け飛んだ。頭部を失った巨体が、今度こそ完全に倒れる。

 全身返り血にまみれたまま、レクスはその場で一瞬、放心していた。トリリアが連れ去られた方角へ行こうとして、足に力が入らないことに気がつく。

(僕は……)

 助けられなかった。何よりも大切な彼女を。

 その事実をようやく理解して、レクスは、その場に膝をついた。


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