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4 魔法使いはロクでもない


 さんさんと降り注ぐ昼の日差しの中、レクスはビルが密集する街の一角にいた。トリリアと杏華、アムニアも一緒である。

 繁華街と工業地帯の境目にあるビル群。廃ビルが多く立ち並び、昼間でも人気がないこの場所に、最近、豚のような怪物が出るという噂が立っていた。この辺りは昔から地元の子供たちの間では『廃墟街』などと呼ばれ、怪談話の種には事欠かない場所である。『妖精商会』の拠点があるとおぼしきこの区画を調査する、というのが、レクスのフェアリオンとしての初仕事だった。

「いくわよ、アムニア!『妖精騎乗(フェアリオン)』!」

 杏華が、日曜朝のような変身ポーズを取りながら言う。アムニアが杏華の周囲を舞うように飛び、杏華の頬に口づける。

「魔力波形、認証。火の精霊よ、古の誓いに則り、我が盟友に炎熱の力を授けん。いでよ、霊剣――『マデルアラル』!」

 アムニアの詠唱と共に、杏華の全身が光に包まれ、赤を基調としたコスチュームに変化した。同時に、溶岩を剣の形に冷え固めたような黒い剣――霊剣マデルアラルが、杏華のかざす右手の中に生み出される。

 剣を片手に持ち、もう片方の手でピースサインをしながら、杏華はややぎこちない笑顔で決めゼリフを放った。

「『熱いハートが真っ赤に溶ける』! ……ふぇ、『フェアリオン・ガーネット、ただいま参上☆』」

「………」

 レクスは、無言でその光景を見ていた。杏華は頬を紅潮させながら、ゆっくりとポーズを戻していく。

「……なによ。あんたも早く戦闘準備しなさいよ」

「まあいいけどさ……」

 ぼやきながら、レクスは右手を前に突き出す。

 声をかけるまでもなく、トリリアはこちらの意を汲み取り動いた。流れるような動作で、彼女はレクスの手の甲に口づけする。アムニアも行っていたこれは、契約者であることの確認であり、剣を扱うための魔力の付与でもある。妖精の口づけを受けることで初めて勇者は、何人たりとも触れられぬ聖なる剣を引き抜くことができるのだ。

「いでよ、聖剣――『グラスカラド』!」

 虚空に現れた剣を、レクスは一息に抜き放つ。グラスカラドの美しい刀身が、陽光を受けてきらめいた。

 レクスの抜刀の様子を見つめて、杏華はぽかんとしていた。こちらを指さし、ぽつりと言ってくる。

「変身は?」

「え、しないけど」

「なんで!? ちょ、ちょっとアムニア、どういうこと!? 変身しないと剣は出せないんじゃなかったの!?」

 杏華があわてて問い詰めると、アムニアはしれっと言った。

「ん? ああ、必須ではないが、まあそっちの方が気分入るかなと」

「はああぁ!? ふっざけないでよ! 人がどんな思いで毎回、このはっずかしい変身プロセス経てると思ってんの!?」

「はっはっは、ちなみにその変身ポーズと衣装のデザインに関しては支部長とわたしで考案した。かわいかろう」

「ぶん殴るわよ!?」

 漫才している二人は放っておいて、レクスは聖剣を見分していた。抜き放った瞬間には存在していた水の刃は、やはり発現から数秒で弾けてしまい、今は柄だけである。

「やっぱりだめか……」

「うにゃ~、魔力不足みたい。精霊大陸にいたころはこんなことなかったのにー……こっちの世界の精霊が呼びかけに応えてくれないから、充分な魔力を得られないんだよー……」

 背中の羽をぱたぱたさせながら、口惜しそうに言うトリリア。と、アムニアが横から話に入ってくる。

「わたしも似たようなものだ。こちらの世界に来てから、何度も火の精霊に語りかけてみたのだが、まるで返答がない。どうも、こちらの世界ではすべての精霊の意思が休眠状態にあるようだ。おかげで、本来の力の二割程度しか発揮できん」

 と、ちらりと横目で杏華を見ながら続ける。

「それでも充分、手に余るようだがな」

「な、何よぉ! ちゃんと使いこなしてるでしょ!?」

 杏華が抗弁するが、アムニアは素知らぬ顔だ。

「んー、やっぱりそっかー。じゃあ精霊の助けはあんまり期待できないね……」

 残念そうに、トリリアが羽をうなだれる。

「もうちょっと時間をかければ、グラスカラド発動に必要な魔力を得ること自体はできそうなんだけど。空間に散ってる魔力を集める形になるから、あんまり一度に大量には無理だとおもう。あっちで得られる魔力が滝の水だとすると、こっちでは一滴づつ垂れてくる水を集める感じー」

「具体的に必要な時間、わかるか?」

「んん~~……二〇分、や、十五分……がんばって十二分くらい、かな。それくらいの時間魔力を貯めれば、一時的に刃を発現できるとおもう」

「刃の発生時間は?」

「六秒」

「短くない!?」

「じゃ、じゃあ七秒」

「一秒延びても……」

「ちょこっとの魔力でグラスカラドを維持するのたいへんなんだよー。自然精霊から得られる無限の魔力を前提にした造りになってるから、すっごく燃費わるいの」

「……まあ、仕方ないか」

「ごめんね、レクス……」

 しゅん、としょげかえるトリリアの小さな頭に、レクスはぽん、と指先を置いて元気づけた。

「トリリアが悪いわけじゃないさ。今あるものでなんとかしていこう」

「余計な心配はしなくていいわ。あんたたちは後ろで、私の戦いを見てなさい。新入りなんだから」

 強気に言い切って、杏華はさっさと前に進んでいく。レクスたちも後に続いた

 廃墟街を、杏華とアムニアを先頭に進む。しだいに、放置された建物の埃っぽい臭いに混じって、魔物の体臭が少しづつ嗅ぎとれるようになる。

「……この臭い。かなりの数がいるな」

「うん。コロニーがあるのかも」

 トリリアと話しながら進む。オラッカの体臭は、腐葉土の臭いに、地に落ちた果物のような甘ったるい臭いを足したものである。廃墟街を北に進むにつれ、臭いはどんどん強くなった。

 ほどなくして、十字路に面した廃ビルの入り口から、オラッカが鼻を鳴らしながら二体、現れる。

(この二体だけ、ってことはねえな)

 周囲の殺気を感じ取りながら、レクスは胸中でつぶやく。後頭部のトリリアが、髪を軽く掴むのを感じた。彼女の臨戦態勢である。

「危険よ、離れてなさい!」

 隣りの杏華が、なぜかいきいきとした笑顔でレクスに告げ、一歩前に出る。彼女の頭の後ろのアムニアが、こちらを見てぼやく。

「すまんな。トリリアと勇者の大将の実力については説明したはずなんだが。どうも先輩ぶれるのが嬉しくてしかたないらしく、ひたすらに調子こいてる模様」

「こいてない!!」

 聞こえていたらしく、アムニアに叫び返しながら、杏華がオラッカめがけて飛び出していく。

 レクスはそれを見送った。彼女がオラッカ二体と交戦を始めたのを見つつ、手近なビルとビルの隙間に入る。

(こうだったかな)

 昔の感覚を思い出しながら、ビルの壁に手と足をつけ、反対の壁に背を押し当てて、よじ登る。街中に出現した魔物の討伐で、手っ取り早く高所に陣取る必要がある時は、こうして建物の壁と壁の間を登ったものだった。

 三階建てのビルの屋上に立ち、レクスはトリリアに尋ねる。

「気配、わかるか?」

「んー」

 頭の上にすっくと立ち、トリリアが周囲を見回す。屋上とはいえ、建物の密集する地区である。眼下に広がる風景はそこまで見通しがいいわけではない。だが。

「アムニアと杏華が戦ってるのが二体でしょ、えーと――近場に四体と二体のグループ一組づつ、三体のグループ二組。ここから見て一番近いのは四体グループだね。あ、四体と三体の一組づつが、それぞれこっちに向かってる模様ー」

 魔物の姿がすべて見えているかのように、頭上のトリリアがすらすらと並べ立てる。勇者の補佐役であるトリリアの主な能力の一つ、索敵である。この能力と、複雑に絡み合う運命の流れを読む力を組み合わせ、限りなく正確な未来予測を行うのが彼女の最も得意とする『運命魔法』である――が、現在は不調気味のようだ。精霊の意思が関与していない運命を読むのは難しい、ということらしい。

「よし、四体の方に向かうぞ」

「あっちー」

 トリリアの指示に従い、ビルの上を跳んで移動する。

「刃は出せそうか?」

「あと二分、かな」

 何度か跳び、四体のオラッカの近くに到達する。こちらに気づいてはいないようだ。彼らは鼻が良く、危険を感じた同族の身体から放たれる戦闘フェロモンで外敵の存在を察知し、集まってくる。だが逆に、それ以外の器官はあまり鋭くない。

 路地裏を這うように移動するオラッカの群れの後ろに、レクスは極力音を立てないよう降り立った。

(いけるな?)

 傍らのトリリアに目線で確認を取ると、うなずきが返ってくる。

 距離を測り、一気に駆け出す。最後尾のオラッカが間合いに入った瞬間、グラスカラドの刃が形成された。

 一秒。水の刃を振り、最後尾のオラッカの首を()ねる。グラスカラドの刃は、頑丈な魔物の首をほとんど手ごたえすらなく斬り落とした。

 二秒。襲撃に気付いたオラッカ達が振り向き、爪を構える。

 三秒。最も近い個体の突き出してくる爪を身をよじって回避、すれ違いざまに胴を両断する。

 四秒。爪を立てて壁に飛び付き、そのまま壁を這うように向かってきたオラッカの攻撃を、大きく身を逸らして回避しつつ前進する。

 五秒。列の先頭にいたリーダー格のオラッカが振り下ろしてくる爪を刃で受ける。刃に触れた瞬間、攻撃したはずの爪の方が斬り落とされ、リーダー格が絶叫を上げる。

 六秒。返す刃で、袈裟がけに切り捨てる。振り向き、壁を這っていた最後の一体が地に降り、こちらに向かってくるのを確認する。

 七秒。よだれを撒き散らしながら突進してきたオラッカの頭上を、剣を構えて回転しながら飛び越え、背後に降り立つ。兜割りに頭部を斬られたオラッカが血を噴き出しながらもんどりうって地面に倒れた。同時に、グラスカラドの刃が消滅する。

 敵がすべて動かなくなったことを確認して、ふう、とレクスは息を吐いた。

「……なまってんなぁ。三秒かからないと思ったんだが」

「ギリギリだったねー」

 あはは、と笑いながらトリリア。

「夏原の方はどうだ」

「んー、手こずってるみたい。アムニア強いから、めったなことはないと思うけど……三体グループが二人の方に向かってるから、ちょっとまずいかも」

「じゃあ、戻るか」

「あいあいー」

 軽い口調でトリリアが返事をする。レクスは踵を返し、杏華たちのほうへ戻りはじめた。


 最初の敵が現れた十字路に戻ると、ちょうど杏華が二体目のオラッカを消し炭にするところだった。

「ったやーっ!!」

 オラッカの炭化した頭部に向かって、杏華が黒い剣を振り下ろす。頭部が粉々に砕け、オラッカが崩れるように倒れ伏した。

「ど、どうよ! 私にかかればこっ、このて、この程度の相手、どーってことないわ!!」

 こちらを振り向き、ぜーはーと肩で息をしながら言ってくる杏華は、レクスたちが独断行動していたことには気づいていないようだった。アムニアは、ちらりとものいいたげな視線を投げてきていたが。

「杏華、アムニア、こっちに敵の増援がくるよ。オラッカが三体。退くか隠れたほうがいいかも」

 トリリアが冷静に告げる。敵の増援という言葉に杏華は「ひっ」と顔をひきつらせたが、アムニアは「だろうな」とうなずいた。

「戦ってるうちに、ぞろぞろ集まってくるのがオラッカ種のやっかいなところだ。逃げるぞ、杏華」

「わ、私はあと三体くらい余裕で――」

「後輩たちを危険な目に遭わせるわけにいかないだろう」

 レクスたちに目配せしつつ、アムニアが杏華を説得する。あきらかに疲労困憊していた杏華は、「そ、そうね! 新入りの後輩を守ってあげるのも先輩の仕事よね! いいこと言うじゃない!」とアムニアの発言に乗った。

「えーと、じゃあ、逃げるか」

 こいつめんどくせーなと思いながらレクスが同意した、その時、トリリアの鋭い声が響く。

「レクス、囲まれてる!」

「っ!?」

「いつのまに……ついさっきまでこっちに気付いてなかった二体と三体が移動して、退路が塞がれてる! 他にも気配が相当数……今まで隠れてたの!? これってやっぱり、誰かが魔法で操ってる……?」

 虚空を見据えながらまくしたてるトリリアを、レクスとアムニアは真剣に見上げていた。杏華はぽかんとしている。無理もない、彼女からすればトリリアが意味不明なことを言い出したようにしか見えないだろう。だが、レクスは経験上知っている。こんな時、彼女は絶対に間違ったことを言わない。トリリアがそう言うのなら間違いなくそうなのだ。

「トリリア。どうすればいい? 包囲の突破はできそうにないか?」

「オラッカだけなら、囲みを破るのは不可能じゃないと思う。でも、誰かの意思が噛んでるなら、それを突き留めないと危ないよ。どんな罠があるかわからない」

「あんたたち、何の話してるの? 他のオラッカなんて見えないけど――」

 杏華のそんな言葉が終わるよりも早く。周囲の路地から、ほぼ同時に白い豚頭がのっそりと姿を見せる。狭い通りに溢れるように、オラッカが周囲を取り囲んでいた。その数は、ざっと二〇体強か。

 言葉を失う杏華の横で、トリリアとレクスは同時に「ふーむ」と腕を組んだ。

「まあ、こいつらはなんとでもなるとしてだ」

「そうだね。問題は親玉だけどー」

「なに落ち着き払ってんのよっ!?」

 杏華の叫びに反応して、オラッカたちがうなり声を上げる。だが、襲ってはこなかった。

「これはこれは、驚きましたね」

 頭上から、若い男の、気取った声が響く。

 オラッカたちの頭上に、一人の男が浮かんでいた。黒ずくめの服装にマントをはおったその男の頭部は、漆黒の球体。磨き上げられたつややかな表面には視界や呼吸のための穴などもない。被り物なのだろうが、まるで黒い宝石を人間の首の上に乗せたかのような印象を受ける。

 横にいたトリリアが、「ひっ」と小さく悲鳴を上げてレクスの頭の後ろに逃げ込む。レクスは、再会した時の彼女の話を思い出していた。

「……黒い石仮面ってのは、あいつか?」

 小声で問いかけると、後頭部にしがみついたトリリアがこくこくとうなずく。レクスが知る限り、どんな凶悪な魔物を前にしても、彼女がここまで怯えていたことはなかった。

 黒い石仮面の男は、上空五メートルほどの位置に浮いたまま、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。虚空を踏みしめ、悠然と。

「『◇Door』の構成員は、もういなくなったものとばかり思っていたのですが。こんなに可愛らしい方々が残っておられたとは」

「あんた、何者?」

 杏華が黒剣を突き付けて問うと、男は空中で慇懃に礼をした。

「私は妖精商会の『ブラックオニキス』。以後、お見知りおきを」

 男――ブラックオニキスから視線を外さないようにしながら、レクスは杏華に近づいていった。彼女に小声で確認を取る。

「一応聞くが、あれは敵でいいんだな?」

 脇目もふらず男を睨んでいる杏華の代わりに、答えてきたのはアムニアだったが。

「下手に動くなよ、勇者の大将。見ればわかるだろうが、魔法の心得がある相手だぞ」

「あ、悪行もこれまでよ、妖精商会! 私の魔法で、綺麗さっぱり焼却してあげるわ!」

 言っているそばから、杏華が軽率に攻撃を始める。彼女は怯えを誤魔化すように剣を構え――

「喰らえっ!」

 剣の一振りと共に、炎の矢が、一直線にブラックオニキスに向けて放たれる。だが、オニキスが手を一振りすると、それだけで炎は掻き消えた。

「あ、あれっ? もう一発――」

「待て杏華! 単純な魔法は通じな――」

 アムニアの制止も間に合わず、杏華が二発目の炎の矢を撃つ。オニキスの表情は見えないが、明らかに失笑したことが肩の動きでわかった。一発目と同じように、炎の矢が消滅する。そして。

「強力な魔法ですが、構成があまりに単純です。ましてや、二度も見せられたとあっては――」

 オニキスのひるがえした右手に、オレンジの光が灯る。光は瞬く間に、杏華が撃ち放ったのとまったく同じ炎の矢となって、杏華を襲った。とっさに剣で受けた杏華だが、爆発までは防げず吹き飛ばされる。

「きゃああっ!?」

「杏華っ!」

 地を転がる彼女を、アムニアがあわてて追っていく。

「――この様に、『呪い返し』も容易い。あなたには、妖精の力は荷が重いようですね」

 オニキスが肩をすくめる。

(魔法使い、か。敵に回すのは、考えてみれば初めてだな)

 レクスは胸中でつぶやいた。

 精霊大陸にも、魔法使いに相当する存在はいる。だが、彼らは異世界人であるレクスにも友好的で、敵対することはなかった。精霊大陸では魔力は精霊の管理するものであり、必然、魔法使いは精霊にその力を貸してもらえるよう請う、という形になる。つまりあちらの世界における魔法使いとは精霊に仕えるシャーマンのことであり、そのため精霊の使わす勇者、すなわちレクスに対しても友好的だったのだ。

 だが、この世界には精霊の意思がない。魔力だけがあり、それは誰のものでもない。

(だから、こういう魔法使いが好き勝手に調子に乗ってやがる、ってわけか……)

 内心のそんな悪態が聞こえたかのように、オニキスがレクスの方を見た。顔は見えないので、首の動きからの推察だが。

「さて、そちらは――おや、誰かと思えば、トリリアではありませんか」

 オニキスの呼びかけに、後頭部のトリリアが、びくっと震える。

「その清廉(せいれん)な水の魔力、隠れたところで見間違えはしませんとも。クックッ……今日の私は、実に運が良い。取り逃がしたあなたを再び捕える機会が巡ってくるとは、ね」

「おい」

 こちらの頭越しにトリリアに話しかけるオニキスを、レクスは睨みつける。

「お前、誰の相棒を気安く呼んでんだ」

「……ほう? つまりは、君が新たなトリリアの主という訳ですか」

 おかしそうに笑いながら、オニキス。

「楽しみですねえ。君は一体どんな魔法を見せてくれるのでしょう? 水の槍か氷の(つぶて)か、はたまた酸の雨でしょうか。いいですとも撃ってきなさい、是非とも見てみたいものです。妖精が、我ら魔法使いにもたらす恩恵は、実にすばらしい。そう思いませんか?」

「……魔法使いってのは、こういう口調のやつしかいないのか?」

 レクスは、嘆息した。斜め前のビル壁をちらりと確認し、息を吸う。

 息を吐くと同時に、ビルの壁に向かって、足を折り畳むようにして跳ぶ。壁に足底を着き、方向を調整して、蹴る。――その二動作で、宙に浮かぶオニキスの目の前に、レクスはいた。

「な……」

 オニキスが愕然とうめくのを聞きながら、レクスは思い切り、オニキスの仮面を殴る。

「――どおおおっ!?」

 オニキスが悲鳴を上げ、空中できりもみ回転しながら頭から落下していく。接地してもなお止まらず、ガリガリと仮面を路面に擦れさせながら転がる。

 レクスはオラッカたちの後ろに着地すると、無視してオニキスの方へ駆け寄った。魔物は戸惑うような鳴き声を発したが、思った通り、オニキスの指示なく動くことはないようだ。倒れたオニキスに馬乗りになり、胸倉を掴み上げる。

「……二つほど忠告してやる。一つ。僕はトリリアの相棒だ、主じゃない。二つ。あの程度の高さで、安全に他人を見下ろせると思ってんじゃねえよ」

「ぐっ……く、ふふ。思いのほか、野蛮な少年ですね……よもや殴りかかってくるとは」

「たった一発だけで我慢してるのをありがたく思って欲しいね。どうやら僕の知らない間に、トリリアがずいぶん世話になったらしいな? ああ?」

 胸元を掴む手に力を込めながら、静かに凄む。オニキスは落下の痛みで身体を震わせながら、なおも笑い声をもらした。

「ふふ、成る程。……あなたがトリリアの言っていた『レクス』君ですか」

 名を呼ばれ、意識が逸れた瞬間。オニキスの手が、レクスの右腕を掴んでいた。

「レクスっ!?」

 思ったよりも遠くから、トリリアの声が聞こえる――次の瞬間、レクスはオニキスごと跳ね上げられるように空中に浮いていた。

 今度は五メートルどころではない。はるか下に、廃墟街の町並みが見える。魔法で飛翔したらしい。

「は――はははは!! どうです、少年! この高さならご満足いただけますか!?」

 オニキスが笑いながら告げる。レクスは黒い仮面を見返した。オニキスの表情はわからないが、得意げなのだろうということは声からも容易に想像はつく。

「あなたは勇敢な少年ですが、果たして、死の恐怖を前にしても平静でいられるでしょうか? あなたはもはや私を掴んだ手を離すことも攻撃を加えることもできない! 私の機嫌を損ねれば、即座に地面に叩きつけられることになる。さて、どうするのです? 楽しみですよ……妖精に認められた勇者が、どんな言葉で私に命乞いをするのか!」

「今朝は何を食べた?」

「……は?」

 オニキスは、拍子抜けしたような声を出した。レクスはオニキスの胸倉をつかんだまま、繰り返す。

「朝食だよ。今朝は何を食べた? ちなみに僕は目玉焼きトーストだ」

「……今朝は忙しかったのでウィ○インゼリーのみです」

「そりゃよかったな」

 レクスはうなずいて、オニキスに対して左手で掌底を繰り出す。腹部から斜め上に、胃腸を突き上げるように。

「うぼぉあっ!?」

 オニキスが身体をくの字に曲げてうめいた。魔法が維持されなくなったのか、全身に、エレベーターが降下する時のような落下感がかかる。

「っらァ!!」

「げごぁっ!?」

 本格的に落ち始める前に、レクスは右手でオニキスの身体を引き寄せ、みぞおちに膝を撃ち込んだ。嘔吐したのか、仮面と首の境目から胃液らしきものを溢れさせつつ、オニキスが悶絶する。

 膝蹴りの反動でレクスは手を離していた。オニキスが、無重力空間の宇宙飛行士のように、蹴られた勢いのまま斜め上へすっ飛んでいく。レクスは落下しながら、んべっと舌を出してオニキスを見送った。

 レクスの、壁を蹴って跳んだりといった、かなり無茶な真似もできる身体能力は七年前の旅の中で鍛え上げられたものだ。が、掌底や膝蹴りのような素手の格闘術は、喧嘩に明け暮れてすさんでいた中学時代に我流で習得したものである。といっても喧嘩ばかりしていたのはほんの短い時期だが、そのころの素行に尾鰭がついて、現在に至ってもなお周囲から『不良』呼ばわりされ不当に恐れられている。はなはだ不本意だった。

「れ、レクスー――!」

 トリリアが、あわてた様子で下から飛んでくる。レクスは空中で姿勢を変えて、「おう、トリリア」と返事をした。

「おう、じゃないよ! こんな無茶なことして、もう――!」

「悪い悪い。『落下制御』たのむよ」

『落下制御』は、ごく基本的な魔法の一種である。その名の通り落下速度を魔法で操作するもので、主に高所から飛び降りる衝撃を和らげるのに使う。レクスは魔法の才能がないらしく、精霊大陸でも最後まで魔法を習得することは出来なかったが、トリリアの扱う『落下制御』や『治癒』といった便利な魔法には、何度も助けられていた。

「無理だよっ!」

「へ?」

 だが、トリリアの即答に、レクスは思わず間の抜けた声を上げる。トリリアは涙目でレクスの右手にしがみつきながら、ぶんぶんと首を横に振った。

「さっきのグラスカラドで、ほとんど魔力つかっちゃったもん!! いまの魔力じゃ、レクスくらいの体重でこんな高さから落下してるのを止められないよぉ!」

「……え、嘘」

「ほんとだってばぁ!」

「マジ?」

「超マジ!」

 言いながらも、トリリアの羽に青い光が灯る。

「『落ちるな』!……『落ちるな』! にゃー、やっぱ、ぜんぜん勢い弱まんないー!『おーちーるーなー』!」

 彼女が真剣な面持ちで呪文(?)を詠唱するが、それでも落下速度がほとんど弱まらない。レクスはようやく事態の深刻さを理解し始めた。

「あー……マズいなこれ」

「うう、アムニアが気付いてくれればいいんだけど……せめて二人の近くに落下するように……うわーん、もう魔力なくなったー!」

 言う間に、地面が迫ってくる。レクスは覚悟を決めて地面と向き合った。

「トリリア、こうなったら強引に着地するぞ。落下直前にもう一回だけ魔法使って、速度を弱めてくれ。僕はできるかぎり足から落ちて衝撃殺すから」

「わ、わかった……大丈夫かな……」

 震えながらトリリアが言う。レクスは場違いに微笑ましい気持ちになった。妖精にとっては落下など、どうということもない――極端に軽い自重を浮かせるくらいはいかなる場合でも容易いだろうし、そもそも単なる物理的ダメージは、魔力で構成された身体を持つ妖精にはほとんど通らない。つまり今、トリリアは純粋にレクスの身だけを案じているのだ。

「優しいな、お前は。相変わらず」

「きゅ、急になに言ってるのっ」

「トリリア」

「な、なに?」

「助かったら、一緒にパフェ食べに行こうな」

「そういうこと言うの禁止――――!! ぱふぇは食べるけど――――!!」

 涙を浮かべてトリリアが叫ぶ。地面が目前に迫っていた――

 と、その時。

「――――きゃあああああっ!?」

 杏華の叫び声が遠くから聞こえた。同時に、赤い閃光がビル群を貫き、レクスの着地予測地点に突き刺さって爆発する。

「な……!?」

 驚愕に言葉を失っていると、爆心地から熱風が垂直に吹き上げてきた。

「な、なんだこれ……(あつ)っ! 今の爆発って熱っ! 夏原の魔法だよな熱っっ!?」

「あ、でもレクス熱っ! この風で熱っ! 落下が弱まってるよあっつい!!」

 トリリアの言う通り、かなりの勢いで吹き上げる熱風によって落下速度が弱まっていた。最終的に、レクスはふわりと地に足をつく。

 着地点のすぐ横、魔法の爆心地とおぼしき場所では、アスファルトがクレーター状にえぐれ、そこになぜか杏華が突っ伏していた。

「……えーと」

 レクスとトリリアが困惑していると、アムニアが杏華の脇からすいっと現れる。

「おや、無事だったかね、勇者の大将」

「あ、ああ、怪我ひとつない。助かったよ。……夏原はどうしたんだ、これ」

「ふむ。落下地点に間に合うようにわたしの魔力でちょっと加速してやったのだが。何故かうまく止まれなかったようでな」

「あ、あんた……か、加減しなさいよね……」

 地に伏し痙攣しながら、杏華が抗議の声を上げるが、アムニアは無視した。

「アムニアー。助かったよー、わたし魔力が尽きちゃってて」

「このくらいお安いご用さ」

 安堵したように言うトリリアに、アムニアがいつもの感情の読めない顔で答える。

「――素晴らしい」

 背後から、拍手と共にそんな台詞が聞こえた。レクスはゆっくりと振り向く。オニキスがビルの屋上に立ち、長いマントをはためかせながら、悠然とレクスたちを見下ろしていた。

「その未熟な魔法使いでも、妖精との契約があればこれほどの力を行使できる。そして、レクス少年。なるほど、『勇者』の名にたがわぬ者であるようです。実に素晴らしい」

「おう、仮面の中で溺れなかったか、ゲロ野郎」

「固形物がなくて助かりました」

 レクスの軽口にオニキスがうなずく。そしてマントをひるがえした。

「今日のところはこれで去るとしましょう。あなたたちが無視できない戦力であるとわかっただけでも収穫でした。ですが、私はあきらめません。妖精の力は『妖精商会』こそが有効に扱える――『◇Door』ではなく、ね。いずれ、それを証明して差し上げましょう」

「……レクス、だめだよ」

 とっさに追いかけようとしたレクスは、トリリアの忠告で我に返った。ここで追ってもさっきの二の舞だ。結局、オニキスが去っていくのを見逃すしかなかった。

 オラッカたちは、オニキスが引き上げさせたらしく、姿を消している。爆発を起こしたためか、遠くからサイレンの音が聞こえてきていた。

「……ほらみろ、面倒臭い」

 誰にと言う訳でもなかったが、レクスはぼやいた。


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