幼年時代 迷子
迷子
ここに、これから私の最初の記憶と呼べるものを書き記そうと思う。
あれは私が四歳になる前くらいの、ある夏の日の午後だった。
まだ物心が不完全であった私にとって、川崎市武蔵小杉の社宅団地の敷地内が、私の世界の、すべてであった。
社宅団地の敷地内には必要なものが何でもあり、なんの不足もないようだったから、私の目には、敷地外の世界のことは無用で、空に続いているただの風景のようだった。だから、その時の私は、まだ巣穴から決して出ないはずの獣の赤子と同じようなものであったはずなのだ。それなのに、なぜなのか? 私は何を探しに巣穴から出て歩き始めてしまったのか。その動機は、まったく見当がつかない。
とにかく、その日、まだ幼い私は、たった一人、社宅団地の敷地の門を出て左に曲がり、そのまま、どんどん何かを目指して歩き始めた。
今、思い返してみても、ぼんやりしていて、どこへ向かって歩いていたのか、なんの目的があったのか、そこのところは、まったくの謎で、他人の行動を思い返しているような不思議な気持ちがする。自分の住む団地と、その周り、敷地内の公園の辺りならよく知っていたようにも思うが、その外の地形を知っていたはずがない。ましてや、敷地外の世界に、あの頃の私が一人、誰の指図も受けずに自分の意思だけで、どこかへ向かう理由がない。
そもそも、私には、あの日以前の記憶が、まったくない。あのとき、社宅団地の敷地を出て歩き始めた私の頭の中で、何かの仕掛けが、ことりと音を立てて初めて回転し始めた。何かが起動するための電源が入ったのだ。そしてそれは、それからの私の人生において、眠りからの目覚めというかたちで、毎日の朝に繰り返されることになった。
今でも、朝、目が覚めて頭の中で、一つの水滴が水面に落ち、とぽんっと音がして意識の波紋が広がり始める感じは、あの時と、ほとんど同じように思う。毎朝に繰り返される目覚めではあるが、その生まれてから最初の目覚めのときには、自意識はまだ、ぼんやりとはしていた。しかし、頭には社宅団地が自分の巣穴であると、はっきりと刷り込まれていた。そこから飛び出し、どこかを目指して私が一人で歩き始めたのは、あれは言わば、獣としての本能的な巣立ちの準備のようなものだったのだろうか。
あのとき、一人で歩き始めて私は、長い夢から覚めたような感覚で、はっとして自分を取り巻く現実に気がついた。
――ぼくは、いつも、お母さんといるのに、いまは一人で道を歩いている。
と、私は鮮烈な白い光を感じて、ぱっと一瞬の内に自分の人生の現在の状況を掴み取り、受け入れた。その過程は、大人となった今でも毎朝に繰り返されているものだが、考えてみれば、日々の睡眠からの目覚めと、何もないところから不意に現れて、ただ歩き出そうと気づいた、あの初めての自意識の覚醒とは、まったく同じものである。
ということは、一日に疲れて暗い闇に引きずり込まれるように眠りに落ちることと、老衰や病魔、不慮の事態、あるいは逃れられない絶望か何かのために、ただ一度だけ落ちてゆく深い永久の眠り、死も、ほとんど違いがないように思われる。あの最初の目覚めの時と同じことが、もう一度、逆のかたちで繰り返されて終わるだけの人生なのだ。
あの時の私。初めて今、この世界にいることを自覚した私は、まず孤独だった。
ほとんどの夢が、まったく思い出せないように、あの頃のことは、ほとんど思い出せないが、孤独な自分の心持ちだけは微かに記憶している。
その時の私の世界には、いつも私の側にいたはずの母、毎日一緒に寝起きして食卓を囲んでいたはずの父や兄の姿が、なぜだかまだ、まったく現われない。と言うよりも、私の記憶は、ほとんど空白で、記憶が形になってくるのは、あのあとからだ。あの巣穴から出て一人で歩き始めたあと、霧の中に、もやっと浮かぶ影のようだった世界が急に、その姿を現わした瞬間。そこに様々な人間が、だんだんに現われて、自分に関わってきた瞬間。あの歩き始めた瞬間だ。
そして、私の記憶は、あの瞬間から現在まで、ただ漠然と続いているのだが、もちろん連続している訳ではなく、断続している。結局、私が二歳から四歳くらいに武蔵小杉の社宅団地に住んでいた間、鮮明に記憶しているのは二つの出来事だけだ。言いかえれば、そのことがあった日の二日間だけである。約三年間も住んでいて、たった二日間のことしか覚えていない。私の記憶は点々と続いている。人間の記憶とは、なんと不確かで、保存性の悪いものなのだろう。大人となった今でも、数年前の一年間で、鮮明に記憶している日が一体何日あるだろうか。
回想の中で、私の四歳頃に、あの社宅団地に住んでいた記憶で、頭に浮かんでくる最初のこと。目的も分からず、どこかへ歩き始めたあのとき。夢の中にいるようで、特別の欲望や探究心など、まだなかったはずの私は、たった一人で未知の世界に踏み出して行った。それこそ、孤独という意識もなかっただろう。母のいない一人だけということを最も恐れていただろうし、毎日ほとんど夢を見ているような感覚の中で、なぜ私は、たった一人で自発的に、どこかへ歩き始めなければならなかったのか。ただ好奇心のためだったのか、もっと単純に退屈したからだったのか、それとも少々深読みして、何かが自分を呼んでいるかのように感じたからだったのか。
もし、何かが呼ぶ声を聞いたかのように、海や川などの、もっと危険なところへ向かっていたならば、私は今頃、夭逝した子供として母の心の中だけに生きていたことだろう。そのときの親の悲しみは計り知れないが、子供本人にとっては、大人となって生き続けていかなければならない苦しみの回避であった、と考えることは、あまりに厭世的に過ぎるだろうか。
とにかく、そのとき、何のためとは知らず、どこかへ向かって、幼い私はたった一人、黙々と歩き続けて行ったようであった。
歩き始めたときは、母と歩いて見慣れた道があったかもしれない。見覚えのある商店街を通ったかもしれない。しかし、そのうちに、まったく目印になるようなものがない、見知らぬ道を、ただ先へ先へと歩いて行くことになっただろう。
なぜ引き返さなかったのか。自分の知らない世界へ、何の見当もなく、なぜ進み続けなければならなかったか。歩いて行くうちに、どんどん暗くなっていったことだけを私は今、記憶している。日が暮れようとしていたのかも知れなかった。自分が突如として歩き始めたのが何時頃だったのかも、それまでに、どれくらいの時間を歩き続けているのかも私は、まったく見当がついていなかった。
見慣れない空に、夕焼けは見えなかった。その日は曇っていて、私が歩き続けているうちに、どんどん空が黒い雲で覆われていった。私の歩いて行く道は、まだ四歳にならない子供が、たった一人で初めて通る道としては、いよいよ不気味な恐ろしい道であったはずだ。なぜ心細くなったり、身の危険を感じたりして、帰巣本能のようなもので、もと来た道を戻らなかったのだろう。私は、どんどん前へ、ただただ進んで行った。
そして、雨が降ってきたのだった。
夕闇が迫る中、霧のような小雨。
――たった一人、どこか知らないところにいる。
と、だけ私は分かっていただろう。どんどん暗くなるのだろうな、とも分かっていたに違いない。私は、とぼとぼと歩き、やがて立ち止り、煙る小雨の中に、じっとしていた。雨に濡れていただけではない。私は、たぶん涙を流していた。
そのとき、霧雨の白い闇の中から、一人の大人の女が私の前に現れた。
その女は今では、もちろん、ただ障子に映る影のように淡い残像の記憶でしかないが、柔らかな雰囲気の物静かな若い女だった。優しげに、私に傘を差しかけて、
「どうしたの? こんな雨の中で一人なの?」
と語りかけながら、傘の陰の中で私の顔を見つめてくれた。
「どうして泣いているの? お母さんは?」
「…………」
私は答えることもできずに、ぽろぽろと涙をこぼしていただけだろう。でも、ようやく顔をあげて、傘の下の薄暗い闇の中に白く浮かび上がった女の優しげな顔を見た。
全身を甘く包み込むような、女だけが持っている高く澄明で柔らかい声音の響きに、安心して、かえって体が震えるような感覚があったように思う。
その見知らぬ女の母性が、やがて、異性の存在に目覚め初めた私の意識のどこかにもあって、今でも恋の理想の中に常にあるような気がする。しかし、その母性の心象が女の肉体を持つようになると、それは安らかさの憧れから激しい性衝動の対象に変わった。大人になると、男は一時あるいは度々、肉欲の虜のようになることがある。
白い小雨の中、幼い私は、また濡れた地面を見つめていた。傘で雨粒を避けながら女は、しゃがんで甘く香るようなハンカチで私の顔を拭いてくれた。女は、何も答えない幼い私の顔だけを、黒く艶やかな瞳で熱く見つめ続けてくれた。
私は、女に手を引かれて、雨の中をまた、とぼとぼと歩き始めた。どれくらいの時間、二人で並んで歩いたのかは分からない。女は時おり私に優しい眼差しを向けて語りかけ、愛情深く手を握り、そして甘く柔らかい香りを近づけて、私の頬の雨粒を拭った。
雨に煙り、生温かい薄闇に佇みながら、私は女の吐息を近くに感じた。私にとっては、それが今でも、女との情事の究極の姿である。
むろん女は私を、どこかへ連れ去るでもなく、歩いているうちに二人は、すぐに何処かの交番に辿り着いた。女は、近隣の住人で、交番の場所を知っていたに違いない。
警察官が、どのように私の身元を調べたのかは分からない。おそらく女に、すべてを委ねていた私は、警察官にではなく、女から優しく尋ねられるままに、名前とか、どちらの方角から来たのかとか、社宅団地に住んでいることを女に話したのだと思う。
そもそも、私が一人で雨の中に立ちすくんでいた地点が、私の家からどれくらい離れていたのかは分からないが、所詮は子供の足で歩ける範囲だ。たぶん歩いたのも一時間か、もっと短い時間だったかもしれない。その交番は間違いなく、私の住む地域の近隣の交番だっただろう。私が、住所や具体的な地名を何一つ言えなかったとしても、どの社宅団地の住人の子供かは、だいたい推定できたのだと思う。
――あるいは、あの三輪車に、母が氏名や住所、電話番号を書いてあったのだろうか。
今、ふと追憶の中に、一台の三輪車が浮かび上がってきた。色も細かな形も覚えてはいない。しかし、あの三輪車が突然に、私の目の前に現れた。
――あのとき、私は、ずっと三輪車に乗って行ったのか。
私の呼び起こしていた記憶は、甦った幼児期の真の記憶によって、鮮やかに塗り替えられた。とぼとぼと歩いて来た道のりに、今は三輪車に乗って遠ざかる幼い自分の後ろ姿が見える。
夢から覚めたような意識の中で、幼い私は、女と出会ったところに乗り捨てて置いた私の三輪車を、警察官が警察車両の後部の荷物入れに積み込むのを、女と手を繋ぎながら、ぼんやり見ていた。
気づくと、女と私は、警察車両の後部座席に並んで座っていた。走っている警察車両の車窓には水滴が付いていたが、雨は、もう止んでいた。見覚えのある光景が、どんどん近づいてくる。
やがて、警察車両は社宅団地の敷地内に滑るように入って行って止まった。
社宅団地の子供たちが、みんな警察車両の周りに集まってきた。あの頃は、なんか子供が、たくさんいて溢れているような感じであった。窓に顔を、くっ付けるようにして中を覗いている子供たちを掻き分けて、警察官が警察車両のドアを開けると、私が降りて来たので、子供たちは、みんな歓声に沸いた。
「すごい。パトカーに乗って、いいなー」
みんな、ただただ羨ましがって、私を取り囲んでいた。私は、さっきまでの寂しさや不安など微塵も忘れて、すっかり有頂天になった。みんなが自分に注目しきりなので、嬉しくて楽しくて、ずっと得意気であった。その情景を、これだけ記憶しているということは、どれだけ幼い私の心が高揚し、歓喜したかが想像できる。
警察官が、警察車両の後部の荷物入れから私の三輪車を降ろすと、また子供たちから歓声が上がった。
「三輪車を運んでもらったんだ、いいなー」
私は無事に帰ってきた。母も待っていた。みんな元のまま。
私の母は、あの女に何度も、お礼を述べたことだろう。しかし私は、あの女にも警察官にも、ちゃんとお礼を言えただろうか。きっと、すぐにその場を離れて走り出し、兄や団地の子供たちと、夜になる前に、たくさん遊ばなくては、と思っただけに違いない。
残念なのは、もうそこに、あの女の気配すらないことである。
後には、私の恋の心象の一部にもなった女は、いつの間にか雨が止んでいたように、警察車両を降りたあとの私の記憶の中からは消えていた。二度と再び現われない。それから出会うすべての女が、そうであるように。
幼い私は、あの女を求めて一人で歩き始めたということなのだろうか?
あの女の呼ぶ声が遠くに聞こえて歩き出したとでもいうのだろうか?
今にして思えば、あの雨の中で出会った女、幻のようであったあの年上の女は、私の心の目を開いてくれた。あの時に私は物心が付いたのだと思う。迷子であった私を、この人間の世界に導いてくれた一人の女。
もちろん、その前から、母や父、兄や近所の人たち、子供たちが、迷い彷徨っている私の周りに、いつもいたのだし、私が人として目覚めるまで、ずっと関わり合っていたのだろう。そして私が覚醒してからは、彼らが私の世界の一部になった。
しかし、私の記憶の糸を辿ってゆくと、その糸は霧のような小雨の中に消えて見えなくなってゆく。
今も、その靄の辺りで、幼い迷子の私に、そっと手を差し伸べた、あの女が佇んでいる。