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解決編 事件発生

 日が落ちると途端に寒くなる。アルコールが入った体にはちょうどいい風も、あまり吹かれては体に障る。

 増田敏弘は車から降り足早に家に向かった。この辺では破格の月極五千円の駐車場はアパートから離れている。徒歩で十分。その途中に同じ管理会社の駐車場があるが、一万円も払うようなのでここを利用したことはない。

「あ、今日は友春が来る日か」

 居酒屋とバーを梯子しアルコールのまわった頭はだいぶ回転が悪い。そして足元が不安定で何度も足踏みをしていた。街灯が少ないせいで小さな段差がほとんど見えない。

 大通りまで出ると街灯も増え、通り過ぎる車のライトで視界がかなり明るくなった。むしろ、車のライトは眩しいほどで、コンタクトの乾燥と眠気も相俟って目を開けているのがつらいほどだ。しばらくすると車道とは反対側から眩しい光が差す。二十四時間年中無休、週に四日は利用するコンビニだった。ここまで来るとアパートはもうすぐだ。

「あ、家に酒なかったか」

 大西友春が遊びに来るのに酒がないのは問題だ。もし酒がないと分かればおそらくこのコンビニにまた来るようだろう。これほど眠いのにそんな二度手間は願い下げだ。店に入り適当に調達した。

 袋いっぱいに入った酒を片手に横道に入ると、再び足元のはっきりしない暗い道が続く。人通りが少ないので千鳥足になっていることも気にならない。

 普段なら五分で歩けるような距離に倍の時間をかけてアパートの前まで来るとひとりの男が立っていた。

「増田さん、今帰りですか?」

 ジャージ姿の樋口信彦だった。引っ越してきた当初は真面目過ぎて、正直気に入らない部分が多かった。しかし、今ではそう悪い印象はない。

「ああ、今日のデートは飲んで終わり。まったく、付き合い悪い女だぜ」

「うちで飲み直しませんか?」

 これ以上飲むと本当に寝てしまいそうだが、樋口に誘われるのは初めてなので断るのも悪い気がした。大学一年生といえば飲み盛りだが、そんな酒に強そうにも見えない。

「おお、飲もう飲もう。ちょうど酒もあるし」

 あとで来る友人のための酒だったが、ここで消費されることになった。これも人付き合いか、とあきらめて増田の部屋に入る。

 自分の部屋ならともかく、ここで寝たら友春は待ち惚けだ。確実に後でうるさいことを言われるだろう。寝ないように気を付けて隣人との酒を交わした。


 酔っぱらって帰ってきた増田を部屋に招き、コタツで温まりながらまるで意味のない、無駄としか言えない会話をした。増田は既にかなりの量のお酒を飲んでいたようで焼酎を二、三杯飲むとすぐにウトウトし始める。

 もう一杯飲み終わる頃にはほとんど寝息を立てていた。いい年して酒の量も加減できないらしい。

「増田さん?」

 呼びかけても返事はなかった。コタツから出て立ち上がり、もう一度増田のほうを見たが、起きる様子はない。

 座ったままの姿勢で寝入った増田の姿を見ていると腹の底にどす黒いものが満ちていくのが分かった。

 いままでの積もり積もったものが噴出していた。

「……っ!」

 気付いた時にはもう遅かった。

 首にコードを巻いた状態で増田は動かなくなっていた。

「あ、ああ……」

 冷静になると恐怖が襲ってくる。

 逃げたい。

 隠れたい。

「…………」

 隠せばいいのだ。いや、隠すしかない。自分の犯行であることを隠せればいい。

 まずは死体を移動しなければいけない。そして、ここにあるコップやお酒も捨てなければいけない。

 息遣いの荒くなっている樋口の耳に車の音が聞こえた。

 大西が車で来たことは無い。しかし、思わず息を潜めてしまった。足音を立てないように玄関の方に向かい、聞き耳を立てる。車は近くで停まり、ドアを勢いよく閉めた音が聞こえた。足音が近寄ってくる。それに比例するように心臓の音が大きくなり、自分でも耳障りなほど胸を張り上げた。

 息を殺すのがつらい。

 焦燥感で胸がざわつく。

 足音が玄関の前まできた。しかし、足音はそのまま通り過ぎ、アパートの奥まで進んで行った。しばし静寂が続いたが、ピピッと機械音がなると足音は去って行った。

「宅配便か」

 大きく息を吐き、崩れ落ちるようにして玄関に座り込む。

 突然の来訪者によって樋口は改めて事の重大さを思い知らされた。物音一つにビクついてしまう。しかし、ぐずぐずしていると大西が来てしまう。

 意を決して行動を起こした。

 一〇三号室を開けるため鍵を探した。増田は鞄を持っていなかったのでポケットに手を入れる。まだ温かい死体に吐き気を覚えながら、ようやくの思いで鍵を見つけた。そして玄関の覗き穴から外に人影がないことを確認して、素早く一〇三号室に向かう。ほとんど人が来ない場所であることは分かっていても玄関を開けるときには手が震えた。震えが収まる前に自室に戻っていた。呼吸を整え、次に取り掛かる。

 最大の問題はどうやって死体を運ぶかであった。背負うようにすれば運べるだろうが、そうすると自分の髪や繊維のようなものが残ってしまう。可能性は高くないだろうが、低い可能性にこそ恐怖を感じていた。

 手に詰まり、解決策を考えていると更なる問題に気が付く。

 凶器の処分はどうすればいいのか。

 コタツを処分したとしても、コードが凶器だと発覚した時点ですぐに疑われる。買って半年もせずに処分するなんて不自然すぎる。それが被害者の隣人で、このタイミングなら尚更だ。

 八方塞がりの現状に玄関で立ちすくんでしまった。

 死体が視界に入る。

 すぐに流しに顔を向けた。

「う、おぐ……」

 先ほど増田と飲み交わした酒がシンクに流れ落ちる。ほとんど消化できていなかった夕食も一緒に吐いてしまった。

「はあ、はあ、はあ――」

 それから三回吐くと胃は空になり、吐き気も少し収まった。

 そして、問題を一度に解決する方法を思いつく。

 死体と凶器。

 どちらも一〇三号室に持っていけばいい。

 樋口はなるべく死体を見ないようにして、コタツの天板を壁に立てかけ、掛け布団を剥がす。残った脚を持ち上げるため、コードを引っ張った。

 首に巻き付いたコードによって増田の頭が揺れる。まるで壊れた人形のような動きが視界の隅に入り、思わず嗚咽を漏らした。

 コードを回収し脚を持つと、先ほどと同じように外を確認してから一〇三号室に入った。

 増田の部屋は散らかし放題で足の踏み場もないような状態だった。

「くそっ」

 樋口は舌打ちをして、適当に道を作りながら奥の部屋に進む。そこには予想通りのものがあった。いや、予想以上と言っても過言ではない。

「こいつもコタツ使ってたのか」

 安堵のため息が出た。テーブルを交換しようと思って持ってきたコタツの脚だったが、これならこの部屋にある脚と交換するだけでよい。天板を取ろうと手をかけたが、その上には物が乱雑に置かれており、中には飲みかけのビールなどもあった。しょうがなくそれらを片付けてから脚を交換する。

 コタツの脚と死体を包むための布団を持って一〇一号室に戻る。人目に付く前に部屋に戻ろうと焦ってしまっていた。脚を階段にぶつけてしまい、カン、と高い金属音が響く。

 意味も無く身を屈めてしまっていた。

 幸い周りには誰もいなかった。窓から覗くような人影もない。

 すぐに身を起こし、一〇一号室に駆け込む。

 胃液で痺れた喉が痛む。

「くそっ、くそっ」

 咳込みながら布団を広げ、死体をその上に寝かす。視界に入るだけで吐き気を催していたのが嘘のように、死体を動かすことが出来た。これは慣れではなく、パニックによる麻痺なのだろう。

 その後の証拠隠滅はスムーズだった。死体を一〇三号室に寝かせ、布団を畳み、コタツを元通りにする。鍵をコタツの上に置き、自室に戻ろうと玄関のドアを握った。

 その時、背中を冷たい汗が流れた。

 このまま証拠を隠滅したとして自分にはアリバイがない。

 今から出来ることはなにか。

 先ほど鍵を探したときと同じように増田のポケットに手を入れ、スマホを取り出す。他人のスマホは使いづらかったが、あと数時間もすれば訪れる大西に無料メールアプリで連絡を入れた。これくらいしかできることが思いつかなかった。

 自室に戻り、部屋を片付ける。飲み物を台所に流し、コタツを整えた。増田を殺して一時間半で出来ることがなくなった。出来ることといえば普段と変わらない生活を装うだけだ。

 コタツの脚が変わったとはいえ、死体も無くなり普段と変わらない部屋。

「普段通りの生活だ」

 樋口はパソコンの前のイスに座った。部屋を見渡すように壁に背を預け、左腕をデスクに乗せる。ため息しかでない顔をパソコンの明かりが照らした。マウスが動いたらしい。

 電源を入れたままにしていたのを忘れていた。オンラインゲームにログインし、最初の集会所のところでキャラクターが立ち尽くしている。

 樋口はパソコンの方に向き直り、ゲームを続けた。

 現実から少しでも遠くに離れるように顔を画面に近づけ、ヘッドフォンを耳に当てた。


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