8.襲撃
ミヤコ班は人一人を見殺しにしたことがある。
その不吉な言葉の意味をおぼろげながら理解したのは、その次の日のことだった。
祐司は再びグラウンドの隅にいた。
ミヤコたちは昨日と同じく任務とやらでここにはいない。
俺だったら残って手伝ってやってもいいぞ、と邪悪に笑うキリュウに全力で首を振り、今は一人で四苦八苦している。
肩のインコは最初のうちこそ興味深そうに見ていたが、もうすっかり飽きてしまったようで、うめき声を上げる祐司に構うことなく羽繕いをしていた。
武装を取り出すのには一度は成功している。それならあの感覚をもう一度再現すれば、と理屈ではそうなる。
だが、いくらイメージを作りなおしても上手くいかない。
あまりに長くやりすぎて立ち疲れを感じていた。
「……戻って休もうか」
塔を振り返る。
ため息をついて手を見下ろしたとき、ふと銀の剣のことを思い出した。
そういえばあれも虚空から現れた武器だった。
「異能武装……なのかな」
試しに念じてみるが、こちらも出てくる気配はない。
もしかしたらあれは何かの見間違いだったのかもしれないな、と祐司はぼんやり思った。
死に瀕した脳が見せた幻覚かなにかなのだったのかもと。
と、建物の入り口にさしかかったその時だった。
ズン……っ、と地鳴りのような音が遠くの方で聞こえた。
「……?」
ぱちぱちと瞬きする。
インコが顔を上げて遠くを見た。
見回すと右方の空に煙が上がっていた。
何だろうと思って眺めているうちに、さらなる異音が祐司の耳を揺さぶった。
何かが砕ける音。何かを打ち破る音。
徐々に近づいて大きくなる。
「な、なんだ……」
祐司は警戒と共に後ろへと下がった。
何かがすぐそこまで迫っている。
だが何が?
分からない。
分からないが危険だということははっきり分かる!
ゴッ――!!
と、煙の方向にあった建物が崩落した。
もうもうと舞い上がる粉塵の向こうから、なにやら大きな影が飛び出してくる。
爆音のごとき咆哮が轟いた。
それは一目では肉の塊に見えた。
ガビガビに乾いた肉を山ほど寄せ集めて固めたような体。
見上げるほどのその筋肉塊が人の形をしていると気づいたときには、もう殺される寸前だった。
勢いよく振り下ろされる大きな拳。
目の前が暗く陰った。
祐司は呆然と死の影を見つめた。
轟音。激しい振動。
血をまき散らして倒れる自分の体。
地面に激突し、鈍い音を――音を?
「え?」
生きていた。
尻餅をついただけで怪我もなく。
ではこの血は一体誰のものだ?
脇に視線をやってぎょっとした。
少女が一人倒れていた。
「だ、大丈夫!?」
頭から出血している。見たところ意識もない。
触れていいものか躊躇した。
いや、そんなことより生きているのか?
ダンッ! と凄まじい音が至近距離で響く。
はっと顔を上げると、あの化け物が塔の方へと駆けていくのが見えた。
嫌な予感がした。
何か良くないことが起こっている。
そしてまだ起ころうとしている。
しかし、それよりもまずはこの少女を助けなければ。
そう思った時だった。
「どぉっせえええええいッ!」
化け物の側頭部に何者かの飛び蹴りが突き刺さった。
「クソッ! 外周の奴らドジ踏みやがって! 危うく本丸落ちだったじゃねえか!」
キリュウだ。着地と共に毒づく。
化け物に対し半身を切って、距離を測るようにステップを踏んだ。
「来いよデカブツ、俺が直々にぶっ潰してやる!」
化け物が拳を振り上げる。
それに合わせてキリュウも拳を引く。
次の瞬間、猛烈な衝撃が両者の間で弾けた。
(ぐぅっ……!)
祐司は倒れた少女をかばってうめいた。
彼女に目覚める気配はない。
「へっ、ザコのくせにやるじゃんか。なら行くぜ、もういっ――」
だがその言葉が終わる前に化け物の野太い悲鳴が響いた。
見るとその肩口にマキがちょこんと乗っかっていた。
「外した……」
その手の剣は化け物の体に真っ直ぐ突き立っていて、人間であれば心臓あたりの位置まで到達している。
「あ、てめこのクソ女! 俺の獲物を取るんじゃねえ!」
「別に取ったつもりはない」
「だったらさっさとそこをどけ! こいつは俺が仕留めんだよ!」
「でも偶然この子が死んじゃうこともある」
マキの剣がぐりっと半回転する。
化け物が叫び声を上げて膝をついた。
「だからやめろって言ってんだろ!」
たん、と跳びあがってキリュウが化け物の頭を打ちすえる。
マキは剣を引き抜いて、さらに攻撃を加えようと上段に振り上げ直した。
「ちょっと待って!」
祐司の声に二人の動きが止まった。
「この子が、怪我してるんだ……!」
彼女の傷口を押さえながら必死に言う。
その身体は力が抜けて、不気味なほどぐんにゃりしていた。
それでも祐司をかばって守ってくれたのだ。
助けたい。
「後にしろよそんなの」
「え……?」
祐司は耳を疑った。
「今はこいつで忙しいんだ。下らねえことで邪魔すんじゃねえ」
マキもこちらを見もせずに答えた。
「優先順位がある。待ってて」
「そんな……」
祐司は立ち上がった。
「お、お願いだよ……頼むよ! ほっといたら死んじゃうよ!」
「バカか、死なねえよ。死んだとしてもそういう仕事なんだよ」
「何だよそれ!」
頭の中がカッと熱くなった。
そして、化け物の叫び声が上がったのもそれと同時だった。
「うお!?」
「つっ!」
マキとキリュウが弾き飛ばされる。
化け物が立ち上がってこちらを見た。
「逃げて!」
それはマキの声だった気がする。だが、定かではない。
祐司の意識を占めていたのは、こちらへと向かってくる化け物。
それから背後に倒れている少女のことだった。
怖い。
まずそれを思った。
でも逃げられない。
それも悟る。
逃げれば背後の少女は死ぬ。
先ほどの怒りとは別の熱が頭を支配した。
時間が何倍にも何十倍にも引き延ばされる。
止まったようになった空間の中で、銀の輝きが視界にあふれた。
再び時が動き出す。
目の前で肩口から腹部までをざっくりと裂かれた化け物が崩れ落ちた。
祐司の手には銀の大剣。
荒く息をつきながら、祐司は虚空を睨み続けた。