7.スバル
結局盾が再び出現することはなく、その日は無駄に終わった。
(いつになったら帰れるんだろう……)
丸パンをちぎりながら憂鬱に考える。考えたところで答えは出そうになかったが。
今いるのは朝に立ち寄った食堂だ。広いホールにテーブルが並び、天井からの明かりの下で大勢の少年少女が思い思いに食事をとっている。
祐司は隅のテーブルの、そのまた隅でぽつんと一人、パンとスープを口に運んでいた。
インコは部屋に置いてきたので、正真正銘の一人だ。
時折ちらちらと視線を感じる。
とても居心地が悪い。
先ほどまではマキも同席していたのだが、彼女はさっさと食事を終えると食堂を出て行ってしまった。
「おやすみ」
と、それだけを言い残して。
(別に一緒に食べたいわけじゃないけど……)
それでも一人で残されれば心細い。
こっちは唐突にこの街に来てしまって右も左も分からないのだから、もっと親切にしてくれもいいじゃないかと思う。
見知らぬ人ばかりのところで居場所もなく、心穏やかではいられない。
少しは気を使ってほしかった。
(……いや、分かってるさ)
ため息と共に奥歯をかみしめた。
自分はこの居心地の悪さですっかり平常心を失っているのだ。
別に彼女らだけが悪いわけじゃない。
要は怯えた犬が誰彼構わず吠えかかるのと同じ、怖がって攻撃的になっている。
もっと泰然と構えられれば、いいのだろうけれど。
(やっぱり駄目だな僕は……)
味のないはずのパンが、口の中で少し苦く感じた。
声をかけられたのはそんな時だった。
「やあどうも。ここ、いいかな?」
はっ、と顔を上げると、人懐こい微笑がそこにあった。
すらりと背の高い少年。
物怖じしない堂々とした雰囲気で、それでいて相手を威圧しない柔らかな物腰。
彼は、祐司が返事をする前に向かいの席に滑り込んだ。
「こんばんは。俺はスバル。君が噂の迷宮に現れた男の子だよね? ユージ君だっけ? ここにはもう慣れた?」
「え……え?」
祐司が呆気にとられているうちにスバルという少年はさらに言葉を続けた。
「よし、まずは握手しとこうか。はいよろしくー。うん、よし。あ、スープ冷めそうだよ。冷めるとあまりおいしくないよ」
「えっと……そちらは、一体?」
握手の手を戻しながら祐司は眉を寄せた。
なにやら気安い様子で話しかけてくるが、記憶違いでなければ初対面のはずだ。
「名前を聞いてるわけじゃないよね。もう言ったし。俺の意図が気になるってとこ?」
「意図っていうか」
「なに、大したことじゃない。一人心細そうにしてたから話し相手が必要だろうと思っただけだよ。いらない? 話し相手」
「それは……」
少し心が動いた。
「君が知りたいと思っていることも教えてあげられると思うけど」
言葉を失った祐司を見て、彼はにこりと笑った。
◆◇◆
「なるほどねえ、そんなところから来たのか」
この街に来るまでの祐司の話を聞いた彼は、興味深そうにうなずいた。
「デンシャ、いいなあ。俺も乗ってみたいなあ」
「正直そんな面白いものでも……」
「そうなの? いいと思うけどな。ぶらりと遠くまで行ってみたいよ」
「そういう人もいるみたいではありますけど……」
しかし祐司が聞きたいのはそういった感想ではない。
「それで、どうしたら僕は元いた場所に帰れると思います?」
「お、急かすね? じゃあまず迷宮の秘義については聞いたかい?」
「迷宮の秘義?」
確かミヤコが言っていた。何のことかは分からなかったが。
「迷宮の秘義。それは主がドールチルドレンに命じて地下深くから掘りあてようとしているものだ。それが一体どういったものかは主は語ろうとしない。だが不可思議な現象を起こすものだということだけは間違いないと言われている」
「そうなんですか」
「……」
不自然な間があった。
目をぱちくりさせてスバルを見ると、彼は少し困った顔をした。
「案外、なんというか、鈍いね君」
「え……ごめんなさい」
「いや、謝ることはないよ。俺の説明が回りくどいんだな多分」
咳払いしてスバル。
「不可思議な現象を起こすのが迷宮の秘義。君がデンシャからこの街に来てしまったのも不可思議といえば不可思議だ」
「……あ」
「そう、つまり君のこの来訪は、秘義のせいではないかと考えられる」
「と、ということは……」
「帰るときも同じルートで帰れる。かも、しれない」
ようやく、希望が見えてきた。
身を乗り出して祐司は声を大きくした。
「そ、それで、迷宮の秘義は……!」
「それはわからない」
「……」
乗り出した分をしぼみながら戻っていく祐司に、スバルは申し訳なさそうに告げた。
「まあ、秘義っていうくらいだしね。簡単に見つかるようなところには――あっ、悪かったから泣くなって」
「泣いてないです……」
「秘義は今もって探索中だ。そう簡単には見つからないだろう。ただ、君が秘義によってこちらに来たとするなら、引き寄せ合って早く見つかるかもしれない」
「本当ですか?」
「仮説だよ。それでも試す価値はあると思うけどね」
なるほど。
少しだけ気持ちが軽くなった。
しかし同時に問題があることにも気づく。
「でも僕、まだ迷宮に入ることを許可されていなくて」
「それはどうして?」
「異能武装を使えないと危ないって」
「ふうん……」
スバルは顎に手を当てて沈黙した。
「それはもしかしたら、君という手柄の種を手元に残しておくための口実かもしれないな」
「え?」
彼の意味深な目がこちらを向く。
「主は秘義を探してる。教官たちは自分たちの班で見つけてそれを献上したいと思っているんだ。ミヤコもきっとそれは同じだ」
「ってことは……」
「君は秘義に関係がある可能性が濃厚。それを逃すはずがない」
「そんな……!」
トレイに肘がぶつかって、皿が甲高い音を立てた。
「そうだな……何にしろミヤコ班には気を付けたほうがいい。なにしろあの班には、前科がある」
「ぜ、前科って何です?」
「あの班は人一人を見殺しにしてるんだよ」
スバルの目が険しく細まる。
「彼らのことは、絶対に信じない方がいい」
その声は食堂のざわめきの隙間で、ひどく不気味に響いた。