4.支配者
「あの、どこに向かってるんです?」
ミヤコに連れられて、ドームから続く廊下を歩いているところだった。
前を行く彼女は肩越しに振り向いて言った。
「主のところよ」
「主?」
聞きなれない言葉に首を傾げた。
「この街の支配者のこと。この街を築き、維持し続けている。主なしにここは立ち行かないでしょうね」
支配者。
これもなんだかなじみのない言葉だった。
現実で使うには漠然としていて、比喩としてしか利用されることはない。
「その……なぜ主のところに?」
恐る恐る訊ねるが、ミヤコは曖昧に、
「試してもらうのよ」
としか答えなかった。
気が小さくて訊くべきことを訊けないのは、いつものことと言えばいつものことだ。
だが、その悪い癖がさらに悪い結果を招くことも多々あった。
膨らんでいく不安に胸が押しつぶされそうになっていたところに、その男は現れた。
「あら、シイナ。何か用?」
ミヤコが立ち止まる。
シイナ、と呼ばれた筋骨隆々の彼は、冷ややかな視線をこちらに寄越した。
「どこへ行くつもりだ?」
「主のところよ」
「なぜ」
ミヤコは軽く肩をすくめた。
「決まってるでしょ、この子を試していただくの」
「ふむ……」
「用がないなら行くわよ」
「手柄を独占するためにか?」
ミヤコの足が止まった。
その身体からじわり、と敵意の気配がにじむ。
「どういう意味?」
「お前はそこの少年が迷宮の秘義に関係していると睨んでいる。そうだろう?」
「さて何のことやら」
「白々しいな」
シイナはこちらに背を向けるとゆっくりと歩き出した。
「だが俺が思うにその少年は外れだ。せいぜい中身のない報告をしに行くがいい」
「……」
角を曲がって大男が姿を消した後も、ミヤコはしばらく無言でいた。
「あの、今のは……?」
「シイナ。教官の一人よ。まったく、本当に気に食わない男」
実際のところ祐司が訊きたかったのはそういうことではなかった。
今のやり取りの意味合い、秘義という言葉の謎、手柄を独占。
そういった不穏な気配丸ごとだったのだが、ミヤコのピリピリした雰囲気には質問を許さない怒気があった。
何も言えずにいるうちに、ミヤコが再び足を踏み出した。
◆◇◆
廊下の階段をいくつか上った先に、その扉はあった。
装飾の少ない、木製の重厚な扉だ。
両脇には灰色シャツの少年と少女が守衛のように立っていて、急に姿を現したこちらを怪訝そうに見ていた。
ミヤコがそのうちの一人に何かを言って扉を押し開ける。
祐司はもやもやとした思いと共にその後に続いた。
応接室のような部屋を抜けてさらに奥の小さな扉をくぐる。
すると、急に目の前が明るくなった。
曇り空の下の街の光景。地上にある大小さまざまな灰色の建物を見下ろせた。向こうには高い外壁があって街を取り囲んでいる。
入って真正面が全面の窓だったのだ。
息をのんで見入っていた祐司の肩に、ミヤコの手が触れた。
「連れてまいりました」
はっとして視線を振ると、部屋の隅に人影があった。
まるで気づかなかった。街の風景に気を取られていたのもあるが、気配というものが全くないのだ。
全身を黒衣に包み、顔には白い仮面。おおよそ人間とはかけ離れた雰囲気。
この人が主、なのだろうか。
「ご苦労」
囁き声が祐司の鼓膜を震わせた。
性別も年齢も分からないかすかな声。だがそれでもはっきりと聞き取れて無視することを許さない声。
するり、とこちらへ一歩を踏み出す。
「ひっ……」
祐司の背筋に冷たいものが走った。
耳元でぶるりと震える音がする。インコが威嚇するように羽毛を膨らませていた。
主がこちらへと手を伸ばす。
距離があるので全く届いてはいない。のだが――
「……っ!?」
不可視の何かが凄まじい勢いで迫っていた。
体が反射的に逃げようとしたが、その何かは瞬時に弾けると祐司を締め上げて動きを封じた。
ものすごい力だった。肺から空気が絞られてつま先が宙に浮きそうになる。
悲鳴もうめき声も上げられない。
すぐに意識が朦朧となって、今まで見たこと聞いたことがざあ……っと脳内を駆け巡り始めた。
走馬灯だ、と思うが、何かがおかしい。誰かの視線を感じる。
何者かが自分の記憶を覗き見ている……
「違うな」
はるか遠い耳元で囁き声がする。
「お前は違う、秘義ではない」
何の話だろう、と夢うつつに思う。
「ならばそのまま死ぬがいい」
その瞬間、メキャリ、と体の芯が決定的に潰れた音がした。
咳き込みたいが咳き込めない。体の内側から熱いものが膨らんで、しかし出口を失い暴れ出す。
それとは反対に胸の内はどんどん冷えていくのが分かった。生命機能を失って、後に待つのは死だけだと頭のどこかが理解していた。
終わりだ。
見知らぬ場所に飛ばされて、訳も分からないまま死んでいく。
理不尽だとも思うが、それに抗う力のない自分も悪いのだとは知っていた。
(でも……)
でもせめて最後に……自分をもう少しだけでも好きになってから、死にたかったな……
暗く冷たい水の底に沈み――
目の端に、チカッと何かが光った。
突風が吹いた。眩い輝きがあった。
(死にたくない……!)
いつの間にか祐司は暗闇の中にいた。
右手には銀の剣。正面には白い仮面が浮いている。
「ほう……」
興味深げな声。
「どうやらお前には何らかの加護が働いているようだ。あまり強くもないが……いいだろう、お前には生き延びる為の選択肢をやろう」
仮面が闇に溶けていく。
「では、あがくがいい……小さき人形の子よ」
闇はどんどん濃くなっていき、祐司の目を、口を、剣を覆って埋め尽くした。
何も見えない、何も聞こえない。息苦しくて身動きも取れない。
もがいてもがいて、しかしそのうちに向こうに光が見えた。
手を必死に伸ばし、這いずるようにして――
聞こえたのは鳥の鳴き声。
「え……」
目を開くと、インコが祐司の顔を心配そうにのぞき込んでいた。
「あれ……?」
祐司は床に手をついて体を起こした。いつの間にかうつぶせに倒れていたのだ。
「……僕は、一体」
「あなたはドールチルドレンになったの」
振り向くとミヤコがいる。
「ドールチルドレン……?」
「主の下で外敵から街を守り、迷宮に潜って秘義を追い求める者たちのことよ」
ぼうっと熱に浮かされたようになった頭ではよく理解できなかった。
定まらない視線を部屋の隅に向けるが、その時にはもう主は姿を消していた。
こうして祐司の異界での一日目は終わった。