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13.あがいた人

 半分以上は勘で走っていた。


 行く手からは戦闘によると思われる音が聞こえている。それは彼女がいまだ生きていることの証ではあるのだが、先ほどより小さくなったように感じるのが気がかりだった。


 まだ大丈夫のはずだ。そう信じられる確かな根拠はない。だが彼女がそう簡単に死ぬとは思えなかった。

 あの目。そうあの目だ。マキはあの状況に絶望していたしもちろん生き残ることは諦めてはいただろうが、祐司だけは死んでも逃がすとあの目が言っていたのだ。


 だからこれは彼女への裏切りになるかもしれない。スバルの言う通り二人まとめて死んでしまうかもしれない。

 だがそれでも。


「……!」


 角を曲がったところで目の前を突風が吹き抜けた。顔をかすって飛び去る破片と、ズタボロになって転がる小さな体。

 はっとして振り向いた。


「マキ!」


 横たわる彼女に駆け寄ると、その目がゆっくりと開いた。


「なんで……」

「助けに来たんだ」


 ふらりと持ち上がった手を取って祐司は囁いた。


「……ごめん」


 傷でいっぱいのその身体。腕はざっくりとえぐられて血があふれているところもある。

 喉の奥に締め付けられるような痛みを感じながらきつく目を閉じた。胸に去来する思いをかみしめて、それから息を深く吸って立ち上がる。


 踵を返すと、その女は相変わらずの美貌でそこにいた。

 足元には爪がうごめき、蛇の舌のようにちろちろと切っ先をこちらに向けている。

 祐司は唾を飲み込みながら大剣を脇に構えた。


「逃げて……お願い」


 後ろから蚊の鳴くような小さな声が聞こえる。


「わたしはもう、誰かが死ぬなんて、いや……」


 その悲痛な響きに、祐司は肩の力がすっと抜けるのを感じた。

 逃げる、か。


「僕は十分逃げたよ。これまでの人生、ずっと逃げっぱなしだった」


 そして考えたのだ。これからも逃げ続けるか、それとも別の道を進むかを。

 柄を握り込む。

 じわり、と足を踏み出した。


「だからそろそろ戦いたいよ」


 ゆっくりと詰める間合いはどうしようもなく遠い。だがそれでもだ。

 慣れない緊張。精神が急速に消耗していく。心臓の鼓動が耳元でうるさいほどだ。しかし戦い方はなぜだか分かる。剣の握り方から敵の壊し方まで。


 大丈夫、やれる。


 祐司は滑るようにもう一歩を踏み出した。

 するりと一線を越えたこちらに遅れず、敵も攻撃を繰り出した。おびただしい数の爪のうち数本がこちらに飛んでくる。次の手数を残しつつ目や喉を的確に狙う無駄のない一手だ。しかも避けるわけにはいかない。後ろにはマキがいる。

 だから祐司は柄の先で相手の爪をかき分けた。


 最小限の動きでの攻撃の無力化。方向をそらされ流されていく爪を尻目にさらに間合いを詰めていく。

 相手は焦ったかもしれない。変化しない表情からは分からないが。だがそれでも攻撃には微妙な変化があった。


 先ほどより早めのタイミングで飛びだしてくる次の切っ先。引きつけるだけ引きつけてかわすと、その陰に隠れるようにしてやってきていた二撃目が頬をかすった。そのままにさらに進もうとすると、三撃目がその先を潰すように空間をひっかいた。

 相手の注意は完全に祐司一人に向いたようだった。もうマキの方に手を回す余裕はないだろう。


 一歩、二歩。かわして稼いで踏み込んで突き進んで。

 敵に十分近づいたことを確信し、祐司は剣を斬り上げた。


「てッ!」


 弾け飛ぶようにして爪が舞った。

 そして――決定的な隙間が空く。相手の防御のない必殺の経路。祐司の目はしっかりそれを捉えていた。

 踏み込んだ足がジャッ、と鋭い音を立てた。力が流れるように体を伝わっていくのが分かる。無駄な威力は必要ない。ただただ最小限。それだけを意識して祐司は剣を突きこんだ。


 勝利の確信。


 しかし、その先に手ごたえはなく。


「……!」


 からっぽの手を見下ろして祐司は愕然とした。銀の大剣は影も形もなかった。


「そ……」


 何かを言う前に殺気が迫ってきた。とっさに飛びのいた鼻先の空間を敵の爪が切り裂いていく。

 さらに飛びのくが体が妙に重いことに気づく。どうしようもなくだるい。まるで何日も眠っていないかのように力がこぼれ落ちていく。


(まさか、能力の反動……?)


 確信はないが、体の重さは剣を出そうと念じれば念じるほど強まっているようだった。


 焦った。武器がないのもそうだがさっきまでしっかりとあったはずの戦闘への感覚も嘘のように消えてなくなっていた。敵に対してどう動けばいいのか全く分からない。

 その一瞬の隙に、敵は完全に体勢を立て直した。爪が鎌首をもたげ、こちらに向かってなだれ込んでくる。祐司はどうすることもできずに顔をかばった。


 まぶたの暗闇の向こうに硬質な音が響き渡った。


「え……?」


 目を開くと虚空に浮いた灰色の盾が攻撃を受け止めている。


(異能武装……)


 呆然とする祐司の前で盾は敵の攻撃を防いでいく。宙を飛び回り一つ一つを跳ね返して威力を殺す。

 敵はしばらくはそれに警戒して様子を見たようだったが、こちらに攻め手がないと見るや一気に決着をつけることに決めたようだった。

 ぶわりと通路いっぱいに広がった爪が、雪崩のように襲い掛かってきた。


「くっ……」


 瞬く間に押し込まれながら祐司はうめいた。

 これではしばらくも経たないうちに負ける。殺される。


「そんなの……!」


 後ろにいるマキを意識する。


「何のために戻ってきたか分からないじゃないか……!」


 何かないか。対抗の手段。命を守るためのもの。生き延びるためにできること!


(嫌だ! 死にたくない!)


 力が、力が欲しい。

 この化け物を倒す力が。

 背後の少女を救う力が。

 自分で自分に誇りを持てるだけの力が!


(ないか、どこかに……)


 盾にひびが入る音がした。

 爪の猛攻が一瞬やんだ。

 もちろん敵は攻撃をやめたわけではない。爪がたわんで、一気に盾を突き割ろうとこちらを狙っていた。


 祐司は見ていた。こちらの眉間をぴたりと捉えた爪の先。その死の形。それから、通路の向こうから突進してくる少年の姿を。


「っしゃあああああ、らっ!」


 すさまじく腹にくる衝撃音が響いた。化け物が吹き飛ばされた。

 祐司は何もできずにそれをあっけにとられたまま見送った。


「ちっ、ちょいと浅ぇか」

「キリュウ……」


 祐司は信じられない思いで彼の名を呼んだ。キリュウはこちらを見ていかにもウザったそうに鼻を鳴らした。


「なんでお前がこんなとこにいやがんだ」

「え」


 意味が分からず困惑する。


「助けにきて……くれたんじゃないの?」

「助けに? 誰が。誰を。俺はこいつについてきただけだぜ」


 彼の指す中空には小鳥の姿があった。モモだ。


「暇だったからよ。入り口にも邪魔なもんはいなかったしな」


 すっと構えをとった彼の視線を追うと、敵はすでに体勢を立て直している。

 キリュウがにやりと口の端をゆがませる。


「夜は嫌いだ。暇が長すぎっからな。寝るしかやることねえなんてクソウゼえ。いい暇つぶしになってくれよ」


 がっ、と音がしたときにはもう彼は敵の懐に潜り込んでいた。

 爪の数本を威力圏外にはじき出し、数本は踏みつけ動きを封じ、左手で数本をつかみ、左腕でもう数本を制する。

 そして残った右手で――衝撃音。床に叩きつけられる敵の姿。


「すごい……」


 祐司は唖然とした。

 全くもって次元が違う。

 笑い声と共に次々叩き込まれるキリュウの拳に、化け物の体にひびが入り始めた。執拗に殴られ踏まれ、敵は次第に形を崩していく。


(これなら……勝てる?)


 キリュウの壮絶な一撃に、敵の腹に大穴が空いた。

 終わりか。


(……違う!)


 ミヂッ――

 絹が裂けるような耳障りな音がした。


「チッ!」


 キリュウの舌打ちと共に敵の腹から爪の束があふれ出す。

 腹だけではない。ひびの入った体の各所からもどんどん爪が芽吹いて床へと垂れていく。

 変化が終わった時にはもうすでに敵に元の形はなかった。


「へっ、ずいぶんとはっちゃけやがってよ」


 尖った触手の集合体。それはそのようにに見えた。

 もう人の形ではなくもじゃもじゃとした塊。体全てを爪と化した異形。唯一中央にある女性の頭部だけが元の姿の名残か。


「そういうの嫌いじゃないぜ。俺はごめんだけどな。来いよ」


 おびただしい数の鋭い切っ先が、血を求めてゆっくりと動き出した。

 隙なく構えるキリュウの周りを爪がゆっくり囲っていった。キリュウも少しずつ位置をずらしているのだが、その努力もむなしく退路をふさがれていく。

 これでは今度こそ負ける。それは間違いない。だが、それなのに。


(何で笑っていられるんだ……?)


 キリュウに怯えた様子はなかった。怯んだ様子もなかった。ただ自信たっぷりに、ゆったりと立っていた。

 心に何かが浮かんだと思ったその時、爪がすさまじい勢いでキリュウを押しつぶした。

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