10.帰り道を探して
深夜の石造りのドームは、ひんやりとした空気で満たされていた。
かすかに漂う湿っぽいにおい。
どこに光源があるのか分からないが中はぼんやりと明るい。
スバルは地下へと降りる階段の前に立っていた。
「や」
祐司は軽く手を上げる彼に近寄った。
「あの……メモを読んだんですけど」
「うん、ちゃんと来てくれてよかったよ。見落とされたらどうしようかって後で気づいて慌てた」
スバルはうなずく。
「単刀直入に言う。君を元いた場所に帰すよ」
その言葉はあまりに唐突で、理解するのに時間がかかった。
呆ける祐司に、彼はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「もうこの街にも飽きてきただろ?」
◆◇◆
「今日はちょうど俺が迷宮守りの番だったんだ。君のことは何とかしてあげたいと思ってたからいい機会と考えてね、今回のことに踏み切った」
「あ、ありがとうございます」
「いいっていいって、気にしないで」
スバルは笑いながら通路の角を曲がった。
入り口から数えて三つ四つ目の角だ。
足取りには迷いがなく、まるでいつもの散歩コースを歩いているといった様子だった。
「別に決まった道順があるわけじゃないよ」
こちらの心中を呼んだかのようにスバルが言う。
「何しろ内部構造が刻々と変動する迷宮だからね、決まったコースというものがない。だからあてずっぽうだ」
「それで大丈夫なんですか?」
「君と秘義は引き合うという仮説が正しければ問題ないさ」
彼はちらりとこちらを振り向いた。
「ところでそのインコはなに?」
「あ、ええと、なんか懐かれたみたいで……」
「ふうん? 名前とかはあるの?」
「モモちゃんって名付けてみました」
「悪くないんじゃない?」
肩のモモが誇らしげに一声鳴いた。
探索が続く。
歩いた距離はかなりのものになり、すでにどの角を曲がったかもわからなくなってしまっていた。
もし秘義が見つからなかったらどうやって地上に戻るつもりなんだろうか。
そんな不安が芽生え始めたころだった。
スバルが不意に立ち止まった。
「見つけたよ」
「え?」
慌てて前方に目を凝らす。
だが何もない。相変わらず白い通路が先に伸びているだけだった。
――いや。
「……っ」
祐司の目が、すぐそこの角から現れる何者かの影を捉えた。
同時にスバルが飛び出した。
角の際まで駆け寄って、その何者かを引き倒す。
上から膝で潰すように押さえつけ、その動きを封じた。
あっという間の出来事だった。
「え……あ……?」
呆然とした頭がようやく事態に追いつく。
スバルの膝の下に組み伏せられているのは、あの牙の化け物だった。
「迷宮の守護機械。この地下の番人たちだ。もれなく少女ないしは成熟した女性の姿をしていて、侵入者を排除する役割を担っている」
スバルが淡々と言葉を重ねる。
化け物は今は頭を押さえつけられ牙を封じられているが、じたばたと暴れて今にも拘束を逃れそうに見える。
「こいつらに見つかる前に秘義が見つかればよかったんだけどな。仕方ない、方針変更だ」
「方針変更……?」
「そうだ、ユージ、俺たちについてくれないか。ミヤコ班を抜けて」
「スバルたちにつく?」
「そう、俺たちシイナ班のところに来てくれと、そう言ってるんだ」
シイナ。
その名前には聞き覚えがある。
確かこの街にきた初めの日に出会った大男の名だった気がする。
「な、なんで……」
「言っただろ? 教官の誰もが秘義を主に献上して手柄を立てたいと願っている。シイナもそれは例外ではないってだけだ」
「僕を帰してくれるんじゃ……」
「秘義が見つかればそのつもりだったけどね。どうも出てこないみたいだし」
肩をすくめる。
「さ、選びなよ。俺の言うことを聞いてついてくるか、それとも断るか」
その視線が下の化け物を示す。
つまり、断ればその化け物を開放してけしかけるという暗黙の合図ということなのだろう。
一体どうしてこんなことになっているんだ?
祐司はぐらぐらと揺れ出し始めた世界の中で自問した。
なんで裏切られた? なんでこんな目に遭わなきゃいけない?
「逃げるなっ!」
一歩足を退いた祐司に、鋭い牽制の声が飛んだ。
「逃げれば永遠にこの地下迷宮をさまようことになるぞ」
「う……」
錯乱の一歩手前だった。
逃げたいのに逃げられない、その葛藤に精神が音を立てて摩耗していく。
吐きたい気分だ。
本当に、どうしてこんなことに……
その時、スバルが小さく舌打ちした。
「あーくそ、増援が来ちまったか」
こちらを通り過ぎる視線にはっと振り向くと、通路の向こうから化け物が三体ほど姿を現したところだった。
「ほら、どうする? そろそろ決めないと命がないよ?」
うなずいて楽になりたい。
心の底からそう思う。
だが、と理性が反対する
こんな脅しのようなことをする人たちのところへ行って、後悔しないなんてことがあるだろうか。
決められない祐司にため息をついてスバルは化け物を解放した。
飛び下がりながらこちらへ叫ぶ。
「じゃあ申し訳ないけどさよならだ!」
自由になった化け物が突進してくる。
祐司は反射的に腕を掲げる。
ゴッ! と音がして化け物が弾き返された。
空中に浮く灰色の盾。
「でもそれ一つじゃ足りないよ」
スバルの言う通りだった。
背後から足音が迫っている。
こちらは防ぎようがない。
祐司は牙の痛みから逃れるように目を閉じた。
鈍い音が響いた。
「…………?」
だが、痛みはいつまでたってもやってこなかった。
おそるおそる目を開く。
灰色のジャケットの背中がそこにあった。
「マキ……?」
彼女は肩越しに振り向く。
「無事?」
「……うん」
周りには斬り伏せられた化け物の残骸が散らばっている。
どれもが力を失っていた。
口笛が聞こえた。
「へえ、やるじゃん」
拍手をするスバルをマキが睨む。
「シイナ班のコソ泥インチキ男」
「酷いなあ。おおむね間違ってないけど」
「ユージに何をしたの」
「いや、彼にはミヤコ班があってないように思ったからね、ちょっと勧誘してみただけさ」
「その割にはだいぶ強引だったようだけど」
「否定はしない」
スバルは笑う。
「それでも人一人を見殺しにしたと名高いミヤコ班よりはシイナ班の方が絶対にマシだと思うよ」
マキが猛烈に踏み込んだ。
甲高い音が連続して鳴り響いた。
「……おお怖い怖い」
双剣を手に跳び退いたスバルが苦笑する。
マキはさらに飛び込もうと姿勢を低くした。
「……シノのことを言うのは許さない」
地獄から響くような低い声だった。
いつもの淡々とした声とは全くの別物だった。
「あなたがあの子を語るな……ッ!」
「怒るのも分からないでもない。でもね――」
スバルの目が一瞬憎しみの輝きを放った。
「シノに関しては俺の方がもっと怒ってるんだよ……!」
マキが飛び出そうとした――その時だった。
歌声が聞こえた。
「おっと……」
スバルは毒気を抜かれた様子で頭を掻いた。
マキも足を止めて警戒の視線を周りに配っている。
「まずいのが来ちまったかあ」
(……なんのこと?)
細く甲高い歌声だった。
冷たく寂しい調べ。
墓の下に染み渡る美しい旋律。
表情のないその響きは、人形の歌のようだった。
「ユージ、下がって」
マキの手がこちらを壁際へと押しやる。
その手がかすかにふるえているのが見て取れた。
そして、その女は通路の角から静かに姿を現した。
深紅のドレスに白い肌。薄く閉じた目と艶のある唇。
彼女は一瞬だけ立ち止まり、ゆっくりと手を広げた。
「……!」
その指先からぞろりと何かが長く垂れ落ちる。
琥珀色をしたそれは爪だった。
力をためるように一瞬たわみ――
鋭い切っ先が嵐のような激しさでこちらに殺到した。




