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意識のはじまり  作者: 安田孫康
9/58

 9章 創発と量子

【概要】意識の発生に関して三人がさらに話を展開する。


    …………………………………………


【小見出しの目次】


思考実験:そこに意識の基本機能があれば、それは意識として機能する

『語りえないものについては沈黙しなければならない』

バクミンスタァフラリーンの幻想

時間というような大層なものは流れておらず、エナァジの振動があるだけ

こういうのは、どう?

ボルヘスの『鳥類学的推論』

ところでさ、クワリアて、なんなりき?

むむむむ……

創発ということ

量子のこと

論理的に見て、物質は柔らかく実装されなくてはならない

外界の認知は、外界との相互作用の測定をとおしての推測


    …………………………………………


    思考実験:そこに意識の基本機能があれば、それは意識として機能する


「じゃあ、ここで」青葉が続けて言いつ。「すこぶるインチキ臭いものではあるのですが、ついでに、ご参考までに、物質機能波動に精神性を帯びさせる方法を暗中模索する試みの一環として、もう一つ、yet anotherの、意識についての思考実験もして進ぜましょう」

「ほう」セァラが言いつ。

「と申しますか、じつは、さっきの物質の思考実験で言葉を入れ替えるだけなのだけれどね。でも、言葉を入れ替えるだけで、なんとも信じがたいことに、えらい目覚ましい実験結果が得られるのよ」

「ふーん」

「すなわち、ここに、意識そのものでなく、物理的な実効性と動作性をおびし意識の物質機能があるとする。すると、その物質機能は、ただちに、完全に、意識として機能することになるのよ。なぜって、ここで言うている物質機能て、実効性と動作性を帯びている物質機能のことだから。こういう物質機能て、あたしたちがイメジしている意識と、事実上、効果のうえで、まったく見分けがつかないよ」

「ええ?」セァラが疑わしげな様子で言いつ。「今なんて言うたの?」

「いやいや、言いし通りだよ。そこに意識の物質機能があれば、そのフィールドゥは完全に意識として機能する、ということだよ」

「ええ?」セァラはまた言いつ。そして、すぐには合点のゆかぬごとき顔になりぬ。「どうもよく分かんないけれど、そげなことを気軽に言うていいの?」

「そこは、まあ、思考実験だから」

「どういう意味なわけ?」

「意味も、なにも、言いし通りなのよ。まず、そこに物質機能があれば、その場所は完全に物質として振るまうのよ。これは問答無用のことなのよ。この世の本質なのよ。そして、さらに、単に、物質という言葉を意識という言葉に置き換えるだけで、ああいうすこぶる言語道断な結論が得られるけれど、しかし、あれだて、問答無用のことなのよ」

「問答無用かな? よく分かんないな」

「あたしは問答無用と思うのよ、少なくとも、意識を、物質機能がたかく高く大空に飛翔せしものであると捉えるかぎりはね。ということは、じつは、意識をそういうものと考えるということを、暗黙的な前提にしていつ、ということだけれどね。それと言うのも、この物質宇宙には、実体的なものとして、エナァジと物質機能波動しか存在しないから」

「ふーん」

「とは言いても、この思考実験は、暗中模索の試みを前進させる性質のものでは決してないけどね。駄目押しにすぎないのよ。それでも、意識の大元が物質機能なのに違いないという推測は、いよいよ確かなものになるよ。熱力学第二法則、つまり、断熱系での不可逆性の法則、いわゆる、孤立系でのエントゥロピ増大の法則に反して、推測のエントゥロピ生成が減少するのよ」

「ふん」


「意識は、生きていて、精神的にではあるが、LED(light-emitting diode 発光ダイオウドゥ)の点滅のように二六時ちゅう落ちつきなく動いている。ここで、精神的な動きはじつは物質的な動きにより実現される、との仮定をたてる。すると、意識は、意味的には精神的な動作を果たしているのではあるが、じつは物質的に動作しているのでR、との演繹結果が得られる。つまり、まあ、そういう風に仮定しつゆえに。また、物質機能とは、なんらかの物質的な機能や動きや変化が自律的に自動的に生じる機能のことである。ゆえに、意識は、意味的には観念空間にて精神的に動作しているのではあるが、想定上、実際には物理空間で物質的に動作しているゆえに、意識には間違いなく物質機能が具わりていることになる。すなわち意識は物質機能なのでR。また、蛇足ながら、『波動と粒子の二重性』からも明らかなように、一般に、物質機能は、それを具えている本体と一心同体である。よりて、こういうことのためにも、意識は、それが内蔵している観念をあつかう物質機能と一心同体なのでR。すなわち意識は物質機能なのでR。Q.E.D」

「なんのことやら」

「つまり、精神的な動きが物質的な動きにより実現されているということを謙虚に認めさえすれば、意識の本性が物質の基本機能なのだということが、簡単に了解できる、ということなのよ」

「いやいや、それはできません」

「なんで?」

「なぜって仮定に根拠が丸きりないじゃないの」

「ああ、なるほど。なるほど。ちなみに、物質的に動作しているとは言いつけど、なにがどげな状況で動作しているのかは、不問にしていしわけなのよ。なにしろ、峠を越えつとは言うても、物質機能の先がまだ見えていず、どげな物質なのかが明確ではないのだから。と申しますか、生命と意識が出現する場所が、植物の種や細胞の内部での酸素消費プロセスなのだ、ということだけは明白で、そこしかないのだから、その辺を当たればいいのだけれどね」

「ふん」


「ちなみに、あたしたちの意識て、眼で一度にたくさんのものを見たり、耳で一度にたくさんの音を聞いたり、体全体で一度にたくさんの感覚を感じたりしているけれど、こういうことを仮に発言しつとして、それに対しては、次のようにお返事することもできるのよ。すなわち、意識とはそういう統合的な機能のものでR、とね」

「なにを言うているわけ?」

「こういうことてとても表現しづらいけれど、意識とはそういう統合的な機能のものでR、という言語表現が意味していることを、慎重に評価すると、意識とはそういう統合的な機能そのものでR、そこにそういう統合的な物質機能があれば、その場所は完全に意識として機能するのでR、ということが、しだい次第に了解されてくるのよ」

「なんか、意味不明」

「意味不明かも知んないけれど、そうなのよ。たとえば、物質とはそういう機能のものだ、と発言するとする。でも、その発言て、じつは、機能たる物質機能が物質の本質なのだ、ということを意味しているのよ。つまり、あたしたち、機能つまり物質機能が物質の存在の本質なのとは薄うす勘づいてはいるけれど、でも、あたしたち、哲学者ではないので、普通はそこまでは決して思わず、ふつうは、曖昧に、暗示・ほのめかし・当てこすり・色調・色合い・ヒントゥ・キュー・クルー・アルージョン・イニュエンドウ・オウペイク・ティントゥ・ヒューの形で、ものを言うているわけなのよ。その結果、そこに意識の統合的な物質機能があれば、そのフィールドゥは完全に意識として機能するのでR」

「ふむ? そりゃあね、物質なのなら、ひょっとすれば、さっきの思考実験のようなことも可能なのかも知んないよ。でもさ、意識についてだけは、断じて認められないよ」

「なんで?」

「なぜって、意識て、物質のように、ただそこに存在するわけではないからよ。意識の物質機能て、ただで存在できるようなものでは決してないのよ。だから、意識の物質機能がそこにただ存在するなど、断じて思考実験の前提にはできないのよ。意識の物質機能を存在させるには、厳密に物理的な手順が必要なのよ」

「なるほど」


    『語りえないものについては沈黙しなければならない』


「『語りえないものについては沈黙しなければならない』のよ」セァラが言いつ。

「おっと……」青葉が言いつ。

「それはどうしてかと言うと」絵理が言いつ。「悪事を働きつからなのよ。あるいは、これから悪事を働こうとしているからなのよ。話せるわけがないのよ」

「おっとっと……」青葉がまた言いつ。「でもさ、そげなことを言うたら、おしまいじゃん。それに、それに、語りえないかどうかて、そう簡単には判定できないよ」

「うむ……」セァラが言いつ。「まあ、そうかもね」

「じゃあ、また戻るけど、すると、物質すなわち素粒子て、さっきも言いつかも知んないけれど、素粒子の無数の機能状態たちが同時に重なりあうことで構成される、場、とも言えるわけ。物質の機能状態を体現するエナァジたちが無数に緊密に結集している場所なのよ。エナァジの一つ一つが、機能状態の一つ一つを体現するわけなわけ。

 ここで、誤解のないよう言うておけば、この宇宙という物理世界のために観念空間で構想されて形成されつのは、おそらく、究極の素粒子であるエナァジの機能を規定する観念だけなりしはずなのよ。様ざまな素粒子の機能を規定する観念群も同時に観念空間で設計されて形成されつ、ということでは、ないわけなわけ。なぜって、様ざまな素粒子て、核融合や核分裂や分子の合成や分解などで互いに変身しあうけど、それらの機能も、その変身にともない変節しあうのだから。だから、様ざまな素粒子の機能て、根本的にはエナァジが齎している、と言えるわけ。無数のエナァジが緊密に結集することで新規の機能が醸成されて、それが、結果的に、各種の素粒子ということに、なるのよ。

 だから、究極の素粒子であるエナァジて、物質機能素とも言えるのよ」

「ほう……」絵理はもう呆れはてしよう言いつ。

「エナァジて」青葉は唯我独尊の境地でつづけつ。「単独で存在しているときて、根源の弦として超振動していて、エナァジ本来の熱いという幻覚を露わにするけれど、たくさん結集し、物質の機能を構成するばあい、その新規の機能になりてしまい、エナァジ固有の幻覚は鳴りをひそめて地下に潜りてしまうのよ。

 でも、そうは言えども、ファントムたる素粒子の構成要素として、おのおののエナァジは依然として振動していて、そのヴァイブレイション全体が、素粒子をして時間の関数たる波動たらしめているのよ。

 また、エナァジという機能素により齎される各種の素粒子の機能は、言わば、複合機能なのであり、皆でよりてたかりて素粒子の階層構造を形成している、と考えても、いいかも知んないよ。

 さらに、また、エナァジいわゆる機能素て、エナァジ観念が時間の影響をうけて出現せしものであり、すでに時間の影響を受けてしまいているので――て言うか、本当は、虚数たるエナァジ観念の超振動が時間性を醸しだしているだけなのだけど、つまり順序が逆なのだけど――、そして、究極の素粒子とも言えるので、この宇宙でどげに時間が経過しようが、もはや時間の影響を受けることはなく、断じて変化することはない、と予想されるのよ。

 ひるがえり、無数のエナァジが緊密に結集することで形成される一般の素粒子や物質は、無数の機能素が結集せし結果の複合機能でありて、エナァジという機能素を要素とする不思議な波動として常に振動していて、そのうえ、さらなる大量のエナァジの影響をうけて互いに変身しあうことさえあるので、時間の関数たる物理現象なのだと判断される。物質て、時間の関数であり、微視的な物理現象であり、より正確には微視的なプロセスなわけ。物質ではなくて。

 と、まあ、こういう次第で、エナァジてほんとに摩訶不思議なものと言えるのよ」

「うむ」セァラが言いつ。「まあ、エナァジて、なんかわけの分かんないものだけど。物質ではないみたいだしね」


    バクミンスタァフラリーンの幻想


「そうかもね」青葉が言いつ。「ちなみに、バクミンスタァフラリーン(Buckminsterfullerene)、通称、バキボール(Buckyball)て呼ばれる物質があり、これて六〇個の炭素原子で構成されるサカァ ボール状の立体的な分子なのだけど、二重スリトゥ実験はこのフラリーン分子でも実施されていて、そこでもやはり粒の着弾痕からなる縞しま模様が確認されつのよ」

「へーえ、そげなものでも縞しま模様ができつの?」セァラが感心せしよう言いつ。

「できしそうなのよ、本当に」

「ふーん。じゃあ、それて、どう解釈すればいいの?」

「このフラリーン分子を例にして言えば、エナァジという究極の素粒子すなわち機能素て、その一つ一つが、それぞれ、フラリーンていう立体的な分子全体の存在状態を体現できて、それが無数に重なりあいて超越的な波動を構成することで、フラリーンていう立派な立体分子の一個の存在を齎しているらしい、と解釈できるのよ。こういう立派な立体分子さえ、その実相は摩訶不思議な波動なのですよ、ということらしいのよ。

 一個の機能素が体現する存在状態て、希薄なのかもね。すべての機能素が醸しだしているところの希薄な存在状態すべてを積分して初めて、フラリーン分子一個の完全な存在状態つまり物質としての存在になるのかも。ああ、いや、この考えかたはおかしいな。存在状態て、即値の物質でなく、状態なのであり、それぞれの状態て、それでもう状態として完全なものになりているはずだから。だから積分するのも変なのよ。無数の存在状態て、超越的に重なりあいてはいるけれど、物理的な相互作用の発生によりどれか一つの状態だけに収束できるという、そういうものであり、積分すべきものでは決してないのよ。収束の確率密度の分布なら、積分できるけれどもね。だからこれは取り消すよ。

 ちなみに、また、バクミンスタァフラリーンていう名称て、思想家で力学構造ディザイナァのバクミンスタァ フラァ(Richard Buckminster Fuller)先生に敬意を表して命名されしそうなのよ。この先生て、球形の建築構造のジーオデシク ドウム(geodesic dome)を考案せし先生なのよ。

 だから、要するに、エナァジて、そのひと粒ひと粒が、分子構造はいっさい問わなく、どげな立体構造の分子でありても、変幻自在にその存在状態を体現できるわけ。

 また、分子レヴェルには留まらず、ある理由によりて、もっと巨視的なヴァイラス(virus)や、単細胞生物や、生物の細胞の一つ一つや、生物の体のいろいろな組織や器官なども、無数のエナァジが、ふしぎな波動として構成している可能性があるよ。ここまで言うと、かなりインチキ臭いけど。

 畢竟、エナァジつまり機能素つまり究極の素粒子て、自分自身は変化せずとも、それが無数に緊密に結集することで、あらゆる物質を変幻自在に体現できるわけ。エナァジたちが巨視的な幻想を投影している、とも言うてもいいかもね。しかも、この幻想は、絵や写真や動画のような被写体を写せしだけのただの観念的なスケイラァ量でなく、根本要素たるエナァジたちの合意のもとに、物理的な実効性をおびしヴェクタァ量になりていて、物理的ないし化学的な相互作用をさえ果たすことができるのよ。物質の実相は根本的には無数のエナァジの粒つぶが演出している幻想でしかないけれど、その幻想が実効性をおびし動きある狂言をさえ演じてしまえるゆえに、それで、物質て、たかが幻想でしかないくせに、巨視的には本物の物質のように振るまえているわけなのよ。それで、フラリーン分子の幻想も、立体的な分子構造をもちし分子としての物質性を主張できてしまえるわけなわけ。だからエナァジてほんとに不思議なものなのよ。こないに不思議なものが物質であるはずないのよね。

 だから、光があろうがなかろうが、エナァジそのものて、根本的に見えないものなわけ。なぜって、そこには、エナァジの機能があるだけだから。

 すると、素粒子や原子や分子さえ、本質的に見えないのでR、と言わざるを得ないのよ。物質とは、見えない無数のエナァジが結集し、その全体がふしぎな波動として超越的に振動している場なのであり、その表面から跳ねかえりてきし光によりて、その輪郭が色つきで見えているだけなのよ。内部には、エナァジすなわち機能素がいっぱい詰まりているわけなわけ。

 言わば、物質性とは、実体観念というスケイラァ量が時間ヴェクタァ量化して機能状態に昇華することで齎される仮面のようなものであり、機能状態が物理世界でまといている表面的な姿でしかないのよ。物質の大元ないし根源は、あくまで観念というスケイラァ量なわけ。そして、時間の流れ、すなわち時間の関数性は、エナァジ観念をして、念願の振動を開始させしめ、その規定するエナァジの機能に効力をもたせしめるためには、不可欠のものなのよ」


    こういうのは、どう?


「ふーん。なんか、ややこしいね?」絵理が言いつ。「どうしてそげな風に思いつの?」

「それは、まず」青葉が言いつ。「ベルクソン先生の存在基礎命題に端を発して、この宇宙は観念のようなものから製造されつのではないか、という強い疑いが生じつからなのよ。そこに、素粒子の怪しげな存在様相が結びつきしわけ」

「ふーん。じゃあさ、こういうのは、どう?」

「どういうの?」

「物質的なものも、非物質的なものも、一切なにものも存在しない、という、状態が、存在する、というの」

「えええ?」青葉は眼をゆで卵のようにして言いつ。時間稼ぎなりき。じつは、彼女は、絵理があまりに上等すぎることを言いつので、すぐにはそれの意味するところが腑に落ちなかりきのでありき。

「どう?」

「なんか絵理も嫌なこと考えるのね?」絵理の言いしことに漸く合点がゆきしような気がして青葉は言いつ。「そげな嫌らしいこと考えては駄目じゃんよ」


  なんか、絵理、えらい嫌なこと考える、嫌らしいこと考えちゃ駄目


「でも考えうるじゃないの」

「うむ。じゃあ、絵理、あんた、そういう状態をちゃんとイメジできるわけ?」

「イメジできるかどうかは別にして、言葉でちゃんと表現できるじゃないの」

「でも、言葉で表現できるからと言いて、必ずしもそういう状態が存在するとは限らないのよ。赤くないという色が存在しないのと、同じなのよ」

「うん、それなのよ」もったいらしい口振りで絵理は言いつ。「つまりね、赤くないというのであれば、ピンクでも青でも黒でも何でもいいわけなわけ。つまり、赤くない色は、ちゃんと存在するのよ」


  赤くないというのであれば、ピンクでも青でも黒でも何でもいいのよ


「おっと……。これは、これは……。またまた嫌らしいことを言いちゃいて。失礼ですけど、今のて詭弁ですわよ?」


  またまたに嫌らしいこと言いちゃいて、失礼ですけど、それて詭弁よ?


「いえいえ、断じて詭弁ではござあませんわ。正論ですよ」

「うむ。じゃあ、まあ、ご足労ながら、ひとつ、ここで、反証を開陳してあげましょうかしら?」


  それじゃ、まあ、足労ながら、ワン、ここで、反証開陳してあげましょう


「なにを無茶苦茶おっしゃるの?」

「うむ。いきなり丁寧な言葉遣いになりちゃいて、どう使いていいのかよく分かんないので御座あますの」


  いきなりに丁寧言葉になりちゃいて、使用方法よく分からない


「まあ、勘弁してあげますことよ」

「それはご丁寧に。それで、それで、つまり、赤くない色はたくさん存在するけれど、即値として赤くない色は存在しない、ていうだけのことなのよ。否定のかたちで表現されるものは、一般に、言わず語らずのうちに集合を構成するのでありて、つねに不確定なのであり、一個の独立せし即値として自立的・自主的に存在することはできない、ということなのよ」


    ボルヘスの『鳥類学的推論』


「アルヘンティーナ(Argentina)に」青葉は言いつ。「ホルヘ ルイス ボルヘス先生(Jorge Luis Borges)ていう作家がいて、この先生に『鳥類学的推論』(Argumentum Ornithologicum)ていうごく短い作品があるよ。ここで引用できるくらいだよ。て言うか、その前に、覚えてないけどね、たいへん遺憾なことに」

「おっと。なに、それ? えらい脱線じゃないの」絵理が言いつ。

「そうでもないので御座あますの。この作品の主人公て、どうしてそげな事をしつか丸きり分からないけれど、て言うか、もしかすると、微視的な物理系の状態の、量子的な重なりあいの、不確定性というものなどについての、思考実験をしてみようとしつかも知んないけれど、眼をとじて、心のなかで鳥の群れを見るのよ」

「ええ? いったい、なんのこと?」

「つまり、こういうことなわけ。その主人公は、そのイメジのなかに十羽より少なく一羽より多い数の鳥を見つ、と自分に言い聞かせ、暗示をかけるのよ。でも、具体的に何羽の鳥がいつかが自然に分かりてしまうほどには気合いを入れて見ていなく、それで、そののち、その群れの鳥の数が自分のこころのイメジのなかで確定していつか否かについて深く思い悩みてしまい、その結果、2から9までのあいだの整数をすべて体現しながら、時には、そのうちのどれかに値が確定することもあるというような数、言わば、全体の数というようなものは、想像できない、ひいては、存在しない、と推論し、ゆえに、自分では知りえなかりしが、イメジのなかの鳥の数は確定していつ、と結論づけるわけ」

「むむむむ……。どういうこと?」

「つまり、この主人公て、正しい推論をして、正しい結論を得つ、ということなのよ。2から9までのあいだの整数というのは、暗黙的に一個の集合を構成するのよ。そして、こういう集合て、たとえば、素粒子のように、単独で存在しているかんは、とりうる複数の状態のすべてが同時に重なりあいつつ存在しているのに、ほかの素粒子との物理的な接触をもちしときだけ、どれか一つの状態に存在が確定するという、そういうような存在様相でもて存在している素粒子や物質とは全く異なり、つねに、複数の要素からなる、値の不確定な集合でありつづけるのよ。

 つまり、観念の集合というのは、物理的な存在状態の集合とは異なり、ほかの集合と物理的な接触を持つことなど断じて有りえず、どれか一つの要素に値が確定することも決してないので、集合でありつつ場合によりては値が確定することもある、というような、そういうような観念の集合など、どこにも存在しないわけなのよ」

「むむ……」

「それで、主人公は、自分は、二羽の鳥の群れのイメジから、九羽の鳥の群れのイメジまでの、八種類の鳥の群れのイメジからなる、鳥の群れのイメジの集合を見つのではなく、そこに含まれる鳥の数が確定せし明確な鳥の群れのイメジを見しはずだ、と結論づけるわけ。自分では知りえなかりしけれどもね」

「へーえ、そうなりきのだ? そういう話なりきのだ?」絵理は心から感心せしよう言いつ。「あたしなど、ぜんぜん理解できなかりきけれどもね。ふーん」

「まあ、そういう話なりしわけ。そして、こういうことのアナロジとして、否定のかたちで表現される、無数の赤くない色の群れというのは、たんに赤くない色の雑多な集合を構成するだけであり、集合の本性からして、そのどれかに値を確定させて単一のクウェイル(Quale 感覚質(単数形)、Qualia クワリア 感覚質(複数形))を発生させることなど、断じて有りえないわけなのよ。その集合を、無数の赤くない色を同時に重ねあわせて構成するなら、それは恐らく白になりちゃうし、グレイデイショナリに綺麗にならべて構成するなら、それは画家のパリトゥのようなものになるけれど、実は、こういうことは丸きり関係ないわけなわけ。それ以前に、集合の本性として、自分の意志で、どれか一個の要素を選抜し、その値にこぞりて収束してしまうことなど、決してないわけなのよ。畢竟、赤くないという色、ひいては、即値の色の否定のかたちで言葉で表現される色たちは、即値としては発生できず、また存在できないわけなわけ。あたしはそういうことを言うただけなのよ」


    ところでさ、クワリアて、なんなりき?


「ところでさ」絵理が言いつ。「お邪魔をするようで、すこし悪いけど、クウェイルて、なんなりき?」

「なんなりきと言われれば」青葉が言いつ。「クウェイルて、感覚質のことなりきのよ。感覚の質のことなわけ。クウェイルは単数形で、複数形はクワリアなのよ」

「おいしいのでありき?」

「おいしさを表わすクワリアもたくさんあるはずだけど、一般にはおいしいわけではないわけなのよ」

「ふーん」

「たとえば、色の感覚について言えば、青には青の質感がある。また、赤には赤の質感がある。こげな風に、色にはそれぞれの色に固有の質感があるけれど、そういう、色ごとに異なりている、色ごとに固有の質の感じが、感覚質、つまりクウェイル、ないしクワリアと、呼ばれるものなのよ」

「ふーん。要するに、様ざまな感覚で異なりて感じられるところの、質感のことなのね?」

「まあ、そうね。あたしたちが感覚を感じるさいの、その感じの質のことなのよ。質とだけ呼べば、モーア明確になるよ。それで感覚質なのよ」

「なるほど」

「ここには、意味を、一文字で、きわめて簡潔に表現できるという、漢字の長所が如実に現われているよ。感覚質だけではないけどね。ほかの言語では、とてもこういう芸当はできないよ」

「うん」

「そして、感覚質て、感覚毎に異なりて感じられるので、それで、あたしたちて、このクウェイルの違いを通して、五感などの感覚の種類の違いや、感覚が生じる場所の違いなどを、識別できるのよ。当たりまえだけど」

「まあ、そうかもね。じゃあ、誰もが、全く自覚することなしに、ごく当然のこととして、クウェイルの違いを活用しているわけね?」

「そうだよ。そして、クワリアて、質感とか質とかにすぎないので、物質としては存在しないのよ。むしろ、感覚に付随するものとして発生し、瞬間的に存在するだけのものなわけ。もちろん、感覚そのものが、瞬間的に発生し存在するだけのものだけど。なので、この辺りはうまくは説明できないけれど、感覚とクワリアて、観念的な物理現象、ないし、物理現象にともない物理現象の発生と同時に観念空間に発生する観念、というようなものとして分類できるかも」

「へーえ」

「そして、こういう感覚て、時間の流れのなかにて変化するものなので、基本的には、時間の流れのなかにて変化するものである時間の関数、つまり、物理現象や身体現象にたいし、感覚とクワリアが感じられる、ということなのよ。そして、根本的には、意識に意識されるものなら、なんにでも感覚とクワリアが伴いている筈だけど」

「意識に意識されるものて、どげなもの?」

「あたしたちの意識が認知する全てのものだよ。五感がまずそれだけど、五感以外にも、各種の欲求や欲望や快感とか、各種の衝動や情動や情緒とか、その他にも、記憶や論理や思考とか、食べ物の観念とか、動物や植物の観念とか、水や雨や太陽や天気の観念とか、明るさや闇の観念とか、地面の観念とか、高いところにいるという観念とか、図形や文字や数の観念とか、音の観念とか、物品の観念とか、とにかく全てのものなのよ」

「でもさ、記憶や論理や思考とか、図形や文字や数の観念とか、物品の観念とかて、ぜんぜん感覚ではないんじゃないの?」絵理が言いつ。

「そりゃ、まあ、そういう風にも言えるけどね。でも、認知の最前線の事象をこまかく見れば、理論的には感覚のはずなのよ」

「理論的? へーえ。それはどうして?」

「ややこしいので簡単には言えないけれど、ざっくり言うと、あたしたちの意識が意識する全てのことて、クウェイルをともなう無数の感覚の集合体として構成されるはずなのよ。

 原初の単発的な感覚て、それぞれの質が微妙に異なりていて、しかも、それのクウェイルが担いている意味も微妙に異なるよ。そして、あたしたちの意識が意識する全てのことて、クウェイルをともなう無数の感覚が表明する微妙な意味の集合体として構成されるのよ。

 つまり、感覚が、根本的な観念なのよ。観念の最小単位なのよ。クウェイルをともなう感覚て、観念素なのよ。観念開闢う!」

「おっと」

「あたしたちの意識が意識するふつうの観念て、こういう一つの微小な感覚が担いている微妙な意味の集合体として構成されるマクロウな観念なわけ。だから、感覚とは違うもののように思いなされるかも知んないけれど、それでも、成りたちの基本部分を見れば、その実相は感覚なわけ」

「ふーん」

「そのうえ、クワリアをともなう感覚て、理解の根源なのよ」

「理解の根源? なんのことか分かんないよ」

「なにかを理解するていうのて、クワリアをともなう感覚を感じることで成立するのよ」

「へーえ」

「例えば、赤い色を見て、赤の感覚を感じると、そのことがそのまま赤という色を理解しつということになるのよ。理解て、クワリアをともなう感覚を感じることを通して体で直接実感することで得られるものなわけ。一切の理屈ぬきに、感覚を感じることが、即、そのまま理解になるのよ。感じることが理解なのよ。痛みを感じれば、そのまま痛みというものを理解せしことになるし、熱さを感じれば、そのまま熱さを理解せしことになるわけ。理解開闢う!」

「おお!」

「て言うか、理解て、じつは、複合的な動きなのであり、一般には、機械語レヴェルの知るや認知するという単純な動きが複数あつまり理解になるはずなのよ」

「うむ」

「まず、痛みや熱さなどの体感的な感覚て、その成りたちは比較的シムプルだろうと推測されるけど、まず、こういうシムプルな感覚を感じることが、知るや認知するという動きになるのよ。そして、こういうシムプルな感覚のばあい、それを知ること・認知することが、そのまま理解になるわけなのよ。熱さの感覚 = 熱さの認知 = 熱さの理解、ということなわけ。

 他方、複合的な観念の理解て、シムプルな感覚の認知が同時に無数に発生することで得られるのよ」

「じゃあさ、例えば3という数についての理解て、どういう風に得られるわけ」

「おっと。いやいや、だから、そういう高次の複合的な観念の成りたちについては、そう簡単には分からないよ」

「3て難しいわけ?」

「そりゃ難しいよ。なんたて数なのだから」

「へーえ。じゃあ、どうすりゃ数を理解できるわけ?」

「そりゃ、まず、1を感じることから始めるのよ、いろいろなものにつき」

「へーえ」

「その後、今度は、2を感じることに進み、はたまた、逆に、0を感じることにも進むのよ。いろいろなものにつき」

「なるほど。実数もあるし、分数もあるし、無理数もあるし、複素数もあるけどね」

「まあね。まあ、だから、きちんとせしことについては、これはもう観念発生学にお任せするしかないのよ。それでも、感覚を感じることが理解の根源なのよ」

「なるほど」

「だから、感覚を感じることができない機械やただの物質て、決して何かを理解することができないのよ。心を持てないのよ。ハートゥがないのよ。なぜなら、感覚て、生命体の意識にしか感じられないものだから。感覚が感じられなければ、心は決して発生しないのよ。

 そして、意識の情報源て、唯一、クワリアをともなう感覚だけなのよ。意識て、感覚の他にはなにも感じられないのよ。意識て、徹頭徹尾、感覚だけを通して世界を感知しているわけなのよ」

「ふーん」

「そして、意識の基本機能の一つて、気づくということなのよ。意識するとは、気づくということなのよ」

「気づく? へーえ」

「すべての観念て、じつは、じぶんの体や脳に発生する巨視的な相互作用に気づくという基本機能で組み立てられているみたいなのよ。それは、要するに、クウェイルをともなう感覚を経由して気づいている、ということなのだけど。

 それで、意識や精神性の根本要件て、なんらかの精神空間ないし観念空間に感覚というものが発生できるようになる、ということなのよ。そして、感覚を感知できるということが、そこに精神性が出現していることの証拠になるのよ。そこに観念空間が形成されしことの証拠なわけなのよ。それで、感覚が発生できる枠組を地道に探りてゆくことが、意識を解明するための望ましい道筋ということになるよ。

 こういう次第で、意識て、根本的には、相互作用感知性なわけ。これも宇宙の秘密なのよ。なんかさっきもどこかで言いし気がするけれど。

 これ以上のことはもう簡単には説明できないよ」


    むむむむ……


「むむむむ……」ここで絵理が言いつ。直前のところで青葉の話をじぶんで邪魔してしまいしような形になりて、かなりのタイムラグが生じ、反応を表明するのが遅れてしまいつのでありき。「じゃあさ、一切なにものも存在しない状態が存在することについては、どうなわけ? まだ答えは出てないじゃん」

「むむむむ、むむむむ……」青葉はここで喉が詰まりしように眼をでんぐりがえらせつ。「また、また、また、また……。これは困りつ……。そうねえ……、状態ねえ……。なんか嫌らしいけどねえ……。

 ああ、そう言えば、さっき、あたし、状態につき何かほざきしみたいなりきけど、なにをほざきつのかな? 状態が意味するところのものて、モーア掘りさげて考察できる余地がある、ということなりきかも。あるいは、状態という言葉を使うことが取りあえずは妥当なのだ、ということなりきかも。

 ああ、そうだ。そう言えば、状態て、状況とか、様子とか、様相とかとも言えるのよ。これらて、それらをもたらす何かが事前に存在しなければ発生しえないのよ。なにかが、あらかじめ、それとなく、ふわふわ漂いていないといけないわけなのよ。ふわふわちゃんなのよ。そして、素粒子の存在状態の重なりあいの場合、エナァジという機能素が、あらかじめ沢山それとなくふわふわ漂いていしわけなのよ。

 つまり、状態というものも、否定のかたちで表現されるものに似て、即値としては存在できないわけなのよ、きっと。すると、状態が発生するまえに一切なにものも存在しないのであれば、いよいよそういう状態は発生しえないことになる。どう? これでいいんじゃないの?」

「さあ、そこなのよ」もっともらしい口調で絵理は言いつ。「いまの青葉の言いかたてかなり論理的なものだけど、論理性を暗に前提にしてしまうことには、今のところはまだ確かな根拠はないのではないか? ということなのよ。存在システムの基盤に妙な制限を勝手に課せるだけの権限は、あたしたちにはないのではないか? ということだよ。ほかの論理システムの可能性もありきしね」

「まあね。それはあたしもそげな気がするよ。どげに無茶なものであろうとも、存在できればそれでいいのだから。どのみち観測できないし。ほかの論理学もありうるかも知んないし」

「すると、一切なにものも存在しない状態、つまり、無の状態が、存在している世界、言わば無の世界、言わば無も、どこかに存在している可能性があることになるよ。なんか無茶苦茶なことになりてきつけどね。へへへへ」

「そうね。なんでもありなわけなのよ。どのみち観測できないからね」


    創発ということ


「じゃあさ」セァラが言いつ。「たくさんのエナァジが集まり新規の物質機能波動を形成するていうのて、どういうこと? そんなの、認めていいわけ?」

「それは、思うに」青葉が言いつ。「エナァジには、みなで一緒になれば、新しい物質機能波動、つまり物質プロセス、つまり量子、すなわち物質を、形成することができる、という基盤的な機能も組みこまれているからなのよ、きっと。なにしろ、エナァジて、機能素だから。とにかく、フラリーン分子ていう立派な立体分子の幻想をさえ体現できてしまうくらいに、摩訶不思議なものだから」

「ほう」

「そして、複数の量子の緊密な結合により新しい物質機能波動が形成されると、その新規の波動つまり物質に、突如として、構成要素群には見られなかりし全く新しい物理性質が出現するけれど、このことて、創発(Emergence イマァジェンス 出現・発生)て言われるのよ」

「そうはつ? なんのこと?」

「前にも少しだけ触れつけど、複数の要素が緊密に結集したり結合したりすると、そこには、各要素の性質の総和にはない全く新しい性質が出現する、ていうことらしいのよ」

「ああ、そういうこと」

「うん。そして、まったく新しい物理性質が出現するので、形成されるものは新規の物質と言えるのよ。そして紛れもなく量子なのよ。その種類の物質の基本単位になりている筈だから。原子とか、分子とかね。それに、高分子とか、重合体とか、結晶とか。それに、微生物とか、細胞とか、器官とかね」

「へーえ」

「この創発て、基本的には、物質機能のうちの、基本移行がつかさどりていると考えられるけど、新規の量子つまり新しい物質をもたらすという点で特別なものなのよ。それで、これも物質機能にしてしまえばいいと、思うのよ。採番はFまで行きつから、これはGになるな。略して、融合機能」

「なるほど」

「量子が崩壊するばあいは、どうするの?」絵理が言いつ。

「ああ、崩壊もあるね? 分子の分解もあるし」青葉が言いつ。

「その通り」

「じゃあ、これも追加すればいいよ。Hの崩壊機能になるよ」

「なるほど」

「それで、これは、巨視的な世界をも包含する、量子の意味や定義の拡張になるけれど、量子て、とにかく、一個のまとまりし物質機能体現波動を形成している物質プロセスないし物質のことを指すわけなのよ。

 それで、創発つまり融合て、量子つまり物質を進化させ、あたらしい物質を形成するためのもの、と言えるのよ。きわめて重要な機能だよ。この宇宙で多様な物質が形成されて、しかも、多様な生物さえもが発生できつというのて、物質に具わりている、この融合機能のお陰なわけだから」

「ふーん」

「ただ、融合には条件があるはずだけど。なぜって、既存の量子にエナァジが新たにくっつけば、まずは、その量子の温度が上昇したり、運動状態が変化したりするだけのはずだから。それなのに、それを超えて、新規の波動が形成されるのであれば、そこには何らかの条件があるはずだ、ということなのよ。それが、基本移行と融合機能を別べつのものに分けるのよ。崩壊機能もね。

 すると、基本演算には、間違いなく、エナァジ状態のようなものを判定する機能が含まれている、と判断できるよ。ここには論理性も宿りている筈なのよ。そして、量子は、基本移行という物理的な動作性をもしっかり具えているのよ。この動作性が、量子たる自分の超越的な内部空間のことでありても、能動性の原動力になりているのよ」

「なるほど」

「そして、これも大事なことなので、ここではっきり明言しておきたいけれど、創発の定義から明らかなように、創発つまり融合が起こると、新規の機能や性質が出現するだけでなく、その前に、多数の要素が結合して単一の統合体になるわけだから、体が大きくなるわけなのよ。構成要素の大きさのレヴェルから一段せりあがり、より大きな物質に昇格するのよ。そして、それでも、統合性は維持しているのよ」

「ふむ? 意外に複雑なわけだ?」

「まあね。そして、大きな統合体に成長するていうのて、けっこう重要なことなのよ」

「それはどうして?」

「体が大きくなると、一度にあつかえる情報量が飛躍的に増えるからなのよ。例えば、長さが2倍になると、面積は4倍になるし、体積だとなんと8倍になりてしまうのよ。これは、一度に扱わなくてはならない情報が格段に増えてしまうということを、紛れもなく意味しているよ」

「ほう、情報?」

「その通り。別言すると、感覚や視野が指数関数的に拡大するということでもあるけどね。なにしろ、体積や情報量が3乗の比率で増加するからね。

 そして、このことて、脳をゆうする生物の主観の意識が、途方もない量の情報を一度に認知できていることの、しっかりせし根拠になるのよ」

「へーえ、いきなり意識が登場するんだ?」

「そうね、意識の認知能力を解明するには、創発と情報量の関係に依拠しないではいられないのよ。あと、もう一つ、統合性も」

「ほう」

「理論的に単純化して検討すると、ひと粒の意識、たとえばニューロン一個の意識では、一度に1ビトゥの情報だけを認知できることが予想されるよ。すると、こういう一粒の意識が、一枚の視野にふくまれる途轍もない量の情報を一度に認知できるなど、とても考えられないよ」

「へーえ」

「でも、複数のニューロンが創発を起こし、単一の大きな意識が出現するとすると、その大きな意識て、統合体なので、じぶんの体に起こる無数の情報を一度に認知するなど朝飯前のことになるよ。これが、あたしたちの意識の認知能力が大容量のものであることの根拠なわけなわけ」

「へーえ、認知能力の容量? あんたも妙なことを考えてんのね?」

「まあね。でも、あたしたちの意識が視野にふくまれる大量の情報を一度に認知できていることて、あたして、昔から気になり気になり仕方がなかりきのよ。でも、それに創発を適用せしところ、あっさり解決してしまいつのよ。

 そして、ここから逆算すると、あたしたちの意識て、絶対に、創発により出現する体積の大きなものでなければならない、ということになるよ。意識には、物質の側面があり、体積があるのよ。かつ、また、意識て、創発を起こす能力を有しているのよ。これは元もとは物質の融合機能だけれどね。

 でも絶対そうでなくてはいけないわけなわけ。意識に課せられているイネヴィタブルな定めなのよ。イムペラティヴな運命なのよ」

「ほう。でも、視野の情報量のことて、なんとなくそうかも知んないという気はするね。意識に体積があるなど、面白いよ」

「うん」

「で、さ、話は戻るけど、ここでは性質という言葉を使うわけ、物質機能のほかに?」

「うん、それなのだけど、創発て言葉て、比較的に巨視的な現象につき使われるのよ、分野を問わないで。あたしとしては、新規の素粒子や原子や分子を始めとする量子の形成こそが厳密な意味での創発と思うけど、でも、物理学や化学では、わざわざ創発という言葉が使われることて、ほとんどないみたいなのよ。て言うか、恐らく、物理学や化学では、あつかう対象にかんし、創発という包括的な見方をする必要がないわけなのよ。て言うか、多分、これらの分野で包括的な見方をしてしまうと、研究対象についての厳密さが損なわれてしまうのに違いないよ」

「へーえ」

「だから、創発て、物理学や化学の用語ではないらしいのよね。でも、もっと巨視的な研究分野では使われるみたいなのよ。また、自然科学でなくても使われるのよ。

 前にも言うたかも知んないけれど、日本語の性質て言葉て、意味の幅が広く、静的なものだけでなく、動的なものにも使えるのよ。だから、新たに出現するのが動的な性質であろうとも、巨視的なものであれば、それは静的な性質の組みあわせによりて出現すると考えられるので、そういう動的な性質の出現も創発ととらえて構わないのよ。

 しかし、創発の原動力であるの融合機能て、あたらしい物質が次つぎに形成されても少しも変化しないのよ。基本機能なので、変化してはいけないわけなのよ。それで、新しい物質つまり量子つまり物質機能波動つまり物質プロセスて、次つぎに形成されうるのよ」

「なんか、くどいし、分かりにくいよ。要するに、創発て、なんらかの新しい性質が突如として出現することの、ことなのでしょう?」

「そう、その通り。そして、究極の素粒子であるエナァジが、自然科学的な創発つまり融合の根源なのよ。とにかく物質機能素なのだから」


「そう言えば」セァラが言いつ。「青葉も言うてたみたいだけど、原子には全く新しい性質が出現するのよね。原子て、素材の陽子とか電子とかの数が違うだけで、まったく別の原子になるのよ。なんか不思議なことだよ」

「分子もそうなのではないの?」絵理が言いつ。「しかも、分子て、素材の数が違うだけでなく、それ以前に、そもそも素材である原子の種類がえらい沢山あるし、形も自在に設計できて、組みあわせの数が無限に増えるから、異なる性質がいっぱい出てくるのよ」

「そうなのよ。分子の種類と性質の相違て恐ろしいくらいなのよ」青葉が言いつ。「そして、そういうのて、そういうものということで慣れてしまい、それ以上のことは全く考えないけれど、謙虚に再評価してみると、まったく解せないことなのよ。なぜって、印象では、素材の粒子の数が異なるだけのことなのだから。もしも物質の本性が粒子なのなら、新たに素材がくっつくからと言うて、それはただそれだけのものに留まるはずなのよ。烏合の衆のままに留まるはずなのよ。新規の性質は決して出現しないし、新しい物質になることも断じてできないのよ」

「じゃあ、どういうことなわけ?」セァラが言いつ。

「素材の数が増減し性質のことなる新規の物質が出現しつとすると、元もとの素材はただの粒子ではなかりきに違いない、と推測されることになるよ」

「へーえ、ただの粒子ではなかりきの、素粒子て? じゃあ、一体、なんなわけ?」

「それで、ここで、また、波動と粒子の二重性が登場するけれど、ただの粒子でないのであれば、結局、波動ということになるのよ。物質、ひいては素粒子、ひいては量子て、波動と粒子の二重性を兼ねそなえしものではあるが、その本性は波動ということに、なるわけなわけ。量子の、無数の物質機能状態で構成される超越的な波動、すなわち、物質プロセスが、物質の本体なのよ。

 さっきもどこかで言いつかも知んないけれど、波動の様相が主でありて、粒子の様相は従なわけ。粒子の様相て、ほかの素粒子からの作用を受けしとき、『はい、わたしは、硬直せし粒子として今ここに存在しておりますですよ』と返事を出して、じぶんの存在をつよく主張するための便宜ないし実用でしかないのよ。て言うか、これも大事なことではあるけどね、宇宙が存在できるためにはね」

「うん」

「だから、ひと言で言えば、物質て、決して粒子ではなく、物質機能体現状態に対応する波動なのだ、ということなのよ。摩訶不思議で超越的な機能状態というものが、物質の正体なわけ。この宇宙に堅固で硬直せし物質は存在できなく、物質は、摩訶不思議な機能波動という存在様相を採用することで、辛うじて、その存在の仮面を醸しだせつのよ」

「うん」

「そして、本性が状態だからこそ、数が増減すると、べつの新しい状態になるわけなのよ。ただ個数がふえて集合体になるという程度のことでなく。そして、その新しい状態になるということが、新規の性質、つまり新規の量子、ひいては新規の物質が、出現する、ということなのよ。

 なにしろ、ただの粒子ではなく、状態だから。状態て、本質的に、ディジタルに数えるものでなく、柔軟に変動するものなのよ。そして、少しでも変動すれば、必然的にべつの状態になる他はなく、それでガラリと新規の性質が出現するわけなのよ。

 とは言うても、柔軟に変動するとは言うても、鼻歌うたう程度のことで変動できるわけでは決してなくて、変動の内容におうじて、相当量のエナァジが必要とされるのよ。それでも、その相当量のエナァジが投入されさえすれば、別の状態に移行できるのよ。その移行は、巨視的に見れば別種の粒子になるということなので、はっきり言うて、離散的で量子的なものと言えるけど、それでも、大元が柔らかいものである状態の移行なので、意味的には柔軟なものなのよ。

 逆に言えば、微視的な素粒子の世界では、素材の構成が変動すると、かならず創発が起きるので、物質の本性は、やはり、状態、そして、無数の状態で構成される波動、ということになるよ。ビードゥ玉のようなただの粒子、そして、それのただの集合体では断じてなくて。

 また、比喩的に見て、複数の人間がひとつのアクティヴな集団を形成すると、そこには、個々の人間の性質の総和にはない、まったく新規の統合的な性質が創発するよう見えるけど――例えば、感覚的なつよい結びつきと共にライヴ演奏している楽団とか、オーケストゥラとか、ロク バンドゥとかね――、これは、創発の要素が人間の性質という柔らかなものだからこそ、起きるのよ。この点では、人間や動物の性質て、状態の範疇にはいるよ。生物の有する性質て、素粒子の性質と同質のものなのよ。本体は物理的な性質と推測されるのよ。とてもそうは思えないけどね。でも、とてもそうは思えないのは、生物の気質が超大規模な創発の結果として出現するものであり、きわめて複雑なものだから、というだけのことなわけ。

 こういう次第で、新しい性質と機能と物質が創発できるには、物質は、絶対、柔らかな状態でなければいけなかりきのよ。無数の状態で構成される波動でなければいけなかりきのよ。硬直せし粒子でなくて」

「ああ、そういうことなりきのだ?」

「そうかもね。そして、また、創発て、根本的にはエントゥロピ(Entropy)の減少にあたるのよ。複数の量子を組織化して新たな量子という新たな秩序を齎しているからね。情報量を増やしているのだから。量子や物質て秩序なのよ。そして、より大きな、より高い秩序が、形成されるということが、創発の本質なのよ」

「うむ」

「そして、ということは、物質の本体である機能波動も秩序なのだ、ということであり、この波動が体現する性質も秩序なのだ、ということでもあるのよ。これは、まあ、当然ちゃ当然だけれどね」

「なるほど」

「だから、ひとつの予想として、生物の体のいろいろな組織も創発の結果と考えられるかも。なぜって、生物も、謙虚な観察によれば、DNA(Deoxyribonucleic Acid ディオクシライボウニュークリーイク アシドゥ、ディオクシライボウ核酸)を中心として、たくさんの物質が緊密に結集し新しい性質が創発せし結果のものと解釈することも、必ずしもできないわけではないからね。物質が組織化されて生命体が構成されることも、新たな秩序と物質の創生であり、エントゥロピの減少にあたるのよ。まず、これが、生物における秩序の発生の最初のものなわけ。

 だから、もしも生命の発生が創発なのなら、さっきも言いつけど、ヴァイラスや、単細胞生物や、微生物や、生物の細胞や、生体組織や、生体器官も、その本性は波動ということになるよ。細胞などの、生物の体の構成要素も、構成単位であるという点で、それぞれが量子と言えるのよ。生体量子なのよ。

 牛の胃なんか四つになりているし、脳など、なんと、左脳と右脳のふたつが結合しているよ。て言うか、この見方て素朴すぎるのだけれどね。脳て、様ざまな機能をになう脳分組織が複雑に結合していて、生体における創発の、けっこう込みいりし階層構造を形成してるのよ。脳て創発の塊であり華なのよ。

 そして、脳の全体が、そして、脳の全体と一心同体である超大規模機能波動が、脳での創発の最高位に位置するものなのよ。そして、この超大規模機能波動が、主観の意識を体現してるのよ」

「て言うか、そういうことを迂闊に言うてしまうと、物理の先生から大目玉をくらうことになるんじゃないの?」

「かも知んないね。分かんないけどね。でも、面白いでしょう?」

「まあまあ面白い」

「でしょう? だから、生物の体においても、その組織や器官などの要素要素は、素粒子みたく、波動関数という不思議な波動で体現されているのよ。その波動を見ることは決してできないけれどもね。

 だから、光が当たりてて、眼に見えるものて、すべて、収束しているわけなのよ。光が当たりていなくても、電波が当たりていれば、収束しているし。光も電波も当たりてなくても、ほかの物質と接触してれば、やはり収束しているし。その本性は虚数をふくむ複素数でもあるし」

「アンビリーヴァブル」


「じゃあ、折角なので、ここで」青葉が言いつ。「創発と量子のことにつき、すこし補足させてもらうよ」

「うむ」セァラが言いつ。「まだあるんだ?」

「まあね。まず、創発て、ひと口に創発とは言うけれど、単一のものでなく、さっきの話のように幾つか種類があるのよね。

 まず素粒子の創発があるけれど、これはビグ バンの時の物理現象なので、内容はまるきり分かんないよ。ただ、ひとつ言えることは、途轍もない高温とエナァジが必要なりしはず、ということだよ。

 つぎは、核融合による原子の創発だけど、これて太陽のなかか超新星爆発のなかでの現象なので、これにも結構な高温とエナァジが必要とされるのよ。素粒子創発物理現象ほどではないにせよ。

 そして、化学反応による分子の創発だけど、これは、誰にも分かるとおり、かなり穏やかなエナァジで事足りるのよ。反応の種類と様相は恐ろしく多様ではあるけどね。

 すると、原子や分子も量子と位置づけるとして、量子の融合には、エナァジにかんして法則性が感じられないわけでもないのよね。融合のスコウプが巨視的になるにつれ、所要温度と所要エナァジがぐうと少なくなるという、反比例の法則性。

 また、融合による量子の形成ではエナァジが消費され新規のより高い秩序がもたらされるという点で、融合でのエントゥロピの生成は減少していると推測される。

 さらに、融合による量子の形成では、観測できないながら、量子全体に対応する統合機能波動があらたに形成されるということも、銘記しておく必要があるよ。

 さらに、また、量子の融合では、素材群の機能波動のレイヤァのうえに、新しい量子の機能波動のレイヤァがどんどん重なる、と推測されるよ。

 例えば、水素分子と、それを構成する二つの水素原子て、まったく別の物質なのよ。だけれど、両者は、それぞれ、同時に、じぶんの性質を主張しているわけなのよ。

 なぜって、結合することで水素原子の性質が消失してしまうというのであれば、結合の根拠が失われてしまいて、結合が維持できなくなりて、水素分子はバラバラになりてしまうはずだから。

 つまり、分子から始まる複合的な量子では、構成要素の物質の性質と、構成されし複合物質の性質とが、それぞれ別のものとして重なるわけなのよ。

 つまり、融合による異なる量子レイヤァのあいだでは、ひとつの物質が、それぞれのレイヤァにおき、異なる別の物質機能波動の形成に参画できるのよ。

 でもないかな? 実は、量子の階層構造のことて、まだよくは分かんないのよね。複数の量子が結合してしまうなら、そこではもう結合の根拠が失われてしまいているにせよ、もう後の祭りとも考えられるのよ。なにしろ、手をつないでしまいつからね。

 だから、融合の前後において、融合を可能とせし性質がどうなるかは、今後の課題とも言えるかも。

 そして、さらに、融合の種類はほかにもあるはずで、生命や生物の融合などもあるはずだけど、詳しいことは今の段階ではまだ分かんないよ」


    量子のこと


「そして、今度は」青葉が言いつ。「融合により製造される量子のことだけど、意識を発生させるという目的の観点から見て、量子の特徴として、次のようなことが挙げられるよ。

 まず、取りあえず、当面は、量子には、素粒子・原子・分子などの物質が該当するものとする。このように、量子は、物質だけど、しかし、その本体は物質機能波動でありて、じつは、時間の関数であり、微視的な物理現象であり、物質プロセスなのよ。

 スコウプは、微視的な世界。構成要素は、下位の量子。発生原因は、エナァジの投入。エナァジの投入により、下位の量子の波動の融合がおき、新規の量子が形成されて、あたらしい性質が創発する。

 そして、量子の、形成されしのちの様相。量子には、外部からそれ相当のエナァジでもて攻撃されないかぎり決して失われはしない頑固な特性と秩序と持続性が具わりている。逆に言えば、可変性と減衰性が具わりていず、量子に有効期限はなくて、量子は決して消滅しない、ということなのよ。これは、本体たる機能波動が、すこぶるスタボーンでパァシステントゥなものであり、その波としての特性が、どげに時間が経過しようが決して変化しない、ということから来ている。このため、機能波動で体現される量子の性質も、決して変化はしない。

 つまり、量子の本体たる波動て、一応、時間の関数であり、プロセスではあるが、量子の種類に応じてそれ相当のエナァジでもて蹂躙されないことには、決して変化を受けなく、いつまでも持続するのよ。波動なので、振動数や振幅などの波の基本特性が具わりてはいるけれど、量子のばあい、これらの基本特性が決して変化しないわけ。だから、量子の波動て、硬質の波動と言えるのよ。

 なぜって、波動が変化するということは、それで体現される機能と性質が時間とともに変化するということであり、機能と性質が時間とともに変化するということは、そういう量子で構成されるこの物質世界が時間とともに妙なものになりてしまう、ということを、暗黙のうちに意味しているのだから」

「そうなわけ?」絵理が言いつ。

「さあ、どうかな? 見しことないからね。でも、選択肢の一つとして、デヴルマンの世界のうちのある超ユーニークな世界のように、ぐにゃぐにゃの世界が出現することも、あるかも知んないね」

「ああ、なるほど。なんか面白い」

「うん。でも、それで、量子の機能や性質て時間の関数ではない、ということなのよ。だから、量子て、なんと、波動の面では時間の関数でありプロセスでありながら、同時に、その波動が体現する機能や性質の面では時間の関数ではないという、なんとも珍妙な物理現象なわけ」

「どうしてそげな事になるわけ?」セァラが言いつ。

「おそらく、量子の波動て、さっきも言いしように、それ相当の原因もなく、そうおいそれとは変化しないように、できているのよ。なにしろ、量子て、一般の物質を製造するための基礎物質・基本波動だから。そう簡単には変化しないようにしないといけないのよ。それで、簡単には壊れないようするために、膨大なエナァジを投入して鍛えに鍛えあげるのよ、きっと」

「でもさ、エナァジ状態のようなものの変化というのがありきじゃないの、あんたが苦労してでっちあげつ」

「うん」

「あれはどうなるの? 相互作用によりてエナァジとかフォースとかの着脱が発生すれば、エナァジ状態のようなものは変化するのではないの? そして、その結果、量子の波動も変化するのではないの? そして、結局、機能や性質も変化するのではないの?」

「うーん、そうね、見しことないからほんとのところは分かんないけれど、量子の波動の慣性がきわめて強大なのだ、ということかも知んないよ。または、量子の波動にちょっかい出すには途轍もない量のエナァジが必要なのだ、ということなのかもね。それで、多少のエナァジの着脱が発生する程度では、波動の特性ないし様相そのものは決して変化を受けないが、波動全体のエナァジ状態のようなものが変化するかも知んないよ。運動エナァジとか、温度とかね」

「ふーん」

「そして、波動の慣性をうわまわる超強大なエナァジ攻撃を受けしときだけは、波動が譲歩しはじめる前に、量子そのものが破壊され、バラバラに飛び散りて、別種の量子群になるかも知んないよ。あるいは、核融合をおこして新種の量子を形成するかも知んないよ。粒子加速器で人工的な崩壊がおきたり、恒星での核融合が起きたりするように」

「なるほど」

「ただ、分子のばあい、分子て、言わばアプリケイションの物質であり、かなり精妙なものなので、膨大なエナァジに曝すと、大事な性質を壊してしまいかねないのよ。秩序と情報が失われ、エントゥロピが増大し、バラバラに分解してしまうのよ、恐らく。だから、化学反応に必要とされる程度のエナァジで済むのかも。

 そうすると、生命や生物のばあい、もっとモーア精妙なので、ほんとに僅かなエナァジだけで創発が起きるようしないといけないのよ。予想だけれどね」

「そうかもね」

「意外にややこしいね」絵理が言いつ。「思いもしなかりき」

「まあね。量子のことだから。いろいろあるのよ」

「でも、なんか、うまくできているよ」セァラが言いつ。

「かも知んないね」


    論理的に見て、物質は柔らかく実装されなくてはならない


「じゃあ、ここで」セァラが言いつ。「決定的な質問をひとつ」

「どんな?」青葉が言いつ。

「堅固な物質が存在できないのは、どうして?」

「うむ……」青葉は言いつ。

「どうして?」

「うむ……」青葉はまた言いつ。「それは、つまり、堅固な石が存在してるていうのて、どう見ても変だから」

「べつに変じゃないじゃん。ちゃんとそこに存在してるじゃん」

「うむ……」青葉はまたまた言いつ。「巨視的に見れば、石が堅固なのは、その通りなのよ。堅固な石が存在するのは間違いないのよ。だけれど、堅固なものが存在するていうのて、本質的にはとても不条理なのよ」

「どうして?」

「微視的に見るとね」

「なんで?」

「それは、つまり、さっきの話のように、量子て、どんどん創発を起こし、新しい物理性質、つまり新しい物質を、次つぎに出現させることができないと、いけないからなのよ。この宇宙という物理世界をして成長させしめ活動させしめるには。もしも、量子が、物質機能群を体現する柔らかなものでなく、堅固なものでありゃ、創発は決して起こせないのよ」

「ああ、なるほど。そういうわけだ」

「まあ、そうなりきのよ。とは言いながら、今のて、どちらかと言えば、副次的な理由なのだけど。本命の理由は、また別にあるのよ」

「へーえ」

「とは言いつつ、今のもとても重要な理由ではあるのよ」

「そうね」

「うん。それで、本命の理由がどういうものかと言うと、こういうものなのよ。

 すなわち、堅固な物質が存在できないというのて、この宇宙では、物質が存在できるためには基本相互作用を起こせないといけないからなのよ。これは、この宇宙での自分の存在を主張するための必要不可欠の条件なのよ。かなりくどいことを言うているけどね。量子が、もしも相互作用を起こせなければ、透明になり、無視されてしまい、存在しないに等しくなるのよ。よその宇宙になら存在しててもいいけどね。どのみち観測できないからね。好きにしてよ、という感じだよ。

 それで、なにかが物理的な相互作用を起こせることは、その何かがどこかに存在できるための、不可欠な条件になるよ。

 そして、量子が基本相互作用を起こせるということは、ほかの量子と接触せしとき、波動関数が崩壊し、状態が確定し、フォースやエナァジなどが着脱できて、エナァジ状態のようなものが変化を受けられる、ということなのよ。根本的には、まず、接触という変化が有効ということだけど。て言うか、その前に、二つの量子が離れている場合、まずゲイジ粒子の交換が成立するということだけど」

「それで?」

「そして、そういう動きが発生できるためには、量子は、絶対、柔らかくないといけないわけなのよ。そういう動きが発生できるだけの柔軟な機能ないし働きが具わりていないといけないのよ」

「それはどうして?」

「いま言いしとおりだよ。そういう動きが発生できることを、柔らかいと言うているのよ。物質の基本機能が具わりていず、量子が堅固で硬直してしまいていると、比喩的に言えば、物質として死にていると、その量子は他の量子と決して接触できず、変化を受けれないのよ。そして、相互作用が発生せしことにはならないのよ。これは明白なことなのよ」

「あれ? そう?」絵理が言いつ。「それは違うんじゃない? 堅いものでも相互作用は起こせるじゃん。むしろ、硬いもののほうがより強く相互作用を起こせるよ」

「そうは問屋が卸さないのよ」青葉が言いつ。

「どうして? 野球のボールをバトゥで打てば、ボールはちゃんと飛びてゆくでしょう? それはしっかり相互作用を起こしているていうことじゃないの」

「それは巨視的な世界での話なのよ。だから逆説的なのよ。微視的に、素粒子レヴェルで見れば、バトゥも、ボールも、石も、岩も、そして、ダイヤモンドゥも、鉄も、オズミアム(Os, Osmium)も、イリディアム(Ir, Iridium)も、とても柔らかいのよ。

 なぜって、量子は、すべて、状態であり、無数の状態で構成される摩訶不思議な波動でありて、時間の関数すなわちプロセスであり、究極的には複素数の波動関数でしか表現できないようなものだから。内部は柔らかいのよ。て言うか、単独で存在しているときは柔らかいのよ。と申しますか、ほかの量子と接触し、波動関数が崩壊し、状態が確定し、収束せしときですら、依然として柔らかいはずのよ。とにかく、物質機能を体現する波動だから。それでしっかり相互作用を起こせるのよ」

「どういうこと?」

「こういうことなのよ。もしも、物質機能が具わりていず、量子が堅固で硬直せしものとすると、量子て決して基本相互作用に与れないのよ。なぜなら、そういう前提だから。

 基本機能が具わりていず、堅固で硬直してるていうのて、ここでは、物理的な働きかけを受けても、それを受けとめることできず、物質として移動もしなければ、体のどこかに如何なる様相の変化も生じることはない、はた、また、加熱されしとき熱くなることも決してない、というような、こういうことを意味しているのよ。

 より簡潔に言えば、堅固で硬直してるとは、物理的な働きかけを拒絶して、自分のエナァジ状態のようなものが変化を受けることを頑なに拒みている、ということなわけ。物質として死にているとは、物質機能が具わりてはいないか壊れているかして、相互作用が発生しないということなのよ。完全に機能が欠如している何かて、こういう何かのことなわけ」

「うむ」

「そして、こういう風に、かりに相手のほうが是が非でも相互作用をしたいと願いていても、自分のほうが頑なにその願いを無視し、自分のうちにいささかも変化を生じさせないでいるとすりゃ、相互作用が発生できる状況になりても、どう足掻いても、接触できず、エナァジ状態のようなものが変化を受けれないのよ」

「それは変だよ。どげに硬いものでも、力をうければ少しは凹んだり移動したりをするでしょう? 加熱すれば熱くなるでしょう?」

「だからそれは巨視的な世界での話でありて、あたしは、まさに、物質の基底レヴェルのことを言うているのよ。物質の相互作用の最前線の極小レヴェルのことを言うているのよ。逆説なのよ。

 そして、基底レヴェルで量子があたしが言いしような意味でカチンカチンに固まりていると、つまり、物質機能を果たすことをガチガチに拒みていると、どげによそから物理的な接触を受けそうになりても、断乎として接触しないわけ。機能的に死にているから。そして、自分の温度が変化して、情報量が変動し、エントゥロピが増大することを、決して許可しないわけ。とにかく、いかなる変化も受けないのよ。

 もっと正確なことを言えば、量子の片ぽが接触を許容していても、もう片ほうが拒絶していしばあい、相互作用は決して発生しないはずだけれどね。この宇宙とあの宇宙のあいだで相互作用が決して発生しないのと、状況は同じなわけなのよ。相互作用が可能なのは、双方ともに、接触と、エナァジなどの着脱と、エナァジ状態のようなものの変化を許容していて、たしかに相互作用が発生しつ、と判定できる場合だけなのよ」

「うむ」

「そして、これは、粒子だから硬い、波動だから柔らかい、ということでもないのよ。それ以前に、物質が、物質機能を具えていて、それらがちゃんと動作することを、柔らかい、と言うているのよ。なので、物質が粒子であろうが波動であろうが、実はどうでもいいのよね。その前に、物質が、物質機能を具えていて、基本相互作用にしっかり与れることが、重要なわけなのよ。これが物質に不可欠の条件であり、物質の本質なのよ。

 なので、言葉の選択の問題がありきかも知んないね」

「ふむ? どんな?」

「そうね、堅固とか硬いと言うと、まさに巨視的な感覚で物質が硬いというイメジが浮かびてしまうから。そしてこれはその通りだよ。

 でも、堅固な物質は存在しないていうのて、正確には、物質が存在できるには、基本相互作用に与れるだけの機能が具わりていて、しっかり動作していることが必要なのだ、という意味なのよ。巨視的に柔らかいというのではなく、機能的に柔らかいという意味なりきのよ」

「ああ、じゃあ、なにが柔らかいか、物質のどの部分が柔らかいかの、説明が抜けていつのだ?」

「ああ、そういうことになるかもね。でも、いちいち詳しく言うわけにもいかんのよ。それで、堅固のほかに、硬直という言葉も使いていつのよ、あたし。この硬直に、機能的に柔らかくない、固まりてしまいている、死にてしまいている、という意味が含まれていつのよ」

「それは青葉の都合だよ。まあ、たしかに、硬直と言えば、多少はべつのニューアーンスが感じられないでもないけどね。でも、だからと言うて、機能的な柔らかさなど、だれも連想はしないよ」

「それはその通りだよ」

「じゃあ、言葉の選択の問題でなく、青葉が物質のどの部分のことを指していつかがポイントゥなりきのではないの? 巨視的な堅固な粒子が出現する以前の、その粒子を出現させしめる微視的な機能の部分のことを言うていしわけだよ、青葉て」

「そのとおり」

「じゃあ、言葉をひとつ追加すればいいのよ」

「どんな風に?」

「つまり、機能的に堅固な物質は存在できない、という風に」

「ああ、そういうことか。なるほど」

「最初からそう言うていれば良かりきのよ」

「かも知んないね」

「ただ、ここで堅固と言うのも変だから、機能的に硬直せし物質は存在できない、、または、機能的に死にている物質は存在できない、という風に言うのがいいかもね」

「そのとおり」


「でも、なんか妙なことを言うてるよ、青葉」セァラが言いつ。「そげなことを考えて、なんになるの?」

「だから、あたしは、あんたに聞かれて、堅固な物質が存在できない、ということを、言うているのよ。それを論証していしだけなのよ」

「ほう……。じゃあ、接触しないとすると、どういうことになるわけ?」

「接触しないとすると、波動関数が崩壊せずに、状態が確定しないので、量子にはエナァジなどの着脱が発生しなく、エナァジ状態のようなものが変化を受けないのよ。その結果、そもそも基本相互作用が発生しなかりき、ということになり、少なくともこの宇宙には存在していないことに、なるのよ。すなわち、堅固な物質は存在できない、ということなわけ。証明、おわり。きっと、よその宇宙にでも存在してるんでしょうよ、この宇宙に重なりながら」

「ふーん。そげな変なことを聞くのて、初めてだよ」

「まあね。それはそうかも知んないけどね。でも、今、ここに、現にこの宇宙が存在していることには、その裏には、実は、こういうような明解な論理ないし仕組みが組みこまれていつ、ということなのよ。論理性が、この宇宙では物質が機能的に柔らかく実装されることを求めていつ、とも言えるかも。機能的に硬直せし物質は存在できない、そして、量子は機能的に生きていなければならない、というのて、論理的な必然なりきのよ。もちろん、この場合の物質て、ヒグズ粒子を含め、各種の素粒子のことだけど」

「ああ、そげなところに論理が組みこまれていつの? すごい意外なことだよね?」

「そうかもね。あたしだて、こげなところに論理が登場するなど夢にも思いていなかりきよ」

「ふーん」

「もちろん、量子のなかに論理が組みこまれているからと言うて、それで、直ちに、量子が論理性の水源、ということにはなんないけどね。それを言うなら、量子の素材であるエナァジのほうをこそ問うべきだけど、そのエナァジだて被造物のはずだから、論理性の源流は、むしろ、上流世界の論理性空間のなかに求めるべきかもね」

「なるほど」

「それで、だから、量子て、この宇宙に存在するには、絶対に柔らかくなければいけなかりきのよ。柔らかで生きているプロセスでなければいけなかりきのよ。さっき、あたしは、量子て、ふしぎな波動というような怪しげな方法を採用することで、ようやく、この宇宙に存在してるという見せかけを醸しだすことができつ、というような意味のことを言いつと思うけど、結局、そうする他に、この宇宙を出現させて物質を存在させられる方法はなかりき、ということになるよ。て言うか、波動や粒子のレヴェルの問題ではないけどね。それより下のレヴェルで機能的に生きているというのが本質だから。

 でも、いずれにしても、量子Aと量子Bのあいだに何らかの基本相互作用が発生すると、双方の量子では、必ず、エナァジなどの着脱が生じ、エナァジ状態のようなものが変化を受けるのよ。それで、その量子たちとしては、『おや? これはどうしつか?』と思うわけ。それで、他の量子とのあいだのコンタクトゥを検出できるのよ、きっと。

 て言うか、ほんと言うと、量子て外界は決して検出できないけれどもね。たとえ外界とのあいだで相互作用が発生しつにせよ、ただ、自分のエナァジ状態のようなものが機械的な変化を受けるだけだから。そして、この変化は、じぶんの機能の規定によりて自然に自動的に生じるだけだから。さらに、量子は、じぶんのエナァジ状態のようなものの変化や外界の存在を知ることもないのよ。なぜって、量子や物質に認知能力や精神は具わりていないから」

「じゃあ、エナァジそのものはどうなわけ?」絵理が言いつ。

「エナァジは、量子のような巨視的なものではないけれど、おそらく超弦として振動はしてるのよ。その点ではやはり柔らかいとは言えるのよ。エナァジも、実効性をおび、この宇宙に存在してるのだから、やはり柔らかいのよ。究極的には、物理現象なのよ、プロセスなのよ、エナァジも。量子とは異なり、みずから振動することで、じぶんで時間の漣を創りだし、じぶんで自分を時間のヴェクタァ量にしてはいるはずだけど」

「ふーん。妙な世界なのね、微視的な世界て? この世に存在するにはプライアントゥでないといけないなどて、思いもよらなかりきよ」

「そうね。そして、この場合の柔らかいて、巨視的に、物質として柔らかい、という意味ではないわけよ。微視的に、接触とエナァジなどの着脱を許容でき、自分のエナァジ状態のようなものが変化することを容認している機能体現波動として、微視的な物理現象として、物質プロセスとして、生きている、という意味なりきのよ。逆に言えば、硬直しているとは、物質機能が死にていて、物理的な接触できず、エナァジなどの着脱ができなく、エナァジ状態のようなものがいささかも変化を受けない、ということとも言えるよ」


    外界の認知は、外界との相互作用の測定をとおしての推測


「こういう次第で」青葉が言いつ。「物理的な相互作用が測定される仕組みて、細かく見ると、相互作用で生じる自分のエナァジ状態のようなものが測定される、ということなのよ。それで、その自己変化をとおし、相互作用が発生せしことを自覚できるわけ」

「て言うか」絵理が言いつ。「今までそげなことなど話していなかりきじゃないの。物質て柔らかく実装されないといけないて、話していつのよ」

「まあ、そうだけど。でも、その過程をつうじ、相互作用では、自己変化が機能波動によりて検出されることが、明らかになりきのよ。他者の変化ではないのよ。自分の変化なのよ」

「素粒子が接触すると、具体的にはどういう変化が発生するわけ?」

「いやいや、詳しいことは分からないよ。超不思議な仕組みによりて、相互作用は瞬時にディジタリに完了してしまうから。それでも、接触が間違いなく検出されることや、エナァジの着脱すなわちエナァジ状態のようなものも測定されているであろうことは、はっきりしつのよ」

「時間はかからないわけ?」

「わからないのよ。とにかく量子の世界て薄気味悪いのよ。トゥランセンデントゥなのよ。でも、プランク時間(Planck time)くらいの時間なら、かかりているかも知んないね」

「うむ」

「そして、検出されるのて、自分のエナァジ状態のようなものだけなのよ。ほかの量子のことや外の世界のことて、決して検出されえないのよ。いわんや、ただの物質に認知主体となる意識はまだ発生してはいないので、物質が自分の変化や外界の存在を知ることも有りえないのよ。

 それで、ここでちょっと先走りしことを言うてしまうけど、物質にてはこういう事情があるゆえに、それで、意識による外界の認知て、根本的には、外界との相互作用で生じる自分の物質の体のなかのエナァジ状態のようなものの測定をとおしての推測なのだ、ということになるのよ。巨視的に見てさえ、物質が外界を測定することは不可能だから、その物質のなかに生じる意識程度のものが外界を即値として見たり感じたりするなどてこと、逆立ちしてもできこないのよ」

「うむ」

「そして、じつを言うと、物理的な相互作用を測定するには、自分が柔らかくないといけない、比喩的には、自分が測定機能として生きていてセンシティヴでなければいけないて、意外なことに、ごく当たりまえのことなのよ」

「そうなわけ?」セァラが言いつ。

「実は、そうなのよ。世のなかに測定器と呼ばれるものは数あれど、一般論として、各種の測定器て、測定器たりうるためには、物理信号にたいし柳のように柔らかく敏感でなくてはいけないのよ。測定対象に触れしとき、その接触という相互作用に応じ、自分が敏感に変化しなくてはいけないのよ。少なくとも、測定機能を担いている最先端の部分はね。じゃないと、外部とのあいだの相互作用を検出できる手段がなくなり、故障せしか、または、測定器としてはもう使い物にならなくなりしかと、いうことになるからね。

 そして、人間や動物が具えている感覚器官も、すべて、自分のものなのよ。自分に属するものなのよ。生物が有する感覚器官て、全て、じぶんの体の巨視的な組織として実装されているのよ。

 こういうことからも、量子が物質機能体現波動という柔らかなものとして実装されつというのて、当然のことなりしわけ」

「なるほど。そういうことなりきのだ」

「かも知んないね」

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