2章 そんなの怪しい
【概要】ベルクソンの考えからの帰結として、青葉が世界はただ有であるばかりという考えを表明する。
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「じゃあ、まあ」セァラが言いつ。「無が存在しないというのは、取りあえずは聞いておくけれど、でも、それでどうだと言うの?」
「つまり」青葉が言いつ。「完全なる無が存在しないから、論理的な帰結とし、必然的に、なにかが有であらざるを得ない、なにかが有である他はない、ということになるのよ。ひと言で言うと、始まりということなしに、世界は最初から存在していしわけなのよ」
「ええ?」絵理がびっくりせしよう言いつ。「世界は最初から存在していつの?」
「そうだよ。論理的な必要がありきので、なんらかの世界が最初から有なりきのよ。フワイトゥ ボードゥには、劫初の初めから『有』という漢字が書かれていしわけなわけ。このレヴェルのことに時間の次元があるとはとても思えないので、ごく単純に、なにかが有であらざるを得ない、有である他はない、ということなのよ」
「ほんとにそうなわけ?」
「ほんとにそうなのよ。完全なる無は存在しないのよ。なので、なにかが有である他はないわけなのよ。論理的に見て、存在システムは有であらざるを得ないわけ」
「うそう。そんなの怪しいじゃん。存在の話が、そげな単純なわけがないじゃないの。どこか間違いているんじゃないの?」
「いいえ、間違いないのよ。これは、明快な論理でありて、しかも、純粋な論理でもあり、断乎として正しいのよ。
明快な論理でありて、純粋な論理でもあり、断乎ただしい
たとえば、考えかたの前提すなわち公準の、正当性が確認できずとも、取りあえずは、そのあとの論理システムを尤もらしく展開できることて、ゲーデル先生(Kurt Gödel クルトゥ ゲーデル)の不完全性定理(Gödel's Incompleteness Theorem)で証明されているよ。
そして、この定理を人間の生存レヴェルの論理に適用してみると、一見もっともらしく見える考えであろうとも、暗黙のうちに望ましくない前提のうえで構築されている可能性のあることが判明するのよ。ひとの考える程度のことは都合のいい実用でしかなく、前提の置きかたによりては、都合のいい考えかたくらいなら幾らでも構築できてしまうのよ。生物や人間の生存は根本的に実用なのであり、立場が変われば、ひとの考えなどは簡単に翻りてしまうわけ。そして、対立する考えかたも幾らでも主張しうるのよ。よりて、表面的にはどれだけ尤もらしいものに見えるにしても、考えかたというのは、その前提をきちんと評価してみるまでは、決して鵜呑みにしてはいけない、ということに、なるのよ」
「またまた何を血迷いしことを言うのよ?」
「つまり、ベルクソン先生の命題は、人間レヴェルの都合のいい屁理屈などでは断じてなくて、純粋な論理でありて、ぜったい正しい、ということなのよ。そして、純粋な論理であるゆえ有無を言わさないものであり、しかも、まさに存在につき述べているので、有無を言わさないどころか、ほとんど強制と言いていいのよ」
「そんなの疑わしいよ、最初の命題が有を命じる強制なりきなど」
「強制というのは、まあ、すこし言いすぎなのよ。論理性にはああいう命題が潜在的には含まれていて、論理性が暗に有を命じている、というニューアーンスは、なきにしもあらずだけど、でも、有は、先生の命題が実施されし結果として出現しつのではなく、むしろ、エイ プライオーライに存在しているだけなのだ、と考えるほうが、いいのよ。
だから、さきの命題は、言いなおすほうがいいのよ。①として、無は存在しない、そして、完全なる無も存在しない。これは、無否定命題。そして、②として、ゆえに、なにかが有であらざるを得ない、なにかが有である他はない、何かがただ有であるばかりでR。これは、有様相叙述命題ね。①の命題は、②の命題を導きだすための、前段の命題なのよ。それと言うのも、②の命題には説得力が少しもないからね。いきなりこげな事を言うたところで、白い眼で見られるのが落ちだから。
まとめると、こうなるよ。質問。世界は、どういう必要性があり存在してるのですか? 答え。いいえ、残念でした。遺憾ながら、必要性というほどのものはないのです。世界は有である他はなく、世界はただ有であるばかりなのです。強いて言うなら、完全なる無が存在しないから、という論理的な理由や必然性ならあります。それでも、そもそも無は存在しないので、二者択一されしわけではないのです。あらかじめ無と有の二者が存在していて、その状態で有が選択されつ、ということではないのです。世界はただただ有であるばかりなのです」
「でもさ、宇宙てビグ バンから発生しつのでしょう? なんか辻褄が合いていないよ」
「それはこの宇宙の話なのよ。この宇宙には、ビグ バンという時空の原点が確かにありき。すると、この宇宙は、存在システムの一部なのであり、派生物であり、全体ではありえないのよ。全体としての統合的な存在システムは別に存在するのでありて、それが、時間の途中で発生しつということもなく、ただ有であるばかりなのよ。
ちなみに、ただ有であるばかりの世界、すなわち存在システムが、どういう世界なのか、その全貌がどういうものなのか、それは、まだ分からないのよ。この宇宙のような具体的な実体世界がただ有であるばかり、というのて、かなりインチキ臭いので、むしろ、論理性のようなものが存在システムの基盤なのではないか、という気がするよ。ベルクソン先生の命題すなわち存在基礎命題と、論理学が、根源の有なのかもね」