14章 自発的に動きだすジェリ
14章 自発的に動きだすジェリ
【概要】意識に関係することにつき三人が閑談する。
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【小見出しの目次】
自発的に動きだすジェリ
アミーバが勝手に動くこと
機械で意識を発生させる?
あたしなど、これから花がひらく瞬間を観察していしことがある
BOC
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自発的に動きだすジェリ
「例えばさ」セァラが言いつ。「微生物とか、単細胞生物とか、植物とかがあっじゃん」
「いきなり何を言うのよ、セァラ?」青葉が言いつ。
「脳のない生物のことだよ」
「へーえ」
「ほかにも、体のあらゆる細胞や、赤血球、白血球、血小板、そして、卵子や、精子なんかもあるよ。魚類や鳥類や爬虫類の卵なんかも、そうだよ。卵て、単細胞生物なのよ。受精卵なら、しだいに多細胞生物になりてゆくけどね」
「それで?」
「うん、それで、これらには、一般に意識はないと考えられているので、従来の考えかたによると、これらてまさしく哲学的ゾムビということになるよ」
「なんの話?」絵理が言いつ。
「哲学的ゾムビの話だよ」
「今さら哲学的ゾムビがどうだと言うのよ?」
「いやいや、これまで、あたしたち、あまりに根を詰めて話してきつので、憂さ晴らしのようなものだよ」
「哲学的ゾムビが憂さ晴らしになるわけ?」
「なるのよ」
「ふーん。じゃあ、やりてみれば?」
「あんたらも調子を合わせないといけないよ」
「ほう。じゃあ、哲学的ゾムビて、存在するわけ?」
「そうだよ。ここからは哲学的ゾムビが存在するという前提で憂さ晴らしをするのよ。脳がなければ、意識なく、意識なければ、哲学的ゾムビなのよ、これまでの考えかたによれば。とても信じらんないけどね。でも、あたしたちだて、本質的に哲学的ゾムビなのよ、意識を除外して。なぜって、哲学的ゾムビと同様、人間が能動的かつ生産的に動けていることの根拠て、まだ丸きり説明されてはいないから」
「ふーん、そいつは知らなかりき」
「すると、哺乳類の胎児さえもが、受精卵からはじまり、脳がまだ稼働しはじめる前までは、哲学的ゾムビなわけなのよ」
「ええ? 胎児が哲学的ゾムビなわけなわけ?」
「そうだよ。哲学的ゾムビが自分で自分の体を形成してるのよ、まじで」
「そうりゃ、えらいこっちゃ」
「でも、そうすると、植物も哲学的ゾムビになるよ。面白いよ、植物も哲学的ゾムビなりきなど。哲学的ゾムが、きれいな花を咲かせるとか、実を結ばせるとか、種をばらまくなどて、思いもよらないよ」
「ああ、面白いよ」青葉が言いつ。「石膏に、意識が芽生えるとか、観念と知能が発生するとかいうのに、近いよ」
「すると、ここで」セァラが言いつ。「哲学的ゾムビには意識が発生していず、かりに意識が発生していつにせよ、自由意志まで具わりてはいない、という前提のうえで、超高級な物質である哲学的ゾムビにも、観念処理を果たすことができるのではないか、という強い期待が生まれるのよ」
「なるほど」
「すると、ここで、あたしが読みしSFのことが強く思いだされることになるよ」
「そうなわけ?」
「そうだよ。あたしが読みしSFのなかに自発的に動きだすジェリが登場していつのよ」
そしてセァラは続けて詠みつ。
そう言えば、あたしが読みしSFに自発的ジェリが登場してたよ
「ええ? 自発的に動きだすジェリ? なに、それ? そげなものがあるわけ?」
「うん、あるのよ。ここでまたもや登場するけど、ポルスカのSF作家のレムさんが書きしSFで、たしか『天の声』という本なりきと思うけど、その中で、このユーニヴァースのどこか遠くの惑星系から届きし電波信号に符号化されていし情報にしたがい化学合成して作られしジェリ状の物質が、もぞもぞ勝手に動きだしつのよ」
「へーえ、そうなんだ? なんか変な感じだよね?」
「そうなのよ。えらい変な感じがしつのよ。そこの部分を読みしとき、ほんとに、ほんとに、あたし、生まれてから一度も感じしことがないような超奇妙な感覚に襲われて、気が遠くなりてしまいつのよ。なぜってジェリが勝手に動きだしつのだから。おっと……」
「どうしつの、セァラちゃん?」絵理が言いつ。
「いま、あたし、急に頭がクラクラしつの」
いま、あたし、急に頭がクラクラす、ジェリが勝手に動きだしつので
「へーえ」絵理は心から感心せしよう言いつ。「おっと……」
「どうしつの、絵理ちゃん?」セァラが言いつ。
「なんか、あたしも、いきなり目眩がしつのよ。イメジのなかでジェリが勝手に歩きだしつのよ」
なんか、吾も、急に目眩に襲われつ、イメジのジェリが歩きだしつので
すると青葉も「おお……」とふかく感動せしよう言いつ。
「どうしつの、青葉ちゃん?」絵理が言いつ。
「どうも、こうも、俄然あたしも目が眩みつのよ。なんか凄いよ。イメジを思い浮かべしだけなのに」
どうも、こも、俄然あたしも目眩しつ、ジェリが勝手に踊りだしつので
「そうなのよ」セァラが言いつ。「凄いのよ。イメジを思い浮かべるだけでクラクラするんだから。こげなこと、普通、ありえないのよ」
「じゃあ、すごい作家じゃないの、そのレムて作家て」絵理が言いつ。「文章だけで、あたしたち読者の眼を眩ませるんだから」
じゃあ、すごい作家じゃないの、レムさんて、文章だけで眼くらませるから
「でもあんたはまだ読みていないじゃないの」
「おんなじよ。それに、そもそも、ジェリが勝手に動くというのが、すごい異常じゃないの」
「そりゃ、もちろん、異常なのよ。だって頭がクラクラするんだから」
そりゃ、もちろん、えらい異常なことなのよ、だって頭がクラクラするから
「そうなのよ」青葉が言いつ。「それくらい異常なことなのよ、物質が物理法則に逆らい勝手に動くというのて」
「じゃあ」絵理が言いつ。「そのレムさんて、凄いだけじゃなく、すごい異常なことも書いていしわけだ?」
「そりゃ、SF作家だから」セァラが言いつ。「SF作家て、平素から、常日頃から、科学的にみて異常なことを考えているようせねばいけないのよ。そういうのを書くよう心がけていないといけないのよ。じゃないと、SFになんないからね」
平素からSF作家は科学的に異常なことを考えるべし
「ふーん。でも、よくよく考えると、必ずしも異常なことではなかりし可能性もあるよね?」
ふーん、でも、考えるなら、それほどに異常なことでもなかりきのかも
「どうして?」
「そのジェリて、ただの物質ではなかりきかも知んないからね」
「ほう」
「つまりね、その電波に符号化されていし情報て、ジェリ状のアモーファスな生命体を化学合成するための処方箋なりきのかも知んないのよ。アミーバのような生物なりきかも知んないな」
「へーえ」青葉が感心せしように言いつ。「絵理てすごい突飛なことを言うじゃん。あんたもなれるよ、SF作家に」
へーえ、絵理、えらい突飛なことを言うじゃん、あんたもなれるよ、SF作家に
「あたしじゃないよ。そのレムさんが肚のうちでは実はそういう斬新なことを考えていつ、ということなりきかも知んないのよ。だから、異常なりきのではなく、むしろ、新しいアイディヤなりきかも知んないよ。テクノロジの新規性なりきのよ」
「まあ、そうかもね。命を具えているジェリ状の物質を化学合成する、というアイディヤね。そのジェリ生物のジーノウムを合成する手順書なりきのかもね。えらい面白いじゃん、アミーバを化学合成しちゃうなど、ただの物質みたく。できるかもね」
「できるかも」
「ちなみにさ」セァラが言いつ。「『天の声』にはクラクラすることがもう一つ書いてありし筈なのだけど、思いだせないのよ」
「へーえ、なんか残念ね」絵理が言いつ。「めくるめくよなクラクラをモーア感じていたかりきのに」
「じゃあ、よければ、あんたたちも読みてみればいいよ」
「まあね。そのうち機会があればね。で、なんの話をしてたんだけ?」
「目眩の話をしてたのよ」
「どうして目眩の話になりしわけ?」
「そりゃ、ジェリが勝手に動きだしつから」
「なんで動きだしつの?」
「そりゃ、あたしが言うたから」
アミーバが勝手に動くこと
「じゃあ、生物も物質だけれど」青葉が言いつ。「でも、生物という物質に、ただの物理的な動きを超える能動的かつ生産的な振舞ができるていうのて、すこぶる不思議なことなのよ。不思議でしょ?」
「ええ? ちょっと待ちて」セァラが不審げな顔で言いつ。「不思議? どこが?」
「ええ?」青葉は意外げな様子で言いつ。「だって不思議やないの、物質が勝手に動いているんだから。いまも言うてたやないの、ジェリが勝手に動くというのて極めて異常なことなんだて」
物質が勝手に動くというのはね、極めて異常なことなのよ
「いやいや、いまの話のジェリてただの物質ではなかりきのよ。アミーバ状のアモーファスな生物なりきのよ。言わば、哲学的ゾムビのジェリ版なりきのよ。ジェリ状の哲学的ゾムビなりきのよ。無意識生物なりきのよ。動けて当たりまえじゃないの」
アミーバて、ただの物質ではないよ、じぶんで動けて当たりまえじゃん
「うむ……。いやいや、うまくは言えないけれど、アミーバが勝手に動くというのて、本質的には、きわめて不思議なことなのよ。なぜって、生物ではありても、物質が、物理法則に逆らい、じぶんの好き勝手に振るまうというのは、まさに物理法則に逆らうということだから」
「なに言うてんのよ、青葉? あんた、自分で言うてたことを否定するわけ?」
「いやいや、あたしにもうまくは説明できないけれど、物質たる生物が物理法則に逆らいているていうのて、きわめて重要なことなのよ」
「そうじゃないじゃん。生物が物理法則に逆らいているかどうかて、分かんないじゃ」
「いやいや、生物だて、そとから客観的に見しばあい、全体としては、ジェリ状の哲学的ゾムビと同じようにただの物質なのよ。内側がどうなりていようとね。内側のことは一切問わなく、生物のからだ全体をひとつの物理的な系とみて、ブラク ボクスと見れば、その系の全体は間違いなく物質なのじゃ。すると、そのシステム全体は、物質として、物理系として、かならず基本相互作用に従いていなくてはいけないことになるじゃ」
「へーえ」
「ところが、生物は、なんでか知んないけれど、見掛けじょう、運動の第1法則いわゆる慣性の法則に違反して、勝手にもぞもぞ動き、好き勝手にがさごそ動きまわりているわけじゃ。物質て、外部から何らかの力をうけて、基本相互作用に巻きこまれない限り、自分からは決して動きだせないのに、力学的に見しばあい」
「ほーお」
「だから、遠くの、よその惑星系から、恒星船にのり、えんやこらと遣りてきしロウボトゥ星人さんたちが、地球上で、いろいろな姿かたちをせし、なんかジェリのような柔らかげな物質たちが、好き勝手に動いているのを見たら、驚きのあまりに、びっくり仰天、腰ぬかしちゃうじゃ。なぜって、物質が物理法則に逆らいているんだから」
遠くからロウボトゥ星人やりてきて、びっくり仰天、腰ぬかしちゃう
「あたしなど」絵理がおっとり言いつ。「まだ保育所に通いていしとき、動物さんたちや人間たちが好き勝手に動きまわりているのを見、不思議で不思議でならなく、知恵熱が出てしまい、眠れなくなりてしまいし夜な夜なが、幾夜も続きしことが、ありきじゃ」
あたしなど、不思議でならなく、保育所で、不眠の夜な夜な幾夜も続きぬ
「へーえ」青葉が感心せしよう言いつ。「絵理てすごいいいセンスしてるじゃん。保育所でそげなことを考えていつなど」
へーえ、絵理、すごいセンスをしてるじゃん、保育所でそれ考えつなど
「ほんと?」セァラが疑わしげに言いつ。
「もちろん本当なのじゃ」絵理が言いつ。「とは言うても、保育所で考えていしわけでもないけどね。保育所て結構いそがしいからね」
保育所で考えていしわけでもない、保育所なれど忙しいので
「お昼寝の時間はどうしていつの?」
「ああ、お昼寝の時間にはね、考えていつじゃ。なぜって、眠れないんだもの。だから、一応、先生を安心させるため、横になり、お眼めつぶりて、すやすやおねんねしている振りはしがなら、その実、心のなかでは、『ああ、ふしぎだよ、ふしぎだよ』と思いつつ、ふかく思い悩みていつじゃ」
眼をつぶり、横になりつつ、悶もんと思い悩みていつのよ、あたし
「なるほど。なるほど。あるいは、または、じぶんでは目覚めている積もりでいながら、実は、そういう夢を見ていしだけなりき、という可能性もあるんじゃない? 胡蝶の夢みたく。夢のなかで『ああ、ふしぎだよ、ふしぎだよ』と思いながら」
目覚めてる積もりでいつつ、夢なかで『ふしぎ、へんよ』と怪しみつかも
「まあ、そうかもね。いくら考えても答えが出なく、じわじわ苦しくなりてくる観念的な夢て、たまにあるからね。眠れない夜な夜なもそうなりきかも」
悩みても答えが出なく、じわじわと苦しくなれり夢てたまにある
「どちらでも同じじゃないの?」青葉が言いつ。「いずれにしても、不思議と思いていつんなら」
「まあ、そうね。いずれにしても、不思議と思いていつからね。それに、いま、お休み中にただ夢を見ているか、夢なかで更に夢を見ているのかて、なかなか判断できないじゃ。とくに子供のうちて。リアリティて、その程度のものなのじゃ」
なかなかに判断できない、夢なかで夢を見てるか、ただ夢見ているか
リアリティてそげな程度のものなのよ、夢を見てるか分からないので
「答えは出つの?」セァラが言いつ。
「答えなど、出るわけないよ。まだ保育所の頑是ない児童なりきから」
答えなど出るわけないよ、保育所のまだ稚けない児童なりきから
「でも、絵理ちゃん」青葉が言いつ。「あんた、音楽の先生だけじゃなく、物理の先生にもなれっじゃん」
「あたしに物理は無理じゃ。あたしなど、ただの小娘だしね」
「まあ、頑張ればいいじゃ」
「じゃあ、青葉」セァラが言いつ。「それで、どうだと言うの?」
「つまり」青葉が言いつ。「生物という物質に、物理法則に違反しているよう見える能動的かつ生産的な振舞ができるていうのて、すこぶる不思議なことなのだ、ということなのよ。ふつうは誰もこげなことは考えないけどね」
「それがどうかしつの?」
「つまり、物理学の眼から見ると、生物という物質が見掛けじょう物理法則に違反して能動的に動いているよう見えるていうのて、理解に苦しまざるを得ないことなのよ」
「へーえ。でもさ、機械やロウボトゥのように、そうできるだけのシステムがきちんと組みあげられてさえいれば、不思議でもなんでもないじゃん」
「それは人間が作りし機械だからだよ。でも生物という物質は自発せしはずなのよ。自発せし物質が、そういう、高い精神性と能動性と生産性を内包していると強く推測されるシステムを自分で組みあげつのよ」
「それで?」
「それで、そういうことて、ふつうの感覚では極めて不思議なことなのだ、ということなのよ」
「ああ、つまり、生物の能動性と生産性が不思議なのだ、と言いたいわけだ、あんたて?」
「まあ、そうかもね」
「だれも不思議と思いていないから?」
「そうなのよ。これてたいへん不思議なことなのよ。あたしは声を大にして言いたい。これてはなはだ不思議と思わなくてはいけないことなのよ」
「でもそれでどうなわけ? そげなことを思いていると、なにもできなくなるよ」
「物質にたかい精神性が自発するて大変ふしぎな事なので、じつは不思議でないことを、説明する必要が、あるのよ」
「それてさっきのイシューのことじゃん」
「ああ、そうかもね」
機械で意識を発生させる?
「じゃあ、いきなりだけど」絵理が言いつ。「機械では意識は発生させられないの?」
「ああ、機械で意識を発生させるわけ?」セァラが言いつ。「そんなの簡単じゃないの。機械で生物を作ればいいのよ。そうすりゃ、意識も自動的に発生するのよ、この宇宙では」
「機械で生物が作れるわけ?」
「生物て、その正体は哲学的ゾムビでありて、哲学的ゾムビて超高級な機械なのよ。そして、生物も、哲学的ゾムビも、機械も、みな物質なのよ。だから、原理的には、機械でも生物は作れるのよ」
「なんかインチキ臭い気がするけどね、そういう考えかたて。統合波動の創発はどうするわけ?」
「そりゃ、まあ、簡単にはいかないけどね。なにしろ散逸構造を形成しないといけないからね」
「どうすりゃ散逸構造を形成できるわけ?」
「そうね、化学反応を起こせばいいんじゃないの? 化学反応を起こし、より秩序の高い物質を合成すればいいのよ」
「ああ、化学反応ね。じゃあ、ビーカァや試験管やフラスクのなかでより情報量の多い物質が合成されている場合、そこではエントゥロピが部分的に減少していると推測されるから、そこも暫くは散逸構造になり、そこでもう何らかの想像を絶する意識が発生している、ていうことに、なるんじゃないの?」
「ええ?」セァラがびっくりせしように言いつ。「ビーカァや試験管やフラスクのなかで意識が発生してるう?」
「理論的にはそうなるよ」
「ほう……、そうかなあ? でも、そないに気軽に考えてもいいのかなあ? そう簡単にはいかない気がするけどね」
「て言うか、気軽に考えているて、セァラだよ。でも、そうすると、情報量の多い物質を製造している化学工場でも、そのかんは意識が発生していることになるよ。けっこう大きな意識だよ。製造装置の大きさくらいのね」
「ほう、化学工場に大きな意識が発生している……。嘘みたい」
「たとえばさ、石油の精留塔なら、各種の成分が分離され、たかい秩序が齎されている筈だから、その精留塔の大きさくらいの意識が発生していて、それが超絶の精神生活を営みているのよ」
「そげなアホな。これでいいわけ、青葉?」
「よく分かんないよ。考えしことがないからね」素っけなく青葉が言いつ。
「化学反応てエントゥロピ生成が減少するわけ?」
「それも分かんないよ。でも、情報量が増えて、より高い秩序が形成されていれば、少しくらいは減少してるかも知んないね。て言うか、あたしなど、エントゥロピの計算などせしことないのよ。計算の仕方も知らないよ」
「まあ、気持ちは分かるけどさ。でも、なんかいい加減だよね、青葉も」
「て言うか、実を言うと、エントゥロピの話も妙に分かりづらいものがあるのよ、意識の話と同様。きっと、物理学や熱力学や情報理論の先生だて、エントゥロピのことについてはそれほど詳しくないのじゃないのかな。明解な説明てあまり見しことないのよね」
「そげなことを言うていいわけ?」
「さあね」
「じゃあさ、仮にエントゥロピが減少する化学反応があるとして、それが起こりている間て、超絶の精神生活を送りている巨視的な意識が発生しているわけだ?」
「そうね、そういう化学反応を起こすだけで巨視的な意識が発生すると期待するて、ファンタシにすぎないかも知んないね。どうしてかと言えば、意識を、巨視的なダイナモクワンタムでなく、微小なバイオクワンタムとして発生させるには、少なくとも、物質的な世界でのダイナミクな物理的秩序の形成を阻止する必要があるからなのよ」
「へーえ」絵理が言いつ。「でもさ、普通の化学反応では別にダイナミクな秩序は形成されないのではないの?」
「よく分かんないよ。化学反応とダイナミクな秩序の関係など、たぶん誰も考えてはいないよ。気にするのは化学的な生成物のほうだから。ベロウソフ ジャボティンスキー反応のばあい、たまたま眼にみえるダイナミクな秩序が形成されつので、そのまま散逸構造てことになりぬけど、でも、ひょいとすると、そのほかの化学反応でもダイナミクな秩序は形成されているかも知んないよ。眼には見えないかも知んないけどね。て言うか、そもそも、ダイナミクな秩序て、どういうふうに判定するのか分かんないよ」
「エントゥロピ生成速度が減少するかどうかで判断するんじゃないの?」セァラが言いつ。
「ああ、なるほど」
「じゃあ、エントゥロピ生成が減少する化学反応のばあい、そこではダイナミクな秩序も形成されている可能性があるわけだ、眼には見えないにしても?」
「かも知んないね。試験管のなかとは言えど、人間が起こす化学反応て集合的なものなのよ。だから、それだけで、もう、ダイナミクな秩序は形成されてしまう可能性があるよ。分かんないけどね」
「じゃあさ、細胞で散逸構造が形成されて、統合波動が副次的に創発するて、お釈迦になりてしまうんじゃない?」
「そうかな?」
「ここまでの苦労が完全に水の泡じゃん」
「まあ、そこなのだけど、細胞のなかでの微視的な化学反応て、試験管のなかでのような集合的なものでなく、言わば手作りの化学反応と思われるのよ。DNAが元になる化学反応も、その他の化学反応も」
「ああ、手作りの化学反応」
「うん、細胞内での化学反応てまちがいなく超精密な手作りなのよ。この原子はここにくっつけて、あの原子はその隣にくっつけて、という風に。なにしろ、核酸には、DNAだけでなく、RNAもあるし、DNAとRNAの他にも、より細かな働きをする小型のRNAも幾つかあるそうだから。細胞では、これらの物質が緊密に連携し、協調しながら、化学反応をひとつずつ地道に手堅く起こしているのよ。こういうことが、集合的な化学反応とは決定的に異なるわけなのよ。
そして、細胞のなかで化学反応は一つ一つが地道に手作りされるので、複数の要素によるダイナミクな物理的秩序て、形成しようにも形成できないはずなのよ。それで散逸構造としては、代替として、観測できない波動群を要素としてダイナミクな秩序を形成する他はなかりきのに、違いないよ」
「ああ、そういうこと」
「じゃあさ」絵理が言いつ。「化学反応を一つ一つ手作りするようなマシーンを作ればいいのよ。つまり、全体をナノマシーンで構成するわけ。DNAを設計し、合成し、それに、必要な全てのものを手作りさせるのよ」
「それて、要するに、生物を創造するていう話じゃん」
「ああ、そういうことになるんだ?」
「もちろんだよ」
「じゃあ、いま一つだよね、いまの案は」
「そもそも生物て物質であり超やわらかなマシーンなのだから、マシーンで意識はもう発生してるのよ」
「て言うかさ」青葉が言いつ。「水を差すようで、ちょっと悪いけど、化学反応が集合的であるか、はたまた、手作りであるかて、あたしの解釈でしかないのよね。それに、そもそも、散逸構造ではダイナミクな秩序が必ず形成されなくてはいけないか否かて、あたしは知らないのよ。それでも、ダイナミクな秩序が必ず発生するとして、意識になりうる統合波動を創発させうるのは、散逸構造のうちでも、物質的な秩序を形成できないタイプの散逸構造しかなかろうと、予想しているだけなのよ」
「今更そげなことを言うていいわけ?」
「まあ、正直に言えば、そういうことなのよ。実証されてはいないから。予想でしかないからね」
「どうすれば実証できるわけ?」
「実証はできないかも知んないけれど、散逸構造ではダイナミクな秩序が必ず形成されなくてはいけないか否かが明確になれば、多少の前進とは言えるかもね」
「どうすれば明確になるわけ?」
「さあね。もう明確になりている可能性もあるよ。分かんないけどね」
「じゃあ、すこしアプロウチを変えるとして」絵理が言いつ。「コムピュータァやFPGAやLSI(Large Scale Integrated Circuit)やUSB(Universal Serial Bus)やMT(Magnetic Tape 磁気テイプ)などのようなハードゥウェアァで意識は発生させられないわけなわけ?」
「そうだよ」セァラが言いつ。「そういうものでは意識は発生しないのよ。いくら精密なものであろうともね。ただの機械や物質では、化学反応が手作りされていず、エントゥロピが決して減少しないからね」
「そうなわけ、青葉?」
「多分そうだよ」青葉が言いつ。「電子機器に電子が流れるだけでは、宇宙のエントゥロピは増大するばかりなのよ。電子て、超小さな素粒子であり、電子回路にいくら大量の電子が流れようと、それらは完全にバラバラの電子のままに留まるのよ。そして波動の創発は決して起きないのよ」
「ああ、そうなんだ。なんか、残念だよね?」
「そうかな?」
「そうだよ。マシーンに人間の意識を転写して、壮大な宇宙探検に出かける夢がなくなりてしまうじゃん」
「まあ、気持ちは分からないでもないけどね」
「VR(virtual reality)を体験したり」セァラが言いつ。「マシーンに転生して長生きしたりする夢も、なくなるよ」
あたしなど、これから花がひらく瞬間を観察していしことがある
「ところでさ」セァラが言いつ。「意識がないと見しばあい植物て哲学的ゾムビだけれど、あたしなど、これからまさに花がひらくという瞬間をじいと観察していしことがあるよ」
「なんの花?」青葉が言いつ。
「名前は分からないのよ。ただの野草なりきから」
「じゃあ、どんな花?」
「それがね、ただの草とは思えないくらい、すごい上品な花なりきのよ。少しこぶりで、うすい黄色一色で、わずかに透き通りている感じがありきよ。本体の草のほうはただの草なりきのだけれどね。あないな草にあげな花が咲くなど、とても信じらんなかりきよ。えらい清楚でとても可憐な花なりしわけ」
「へーえ」
「ある日、ある時、ある時刻、あたして、吹きさらしのブリークな河原にい、葦の藪に面壁しながら、しかも、つよい風にビュンビュン煽られもしながら、生存の根本的な目的のなさと、無意味さ、そして、生物の無力さなどにつき、ふかい物思いに耽りていつのだけど、ふと気がつくと、ちかくの草むらに黄色い花がいっぱい咲いていつのよ。
『あれ? さっきは花など一つも咲いていなかりきのに』と不思議な気がし、しいて見てみると、まさにこれから咲きだしそうな蕾がまだ幾つか残りていて、『ああ、あたしが深くコンテムプレイティンしているあいだに咲きつのね』と思いなされしわけなわけ。
それで、『よし、じゃあ、これから、ちょいと、この蕾のいのちの躍動を観察しててやれ』と思い、じいと見はじめしその途端、ひとつの蕾のどこかがパチンと言いて外れし感じがし、そして、その蕾がブルンと一回身震いして、なかの黄色い花の部分がわずかに動きつのよ。弾けし感じなりきよ。
そして、それからは、あいだあいだに少しずつ時間をおきつつ、その蕾は量子跳躍的にじわじわじわじわ開いてゆきて、ハッと気がつきし時にはもう開花は完了してしまいていしわけなわけ。吹きさらしの荒涼とせし河原でね。
ほんの十分足らずの出来事なりきよ。花の命の大いなる神秘でも見られるかと思い期待してたんだけれど、意外にあっさりしていつよ。花て、だれに知られなくとも、勝手に咲いてしまうのかもね」
「そうね。普通は勝手に咲いちゃうね、だれも見てなどいないから」絵理が言いつ。「でも、その時は、あんたがそこに来ていつので、強いて予定を繰りあげ咲きつかも知んないね。風が強かりきので、今日はやめ、明日あたりにでも咲く積もりでいつのだけど、『おや? なんか感覚あるらしい変な動物みたいなのがすぐ近くに来ているみたいだぞ。じゃあ、折角だから、ひとつ、いま咲いて見せてやるか』と思い。植物て、哲学的ゾムビかも知んないけれど、意外に感応性があるのよ。生きているからやはり何かを感じるのかな? だから、『ねえ、これから見事に咲いてみせるからさあ、見ててよ、見ててよ』て言うていつのよ、その花たちは」
折角だ、動物きたから、ひとつ、いま、見事に咲いて見せてやろうか
「そうかもね」
「なんか、植物にも意識があるようなことを言うているけどね、あたしたち」
「もちろん、植物にも意識はあるのよ」青葉が言いつ。
「とても信じらんないよ」セァラが言いつ。
「だから、大したものなのよ、植物も。実際には物質だけでそういうことを遣りているんだから。物理的秩序形成力が根源的な原動力だから」
「ちなみにさ」絵理が言いつ。「さっき、セァラて、生存の根本的な目的のなさて言うていつけれど、目的と言えるようなものて、必ずしもないわけでもないんじゃないの?」
「そうかな?」セァラが言いつ。「どういう目的?」
「つまりさ、散逸構造の物理的秩序形成力が生物の能動的かつ生産的な動きの原動力だから、どげなものであろうとも、要するに物理的秩序を形成することが、生物という特殊な物質の根源的な目的なのではないの? 目的て、根本的には、物理的秩序形成力の働き、もしくは、それが働く方向のことなのよ」
「ああ、なるほど。生物の動きて、すべて、物理的秩序形成力が齎しているからね。生物の動きて、個体ごとに千差万別だけど、どれもが、個体ごとに固有の物理的秩序の形成になりているのだ?」
「まあ、恐らく、そうだよ。生物が、どげなことをしようとも、どげな愚かな振るまいをしようとも、どれもが、全て、その個体にとりては、物理的秩序の形成ないし維持にあたるのよ」
「なるほど。生存て、根本的には、物理的秩序の形成と維持なのだ? 生物て、根本的には、それを果たすため、毎日、毎日、じたばたしているわけなのだ?」
「まあ、そうかもね」
BOC
「ちなみにさ」セァラが言いつ。「話はまただいぶん変わるけど、例えば、『意識のはじまり』というのを、英語で言うとすると、"The Beginning of Consciousness"になるのよ?」
「ええ? なんのこと?」絵理が言いつ。
「だから、意識のはじまりて、"The Beginning of Consciousness"になるのよ」
「それがどうかしつの?」
「つまりね、無理やりこれのアクロニムを取ると、BOCになるわけ」
「なあんだ、そげなこと。でも、それて、さっきのBlue Oyster Cultと同じじゃないの」
「うん、そうなのよ。同じになるのよ」
「へーえ、なんか奇遇じゃないの。へーえ」
「おお……」青葉が突如いたく動かされしように言いつ。
「どうしつの、青葉ちゃん?」絵理が言いつ。
「なんか、あたし、いきなりまたクラクラしちゃいつのよ。だって、今のて、すごい不思議な巡りあわせなりきから」
「おっと……」
「どうしつの、絵理ちゃん?」青葉が言いつ。
「あたしもまた立ちくらみがしちゃいつのよ。だって、今のて、えらい不思議な奇遇なりきから」
「そんな、アクロニムの偶然の一致など」セァラが阿呆くさげに言いつ。「クラクラするほどのことではないよ」
「でもさ、三文字のアルファベトゥの組みあわせが一致するなど、そう簡単には起こらないよ。だって、アルファベトゥが二六文字で、これから概算すると、三〇×三〇が九〇〇で、九〇〇×三〇が二七〇〇〇になるのよ。およそ三万分の一の確率で一致しつのよ。こげなこと、ありえないよ」
「まあね。そこまで計算しつんなら、かなりのシンクロニシティとは言えるかも知んないけどね。ちなみに、また言うちゃうけれど、BOCて、Be Occultとも言えるけどね」
「そうだよ、そうだよ。Be Occultなわけなのよ。クラクラするのも、むべなることなのよ」
「まあ、勝手にクラクラしてたらいいよ、あんたたち」