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意識のはじまり  作者: 安田孫康
12/58

12章 自由意志




    (この章は書きなおす予定です)




【概要】自由意志の可否などにつき理論的な観点から三人が鳩首密談する。


        …………………………………………


【小見出しの目次】


生命

機能は物質により体現される

意志の根本的な目的

生物の動きは、物質による自分の状態の果てしない更新でしかない

上位の量子は、下位の構成要素の量子群には介入できない(証明)

神頼みのようなもの

自由意志の要件(暫定版)

自由意志は、初期入力をうけて思索に耽りはじめる

思考動作は物質により果たされる

自由思考は存在しない

自由に考えているという印象の原因

より高度な思考アルゴリズムの他律的な形成の可能性

自由に考えるということの意味

自由思考は存在しない(まとめ)

別種の自由意志の可能性

細胞での思考

自由意志の要件

自由意志は存在しない(証明)

自分の動作アルゴリズムを自分で直接に変更できる機能は存在しない


        …………………………………………


    生命


「じゃあ、青葉」セァラが言いつ。「このへんで生命のことが問題になると思うけど、生命の特徴てどういうものなりき?」

「ああ、生命の特徴?」

「そうだよ」

「あれはまだ暫定的なものなのよ」

「かまわないよ」

「じゃあ、言うよ。ひと組めて、物質とエナァジの自発的な新陳代謝の持続なのよ。そして、そういう新陳代謝が自動的に稼働しつづける仕組みが物質により形成されていることも」

「ふた組めは?」

「ふた組めは、精神性と、物理的な能動性と、気まぐれさなのよ」

「三組めは?」

「三組めは、物理現象であるということ。期限つきの持続性・可変性・減衰性・残響性・残像性、とも言えるよ。これらて物理的な特徴なのよ」

「四組めは?」

「四組めが、徹底的な可変性のこと。

 そして、五組めが、果てしなさや無期限性のことなのよ。

 そして、六組めが、物質とエナァジの新陳代謝による、体という物理的な秩序の、自発的かつ建設的な形成・運用・修復・解体などのことなわけ。エントゥロピ生成の減少や、情報量の増加とも、言えるよ。こういうことを自力で遂行しつづけられる物質組織でなければ、意識が発生する生命体には決してなれないのよ」

「うん。その次は?」

「そして、七組めが、生命て、恐らく、物質の化学反応により齎されているだろう、ということなのよ。より正確には、細胞内部でのエナァジの発生を根本原因として形成される散逸構造の効果により創発する、ということだけれど」

「ああ、そう」

「そして、これまでの論証の成果にしたがい、特徴をひとつ新たに追加させてもらうなら、八組めの特徴として、生物の物質により散逸構造が形成されることと、その物理的秩序形成力により巨視的な軟質の波である観念的な統合物質基本機能体現波動が創発することも、ほかには類を見ぬ、超重要な特徴と言えるよ。要するに、意識がかならず発生するということだけれど。大袈裟なことを言えば、意識が生命の同義語とさえ言えるよ。生命て、意識のことなのよ。または、そこに意識が発生していることが、そこに生命が宿りているということなのよ。そこに意識が発生している状態が、生物が生きているということなのよ。そして、この意識すなわち統合機能波動て、細胞内でエナァジの新陳代謝が断続的に継続されることで、波の重ねあわせの原理にしたがい、いつまでも持続するのよ」


「なるほど」セァラが言いつ。「ふた組めの精神性て、その通りよね。少なくとも、意識には、モニタァとインタァプリタァと影の側面があるからね。そして、物理的な能動性は、現在のところでは、ほぼ否定されてしまいつよ。自由意志もないし。ただ、意識が体の物質の動きに深く関与していることは、判明しつのよ。能動性まではないにせよ。そして、自由意志もないにせよ。そして、気まぐれさだけれど、これはどうして?」

「うん、気まぐれさて」青葉が言いつ。「要するに、徹底的な可変性と同じなのだけど、物質の動きが、この物質世界の徹底的な偶然性と不確実性にとことん左右されていることの、結果なわけなのよ。そういうことが、意識に自由意志が具わりていると見しばあい、むら気に見えるのよ。偶然性と不確実性のほかに、化学反応レヴェルの蓋然性ていうものもあるけどね。この蓋然性が、自由意志と主体性の種なのよ」

「ふむ? 今ひとつ説得力がない気がするけどね」

「そうかな?」

「そうだよ。物質の動きが偶然性と不確実性に左右されているて、場合によりてはそういうこともあるかも知んないけれど、いつもではないんじゃないの? むしろ、あたしたち、けっこう主体的に生きているよ」

「うん、主体性はあるのよ、ニューロン網には。物理法則への違反を疑わせる動きのパタァンが形成されているゆえに。でも、そのうえで、あたしたちや物質の動きて常に偶然に左右されているのよ。偶然性と、そして分布性て、この世の大原理なわけなのよ」

「ふむ?」

「偶然のことについては、機会があれば詳しく説明するよ。偶然の分類も」


「いやいや」絵理が言いつ。「いま説明しなさいよ、偶然のことは。簡単でいいからさ」

「うん。じゃあ、言うよ」青葉が言いつ。「具体的なことを言うと、細胞内外の環境がまさに偶然世界なのよ」

「そうなんだ?」

「そうなんだよ。ジーノウムを核として、細胞て、超精妙な化学工場だけれど、でも、いま、現在、分かりていることだけから判断すると、厳密な生産管理(product management)が絶対できないところなのよ。なぜって、物質て、ゲイジ粒子のお節介な放送と交換に起因する相互作用に巻きこまれない限り、絶対に動けないからね」

「うむ」

「もしも、これが、完全に生産管理のできている全自動の工場でありゃ、偶然は発生しないに等しいのよ。そして自力で自主的に操業を続けられるのよ。故障というコンティンジェンシが発生しないかぎりはね。

 でも、生物のばあい、そうはいかないのよ。細胞には、ジーノウムをコーアァとして、超複雑な化学反応機構がプロウグラムされてはいるけれど、でも、まず、資材の調達が、細胞の管理下にはなく、完全に細胞外部の環境にお任せするしかなくて、偶然の手のうちにあるのよ。細胞内での資材の移動だて、偶然に強く左右されている、と、まずは推測されるしね。ただ、細胞内での物質の動きて、きちんと制御されている可能性もあるよ。これは強く期待されることだよ。

 すると、現在の知見から判断するに、工程管理もできないことになる。相互作用や化学反応は、条件が整えば即座に始まるけれど、その条件の整うということが、完全に偶然の手中にあるはずだから、現状の予想では。

 もちろん、この予想をくつがえすようなことが新たに判明すれば、偶然性はぐうと抑制できるけれどもね。そして、物質の動きがきちんと制御されていることが強く期待されるのよ。生物て能動的かつ建設的に動いているからね。

 生物の動きをもたらす物質の最前線をみると、万事こういう塩梅なのよ、いま分かりている知見だけで評価すると。生物て、偶然性と確率性と不確実性にとことん翻弄されつづけているわけなわけ」

「ほう」

「そして、こういう状況て、脳についても同じなわけなのよ。例えば、なんらかの体の能力や思考能力を高めるために、あるニューロンが、別のニューロンに、いくらシナプスの糸を繋げたいと願いても、外部環境により原料がサプライされない限り、製造は絶対に始められないのよ。製造を開始せしあとでさえ、原料の調達は依然として意のままにはならないはずだしね。

 すると、主観の意識がじぶんの動作や体を意のままに制御したいと願いて幾ら念力を駆使しようとも、肝心のニューロン網は聞く耳を持たん、ということにも、なるよ。そもそも、主観て、どのニューロンとどのニューロンを繋げばいいかすら、知らないはずだしね。て言うか、それ以前に、自由意志で行動するとして、そのためには、どのニューロンとどのニューロンを発火させればいいかさえ、主観は知らないのよ。そもそも、ニューロンがどのような仕組みで発火しているかさえ、主観はまるきり知らないよ」

「なるほど」

「また、こういうことて、心理学の行動主義に現われていると推測されるよ」

「どうして?」

「うん、行動主義によれば、動物の行動て過去の行動に依存するということだけれど、ある特定の動作を果たすためのニューロン発火をニューロン網が自分で望みて反復しつづけてさえいれば、なんでか知んないけれど、脳の可塑性により、望ましい結線が自動的に形成されて、動作に習熟できて、動作がしやすくなる、と思われるからなのよ」

「それで?」

「うん、それで、なんの話なりきかと言うと、たしか偶然の話なりしはずだけど、こういう次第で、この世て徹底的な偶然世界でありて、生物の気まぐれさて、まさに偶然性のシノニムでしかなくて、その結果として、この根底のフォーチュイティが生物の気まぐれさと自由意志に見えてしまう、ということなわけ」

「まあ、細胞の話くらいならね、なんとなく納得できないでもないけれど、でも、今の、フォーチュイティが自由意志に見えるていうのて、飛躍なのではないの?」

「そうかな? でも、動物が、からだの内外の相互作用や外界のあらゆる出来事につねに曝されていて、そういう偶然性がニューロン網につよい影響を及ぼしていることは、事実だよ」

「今ひとつ分かんないな。あたしたちは、て言うか、ニューロン網て、主体的に生きているんでしょ、動作パタァンに従いて?」

「そうだよ。ジーノウムを根本原因として、細胞には化学反応レヴェルの厳密な動作パタァンが組まれているよ。これだけを見れば、細胞て、超やわらかで超精密なマシーンと見られるよ。しかし、たいへん遺憾なことに、ふつうの機械とは決定的に異なり、のべつ偶然に翻弄されていて、プロウグラムされている化学反応レヴェルの相互作用の遂行て、いつも風前のともし火なのよ。現在までの解析によれば。そうではないことが強く期待されるけど。

 そして、こういう状況て、ニューロン網でも変わらないよ。ニューロン網には、動物の動作パタァンや情動パタァンや思考パタァンがしっかり形成されるように、今のところは見えるよ。でも、ニューロン網の内外と体の内外の偶然につねに曝されていて、ある特定のパタァンのとおりには決して動けないはずなのよ。

 つまり、生物のあらゆる動作て、機械や生産管理の専門家から見ると、信頼性が完全に欠如しているわけなわけ。今のところはね。でも、本来的に、そういうものなのよ」

「ああ、そうなんだ?」セァラが言いつ。「でも、まあ、そう言われてみれば、そうかも知んないね。そして、それでも、なんとか、パタァンにしたがう動きは起きるんだ、大小のヴァリエイションを伴いながら?」

「恐らく、そうだよ。余程のことがない限り、パタァンはしっかり動くのよ。そして、それが、あたしたちの主体性てことになるのよ」

「なるほど。ふらついていて、ばらついていて、信頼性には欠けるものの、ニューロン網で形成される動作パタァンが動物の主体性や個性なのだ、ということだ。それは間違いなく個体ごとのものだから」

「そうだよ」

「じゃあさ、そういうものも、生命の特徴と言えるのではないの? 物質により動作パタァンが形成されて、それが疑似的な能動性になりている、ていうことも。これて、物質が徹底的に受動的なものであることを思えば、けっこう重要なことだよ」

「ああ、そうだよ。それも大事な特徴と言えるよ。じゃあ、新しい九組めの特徴になるよ。

 すなわち、厳密な意味での物理的な能動性は、いまの時点では否定せざるを得ない。しかし、物質が、化学反応レヴェルの蓋然性に根本的に依拠しながらも、ジーノウムを中心として、化学反応レヴェルの動作パタァンを形成し、そして、ゲイジ粒子に起因する基本相互作用を超不思議な仕組みにより活用することで、ふつうの意味では決して自然には起こらない物質の動きを発生させているよう見えるていうのて、疑似的な能動性なのでR。代わりの能動性とか、次善の能動性とか、実用的な能動性とも、言えるかも知んない」

「じゃあ、物質て、徹底的な受動性ていう足枷から抜けだして、能動的に動きたかりき、ということなのかも知んないね。それで生物を構成しつのよ」

「うん、そうだよ。物質て、自分で能動的に動きたかりきのよ。そして、これからも動きつづけていたいのよ、きっと」


「じゃあさ」絵理が言いつ。「今度は、生きている、ということについてだけれど、自分の意識がつねに変化していて、しかも、自分の意志でそうしている、という印象が、自分が生きているという思いになりているんじゃないの?」

「うん、そうだよ」青葉が言いつ。

「ほんとは超高級なマシーンでしかないのにね」

「そうだよ。人間て錯覚の塊だから。あたしなど、動作がいつも先走るのに、まだ自分が主人と思いているよ。気づくのに三〇〇ミリ秒程度のディレイが生ぜしところで、なんのその、なんの痛痒もないよ。いま話しているあたしだて、ほんとはニューロン網がごく物質的に動作しているだけの筈だけど、それでもあたしは自分で話していると思いているよ」

「なるほど。青葉て、物質が動かしていしわけだ。機械的に動いているだけなのだ」

「まあ、そうかもね」

「なんでか知んないけれど」セァラが言いつ。「じぶんの体が勝手にころころ動いてて、しかも、いつも同じには動かないし、感じないし、考えないし、振るまわないというような事も、生きているという思いになりているんじゃないの?」

「そうだよ」青葉が言いつ。「体てけっこう勝手に動いているよ、二六時中。そして、自分では絶対に決めてはいないのよ、体が微妙に動いてしまうことに関しては」

「そうだよ。もう勝手に動いてしまうのよ、体がね。指とか、お尻とか、腕とか、足とか、顔とか、目玉とか。運動神経て、自律神経とは異なり、意識的に動かすことができるけど、それでも、常には、自分で勝手に動いているのよ、主観の指示と承認を得ることなしに。なんか不思議な話だよ」

「これは、もう、偶然の物理刺激や相互作用によるコンティンジェンシやフォーチュイティという他はないよ。身体動作だけでなく、精神動作もそうだよ」

「じゃあ、生物て、超高級なマシーンなのだけど、その動作パタァンの表面て、偶然性というフジツボでびっしりと覆われている、ということになるよ」

「そうだよ。そして、その上を、さらに、不確実性ていう船虫がくまなく覆いつくして這いまわりているのよ。それで、生物て、心身ともに、以前とおなじ状態になることが決してないのよ。決して同じではありえないし、振るまえないわけなのよ」

「信じらんないよ」絵理が言いつ。「生物が、偶然に翻弄されつづけている超高級なマシーンだなど。自由意志がないてことも、インクレディブルだけど」

「ただ、体の内部では、偶然を押しのけて、ある程度の制御が果たされていることが、つよく期待されるのよ、意識の静的な介入により。今後の研究に俟つほかはないけどね」

「うん」


「でーさ」セァラが言いつ。「すこし水を差すようだけど、細胞での工程管理について、ここで、あたしの印象もすこし言わせてもらいたいよ」

「ほう、なにかあるの?」絵理が言いつ。

「いやいや、ただの印象だよ」

「うん」

「つまりね、確かに、青葉の言うように、細胞内では、細胞内外の圧倒的な偶然に翻弄されて、工程管理がろくにされてはいないようには見えるよ。でもね、ある程度の制御の達成がつよく期待されることは取りあえず脇に置いといて、ここで極ごく謙虚に見るなら、むしろ、細胞内では、かなりの確かさで工程管理がされている、と見るほうが、より客観的ではなかろうか?」

「ああ、そういうこと?」

「そうだよ」

「まあ、そうかも知んないね。まず、体て、あたしたちの見掛けじょうの自由意志にしたがい円滑に動くよ。また、体のあらゆる部分も、自主的にじぶんを維持管理しているよ。これは、つまり、あらゆる細胞の内部で、そういう円滑な動きを可能にする新陳代謝がかなりの確かさで遂行されている、ということを意味しているのよ。すると、細胞での工程管理て、かなりの確かさで果たされているということが、つよく推測されるよ、セァラの言うように。細胞外でのことには口出しできないにしても。おっと、じゃあ、すると、現実の事実から判断するに、細胞内では、むしろ、工程管理がしっかり果たされている、と結論づけねばならないのではないの?」

「うん、それが科学的な見方というものかも知んないよ」

「じゃあ、どうして、工程管理が欠如しているてことになりしわけ?」

「そりゃ、青葉の図ずうしさに押しきられてしまいつのよ、あたしたち」

「どうなわけ、青葉?」

「ええ?」と青葉は言いつ。

「どうなわけ?」

「ええ?」と青葉はまた言いつ。「そりゃあね、あたしも物理主義者だから、あんたたちの言うことはしっかり分かるのよ。でもさ、工程管理がちゃんと為されているて根拠て、どこにあるのさ? そんなの、どこにもめえねえびゃん。あると言うなら、見せてみなさいよ」

「いやいや、根拠があるから言うているんじゃないのよ。事実を客観的に見れば、そのように判断せざるを得ない、という話なのよ。その線で、証拠を集めていけばいいのよ」

「いやいや、疑いを抱くことも大事なのよ。疑いから始め、その疑いを自ら晴らす、という戦略もあるのよ。そして、こっちのほうが遣り甲斐あるのよ」

「まあ、どちらでもいいけどね。でーさ、青葉として、いまの時点では、どういう見方をするわけ?」

「ええ?」

「あんたの判断を聞いているのよ」

「そうね、仮にあたしが物理主義者なら、巨視的な動作の円滑さを見れば、細胞での工程管理は積極的に遺漏なく果たされていなければならん、と予想せざるを得んかもね」

「その通りだよ。それを解明していけばいいのよ」


「じゃあ、青葉」セァラが言いつ。「また、戻るけど、生物て、簡単に言うと、どういうものと言える?」

「うん、生物て」青葉が言いつ。「簡単に言うと、ジーノウムを核として、自動的に自己形成し、エナァジと物質の新陳代謝を自律的に果たし、エントゥロピの生成を減少させつづけ、散逸構造を形成し、期限を定めることなく可能なかぎり稼働しつづけ、自発的に解体し、修復する方式の、そして、散逸構造を形成しているゆえに意識が創発している、超やわらかな、超センシティヴな、超えいきょうを受けやすい、超高級な、そして、なんでか知んないけれど、とにかく能動的かつ自主的かつ建設的に動きたがる、マシーンなのである、と言えるかも」

「うむ」

「ただ、ジーノウムて必須ではないのよね。ジーノウムがない細胞もあるそうのよ。細胞て、普通はジーノウムが核になりて自発的に自己形成するのよ。だけど、例えば、赤血球て、その製造中にはジーノウムがしっかり働くけれど、完成後は、ジーノウムを始めとする余計なものは細胞外に排出されてしまうのよ。そして、機能が赤血球としての機能だけに特化されるのよ」

「へーえ、そうなんだ?」

「うん、そうらしいのよ。また、血をとめて傷を修復するときに働く血小板て、他者により製造されるものであり、元もとジーノウムは含まれてはいないのよ。これも機能が特化されているわけなわけ」

「ほう」

「だから、これらの二つの細胞て、帰りの燃料を積みてない特攻隊員のようなものなのよ。それでも、エナァジを新陳代謝するための最低限のメカニズムは具えていて、散逸構造を形成していて、生きていて、コンシャソクワンタムが発生しており、それがしっかり静的な機能をはたし、かつ、超絶の精神生活を営みているのよ。ただ、寿命は短いそうだけど」

「ふーん」

「そして、そうすると、ジーノウムて、細胞の製造と解体と修復には不可欠なのだが、平素の定常運用には必ずしも必要ではないのだ、ということになるらしいのよ」

「へーえ、普通は必要ないわけだ、ジーノウムて? でも、そうすると、なんか生命て妙なものになる気がするよ」

「そうかな?」

「だって、赤血球も、血小板も、細胞核がないのに、生きているんでしょ? 寿命は短いにしても」

「まあ、そこなのよ。そこに生命の秘密があるのよ。つまり、こげな風にして自然科学のプロウブでもて精査してきし成果として、生命てそれほど神秘的なものでもないらしいことが、次第しだいに明らかになりてきつのよ。シシファスの岩の例にもあるとおり、自主的に稼働して散逸構造を維持しつづけられる精密なメカニズムが物質によりしっかり構築されて、スウィチが入れられさえすれば、生命活動て自然に開始されるのよ。つまり、生命て、超精妙で超厳密な物理システムなのよ。自主的かつ能動的にエナァジを新陳代謝して散逸構造を維持できるかどうかが鍵なのよ」


「生物と」絵理が言いつ。「ふつうの機械の違いは、どういうものになる?」

「そうね」青葉が言いつ。「違いの①として、生物が、自動生成運用解体修復の機能をゆうする、超やわらかで可塑性にとむ精密な物理システムであるということ。そして、違いの②として、超高級なマシーンのくせに、生産管理能力をまるきり具えておらず、コンティンジェンシに対する心の準備を全然していず、動きの信頼性が生物には完全に欠如していること。ただ、これは、逆転する可能性がとても強いけれどもね、さっきの見直しによれば。そして、違いの③として、エントゥロピの生成速度を減少させつづけ散逸構造を形成しているゆえに、統合波動たる意識が創発していて、その意識には、能動的な自由意志までは持てないにしても、感覚や思考が受動的に感じられて、理解を持てている、ということ。また、意識が、体の物質の動きに、静的に関与していることは、もう判明しつよ。細かなメカニズムは、今は、まだ、まるきり分からないにしても。これくらいかもね」

「ああ、そういうことね」


    機能は物質により体現される


「じゃあさ、このへんで、早速、哲学的ゾムビや生物の動きを解明すればいいじゃん」セァラが言いつ。

「手強いのではないの? 無理ぽいよ」絵理が言いつ。

「なに言うてんのよ、折角ここまで来つのに? 勢いで解明してしまえばいいのよ」

「そげなこと、できるわけないよ。生物の動きて、根本的には、基本相互作用の動きなのよ」

「まあ、無理ぽいのは分かるけどね。でも、ここらへんが、念力の最前線なのよ。まさか念力が出てくるなどて、夢にも思いてもいなかりきよ」

「ああ、そうか。念力なわけだ?」

「そうだよ」

「でも、念力の本質て」青葉が言いつ。「基本相互作用を捻じまげる、ということなのよ。信じらんないよ、念力で基本相互作用を捻じまげるなど」

「オズはどうなの?」セァラが言いつ。

「分かんないね。基本相互作用など、素人にはとても手が出せないよ」

「でも、行けるところまでは行くべきだよ」

「まあね」

「じゃあ、行けばいいじゃん」

「うん、それもいいけれど、その前に片づけておきたいことがあるよ」

「それはなに?」

「自由意志の問題」

「ほう。でも、自由意志て、もうほとんど見込みはないのではないの?」

「うん、そうだけど。でも、この辺で、理論的にも片をつけておきたいのよ」

「理論的? そげなことができるわけ?」

「うん、できると思う」

「それは、それは」

「夢を壊すようで、たいへん申しわけないけれど」

「いや、まあ、希望は持ちたいところだけど、でも、どちらにしても、実感は変わらないのよ、自由意志があろうが、なかろうが」

「そのとおり」

「じゃあ、やんなさいよ」

「じゃあ、折角だから、ここで」青葉が言いつ。「前進を確実なものにするため、存在の大前提を、ひとつ、明らかにしておきたいよ」

「おっと」絵理が言いつ。

「純粋な精神の否定の一般化なのよ。なにかと言うと、機能は物質により体現される、ということです」

「機能は物質により体現される? どういうこと?」

「はい、お疑いはご尤もなのですが、そういうことなのです。この宇宙にどのような機能が存在しようとも、それがほんとに機能の名に値するのであれば、それは必ず物質により担われる、ということです。たとえば、物質基本機能群とかね。あるいは、算盤とか、計算尺とか、機械式計算機とか、加算器とか、乗算器とか、論理回路とか、CPUとか、DSPとか、FPGAとか、コムピュータァとか、スーパー コムピュータァとか、ヴェクタァ プロセサァとか、記憶装置とか」

「ふむ? じゃあ、証明しなさいよ」

「証明?」青葉は眼を丸くして言いつ。「いやいや、いきなり難しいこと言わないでよ、絵理」

「いやいや、存在の大前提なのでありゃ、しっかり証明しておく必要があるよ」

「いやいや、これて大前提なのよ。言わば、公理なのよ。公理て、自明の理であり、分かりきりし真理なのよ。こういうものて、証明が求められないのよ。証明が求められない命題なので、公理の名に値するのよ」

「ふむ? まあ、御託はいいからさ、ちょっい説明しなさいよ」

「仕方ないなあ。それでは、切なるご要望にお応えいたしまして、ご説明いたしましょう。同じようなことは、前にもう言うてしまいつかも知んないけどね。思考実験も試みしはずだよ。

 まず、ベルクソン先生が発見せしとおり、無は存在しないのよ。なので、そこら辺になんらかの機能が存在するにせよ、それは無以外でないといけないわけなのよ。それがどげな機能であろうとも、機能の名に値するのであれば、それは、無以外のもので体現される必要があるわけなわけ。そして、無以外のものとは、驚くべきことに、ヒグズ粒子を含め、物質なわけなのよ。物質が、無以外のものに該当するのよ。無以外のものとは、物質だけなわけ。それで、その結果、機能て、一般に、物質により体現される他はないのでR。以上、証明、おわり。Q.E.D。まる」


    意志の根本的な目的


「まず」青葉が言いつ。「自由意志を究明するため、かりに意志というものがどこかにあるとすりゃ、それは根本的には何をしようとするものか、を考えておくと、いいかもね」

「ほう、意志とは根本的に何をしようとするものか?」絵理が言いつ。「でも、それて、つぎの瞬間の状態を検討することなのではないの?」

「まあ、そうなのよ。でも、ここで、生物についても明確にしておきたいのよ」

「なるほど。自由は外すわけ?」

「まあ、そうね。意志が自由かどうかは、まだ確定してないからね」

「ふーん。ちなみにさ、どのレヴェルを想定しているの? 微生物や細胞? それとも、脳の主観?」

「ああ、そうね。話を簡単にするために、微生物や細胞のレヴェルの意志を想定すればいいかもね」

「ああ、そう。それで、微生物や細胞の段階でもう意志がそなわると考えるわけ?」

「まあ、そうね。微生物や細胞の物質プロセスにおける次期状態演算機能と次期状態移行機能を足し算すれば、取りあえずは意志になりそうだから」

「なるほど」

「そして、ここで、物質の次期状態演算機能からの類推として、物理主義の立場にたちて、ごく冷静に、客観的に評価するなら、微生物の意志が果たすことて、次のようなもの、と思量されるのよ。

 すなわち、細胞の意志が果たすこととは、じぶんの物質の体の内外で発生する物理事象からの刺激をうけて、じぶんの物質の体の状態をつぎの瞬間にはどのようなものに移行させるか、を検討し、そして、実施に移すこと、なのでR。

 つまり、生物の意志て、根本的には、内外に発生する物理事象にたいし、どのような対処をするか、すなわち、じぶんの体の状況をつぎの瞬間には如何なるものにアプデイトゥするか、を検討し、それを実行するものなのよ」

「そのさ、一応、念のために訊いておくけれど、微生物や細胞の意志がそのような検討をするのは、どういうわけで?」

「そりゃ、人間レヴェルでの意向のことまでは分かんないけれど、微生物が考えることと言や、じぶんの体をうまく動かし、生存を維持しつづけること、くらいだと思うのよ。そして、その線に沿いて、関係する物質群を連続的に微分的にか積分的に動かしていけば、まずは、細胞内の新陳代謝を順当に稼働させることができるのよ。すると、その結果、体をよじるとか、身じろぎするとかの、大きな動作も果たせるようになるのよ。こうして、目的がしっかり達成できるのよ」

「へーえ、そうなんだ? 根底の物質を動かすことができるなら、体は動かせるんだ?」

「まあ、そのはずなのよ。そして、人間レヴェルのことにも言及すれば、同じように、巨視的な動作に関係する全ての細胞での新陳代謝がきちんと遂行されさえすれば、それらが積もり積もりし結果として、あらゆる巨視的な動作が実現されるのよ。考えるという純粋に精神的な動作や、高い精神性を含みている、お喋りしたり、本を読んだり、落書き書いたり、小麦粉こねたり、料理をしたり、楽器を演奏したり、算数の問題といたり、ジョギンをしたり、剣道の試合をしたりする、という動作すら、果たせるのよ」

「ほんとにそうなわけ? 精神動作も物質の動きで実現されるわけ? それて、あまりな感じがするけどね」

「いやいや、そのはずなのよ。ニューロンの発火も物質の動きだし、喋るという精神的な動作も、元を探れば、物質の連続的な動きにより実現されているのよ。ただ、その基底の物質の部分に精神性が宿りているかどうかは、ここでは問わないけれどもね。しかも、意志のほうは、関係する全ての物質たちをどのように動かせばいいかなど、丸きり知らないのよ。たいへん不思議なことに」

「ふーん」

「とにかく、基底の部分で物質がきちんと動作するかぎり、巨視的なレヴェルでの精神的な動作はしっかり実現されるのよ。

 これを哲学的ゾムビにつき言えば、物質が、なんらかの根拠にもとづき、じぶんで自分の物質を動かすことができさえすれば、もうそれで精神性を偽装できるのよ。実際には精神生活を送りていなくとも、簡単に哲学的ゾムビになれるのよ」

「すぐには判断できないよ」

「まあ、いろいろ異論はあるかも知んないけどね。それに加えて、個々の物質たちが協調して動作することで、新陳代謝などから始まる、広域的で、辻褄の合いし、統合的な物質の動きが形成されるのが、どういう仕組みによるのかも、ここでは、まだ、まるきり分かんないけれどもね。これが、哲学的ゾムビと生物の能動的で建設的な動きについての大いなるイシューなのよ」


    生物の動きは、物質による自分の状態の果てしない更新でしかない


「ちなみにさ、いまの話からの派生として、さらに」青葉が言いつ。「意志に自由がなくて、意志がモニタァないし解釈または影でしかないというふうに想定すると、次のようなことも類推できるよ。

 すなわち、生物の動きて、すべて、その動きに関係する全ての物質が、じぶんの現在の状態を、時間の流れにしたがい、つぎの瞬間の状態に、次つぎ、果てしなく更新していくことで、成りたちている、のでR、とね。これが生物でR。生物て、蓋を開けてみりゃ、これだけのものでしかないのでR」

「おっとっと」セァラが言いつ。「なんか、いま、青葉、えらいことを言うたみたいだけど、ほんとにそうなわけ?」

「いや、まあ、断言まではしないけれどもね。取りあえず、ひとつの予想でしかないのよ。て言うか、これがまさに哲学的ゾムビなのだけど。

 でも、生物の動きを細胞の内部まで詳しく見ていくと、すべての動きて、物質群の、つぎの瞬間の状態への果てしない推移で成りたちていることが、分かるのよ。

 細胞内部の動きから始まり、身体動作に至るまで、生物の動きて、すべて、関係する物質群の物理的な変化により齎されているよ。しかも、ただの身体的で物質的な動作だけでなく、見るとか、聞くとか、考えるとか、お喋りするとか、音楽を聴くとか、映画を鑑賞するとか、マンガを読むとか、食事をとるとか、メイルを出すとか、妄想に耽るとかの、精神性をふくむ動作も含めてね」

「うむ」


    上位の量子は、下位の構成要素の量子群には介入できない(証明)


「うむ。それはそうかも知んないけどね」絵理が言いつ。「でもさ、どうして物質にそげな事ができるのよ? 生物の動きて、なかなか統一が取れていて、すごく秩序だちていて、けっこうきちんとしているよ。じゃないと、そもそも生きていけないよ。だから、いくら生物であろうとも、ただの物質にそげな上等な芸当ができるわけがないのよ」

「いやいや、それが不思議なところなのよ」青葉が言いつ。「生物の動きて、厳密に、物質が物質だけで果たしている筈なのよ」

「どうしてそこまで断言できるのよ?」

「て言うか、それて、全体の大きな仕組みをひと言で言えと言うているようなものなのよ。そげな乱暴なこと、とてもできまへん。えらい錯綜せし仕組みだから」

「ひと言で言うてみなさいよ」

「ええ?」青葉はいやな顔して言いつ。

「さあ、早く」

「ええ?」青葉は辟易せしように言いつ。「ひと言で? そうね、万難を排して、ひと言で言うとすりゃ、機能は、根本的に、物質により体現されるからなのよ。さきほども申しあげましし通り」

「ほう。機能は物質により体現される」

「そうだよ。それて、断固として、徹頭徹尾、譲れまへんのや。物理世界という、この宇宙の根本原理なわけなのよ。どげな大層な機能であろうとも、根本的には、すべて、物質が果たしているのよ。

 ここで、物質て、要するに量子なのであり、物質つまり量子の本性て、波動なのよ。すると、より詳しく言えば、機能て、量子の波動により体現される、ということに、なるよ。つまり、物質基本機能が量子の波動により体現される、ということだよ。物質とこの宇宙て、量子の波動で体現される物質基本機能がつねに動作していることで存在できているのよ。

 しかも、物質の働きにより動的かつ一時的に具現されるだけのものであるところの上位の精神的なもの、例えば、意識とか、感覚とか、考えとか、虚妄とか、精神とかの、はかない被造物て、じぶんの基盤であるところの物質の働きに介入することができないからなのよ。自分をこの世にもたらせし創造主の働きに手出しをするなどてこと、被造物の精神には到底できないことなわけ。これも、この世の基盤の原理なのよ」

「なんか、よく分かんないけどさ、今のて、なんのこと?」

「いやいや、いま言うたとおりだよ」

「もっと具体的に言いなさいよ」

「うむ……。そうね……、分子を例にすればいいかも知んないな。例えばさ、ここに水の分子が一個あるとする。そして、この水の分子のなかに、それの構成要素である二個の水素原子と一個の酸素原子の動きや働きに介入しようとするお節介な機能が発生している、と仮にイマジンしてみるとする。でも、その水の分子は、それらの原子の動きや働きに介入すること、実際にはできないわけなのよ」

「おや、なんか妙なことを考えてるじゃん、青葉?」

「まあ、そうかもね。でも、極めて大事なことなのよ、自由意志の是非にかんしては」

「へーえ。でもさ、そもそも、どうして介入できないわけなわけ?」

「おっと」

「いやいや、その理由がぜんぜん説明されてはいないのよ。どうしてなわけ?」

「いやいや、これて、とても説明しづらいことなのよ」

「でも、説明しないといけないのよ、そこまで言うんなら」

「難儀やなあ。なんでやろうなあ? そうねえ、多分、このことて、この宇宙の根本原理なのよ。言わば、公理なわけなのよ。それでもう説明できないのよ」

「いーんや、分かりまへん。さっぱり分かんないよ。例えばさ、動物て、手とか足とか舌とかを使い、しっかり自分の体に介入してるじゃん」

「いやいや、そういう巨視的なレヴェルのことを言うているのではないのよ、あたし。あたしは、細胞の意識と、その構成要素であるところの物質群の、量子的なレヴェルのことを言うているのよ」

「まあ、そうかもね。でもさ、そのレヴェルのことを言うんなら、ほんとに厳密に説明しないといけないのよ」

「難儀やなあ。なんでやろうなあ? だから、多分、このことて、この物理世界の根本原理なのよ。それで、もう、それ以上の説明は求められないのよ」

「それならさ」セァラが言いつ。「水の分子とかの具体的なもので説明するのではなく、量子で説明すればいいのではないの?」

「量子? そうなわけ? どげな風に?」青葉が言いつ。

「それは、つまり、上位の形成されしものであるところの量子て、下位の構成要素である量子群の動きや働きや機能には介入できない、ていうことだよ。これなら、意外にイメジしやすいよ」

「ああ、なるほど。そうかもね。じゃあ、セァラがいま言うたとおりじゃん。その通りだよ」

「これだと、もうこれ以上に説明するのは難しいかも知んないね。それに、水分子が自分の構成要素の水素原子や酸素原子にちょっかい出すなど、聞きしことなどないよ」

「ああ、そうだよ。その通りだよ。上位の量子て、構成要素の下位の量子群には、手出しができないのよ。この宇宙て、そういう宇宙なのよ。一件、落着。まる」

「公理とまでは言えないかも知んないけれど、でも、公準とくらいには、考えてもいいかもね」

「そうだよ、そうだよ。公準なわけなのよ。そうすると、若干、補足説明くらいはできるかも知んないな」

「どげな風に?」

「うん、なぜ手出しができないか? それは、多分、上位量子の機能て、下位量子群の機能から形成されるものだからだよ。そして、もしも、上位の機能が下位の機能群に干渉できるとすると、そのことて、上位の機能にも再帰的に影響を及ぼすはずなのよ。すると、これて、上位の機能がみずから自分の機能を変更するというのと、等価なわけなわけ。でも疑わしいのよ。なぜって、上位の機能て、あくまで、下位の機能群だけにより形成されるはずのものだから」

「ふむ? なんか、言うていることはなんとなくイメジはできるけど、でも説得力に欠けているよ。なんか、肝心のことが抜けている気がするよ。要するに、動作中の機能て、今まさに動作している自分を変更することはできない、ということに尽きるのではないの? それができるとすると、いま動作している自分を自分で破壊してしまうことに、なるからね」

「ああ、そうね。それが問題の核心かも知んないね」

「なんか変なことになるのよ。恐らく、変更しはじめし瞬間に、じぶんの機能に許しがたい不整合が生じ、警報がなり、赤ラムプが点滅して、システム全体が緊急停止するのよ。異常終了しちゃうのよ。つまり、そういう自己改変て、致命的なバグなわけ。そして、バグが残りている量子など、ありえないのよ。それで、上位の機能て、じぶんを構成する下位の機能群に手出しをすることが、できないわけなのよ」

「うん、そうだよ。それですっきりするよ。それが一番の説明かも知んないね」

「かも知んないね」


「じゃあさ」絵理が言いつ。「折角だから、今のて、証明の形にして、保存しておくと、いいのではないの? 意外にすっきりと説明されていつよ。どう?」

「そう? できるかな?」セァラが言いつ。「まあ、できるかも。じゃあ、ひとつ遣りてみっか。

 まず、上位の量子の機能て、下位の構成要素の量子群の機能から創発により形成されるのよ。

 ここで、上位の量子が下位の量子群に介入できると仮定してみる。つまり、上位の量子にそのような自己改変の機能も実装されていると仮定する。

 ちなみに、量子として、たとえば、水の分子と、その構成要素である水素原子・酸素原子をイメジすると、いいかも知んないな。分かりやすいかもね。

 しかし、上位の量子が、その機能を働かせ、下位の量子群の機能の働きに介入しはじめし途端、たちまち、警報がなり、赤ラムプが点滅して、システムが緊急停止してしまうのでR。

 なぜって、上位の量子は構成要素の下位の量子群から形成されるものであり、その上位量子が下位量子群に介入するなら、ただちに、じぶん自身の機能の改竄を引きおこし、不整合が生じるからでR。

 これは、機能設計のバグというものであり、断じて許容されるものでない。そげなものが容認されるなら、この宇宙のすべての物質がたちどころに緊急停止して、そもそもこの宇宙が存在しないことになるからでR。なぜなら、基本相互作用も停止してしまうからでR。

 ゆえに、この宇宙が現実に存在するとすりゃ、上位量子は、下位の構成要素の量子群に介入すること、能わないのでR。以上、証明、おわり」

「はーい、よくできました。パチパチ」

「なんの、これしき」


「いやいや」青葉が言いつ。「まさか、証明できるなど、思いてもいなかりきよ、あたし。めでたし、めでたしだ。すると、これで、もう、自由意志は否定されてしまいしことになるよ。意識て、自由ではないのよ。いやはや、驚いちゃうよ」

「それは、なんで?」絵理が言いつ。

「それはどうしてかと言えば、意識は上位量子なのであり、下位量子群の機能に介入すること、つまり、構成要素の物質の動きに干渉すること、できないからなのよ」

「あれ? なにか変なのではないの? 意識て、下位の物質群の動きに関与していることが、まえに判明しつのでは、なかりきの?」

「ああ、そうなりき。だから、そこには、能動的な関与であるか、はた、また、静的な関与であるか、の違いがあるのよ」

「うむ」

「まず、構成要素の物質の動きに干渉することて、能動的で物質的な関与にあたるのよ。そして、能動的な関与、つまり、干渉て、システム全体を緊急停止させるのよ。なので、致命的なバグであり、不可能なわけなわけ。

 でも、情報の伝達という静的な関与であれば、意識が下位の物質群にたいし物質的な操作を直接に加えるわけではないので、べつに問題にはならないのよ。自分がつぎの瞬間にはどのように動くかて、上位から伝達されし情報を参照する物質群のがわに任せられるのよ。じぶんの物理的な状態の具体的な変更は、次期状態移行機能によりて、物質群がみずから果たすのよ。なので問題ないわけなわけ」

「ああ、そういうこと」

「恐らく、そうだよ。恐らく、自由意志の問題て、ここらへんが錯綜していつのよ。まず、意志が自由てあるて具体的にはどういうことなのか、がよく分からなかりきのよ。そして、この問題とは別に、意志つまり意識が、体という物質を動かすという問題もありきのよ。複数の問題が絡みあいていて、なかなか解きほぐせなかりきのよ」

「で、ほぐすことができしわけ?」

「うん、少なくとも、自由さのことと、意識がじぶんの物質を動かすということが、別べつの問題であることは、なんとなく分かりつのよ。そして、体という物質が動くという事象についても、意識がからだの物質を直接に動かすという普通に持たれている印象のほかに、情報という観念の伝達をとおし意識が間接的に関与する、という新たな可能性も浮かびてきつのよ。

 そして、もしも間接的な関与であれば、この点で、意識つまり意志に動作性は具わりてはいないことになるよ。意識がじぶんの物質を直接に動かすわけではないからね。意識に物質的な手は具わりてはいないから。からだの動きに関しては、意識で形成される思考が先行するので、ある意味、能動的と言えないわけでもないけれど、直接的な操作はしないという点で、動作性はないのよ。それで静的な関与と位置づけられるわけ」

「なるほど」


「ちなみにさ」セァラが言いつ。「参考までに訊くけれど、放射性物質の原子は、どうなわけ?」

「ええ? 放射性物質?」

「そうだよ、放射性物質の原子て、じぶんで勝手に自然崩壊するじゃん。これて、じぶんで自分を変更することに当たるのではないの?」

「おっとっと。でも、それくらいなら説明できるはずだよ」

「どう説明するわけ?」

「そうね、放射性物質の自然崩壊て、きわめて不可解なものであり、辛うじて半減期により確率的に把握されるばかりのものなのよ。そして、放射性物質がなぜ勝手にランダムに核分裂を起こすかと言うと、それは、恐らく、原子というものて、常時、その内部からエナァジが瞬間的に放出されてかつまた吸収されているという、そういうものだからなのよ。

 じつは、原子で、密かに、こういうことが起こりているにせよ、それがほんの一瞬のまのことでありゃ、大目に見てもらえるわけなのよ、物理学の先生たちから。

 そして、これて、原子の内部からゲイジ粒子が勝手に自動放送されてまた吸収されてしまいているのと、同じようなことと、思われるよ。

 そして、おのおのの瞬間にどれだけの量のエナァジが放出されるかて決まりてはいないみたいだけど、たまたま自分の核分裂を引きおこすに足る量のエナァジが放出されし場合には、核分裂が実際おきるわけ」

「なるほど。ちなみにさ、放射性物質の自然崩壊が不可解て初めて聞くけれど、それはどうして?」

「ああ、それはどうしてかと言えば、同じ種類の原子なのに、それぞれの個体が自然崩壊するタイミンがバラバラに異なりているからなのよ。Aの個体が1秒後に崩壊するにせよ、Bの個体は、一年後か十年後か百年後か千年後か一万年後か十万年後か百万年後にはじめて崩壊する可能性があるのよ。実際、放射性物質の原子て、そういう様相で、てんでんバラバラに自然崩壊しているのよ」

「へーえ、そうなんだ? どうしてそげな妙なことになりているわけ、同じ種類の原子なのに?」

「それで、さっきの不定量のエナァジの隠密放出と再吸収の話が現実味を帯びてくるのよ。そういうことを想定すると、放射性物質の自然崩壊の不可解さがどんぴしゃりと説明できてしまうわけ。そういう話なのよ」

「ああ、そうなりきのだ? ふーん。で、じぶんの変更のことは?」

「ああ、それね? つまり、不定量のエナァジの隠密放出と再吸収て、恐らく、すべての種類の原子に共通する機能なのではないかと思うんだけど、このことて別にじぶんの機能を変更することには当たらないのよ。単に固有の機能が動作しているだけなのよ。

 それでも、おのおのの種類の原子に規定されている量を超える量のエナァジが放出されし場合だけ、そのエナァジの作用をうけて、核分裂が引きおこされてしまうのに違いないのよ。物質基本機能のうちの崩壊機能が起動されるわけ。

 つまり、この場合、エナァジが自分の内部から放出されるとは言うても、いったん外に出てしまえば、それはもう外部のものになるのよ。それで、その攻撃をうけて核分裂が発生するにせよ、じぶんで自分を変更することにはならないわけなのよ。

 だから、じぶんを直接に変更するのではなく、ひそやかに間接的に関与するのであれば、恐らく、許されるのよ。

 なので、このへんは、意識による、情報の伝達をとおしての、じぶんの物質の変化ないし動きへの間接的な関与に、似ているかもね。

 だから、答えは、放射性物質の自然崩壊はじぶんで自分を変更することには当たらない、というものになるよ。そういうことなわけ」

「ああ、そうなんだ? なんか残念ね。念力が使える可能性もあるかも知んないと思いつけれど」

「残念でした」


「そうすると」絵理が言いつ。「意識をふくめ、物質て、やはり対外的には徹底的に受動的なものなのだ、ということだ? 物質の対外的な動きて、ゲイジ粒子に起因する基本相互作用に巻きこまれて初めてもたらされる、ということだ? 内部では、物質基本機能が自律的かつ自動的に稼働しつづけてはいるにせよ」

「うん、そうだよ」青葉が言いつ。

「ちなみにさ、今のて、ニュートン先生の慣性の法則で予言されていつ、と言えるかな?」

「ええ? 慣性の法則?」

「そうだよ。細胞内でどないな動きが生じているにせよ、それは、かならず、慣性の法則に従いている、ということだよ。外部から力を受けないかぎり、静止している物体はそのまま静止しつづけ、運動している物体は等速直線運動をつづける、ということだよ。つまり、細胞内部と言うても、物質を動かすには必ず力を加えなければいけないていう話だよ」

「それはそうだけど」

「つまり、慣性の法則から、意識の受動性が導けるのではないか、ていう話だよ」

「おっとっと。いやいや、それは、少々、無理ぽいのではないの? なぜって、そもそも、意識に物理的なアクティヴィティが具わりているかどうかて、慣性の法則の枠組からは判断できないからね。この判断て、さっきのことが証明されるまで待たなくてはいけなかりきのよ」

「ああ、やはりそうなんだ? そりゃなんか残念ね」

「残念でした」


「ついでにさ」セァラが言いつ。「もう一つ言うけれど、さっきのエナァジの呼吸も物質基本機能に当たるのではないの?」

「ああ、そうだよ」青葉が言いつ。「うっかりしていつよ」

「追加すればいいのではないの?」

「うん、そうだけど、でも、もう項番を振りてしまいつので、なんか煩わしい気がするな、基本相互作用の次あたりになるからね。番号を振りなおさないといけないよ」

「もう番号など気にせずに、追加してしまえばいいじゃん」

「それもそうだけど、でも、エナァジの呼吸が物理学で正式に認められているかどうかて、分かんないよ」

「ああ、そうなんだ?」

「うん、そうなのよ」

「でも、そもそも、エナァジ着脱機能以降の機能だて、青葉が勝手に決めし機能じゃないの。遠慮せず、エナァジの呼吸も物質基本機能に加えてしまえばいいのよ」

「まあ、そうね。じゃあ、これまで振りし項番はいずれ機会があれば振りなおすことにして、エナァジの呼吸の機能は、そのもの、ずばり、エナァジ呼吸機能にするよ」

「了解」


    神頼みのようなもの


「じゃあさ」セァラが言いつ。「どうして、物質なんかに、生物の秩序だちし動きを齎すことができるのよ?」

「それが不思議なところなのよ」青葉が言いつ。「生物の建設的な動きて現実に物質が齎しているのだから」

「なんか、循環している気がするけどね」

「セァラが循環させているのよ」

「うむ。じゃあ、どうして物質にそげなことができるんだろうね?」

「それを、あたしたち、これから究明していくのよ」

「うむ。オズはどうなの?」

「そうね、五分五分というくらいかな。散逸構造の物理的秩序形成力が効いているのは、これはもう明白だけど、でも、どうも、これだけではまだ力不足のような気がするよ、ここまで来てしまうとね」

「ほう。まだ足りないのだ?」

「まあね」

「目星はつけてあるの?」

「そうね、わずかに予想はしてるんだけど、ほとんど神頼みのようなものなのよ」

「ほう。なに?」

「いやいや、今は、まだ、そないなことまで気にしていられるような段階ではないのよ。まだまだ自由意志の是非についての登攀を開始せしばかりだから。だから、生物の動きの不思議さについては、山を越えてから、ということに、なるよ」

「ふーん。神頼みねえ?」

「まあね。たぶん、人類にはとても説明できないだろうと思うな。どげに優秀な物理学者であろうともね。少なくとも人類が地球上に存続しているあいだはね。そもそも、物質の波動の様相さえも、今にいたるも薄気味わるいものと受けとめられているのよ。理解がまるきり進展していないのよ。なにしろ、人間の巨視的な感覚では決して理解ができないからね。

 すると、微生物などの構成要素の物質群の波動から意識の大きな統合波動が創発するなどてこと、逆立ちしても説明できるわけがないのよ。

 そして、そこに、更に、もう一つ、神頼みのような要素を加えるとすりゃ、それこそ、金輪際、人類の手には負えないことになるよ。まさに神頼みなのよ」


    自由意志の要件(暫定版)


「じゃあ、次はなに?」絵理が言いつ。

「そうね」青葉が言いつ。「まず、自由意志の条件を明確にしてしまうのがいいかもね」

「ほう、条件。なるほど。できるわけ?」

「まあ、できないでもないのよ。

 まず、①として、物質性を帯びていて、物質基本機能を具えていること。これは、世界と親密な関わりを持つためには不可欠の条件だよ。

 そして、②とし、じぶんの体の内外からの様ざまな物理刺激をうけて、それに対処するため、じぶんの精神空間におき、主体的に、能動的に、あれやこれやと自由に思案を巡らせられること。ここで重要なことて、自発的に自由に考えられるということと、考える内容にかんし、一切、制限を受けることなく、自由奔放に観念の糸を先に伸ばしていける、ということだよ。

 そして、③として、あれこれ自由気ままに思案せし結果にもとづき、じぶんの体内の物質を、原子レヴェル・分子レヴェルで、意図的に動かすことができること。または、原子レヴェル・分子レヴェルで、じぶんの体内の物理事象を意図的に制御できること。これがこれからの最重要課題だよ。自由意志の条件に暗黙裡に含まれていしわけなのよ。

 以上の3つ」

「ああ、そういう風に細かく見ることもできるんだ?」

「まあ、そうね。③は、さっき早ばや否定してしまいつけどね。構成要素の量子群に手出しができないのであれば、自由意志て、物理的なアクティヴィティを有していないということであり、じぶんの物質の体を動かせないことになるからね。

 それでも、インチキ臭い精神も、これらの条件を満たすことができさえすれば、晴れて、哲学的ゾムビと合一できるのよ。哲学的ゾムビに憑依して、それを自分の意向で動かせる、ということだから」


「でーさ」セァラが言いつ。「自由意志がものを考えるとき、考える内容にかんし制限を受けないて、どういうわけで?」

「ああ、そうね……」青葉が言いつ。「そういう問いて、考えるとはどういうことなのか、という、思考の哲学的な本質に関わりあるかも知んないね。本質の一つと言うべきかも知んないけれど」

「へーえ、そげな大層なことを言うわけ、青葉?」

「さあ、どうかな? でも、そこまで上等なことまでは言わずとも、思考において制限がないていうことて、少なくとも、自由意志の本質のはずなのよ。念力が使えることだけでなく」

「どういうわけで?」

「そうね、いざ説明しようとすると、なんか難しいね」

「そうなわけ?」

「て言うか、なんか説明できない気がするな」

「おっと」

「でも、自由意志なのでありゃ、少なくとも、考えるとき、とにかく制限を受けることなく奔放不羈に観念の大空を飛びまわることができないといけない筈なのよ。とにかく、それが、自由意志の条件の一つなのよ」

「ふーん。まあ、自由ということでありゃ、そうかも知んないけれどもね」

「そうだよ」


    自由意志は、初期入力をうけて思索に耽りはじめる


「そして、ここで、今度は」青葉が言いつ。「自由意志は何ゆえ物を考えるのか、ということにつき、もう少し詳しく検討しておきたいよ。これて根源的な問いだよ」

「あれ? それて、もう、話しつのではなかりきの?」絵理が言いつ。

「うん、ある程度は言うたけど、まだまだ検討することがあるのよ」

「へーえ」

「さて、自由意志は、なにゆえ思索に耽るのか? もう言うてしまつかも知んないけれど、まず、かりに、生物の意識に、なんらかの刺激をうけて、それに対して何らかの観念や思考を組みあげる仕組みないしアルゴリズムが具わりている、と仮定してみるよ。でも、折角のその仕組みまたはアルゴリズムも、それを起動する刺激いわば入力が細胞内外のどこかから入らないことには、空まわりするだけの筈なのよ。コムピュータァや電子機器のCPUが、入力が入りていない状態で、クロクのトゥリガァに急かされるまま、果てしなくnop(no operation)命令を繰りかえすように。なぜって、刺激が丸きりないからね。なにをすればいいの? なにを考えればいいの? 刺激が全然ないというのに。苦楽に追いたてられることがなく、どげな必要も生じないのに」

「ええ? ていうことは、自由意志て、じぶんの好き勝手に物思いに耽るわけではない、ていう話?」

「まあ、そうね。その辺をもう少し明確にしたいのよ。たとえ自由意志であろうとも、ということになるかも知んないね。

 兎に角、そこに、なんらかの観念ないし思考を組みあげることのできる超不思議な機能ないし仕組みまたはアルゴリズムもしくは能力が存在するにせよ、少なくとも、最初の入力は絶対に必要なのよ」

「ということは、自由意志て、なんらかの初期入力が入りて、初めて、思索に耽りはじめる、ということなわけ?」

「まあ、そうね。初期入力が、思考機能が稼働しはじめるトゥリガァになるはずなのよ。自由意志がものを考えはじめるて、考えはじめるに足る刺激が入るからなのよ。そういうことなのよ。そして、あとは、自動回転しちゃうのよ」

「へーえ、そうなんだ? なんか、驚いちゃうね」

「うん、あたしも驚きぬ、今頃になり、こげなことに気づいてしまい」


    思考動作は物質により果たされる


「ところでさ」青葉が言いつ。「ここで話はぐうと論理的なものになるけれど、この辺で、自由思考は存在しないということも究明しておきたいよ」

「自由思考は存在しない?」絵理が言いつ。「いきなりまた何を言うのよ、青葉?」

「いやいや、これて凄い大事なことなのよ、自由思考が存在しないて」

「なんで?」

「なんでかと言えば、自由思考が存在しなければ、自由意志も存在しないことになるからね。そして、自由意志のことて、哲学的ゾムビとか、その他、いろいろなことに関係があり、さまざまな研究課題に結びつくのよ。新規性や進化という深遠な問題にも繋がりているよ」

「ふーん。それはまた大層な。で、どうするの?」

「そうね、とても大事なことなので、まずは根拠を確立してしまいたいと思う」

「なんの根拠?」

「精神性とか、思考とかの」

「へーえ」

「ま、要するに、それらの根底の部分を明確にしておきたいのよ」

「ふーん」


「そして」青葉が言いつ。「自由意志と新規性と進化にまで到達するため、思考力がどういう仕組みにより物質のなかに発生するか、ということを、当面の課題にして、これを究明したいのよ」

「ふむ?」セァラが言いつ。「でもさ、次期状態演算機能が思考力の大元ということて、もうさっき話してしまいつのではなかりきの?」

「ああ、そうなのよ。それで、その上で、今度はそれの論理的な側面を不動のものにしたいのよ」

「ほう、それは、それは。それはご苦労なことで。じゃあ、始めたら?」

「うん、それでは、お言葉に甘えまして」


「まず」青葉が言いつ。「思考力が物質のなかに発生するなど、なぜ言えるのか、と言うと、それは、根本的には、無が存在しないからなのよ」

「おっと」絵理が言いつ。

「これはそもそも意識につき言えることだけど。同じようなことは、まえに言うたのではなかりきかな?」

「さあね。もう思いだせないよ。あまりに沢山のことを話しつので」

「まあね。つまり、無は存在しないのよ。だから、無は、ものを考えることができないのよ。無におき、思考動作は発生しないわけ。すると、思考力ないし思考機能を有するものが仮にどこかに存在するとして、それは、無以外のものでなければいけない、ということになるよ。思考機能て、無以外のなにかに担われて体現される他はないものなわけ。このように推測されるのよ。これは、意識や精神についても言えることだよ」

「うむ。なんかえらい単純な話だけど、そげな大雑把なことでいいわけ?」

「さあ、どうかな? 絵理は、絵理で、じぶんの好きなように考えればいいのよ」

「まあ、そうするけどね」

「うん。ベルクソン先生て、無が存在しないという大発見をしつのよ。これを生かさない手はないのよ。むしろ、この大発見は、是非とも生かすべきなのよ、あたしたち。それがあたしたちの責務なのよ」

「なるほど」

「そして、この宇宙では、無以外のなにかとは、無限の空間をふくめて、物質なわけなのよ。実際には、量子の波動だけど。そして、空間には無数のヒグズ粒子が目一杯つまりていて、空間も非常にひろい意味では物質の仲間なのよ。この宇宙には、エナァジと物質しか存在しないのよ。

 すると、この宇宙に思考機能というものが仮に存在するとして、それは、結局、物質つまり量子の波動により実現される他はないことに、なるよ。思考機能作を果たす何かは、物質すなわち量子の波動のなかに存在するわけなわけ。意識や精神についても同じだよ」


「でもさ」セァラが言いつ。「あまりなこじつけのような気がするけどね」

「そうでもないのよ」青葉が言いつ。「けっこう尤もな推論のはずなのよ。つまり、思考機能て物質の波動のなかに発生するしかないにせよ、それ以上の詳しいことは、ひと言も言うてはいないのだから」

「次期状態演算機能が思考機能の源というのは、もうおおよそはっきりしているからね」

「そうだよ。でも、べつに、詳細から逃げているわけではないのよ、あたし。あたしは、ここでは、一般論を言うているだけなのよ」

「それにつけても、思考機能が物質の波動のなかに発生するて明言してしまうのて、都合が良すぎるのではないの?」

「一般論なのよ」

「いやいや、証明する必要があるよ。つまり、物質のなかには発生しなくとも、どこかで、なにかのタイミンで、いきなり思考機能が発生する可能性も考えられるのだから。じゃあ、そこはどこか、という問題はあるけどね。でも、思考機能て、そういうものかも知んないのよ。そういう可能性を潰さないといけないのよ」

「セァラの言いたいことは分かるよ。でもさ、セァラの言うのて、神が存在しないことを証明せよ、と求めているようなものなのよ。それて不可能なのよ。神が一切どこにも存在しないことを証明しないといけないからね」

「ほう」

「だけれど、この、神の存在の問題て、じつを言えば、神の存在を具体的に示せば、それで一気に解決する性質のものなのよ。だから、証明する義務は、むしろ、神が存在すると主張する側にあるのよ」

「へーえ」

「そして、セァラて、思考機能が、どこにおいても、どげなタイミンにても発生しないことを、証明せよ、と求めているのよ。そして、これも、思考機能がいきなり発生するという事実を示せば、それで解決するのよ。だから、証明する義務はセァラにあるのよ」

「ええ? あたしが証明しないといけないわけ? そげなアホな」

「いやいや、論理的に見ると、そういうことになるのよ」

「いやいや、それはちょいと変だよ。でも、もう、次期状態演算機能が判明してるじゃないの」

「つまり、思考機能て、いきなり発生するわけではない、ということなのよ。それは、元もと、次期状態演算機能として物質のなかに潜在してるのよ」

「じゃあ、どうしてこげなことを話しているのよ?」

「セァラが言うたのよ。でも、セァラの言うことにも一理あるよ。どこかで、なにかのタイミンで、いきなり思考機能が発生するかも知んない可能性は、確かに考えられるから」

「ほら、ご覧なさいよ」

「でも、それは潰せないのよ。神が存在しないことを証明できないのと同じように」

「じゃあ、どうするの?」

「いやいや、どうもしないのよ。あたしは、ここでは、一般論として、思考機能を果たす何かて、物質の波動のなかに潜在する、と推測するだけなのよ」

「へーえ」

「そして、状況的な説明として、次のようなことを付言させてもらうよ。

 思考機能て、掴みどころなく、とても不思議で、きわめて薄気味わるいものだよ。実際、きわめて薄気味わるいものなのよ。すると、そういうものが粒子としての物質により後天的に形成されるて、とても考えにくいことなのよ。よしんば、思考機能が、巨視的な波動である電磁波で形成されるとか、電子回路のなかにおき電子の流れとして形成されるとかて、こういう抽象的なかたちで想像するにせよ。でも、こういうものて、物理法則によりしっかり律せられるので、すこしも薄気味わるくはないわけなのよ。

 すると、その他方、まじで薄気味わるい思考機能が存在するとすりゃ、それは、同様、薄気味わるい物質の波動に担われて体現される、と予想するのが、考えやすい、ということになるよ。根拠のない希望でしかないけどね」

「あたしに難しいことは分かんないよ」絵理が言いつ。「でも、セァラの言うように、思考機能がどこかで何かのタイミンで発生するにせよ、それは、絶対、物質の中か上でなくてはいけないと、あたしは思う。とにかく、思考機能がどういう形で存在するにせよ、物質性は否定できないよ。

 それに、かりに、もしも思考機能が複数の物質で形成されるとすれば、それは粒子的なものということになり、巨視的な電波と同様、薄気味わるさは消失してしまうのよ。だから、こういう形では、思考機能は断じて形成されえないと推測されるよ。

 さらに、電子の流れのように、複数の粒子でもて何か薄気味わるいものが形成されて、それが思考機能になる、と強弁するのであれば、それこそ、それを実証しないといけないのよ。だから、この可能性はきわめて薄いと言えるのよ。

 そして、青葉て、物質性以上のことは言うてはいないのよ。青葉て、ここでは、思考機能が、物質のなかに元もと具わりているとも、物質群のうえに発生するとも、言うてはいないのよ。青葉は、単に、思考機能が発生するなら、それは物質の波動のなかである、と言うているだけなのよ。

 だから、かりに、理屈のうえでは他の可能性が考えられるにしても、青葉の言いしことて、ほぼ間違いないと推測されるのよ」

「ほう」セァラが感心せしように言いつ。「そういう風にも考えれるんだ? なるほど」


「ちなみにさ」絵理が言いつ。「今のて、思考動作が物質の波動により果たされる、ていうことだけれど、折角なので、証明の形にしておくといいんじゃないの?」

「ええ? 証明の形?」青葉が言いつ。

「そうだよ。あたしは思いつけれど、けっこう簡潔に説明できていつよ、今のて。ほんとかどうかは分かんないけどね。だから」

「へーえ。でも、あたしはもう言うてしまいつので、絵理がまとめてみたら? あんたの腕の見せどころだよ」

「そうだよ。絵理が遣んなさいよ」セァラも言いつ。「あたしが代わりにまとめてあげてもいいよ」

「いやいや、じゃあ、仕方がないから、あたしが遣るよ」絵理が言いつ。「えへん。

 まず、無は存在しないのよ。また、無がものを考えるなど、不可能なのよ。すると、かりにこの宇宙に思考動作というものがあるとして、それは、無以外のものにより担われて体現される他はない、ということになる。そして、この宇宙では、無以外のものと言や、空間を形成しかつ物質に質量をもたらすヒグズ粒子をふくめ、物質である。すると、この宇宙では、思考動作は物質により果たされることになる。思考動作の本性は、物質の波動により体現される物理的な機能なのでR。以上、証明、おわり」

「大統領!」

「そして、念のため、付言しておくとすりゃ、物質の波動により担われて体現されるていうことて、意識や精神についても言えることでR」

「日本一! 世界一!」


「ところでさ」セァラが言いつ。「あたしも思いつけれど、いまの証明に物質を登場させないという手もあるんじゃないの? そうすると、ごく簡潔に表現できて、思考動作の存在場所とか存在様相とかの物質性を持ちこまなくても済む気がするよ。そして、これまでのややこしい議論も落とすことができるよ、多分」

「じゃあ、試しに今度はセァラが言うてみたら?」絵理が言いつ。

「じゃあね、えへん。

 まず、無は存在しないのよ。また、無がものを考えるなど、不可能なのよ。すると、かりにこの宇宙に思考動作というものがあるとして、それは、無以外のものにより担われて体現される他はない、ということになる。すなわち、この宇宙では、思考動作は無以外のものにより果たされるのでR。

 どう? これでもケチがつけられるかな?」

「ああ、そうね。それだとごくごく原則的なことを言うているだけなので、より一般的になるよ。完璧かもね」

「でも、結局、物質を登場させざるを得なくなりし時点で、言いわけがましい説明をせざるを得ないことになるけどね」

「それは仕方がないよ」


    自由思考は存在しない


「じゃあ、ここから」青葉が言いつ。「自由思考が存在しないことを、本格的に説明させてもらうよ。

 さて、次期状態演算機能、いわゆる思考機能て、物質の波動のなかで自律的に動作する、と考えられるよ。人間が機械の仕組みを変更したり作動させたりするのとは異なり、なにかが物質の本質的な機能に干渉することは、できないからね」

「それて、証明できる?」セァラが言いつ。

「証明? いやいや、できないと思う。物質基本機能て、先験的なものであり、物質の存在の本質なのよ。だから、なにものからも干渉うけなく、独自に自律的に超然と動作しているばかり、と考えられるばかりだよ」

「なるほど。そうかもね」

「そうだよ。ところでさ、すこし道草するけれど、ただの物質にそなわる機能て、ふつう、能力とは言わないよ。物質に担われる思考機能て、観念的な演算機能、と呼ぶほうが、より正確と思われるよ。余談だけれどね。

 たとえば、観念的な演算機能を担うものとして、算盤・計算尺・機械式の計算機・コムピュータァなどがあるよ。自律的に動作するという点では、コムピュータァが一番ちかいよ。こういう点で、物質の思考機能とコムピュータァの演算機能て似ているよ」

「ああ、そう」

「また、思考機能には、思考アルゴリズムが具わりているよ。これは不可欠なのよ。思考、すなわち、観念的な演算処理て、アルゴリズムなしでは果たせないものなのよ。まさにコムピュータァがそうだよ」

「今のは証明できる?」絵理が言いつ。

「いやあ、これも難しいのではなかろうか」青葉が言いつ。「思考機能て、とても不思議で薄気味わるいものだよ。でも、とにかく、なんらかの機能の名に値するのであれば、少なくとも、その機能を具体的に果たすものは必要なのよ。たとえば、機械装置であれば、その機能をはたす物質的な仕組みが具わりているよ。コムピュータァにも処理アルゴリズムが実装されている。なので、物質の波動の思考機能にも、その機能を果たすものとして、なんらかの仕組みが必要なのであり、それを、取りあえず、思考アルゴリズムと呼ぶわけなのよ。どげに不思議なものであろうともね。とにかく、無は存在しなく、無はなんの機能も果たせないからね」

「なるほど」

「それで、物質の波動に具わる思考機能には、思考アルゴリズムが具わりていることになる。物質による思考の結果は、思考アルゴリズムの稼動により生みだされるのよ。

 ところで、物質の波動にそなわる思考機能や、思考アルゴリズムの動作様相、そして、思考の結果が、具体的にはどういうものであるか、はまるきり分かんないよ。

 それでも、思考の結果て、受動的なものなのよ。そして静的なスケイラァ量なのよ。しかも、思考機能が動作しているあいだだけ存在するのよ。停止すれば、消滅するのよ」

「うむ」

「そして、ここで、また、観念的な演算機能をはたすコムピュータァのことを懐かしく思いおこしてみると、きわめて重要なことが判明するよ。すなわち、コムピュータァ、より正確にはコムピュータァのプロウグラム、ひろい意味ではソフトゥウェアァでは、演算アルゴリズムは変化せずとも、入力が変わるだけで、異なる演算結果が得られるよ。入力が異なれば、異なる出力が出てくるよ。しかし、ある特定の入力からは、ある特定の出力しか得られない。ある特定の入力から、その都度、その都度、異なる出力が得られるなどてこと、決してないわけなわけ。

 そして、観念演算をはたす思考機能でも、状況は同じなわけなのよ。一つの入力から思考アルゴリズムにより出される出力は、一つに決定されているのよ。それでも、入力となる思考の種が異なれば、異なる思考結果が出てくるわけなわけ。

 ただ、入力の個数と出力の個数については、べつに固いことは言わないよ。1入力1出力でもいいし、1入力多出力でもいいし、多入力1出力でもいいし、多入力多出力でもいいわけなわけ。要は、入力が変化しなければ、出力も変化しない、ということだよ。ある特定の内容の入力の組にたいし、思考アルゴリズムにより出される出力の組の内容は、ひと通りに決定されている、ということなのよ。

 それでも、入力が変われば、出力も変わる。

 つまり、ソフトゥウェアァの演算アルゴリズムも、物質の波動の思考機能のアルゴリズムも、まさに関数なのだ、ということなのよ。

 ゆえに、自由思考は存在しないのでR」

「あれ? いきなり結論を言うわけ、青葉?」セァラが言いつ。「なんか、えらい飛躍していると、思うけどね」

「なぜって、思考アルゴリズムて関数なのだから」青葉が言いつ。「それは、否応もなく、思考アルゴリズムの自由度が零であることを意味しているよ。そして、思考アルゴリズムの自由度て、かならず零なのよ。これはこの宇宙での決まりごとなのよ。そのゆえ、自由思考は存在しないのよ」

「うむ。にわかには承服しがたいなあ。あたしたちて自由にものを考えているじゃないの」

「いやいや、あたしたちの意識て無数のニューロンで形成されているよ。いきなりそげな高級なもののことを考えるべきではないのよ。ここは、謙虚に、初心にかえり、まさにアミーバやゾウリムシのレヴェルで検討しないといけないのよ」

「それにつけてもさ、アミーバて、自由にものを考えているのではないの?」

「そりゃ、まあ、あたしは、アミーバになりしことはないので、詳しいことは分かんないけどね。でも、そもそも、原初の生物のアミーバにおき、思考アルゴリズムの自由度が零なのよ」

「思考アルゴリズムが関数であることが、どうして自由思考が存在しないことの理由になるわけ?」

「ええ?」青葉は訝しげな顔つきになりぬ。「思考アルゴリズムが関数? 自由思考が存在しない?」

「そうだよ」

「はて? なんでだろう?」

「なんで?」

「そうね……、意識にそなわる思考動作て、具体的には思考アルゴリズムにより遂行されるのよ。そして、思考アルゴリズム、元を糺せば、次期状態演算機能の演算アルゴリズムて、物質にたいして先験的に賦与されるのよ。

 そして、なにかによりエイ プライオーライに与えられるものが、自分自身を変更することは、できないことなのよ。この宇宙はそういう宇宙なのよ。

 また、思考結果て、これも不思議なものだけど、思考アルゴリズムの実行により形成される受動的なものなのよ。物質の思考アルゴリズムには、本質的な動作性があり、たとえて言えば、ヴェクタァ量のようなものと言えるよ。でも、他方、思考結果のほうは、受動的に形成されるだけのものであり、スケイラァ量のようなものと言わざるを得ないのよ。こげなものが、親の思考アルゴリズムを変更するなど、逆立ちしてもできこないのよ。

 さらに、ここで、ぐうと想像力を働かせ、かりに、思考アルゴリズムには、自分自身を変更できる自己変更処理アルゴリズムも組みこまれている、と仮定してみる。しかし、肝心の、べつの新しい思考アルゴリズムまでは組みこまれてはいない。もしも、それも組みこまれているとすると、それはプロウグラム済の既知の思考アルゴリズムということになり、べつの新しい思考アルゴリズムとは言えないからである。

 そこで、いまの、二つめの思考アルゴリズムまでは、組みこまれていないとすると、今度は、べつの新しい思考アルゴリズムを自ら編みださなくてはいけない必要に迫られる。これは、思考アルゴリズムが、額に汗して、みずから知恵を絞り、じぶんとは別の、完全に新しい思考アルゴリズムを捻りださなくてはいけないことを、意味してOる。しかし、そのような、新らしいアルゴリズムを捻出するアルゴリズムて、そもそも存在しない。これは、新規性というものに深く関わることなので、ここではとても説明できないが、既存の複数のものを組みあわせて得られるタイプの新規性は、疑似の新規性である。そして、組みあわせに依らない完全に新規のものて、固定的なアルゴリズム程度のものには、決して生みだせないのでR。

 簡単に言えば、ある思考アルゴリズムが、自分を、あたらしい思考アルゴリズムで書きかえようとしても、その新しい思考アルゴリズムを得ることが、根本的に不可能なのよ。また、そもそも、思考アルゴリズムは、先験的に与えられるものであり、思考関数がみずから考えだすものではないのでR」

「ふむ? なんか難しげなことを言うたみたいだけど、平たく言うと、どういうことなわけ?」

「平たく言うと? いやいや、いま言うたとおりだよ」

「だから、ひと言で言いなさいと言うているのよ。今のて余りにややこしすぎるよ」

「難儀やなあ。あたしだて、もう、覚えてないよ、なにを言うたかね、あまりに複雑すぎつから」

「だからさあ、御託はいいのよ。試しに、ひと言で言うてみなさいよ。ほら。さあ」

「まあ、そうね、つまり、物質にそなわる思考機能が、じぶんで自分の思考アルゴリズムを変更することは、できない、ということなのよ」

「なーんだ、ちゃんと言えるじゃないの。その結論が落ちていつのよ」

「成りゆきだよ」

「それで、どうなるの?」

「なにが?」

「思考アルゴリズムが関数であることが、どうして自由思考が存在しないことの理由になるか?」

「ああ、そういうことなりきのだ? ああ、そういうことか? それで、足りない理由を説明してたんだ?」

「それで、どうなるの?」

「ああ、だから、物質の思考アルゴリズムて、関数であると同時に、自分の処理アルゴリズムを新規のもので書きかえることもできないのよ。つまり、物質の思考アルゴリズムて、原則、固定なのよ。ゆえに、自由思考て存在しないわけなわけ。Q.E.D」

「うむ。ちなみにさ、いま、あんたは、原則、固定と言うたけど、どうして原則なわけ?」

「それはどうしてかと言うと、細胞という物質にそなわる思考アルゴリズムて、細胞内外からの物質的な影響により他律的に変更される可能性が高い、と思われるからなのよ。構成要素である物質そのものの次期状態演算機能のアルゴリズムは、ほぼ変更されなかろうと思われるけど、でも、定常的な新陳代謝により細胞の物質的な状況てつねに変化しているよ。すると、次期状態演算アルゴリズムの、細胞全体における総和も、かならず変化するのよ。そして、その結果として、細胞全体の思考機能のアルゴリズムも、必然的、かつ、他律的に、時々刻々、更新されずにはいないのよ。このことて、全体的な思考結果を変化させるはずだけど、でも自由とは言わないよ。全体が物理的かつ他律的に変化するだけだから」


    自由に考えているという印象の原因


「でも、それでもさ」絵理が言いつ。「あたしたち、自由にものを考えているんじゃないの?」

「うん、そのことに」青葉が言いつ。「さきほど明らかになりしことが関わりてくるのよ。かりに、当面のあいだ、思考関数のアルゴリズムが固定でも、入力が異なれば、異なる出力が得られるよ。それで、思考過程の動作内容に、変化が生じ、多様になりて、それで、じぶんで自由に考えている、という印象が、生まれるに違いないよ」

「うむ。思考アルゴリズムが固定でも、入力が変われば異なる思考結果が得られる。それで、じぶんで自由に考えているという印象が生まれる。まあ、そうかも知んないね。でもさ、その程度のことで結論だしていいのかな? ほかにも理由があるんじゃないの?」

「まあ、そうね。そもそもさ、まず、五感などの感覚が、そうだよ。感覚て、意識がじぶんで生みだし感じるものではないよ。感覚て、遣りてくるものなのよ。お客様なのよ。基本相互作用に端を発して、エナァジ状態が変化して、その変化が感覚クウェイルをもたらすのよ。そして、感覚て、決して自由感覚とは呼ばないよ。感覚に自由のないことは、ほぼ明らかだから。物理的に自動的に発生する感覚クワリアを、意識が受動的に感じるだけなのよ。意識は、そこに感覚クワリアが生じれば、ただ感じるだけなのよ」

「ああ、なるほど。感覚はたしかにお客様だよね。そして、わざわざ自由感覚とは言わないね」

「その通り」


「そして、こういうことて」青葉が言いつ。「思考についても言えると思う。よくよく冷静に謙虚に客観的に評価してみると、考えというのて、ふつう、考えのほうから遣りてくるよ。これは、自分で意図的に自発的に何かを考えているときも、同じだよ。見掛けじょう、じぶんで積極的に何かの考えを捻りだそうとしている時でさえ、考えは考えのほうから勝手に浮かびてくるよ。言わば、インスピレイションだよ。思考て、すべて、むこうから訪れてくるインスピレイションなのよ。感覚クウェイルだてインスピレイションなのよ」

「ああ、インスピレイション」

「そうだよ。そして、芸術的なインスピレイションも同じと思われる。そして、あたしたちと言えば、あたしたち、向こうから訪れてくる考え、言わば、インスピレイションを、単に感知しているだけなのよ」

「なるほど」

「ここは誤解しやすいところだよ。人間て、自分の意識のなかに何らかの思考が自動的に浮かぶだけでも、その思考を自分で能動的に形成している、と思いてしまうのよ。そこに思考クワリアが生じれば、意識はそれを感じるほかはない。しかし、意識は、その思考クワリアをみずから形成しているわけでは決してないのよ。まさに思考が働いている最前線の現場にて、じぶんで思考を働かせる操作を、意識は一切していないのよ。

 例えば、あれはどうしよう、と考えることは、ある。そして、その過程で、いろいろなことを勘案せしうえで、ひとつの結論が得られる。こういうとはちゃんとあるよ、あたしたちの主観の巨視的なレヴェルでね。そして、普通、あたしたち、それを自分で考えつ、と受けとめる。これが普通の印象だよ。そして、このゆえ、あたしたち、自分で自由に考え、その結果にしたがい、じぶんの自由意志で行動している、と思うのよ、誰もがね。

 でも、その思考過程をよくよく精査してみると、あたしたち、思考過程における微視的なレヴェルで微小な思考分を形成する操作は、一切していないのよ。むしろ、最初に、なんらかの小さな思考分が意識に初期入力として浮かぶことで、それが波及的に次つぎに別の小さな思考分の発生を引きおこすのよ、固体ごとのニューロン網に形成されている思考パタァンや、記憶の内容にしたがいて。そして、思考が前進するのよ、自動的に。

 ただ、どの思考パタァンや記憶が起動されアクティヴになるかて、その時その時のニューロン網の状態や、体の状態、そして外部環境の状況などに、つよく左右されるのよ。思考パタァンや記憶て、固体ごとに完全に異なるし、思考動作のおこる物理的な状況だて、時間の進行と宇宙の前進にしたがい、どんどん変化しつづけるのよ。要するに、思考動作が発生し進行する状況て、複雑怪奇であり、かつ、以前と同じ状況になることが決してないわけなのよ。

 つまり、ニューロン網で思考の動きが進行するその最前線では、その動きて、ニューロン網またはニューロン群という物質のがわで完全に自動的に発生しているわけなのよ。あたしたち、その動きを発生させる操作は丸きりしていないのよ。自動的に浮かびてくる思考クワリアを、ただ受動的に感知しているだけなのよ」

「まあ、確かに、そげなことはしていないよな」

「うん。意識て、とにかく、自分のなかに思考クワリアが生じると、それを自分で考えている、と錯覚してしまうのよ。自分で考えだししもののように感じられてしまうのよ。

 しかし、そのように感じられるにしても、意識がじぶんで考えだしつ、とは限らない。思考クワリアて、物理的に、物質的に、機械的に発生している可能性がしっかりあるからね。と申しますか、思考が、実際、そのように発生することは、もう判明しつけどね」


「たとえばさ」セァラが言いつ。「作曲のことを思えば、よく分かるのではないの? 作曲て、抽象思考の最たるものだよ。数学もそうかも知んないけどね」

「ほう、作曲」絵理が言いつ。「自分のことを言うているわけ?」

「いやいや、作曲と言えば、むしろ絵理のほうがよく分かるのではないの? 分かるでしょ?」

「あたし? あたしはまだ作曲などしてないよ。いずれはするかも知んないけどね」

「でも絵理が一番よく分かるはずだよ」

「へーえ。どういうことなわけ?」

「つまりさ、あたらしい曲想て、論理的思考により得られるものでない、と思われるのよ。新しい曲想て、そのときの脳の状態・体の状態・環境的な状況などの組みあわせの総体から齎されるのよ、恐らくね。あたらしい曲て、それが訪れうる物理的な状況が、偶然、整うことで、向こうのほうから訪問してくるわけなわけ、多分ね。たとえば、名曲が生みだされることて、奇蹟のようなことと言えるけど、名曲て、それが生みだされうる状況が、偶然、奇蹟的に生じしときに、向こうのほうから喜び勇みて訪れてくるのよ。決して論理的思考により考案されるのではないわけなわけ。あくまでお客様なのよ。インスピレイションなのよ」

「ああ、そうかも知んないね。たとえばさ、気ままに楽器を弾いていて、偶然いいメロディとかが出てくることもあるかも知んないよ。そして、それがヒトゥ曲になることも、あるのに違いない。ああ、なるほど。いい曲て、必ずしも、自分で組みあげるわけでもないわけだ? そこで必要なのて、むしろ、いい音や旋律を聞きわけるセンスなのだ? 判断力なのだ?」

「ああ、そういうこともあるかも知んないね。

 そして、作曲をふくめ、思考の根本的な原動力て、散逸構造の秩序形成力に違いないのよ。人のはたす全ての行為て、自分という個体のなかでの物理的秩序の形成と維持にあたるはずだけど、根本的には、散逸構造の秩序形成力に負うているのよ。

 そして、作曲につき言えば、ある音楽家の脳のニューロン網に、新曲をもたらしうる可能性を秘めし様ざまな抽象思考パタァンが形成されている状況で、そこに、さらに、幸運な物理的偶然、言わば、脳のニューロン網における幸運な物理的状況が、重なることで、名曲が人類にもたらされるのよ。作曲だけでなく、演奏もそうだよね、恐らくね。

 だから、散逸構造の物理的秩序形成力と、偶然が、創造性の本質なのよ。新しいものて、散逸構造の物理的秩序形成力と、思考パタァンと、偶然により、齎されるのよ」

「なんと、創造性の根源が明らかになりぬのだ? ええ? いやいや、大したものだ、散逸構造の物理的秩序形成力が、こんこんと湧きいずる創造性の源流だなど。夢にも思わなかりき」

「でも、こういう風に、音楽についての抽象思考につき検討すると、よく分かるよね、思考て、むこうから訪れてくるインスピレイションなのである、ということが? 数学や量子力学や宇宙論もそうかも知んないけどね」

「ちなみにさ、創造性て、新規性とも言えるよね? なんと、散逸構造の物理的秩序形成力て、こんこんと湧きいずる新規性の原動力でもあるわけだ? ええ? いやはや、いやはや。恐れいりちゃうよ」

「なるほど。大したものだ」


「じゃあさ」青葉が言いつ。「ミュージクについての判断も、お客様、と言えるのではないの? いま絵理が言いし、いい音や旋律を聞きわける判断力だよ。こういう判断て、考えるまでもなく、自然に浮かびてくるよ。ああ、これはいいとか、然程でもないとか、これは良くないとかね」

「ああ、なるほど」絵理が言いつ。「音楽についての判断て、むこうから自然に浮かびてくるんだ? 判断なので思考と言えるけど、自分でじっくり検討して判断しているわけではないわけなのだ? 直感なのだ? 判断て、直感的に生じてしまうのだ?」

「じゃあさ」セァラが言いつ。「ミュージクについての判断がいちばん分かりやすい、ということなのではないの、思考が意識のなかで勝手に組みあがりてしまう、ということについては?」

「うん、結局、そういうことになるかも知んないね。すると、ミュージクだけでなく、色いろな芸術についての判断も、そういうことになるよ。すると、芸術だけでなく、人間が果たすあらゆる行為についての判断も、そうなるよ。腹が減りつとか、料理がおいしいとか、眠くなりぬとか、いい仕事ができつとか、はい、よくできましたとか」

「なるほど。そうかもね」

「つまり、結局」青葉が言いつ。「思考て、ニューロン網の物質のがわで自動的に形成される、ということなのよ、その時、その時の、全体的な状況の影響をうけながら」


「脳のニューロン網て」青葉が言いつ。「途方もない数の神経細胞群で形成されているよ。そして、そこに形成されている思考アルゴリズムないし思考パタァンのネトゥワークて、超複雑怪奇だよ。そして、細胞のレヴェルでも、ニューロン網のレヴェルでも、同時に無数の物理事象が生じていて、同時に無数の思考アルゴリズムが起動されるよ。

 さらに、いまセァラも言いつけど、この宇宙には偶然が染みわたりていて、生物て、原子レヴェルから始まる、あらゆる大きさのレヴェルで、圧倒的なコンティンジェンシに徹底的に包囲されているよ。一つのニューロン網といえども、その内部の無数の神経細胞群や、体内や、外界で発生する、圧倒的な偶然に、つねに曝されているよ。

 つまり、ニューロン網の状態て、以前と同じ状態になることが決してない、と予想されるわけ。思考パタァンに、当面、変化はほとんどないにせよ、偶然により、思考の種の集合は徹底的に変化するよ。そして、無数の思考経過の組みあわせも激しく変化する。そして、全体的な思考過程が、きわめて多様で複雑なものになる。それで、結果として表面化する思考動作も微妙に変化するわけなわけ。

 つまり、ある方面の思考を起動するトゥリガァとなる、なんらかの刺激、つまり思考の種、ないし初期入力が、比較的に単純で安定せしものであると仮定しても――たとえば、これから一時間くらい短歌をつくろうと思うとかね――、外界や、体や、脳や、思考パタァンのネトゥワークの状態などが、考えている最中も偶然の影響により多かれ少なかれ変化するので、思考の過程も、それに応じて多かれ少なかれ変動するのよ。さらに、得られる結果がガラリと変わりてしまうことさえある筈だよ。

 思考動作が置かれている状況て、こういうものなのよ。機械やコムピュータァとは異なり、思考動作に影響をあたえうる無数の要因が複雑に関与してるのよ。このため、ある方面の思考といえども、以前と同一の思考が繰りかえされることて、決してないわけなのよ。偶然に翻弄される内外の物質的な状況の影響を、いやでも蒙らないではいないわけ。とことんサセプティブルなわけなのよ。こういうことも、自由思考の印象のおおきな原因と言えるよ。

 これが自由思考の正体なのよ。自由なのでなく、思考の過程が、水面や木の葉のように、外部からの影響をきわめて受けやすいものなのだ、ということなのよ。

 そして、ここには、思考の内容を変化させようという意図は入りていないのよ。つまり、思考て、当人の意図により変化して、そして前進するのではなく、偶然という物理的な原因により微妙な変動をうけつつ前進するのよ。ゆえに、自由思考は存在しないのでR」

「うむ」絵理が言いつ。

「それでもさ、自由ではなく、かつ、偶然に翻弄されるとは言うても、思考は出鱈目に動くわけでもないわけなのよ。なぜって、ニューロン網には無数の思考パタァンが形成されるから。生物の固体ごとに固有の思考パタァン群が形成されるので、思考は、おおむね、そのパタァン群に沿う方向で生じ、そして、展開してゆくのよ。なにしろ、生物の動きて、すべて、物理的秩序の形成と維持にあたるのであり、思考という観念的な動きも、観念による物理的秩序を形成する方向で展開されるのよ」

「なるほど。思考て、観念的な物理的秩序なのだ? まず、意識という統合波動のなかに動的に瞬間的に形成される思考アルゴリズム群と、それらの動作により動的に瞬間的に生じる思考結果が、思考なのだ? そして、これらて、統合波動のなかに生じるゆえに、基本的には物理的なものだけど、物理的であると同時に、観念的なものなのだ?」

「恐らくね。なのでとても薄気味わるいのよ。電子の二重スリトゥ実験からも明らかなように、物質の波動が、まず、人間の巨視的な感覚では理解ができず、きわめて薄気味わるいのよ。そして、思考アルゴリズムや思考結果て、そういう統合波動のなかに形成されるので、いよいよ以て薄気味わるいのよ。

 そして、生物て、つねに、素粒子レヴェルから始まる、あらゆる大きさのレヴェルで、偶然に徹底的に包囲されているよ。そして、偶然て、ランダムさのようなものなので、乱雑さとエントゥロピの極大をもたらしげに思われるけど、しかし、生物においてだけ、思考動作をふくめ、動作パタァン群がしっかり働くゆえに、たいへん不思議なことに、各種の秩序が形成され、かつ、維持されるのよ」

「なるほど。動作パタァンが、生物での秩序形成の肝なわけだ。すると、言わば、個体ごとに脳に形成される思考パタァン群が、あたしたちやあたしたちの人格の中核ということになるんじゃないの?」

「ああ、その通りだよ」


「そして、ここで、また」青葉が言いつ。「思考アルゴリズムに触れるよ。

 まず思考は無には果たせない。考えが形成されるには、思考アルゴリズムが必要である。どげに単純なものであろうとも、なんらかの思考が形成されるには、思考動作を体現しかつ果たすための思考アルゴリズムが、どこかに必要である。たとえば、ニューロン網のなかに。実際には、ニューロン網での大きな統合的な次期状態演算機能のなかに。また、瞬間的に形成される思考の欠けら群が一時的に保持されることも、必要である。短期的なものであろうとも、共時的に形成される無数の思考の欠けら群が物理的な記録として暫しのあいだどこかに保持されないことには、まとまりある大きな思考て形成されえないのよ」

「じゃあ、青葉て」絵理が言いつ。「一つのまとまりある思考て、たくさんの思考の欠けらから形成される、と考えるわけ?」

「まあ、そうだよね。一個の思考クウェイルだけで大きな思考が形成されるなど、とても考えられないよ。そこは、やはり、一個のおおきな観念的な物理的秩序としての思考が形成される方向で、関連する無数の思考アルゴリズム群におき、無数の思考クウェイルが、短時間のあいだであろうと同時に生じるだろう、と思う。それらが、たいへん不思議なことに、全体として、一個のまとまりある観念を形成するのよ。たとえば、腹が減りぬ、という単純な観念でさえ、無数の思考クウェイルで形成される、と思う。そこには、また、空腹感をかもしだす沢山の感覚クウェイルも参画してるに違いないよ」

「ああ、そういうことだ? それくらいなら、まあ、まあ、尤もなことと思われるよ。しかしさ、個この思考クウェイルや感覚クウェイルがどういうものなのか、これはさっぱり分かんないね」

「ああ、それは言えるよ。そもそもクウェイルがどういうものなのか、さっぱり分かんないよ。ただもう薄気味わるいとしか言いようがないよ。思考動作や意識も薄気味わるいよ。なにしろ、物理的に形成されるのに、観念的なものになりているから、観念的な機能を果たしているから」

「ただ、感覚クウェイルでありゃ、どことなく与しやすい印象はあるよね? もしもエナァジ状態の変化の波形がギザギザのノコギリ波や三角波や矩形波でありゃ、痛いとか、苦しいとか、つらいとかの、クウェイルになるかも知んないよ」

「ああ、なるほど」セァラが言いつ。「感覚クウェイルでありゃ、そういう物理的な側面に対応づけられる可能性があるわけだ? ええ? 素晴らしい。ただ、波形を観測するてこと、そもそも不可能だけど。そして、思考クウェイルだと、もう手には負えないよ。まあ、しかし、思考クウェイルも、その本性は感覚クウェイルである、という可能性も、なきにしもあらずだよ」

「ほう」絵理が言いつ。

「そもそも、クウェイルて、エナァジ状態の変化の残響だから、根本的には、物理イヴェントゥに対応してるのよ。そして、微生物に様ざまな感覚クウェイルが生じているうち、どこかの段階で、感覚クウェイルに思考クウェイルの様相が具わりはじめるかも知んないよ。

 例えば、一という数の概念を、考えてみる。一の概念て、おそらく、そこに何らかの一個の物体が存在する、という状況に、対応してるのよ。ものは何でもいいのよ。そして、こういう状況て、無数の感覚クワリアの総体により初めて認知されるのよ。つまり、そこには、無数の感覚クワリアを統合するという事象が生じるわけなわけ。この感覚クワリアの統合のあたりに、思考クウェイルが勃然と出現する可能性があるよ」

「なるほど。なんか理解しづらいことだけど、でも、なんとなく、セァラの言うていることも分かる気がするよ。感覚クワリアの統合の事象のあたりに、思考クウェイルが発生する可能性があるわけだ?」

「分かんないけどね。ほんの予想にすぎないよ」

「でも面白い」


「そして、あたしたち」青葉が言いつ。「思考アルゴリズムをいっさい形成していないのよ。あたしたち、ニューロン網、ないし、意識たる統合波動、または、統合波動のなかの大きな次期状態演算機能さえ、形成していない。あたしたちて、それらの形成には、一切、参画していない。そのメカニズムはここでは分からないが、思考アルゴリズム群は、微生物・単細胞生物・細胞・組織・器官・ニューロン網などの物質の波動のがわで自動的に形成される。そして、それらは、恐らく、巨視的な物理的秩序を形成するためのものとして、散逸構造の物理的秩序形成力により物理的に形成される。つまり、意識のなかに動的に形成される思考アルゴリズムさえ、物理的な秩序なのよ。他方、かりに意識が思考アルゴリズムを自分で形成しようと発心しても、それらの形成方法を意識は丸きり知らんのよ。いわんや、それらを形成する手段さえ有していないのよ」


「ところでさ」セァラが言いつ。「あることに関し、今度はべつな風に考えてみよう、と思うことがあっじゃん。そして、実際、べつな方向で思考が展開するてこと、あっじゃん」

「ああ、そうね。そういうこともあっじ」青葉が言いつ。

「こういうのなら、自由思考と言えるのではないの? こういうことがあるので、それで、やはり、あたしたち、自分の自由意志でものを考え、そして行動していると、思うのではないの?」

「そうね、その通りだよ。じゃあ、どう考えればいいのかな? べつな風に考えてみようと思うのて、これも恐らく何らかの切っかけで自動的にそういう思いが湧きてくるのよ。でも、その後は、だいたい、その別な方向に考えが進むよね? これはどことなく自由ぽい印象はあるよ、確かに。ただ、最初の切っかけだけは、やはり、お客様と解釈するしかなかろうね。最初の切っかけを形成する思考を、あたしたちは果たしてないからね。結局、こうなるよ」

「まあ、そうかもね」


「そして、さらに」青葉が言いつ。「思考アルゴリズムが動作しはじめるには、物理刺激という入力が一等さいしょに必要なのよ。なぜなら物質は完全に受動的なものだから。脳のニューロン網といえども、完全に受動的だから。思考アルゴリズムへの初期入力は、外部から遣りてくる。言わば、偶然なわけなのよ。おおきな思考が動作しているときに、ある思考アルゴリズムから別の思考アルゴリズムに思考の信号が流れるにしても、信号を受けるがわのアルゴリズムにとりて、その受信は偶然であり、かつ、受動的なものなわけなのよ」

「うむ」絵理が言いつ。「なんかくどいよね、言うていることが」

「まあ、まあ、そう固いこと言わないで。自由思考の印象のことなど、論理的に整理するさえ大変だから。

 そして、また、これからあることを考えようと自分で能動的に思うにしても、その最初の思いて、ニューロン網のなかに偶然しょうじる何らかの物理的な動きにしたがい、自動的に浮かびてくる。心が、どげな思考も生じていない静止水面のような状態にあるときに、意識はある明確な思考をみずから能動的に形成することはできないわけなのよ。言わば、意識や心は空なわけなわけ。

 なので、どげな思考であろうとも、意識になんらかの思考が形成されるには、その前に、かならず、意識の静止摩擦を振りきり思考動作が働きはじめるに足る、一等さいしょの物理刺激が不可欠なのよ。

 例えば、あることを考えようと意図するにしても、まず最初にその意図をいだく必要がある。しかし、その意図が意識に形成されるには、その前に、その意図を形成するための別の意図が必要である。そして、この枠組は、かんたんに無限再帰におちいる。ゆえに不可能である。

 ある考えが形成されるための切っかけは、観念的な実体である意識以外の部分である物質のがわで発生する何らかの物理事象、言わば、基本相互作用、として発生する、と推測される。それがニューロン網に形成されている思考アルゴリズム群への入力となり、一連の思考アルゴリズム群が次つぎに起動される。ニューロン網に形成される無数の思考アルゴリズムのあいだでの思考信号の流れは、集積回路の内部での信号の伝播に例えられるかも知んない。

 そして、起動され、アクティヴになりている思考動作そのものの思考クワリアが、意識に感知される。これが、意識に思考が浮かぶことの実相である。あたしたちの意識は、このようにして自動的に浮かびてくる思考を受動的に感知しているだけなのよ」


    より高度な思考アルゴリズムの他律的な形成の可能性


「そして、さらに」青葉が言いつ。「ただの物質の波動ではなく、細胞の意識つまり統合波動では、さらに他の外的な要因により、より高度な思考アルゴリズムが他律的に形成される可能性もあるかも知んないよ」

「その要因て、どげなもの?」セァラが言いつ。

「うん、これは可能性としては有りうるかも知んないとは思うけど、具体的なものまでは考えてはいないのよ。それでも、進化や新規性のことを思うと、なにかが足りないのではないか、まだ何か他の要因が働いているとしても全然おかしくはないのではないか、ていう気がしてならないのよ」

「ふーん」

「もっとも、こういうケイスも、自由思考ではないけどね。新規の思考アルゴリズムを自律的に形成するわけではないからね。

 それでも、素材の物質群での思考の足し算では決して得られない、より高度な思考結果が得られるかも知んないのよ。これは、思考の、創発かも知んないし、創発ではないかも知んない。それはまだ分からないよ。

 それでも、それの優先度が高く、そして、細胞内部が超越的な世界であるゆえ、下位の構成要素の物質に物理法則に違反する動きをさせることが可能であれば、べつに自由意志ではないにせよ、細胞にあたらしい動きの生じる可能性は、あるのよ」


    自由に考えるということの意味


「そして、ここで」青葉が言いつ。「自由に考える、ということの意味が明らかになるよ。自由に考えるとは、思考アルゴリズムが一つに固定されてはいないこと、を、言うのよ。ある特定の思考の種から、あらゆる思考結果を出せることを意味するのよ。はっきり言えば、まるきり統制が取れていず、無茶苦茶ということだけど。エントゥロピの極大にある、ということだけれど。

 もう少し詳しく言えば、考える主体に何らかの思考の課題が与えられしとき、その考える主体にエイ プライオーライに与えられている思考アルゴリズムに丸きり拘束されることなく、その考える主体が、べつの新しい思考アルゴリズムを、その都度、その都度、その場で、瞬時に編みだすことができ、それにより自由奔放な思考作業を果たし、多種多様な結果を出せること、を、言うわけなのよ」


    自由思考は存在しない(まとめ)


「折角だから」セァラが言いつ。「自由思考が存在しないことを、簡単にまとめておくと、いいんじゃないの?」

「そうかな?」青葉が言いつ。

「嫌なら、いいよ」

「いやいや、構わないけどね、まとめるくらいなら」

「じゃあ、まとめればいいよ」


「それでは」青葉が言いつ。「まず、無は存在しないのよ。無がものを考えるなど、不可能なのよ。すると、かりに、この宇宙に思考動作というものがあるとして、それは、無以外のものにより担われて体現される他はない、ということになる。すなわち、この宇宙では、思考動作は無以外のものにより果たされるのでR。そして、無以外のものとは、ヒグズ粒子で形成される空間をふくめ、物質である。すなわち、この宇宙では、思考動作は物質により果たされるのでR。

 ちなみに、ここで言うている物質は、粒子面での物質ではなく、物質の本性である波動を意味してOる。この波動が、物質をもたらす根本原因である物質基本機能群を体現してOる。そして、この物質基本機能群がつねに動作していしゆえに、この宇宙の開闢以来、物質とこの宇宙が存在しつづけてこられつのでR。

 また、こういうことは、意識や精神についても言えることである。

 そして、物質基本機能群のなかには次期状態演算機能がある。これは観念処理を果たすものであり、ひろい意味では思考機能と言える。これは、物質のなかで自律的に動作する。

 そして、物質が生物の細胞にまで進化せしとき、その巨視的な細胞のなかにおき、散逸構造の効果である物理的秩序形成力により、無数の物質群の次期状態演算機能たちから、細胞の意識の巨視的な思考機能が形成される。

 ちなみに、ちょいと道草するけれど、今のところ、細胞の意識の巨視的な思考機能は、受動的なものでしかないと、推測されるよ。この巨視的な思考機能に、外的な要因により、独自のより高度で能動的な思考アルゴリズムが与えられるか否かは、分からない。そして、その結果、細胞の意識でより高度な思考がはたされて、その思考結果にしたがい、構成要素の物質たちに、統一的な、より高度な動きが齎されるかどうかも、分からない。

 また、思考機能には、思考アルゴリズムが具わりている。思考、すなわち、観念的な演算機能は、アルゴリズムなしでは果たせない。物質による思考の結果は、思考アルゴリズムの動作により生みだされるのでR。

 また、思考アルゴリズムにより、ある特定の内容の思考の種の集合から出される出力、つまり、思考結果は、一つに決定されている。つまり、物質の思考機能は関数なのである。

 しかし、それでも、入力となる思考の種の集合が異なれば、異なる思考結果が出力される。このことは、思考過程や思考結果が容易に変動することを意味してOる。そして、これが、自分が自由にものを考えているという印象が、細胞の意識に感じられることの、根本原因になりている、と思われる。

 さらに、また、物質の次期状態演算機能は、物質にたいして先験的に与えられる。これは、細胞の思考機能についても同じでR。そして、物質も、細胞も、じぶんに先験的に与えられている機能に具わるアルゴリズムを自分で変更することは、できない。この宇宙は、そういう宇宙でRる。

 つまり、物質や細胞の思考アルゴリズムて、関数であると同時に、自分のアルゴリズムを新規のもので書きかえることもできないのでR。つまり、物質の思考アルゴリズムは、原則、固定でR。

 ゆえに、自由思考は存在しないのでR」

「はーい、よくできました」


「ちなみに、老婆心ながら付言しておくと」青葉が言いつ。「自由思考は存在しないが、思考のアルゴリズムは、外的な要因により変化しうる、と考えられるよ。詳細は、今はまだ不明でR。究明すればいいと思う。以上」


    別種の自由意志の可能性


「あと、これは」青葉が言いつ。「意志の自由さとはそれほど関係なかろうとは思うけど、思考アルゴリズムの変化などに関し、こういうことも考えられるよ。

 生物て、多彩な偶然のおかげで、見掛けじょう、自由な思考にもとづき動いているよう、見えて、そして、感じられるよ。それでも、実質的には、比較的みじかい時間のあいだは固定の思考アルゴリズムと固定の動作パタァンにより、ものを考え、そして、生きていることは、ほぼ間違いないことなのよ。

 これは、やはり、わかりやすい自由思考と自由意志が存在しないことを明確に意味しているよ。原子や分子などの物質の基底のレヴェルから見あげれば、生物て、モニタァないし解釈者または影として創発せし精神をも内蔵している、超やわらかな自動マシーンなのよ。

 だけれど、思考動作をふくめ、同じ動作を繰りかえしていると、脳の可塑性により、あたらしい思考パタァンと動作パタァンを時間をかけて形成してゆくことができるよ。また、体の物質的な状態や形状が変化したりもするよ。さらに、自然選択により、それが、進化に結びつくこともある。こういうことは、また、アミーバやゾウリムシなど、脳のない原初の生物についても言える、と思う。つまり、可塑性て、脳以外の、からだの色んな部位にも具わりている、と推測されるのよ。驚いちゃうよ。

 そして、こういうことから、自由意志には、もう一つ別の種類のものがあるのではなかろうか、というビックリ仰天の可能性も、考えられるのよ」

「ええ?」絵理がびっくりせしように言いつ。「ほかにも自由意志があるの?」

「うん、その可能性が考えられるのよ。なんか、それも何故か表現しづらいけれどもね」

「ふーん」

「もう少し分かりやすく言いなさいよ」セァラが言いつ。

「うん、とにかく何故か説明しづらいけれど」青葉が言いつ。「おなじ動作を繰りかえしていると、その動作をより容易に遂行できるよう体の物質的な状況が変化するらしいのよ。そして、物質的な状況が変化することて、言わず語らずのうち、物質に実装されている思考アルゴリズムや動作アルゴリズムを、その動作がしやすい方向に変更すること、と推測されるのよ。恐らく、望みている内容の思考アルゴリズムや動作アルゴリズムにより近くなるのよ、きっと。

 つまり、意志が、じぶんの思考アルゴリズムや動作アルゴリズムを自らちょくせつ書きかえることは不可能だけど、一旦、引きさがり、自由を求めて、へこたれず、べつの観点に立ち、あいだに別の方策を介在させることにより、なんと、天から与えられる思考アルゴリズムや動作アルゴリズムを、密かに、じぶんの意向で間接的に書きかえてしまうことが、できるわけ」

「ええ?」セァラは眼を丸くして言いつ。「そういうややこしいことが出来るんだ? へーえ、大したものだ」

「まあ、できるかも知んないよ。とにかく、直接の自由意志の行使ではないけれど、それでも、べつの手順を介在させることで、自分の思考アルゴリズムや動作アルゴリズムを時間をかけて微分的に改良することは、できそうなのよ。こういうことが自然選択による進化の正体かも知んないな」

「ふーん、驚いちゃうよ」

「あたしも驚きぬ。だから、こういう自由意志こそ、不可能な、直接的な、分かりやすい自由意志とは別に、ほんとの自由意志、と位置づけるのが、いいかもね。だから、こういう自由意志て、もう一つの自由意志・間接的な自由意志・遅効性の自由意志・とろい自由意志・代替の自由意志・技巧的な自由意志・手のこみし自由意志・密やかな自由意志・分かりづらい自由意志、などとも言えるかも。こういう手法て、物質をもっと進化させ、行動の可能性を拡張させて、もっと高度な物理的秩序を形成させしめるため、開発されつのかもね。

 そして、自由意志て、こういう風に、じぶんの物質を動かすという具体的な動作性を伴なうものなので、当然、進化や新規性にも関係がある、と予想されるのよ。もっとも、今は、まだ、とてもそういうことまで考える余裕はないけどね」


    細胞での思考


「ところでさ」絵理が言いつ。「場所がなんとなく曖昧だよね。これまでの話て、脳のニューロン網でのことを対象にしていつか、それとも、微生物や、単細胞生物や、細胞や、ニューロンのレヴェルのことを話していつか、あまり明確ではないよ」

「ああ、そうかもね」青葉が言いつ。「だから、いきなり主観の意識を対象にするのて余りに無茶なので、特に断らないかぎり、微生物や細胞のレヴェルで検討していることにすればいいのではないかと思う」


「突然だけど」セァラが言いつ。「コンシャソクワンタムて、どげな思考を感じると思う?」

「細胞の種類によりけりかもね」絵理が言いつ。「腸の細胞とか、心臓の細胞とか、肝臓の細胞とか、肺の細胞とか。特に、肝臓の細胞では、けっこう多彩な思考が発生するかも知んないね」

「気が狂いそうな思考かも知んないね」青葉が言いつ。「あたしたちの感覚からすると」

「そうだよ、それは言える」

「じゃあさ」セァラが言いつ。「ゾウリムシとかアミーバとかなら、モーアまともな思考になるのではないの、一個の統合体だから?」

「ああ、なるほど。どんなんだろうね?」

「そうね、なにかを感じて、繊毛群を動かすとか、体をよじるとか、細胞膜から何かを吸入するとか。こういう大きな動作についての観念が、モーア原始的なものとして生じるのかも」

「そうかも知んないね」


    自由意志の要件


「そして、この辺で」青葉が言いつ。「折角なので、自由意志の要件の改訂版を出したいよ」

「改訂版?」セァラが言いつ。「改訂の必要があるの?」

「まあ、そうね。まえに言うたのて、言わば、検討を前進させるためのパイロトゥ版なりきのよ。そして、これまで非常にたくさんのことを詳しく検討してきしお陰で、いろいろ不備のありしことが判明しつのよ。それを添削したいわけ。

 たとえば、自由意志における自由さの意味ないし本質があるよ。自由さの本質の一つて、思考動作をふくめ、巨視的な動作を遂行する当の動作主体が、その動作のトゥリガァとなる初期入力を、完全にじぶんの任意で自由奔放に設定できる、ということだよ。でも、こういうことて、ほぼ不可能なのよ。

 そして、分かりやすい自由意志はもうほとんど否定してしまいつけれど、自由意志の要件を正確なものにしておけば、意志にかかわる色いろなことを速やかに考えられるようになる筈なのよ。後あとけっこう役に立つのよ」

「ああ、そう。じゃあ、まとめたら?」

「それでは、切なるご要望にお応えいたしまして、早速ご披露いたしましょう。自由意志の要件は、以下の通りです。

 まず、a) 物質性を帯びていて、物質基本機能を具えており、物質と相互作用ができること。これは、要するに、物質性ね。

 そして、b) 思考の種を自分で随意に生みだすことができること。これは思考原因自己準備。じつは不可能だけれどね。

 そして、c) 思考アルゴリズムが単一のものに固定されてはいないこと。自由意志が、じぶんで生みだしし思考の種をじぶんで受けて、思考機能を回転させはじめるときに、特定の内容に制限されない新規の思考アルゴリズムを、その都度、その都度、その場で、瞬時に編みだすことができること。そして、その結果として、後続の要件により、自由意志が、その都度、その都度、異なる思考結果を出せること。これは無制約多様思考アルゴリズム瞬時生成。

 ちなみに、これは、自由思考が存在しないことの検討から得られし要件だよ。これを、また、物理学と熱力学と情報理論の観点から評価するなら、要するに、エントゥロピ極大の、混沌状態の、無茶苦茶な状態になりている、ということだよ。

 そして、d) 前項の無茶苦茶な要件により編みだしし信頼性の欠如せし思考アルゴリズムによりて、思考を展開し、結果を出せること。これは思考展開結果導出。

 そして、最後に、e) 組みあげし思考結果にしたがい、原子レヴェル・分子レヴェルで、じぶんの物質の体ないぶの物理事象を意図的に制御できること。これは意図的物質動作制御。

 おおよそ、以上です」

「うむ」

「ちなみにさ」青葉が言いつ。「bの思考原因自己準備とcの無制約多様思考アルゴリズム瞬時生成の要件を満たすことはほぼ不可能なので、ほかの要件には関わらず、めでたく、自由意志は存在しないことになるよ」

「bの思考原因自己準備て、ほんとに不可能なわけ?」セァラが言いつ。

「うん、不可能な気がするよ、なんか、直感的に」

「ああ、そう」


    自由意志は存在しない(証明)


「それで、また思いつきつので」青葉が言いつ。「自由意志の要件をみたす厳密な自由意志が存在しえないことを、証明しておきたいよ」

「ええ? 証明できるわけ?」セァラが言いつ。

「うん、ごく論理的に証明できると思う。これなら証明と言うていいだろうと思う」

「へーえ」

「自由意志の要件の一つとして、bの、思考の種をじぶんで随意に生みだすことができる、という思考原因自己準備がありきけど、これて根本的にできないことと予想されるのよ。この線で論証しようかな、と思うのよ。これまでの話で自由意志はもうほとんど粉砕してしまいしゆえに、あらまほしい自由意志に最後のとどめを刺す、駄目押しの証明になるかもね」

「ふーん。どうなるの?」

「うん。こういう感じかな。

 まず、ものを考えるには、一般に、思考が動きはじめるにたる種ないし原因または切っかけが必要である。

 これは、なにかを動かすにはその静止摩擦を凌駕できるだけの運動エナァジをおびし初期入力が必要である、ということでR。兎に角、なんらかの力を受けないことには、一切なにものも変化せず動かないのよ、この宇宙では。この宇宙て、そういう宇宙なのよ。自律プロセスたる量子の波動の内側だけは、自律的に定常稼働を続けているけどね。

 そして、自由意志が、自分の要件にしたがい、その思考の種をじぶんで用意するとすりゃ、その前に、その自由意志は、そういう意図をいだく必要がある。

 しかし、こういう意図て、それがそもそも観念であり、この観念を形成するにも、思案が必要である。

 すると、今度は、この先だつ思案を開始させる種はどこから湧きつのか、という問題が発生するが、これは循環に陥る。

 それで、結局、自由意志が、じぶんで思考の種を随意に捻りだすことは逆立ちしても果たすことができない、ことに、なる。そして、厳密な意味での自由意志の要件のひとつが満たされないことに、なる。

 こういう次第で、自由意志は存在できないのでR。

 この結論は、ほかの要件の満足を、まるきり問わない。条件が論理積だからでR。

 以上、証明、おわり」

「ほう……」セァラは絶句しつ。

「なんか、えらい簡単に証明してしまいしようだけど」絵理が言いつ。「自由意志を有している主体とかは、登場しないわけ?」

「ええ? 主体?」青葉が言いつ。「そうね、主体と言えば、意識たる統合波動になるけれど、でも、いまの証明では、意志を担うがわのことまでは考慮しなくて良かりきのよ、幸いなことに。なんでか知んないけどね。それで、だから、簡単に証明してしまえしわけなのよ」


    自分の動作アルゴリズムを自分で直接に変更できる機能は存在しない


「それで、またまた思いつきつので」青葉が言いつ。「たいへん厚かましいことながら、自由思考が可能ではないことの説明を、もう一つ追加させてもらいたいよ」

「まだ説明できるわけ?」絵理があきれしように言いつ。

「まあね。多分これが最後の説明になるんじゃないかと思う。今まで長なが理由を模索してきし結果として、ようやくあたしもこれに気がつきぬのよ。えらいご苦労な話だよ」

「へーえ」

「ひと言で言うと、それ自身の動作アルゴリズムを自分で直接に変更できる機能は存在しない、ということなのよ。それで自由思考が可能ではないのよ」

「ええ? それ自身の動作アルゴリズムを自分で直接に変更できる機能は存在しない?」

「うん、そうだよ。簡単でしょう?」

「そげなことが自由思考となんの関係あるのよ?」

「そりゃ、思考も、機能の一つだから。そして、自分自身を変更できる機能は存在しないのよ。すると、思考機能も自分を変更できないわけなわけ。そして、思考機能がじぶんの動作またはアルゴリズムを自分で変更できないとすれば、自分の考えかたを変更することもできないわけなのよ。つまり、考えかたて、要するに、思考アルゴリズムのことだから。それで自由に考えることできないわけなわけ」

「ふーん」


「じゃあさ、すこし説明しなさいよ、機能が自分を変更できないことを」セァラが言いつ。

「そうね、じゃあ、まず、物質のことから言うのが分かりやすいかもね」青葉が言いつ。「まず、物質基本機能て、物質に先験的に与えられるものなのよ。そして、物質基本機能が自分で自分の動作アルゴリズムを変更するなど、ありえないよ。物質には、そげな能力までは与えられてはいないわけ。もしもこの宇宙の根本素材である物質にそげな能力も付与されているんなら、なんか妙なことになるからね。物質がそういう信頼性に欠けるものなりきなら、恐らく、この宇宙は最初の最初から存在できなかりし筈なのよ。それで、物質が、じぶんの機能の動作アルゴリズムを自分で変更するなど、決してないわけなのよ」

「なるほど。でもさ、物質基本機能には、次期状態移行機能もあるのではないの? これて、自分を変える機能ではないの?」

「ああ、そうね。確かにそう言われてみれば、そうね」

「そうだよ」

「でも、ここで、ぐうと詳しく検討してみると、次期状態移行機能て、自分で自分の動作アルゴリズムを変更しているわけではないわけなのよ。次期状態移行機能て、次期状態演算機能の演算結果にもとづき、量子全体の状態を変化させるものなのよ。例えば、外部とのあいだでのエナァジの遣りとりにより、温度を上げ下げしたり、運動エナァジを変化させたりね。

 しかも、状態を変化させるにしても、自力で、単独で、そうするわけでは決してないわけなのよ。あくまで、外部とのあいだでの相互作用に巻きこまれし結果として、嫌いやそうしているだけなのよ。しかも、動作アルゴリズムではなく、量子全体の状態を変化させるだけだしね」

「なるほど。まあ、そうかもね。じゃあさ、放射性物質はどうなわけ? 放射性物質て、自力で別の物質に変身するじゃん。これて、自分の動作アルゴリズムかなんかを自分で変更することに、当たるのではないの?」

「ああ、そう言えば、放射性物質がありきよね? 確かに、核分裂して、ほかの物質になるんなら、動作アルゴリズムは変化する、とは言えるよ。でも、核物質の自然崩壊も、ごく厳密に見ると、自己変更ではないと思われるのよ」

「ほう。それはどうして?」

「それはどうしてかと言うと、核物質の自然崩壊て、これも、外部的なエナァジの介入による他律的で間接的な変化と推測されるからなのよ」

「外部的なエナァジ? なんなのさ、それて? そげなものがどこにあるわけ?」

「お疑いはご尤もなのだけど、多分、どげな物質であれ、その内部空間からは、色いろな強さのエナァジが、つねに、好き勝手に放出されては、また吸収されてしまいているのではないか、と推測されるのよ。なんでか知んないけどね。ゲイジ粒子の放送と再吸収のように。多分、エナァジが勝手に出てきても、それが瞬時にまた吸収されてしまうなら、すこしも問題ないわけなのよ、恐らくね。ほんの一瞬のことならね。そして、たまたま核分裂を引きおこすに足る強さ以上のエナァジが放出されしとき、核物質の原子て現実に自然崩壊してしまうのよ。

 ちなみに、このため、普通には放射性物質とは見なされない普通の原子も、長大な時間のうちには自然崩壊する可能性は、否定はできないのよ。なぜって、無限の時間のうちに、核分裂にたる強さのエナァジが一回でてくれば、それでいいからね」

「なるほど」

「つまり、エナァジが、自分のなかから出てくるにしても、一旦そとに出てしまうなら、それはもう他人様と言えるのよ。要するに、核物質て、じぶんの動作アルゴリズムを変化させ、ほかの物質に変身することを、他人様である外的なエナァジにより無理強いされるわけなのよ。

 そして、核物質の不定の核分裂を合理的に説明できる説明て、これくらいしかなかろうと思われるのよ」

「ああ、そういうこと。てんでんバラバラのタイミンで核分裂する放射性物質の自然崩壊て、すげえ納得しづらいけれど、そういう説明がされるなら、すとんと腑に落ちるわけだ。ほんとかどうかは分かんないけどね」

「まあね。あたしも正確なことまでは知らないのよ。

 ちなみに、自然崩壊のことを言うんなら、その他に、核融合もありきよ。これも、外的なエナァジにより、量子と量子が融合することを無理強いされるのよ。

 そして、化学反応なども、他の物質とのあいだでの外的な相互作用に巻きこまれることによる他律的な変化と言えるのよ。

 こういう次第で、物質て、自分で直接に自分の動作アルゴリズムを変化させることが決してないわけなのよ」


「じゃあ、次はなに? 物質の次は?」絵理が言いつ。

「そうね、順序として、次は」青葉が言いつ。「論理的な面での説明をすればいいかな、と思う」

「論理的な説明? ほう」

「論理と言うほどでもないけどね」

「まあ、なんでもいいよ。言うてみなさいよ」

「うん、簡単なことなのよ。ひと言で言えるのよ。物質は、自分にだけは触れない、ということなのよ」

「ええ? 物質は、自分にだけは触れない? なに、それ?」

「でも、そうでしょう?」

「そうかな?」

「そうだよ。物質て、他のどげなものに接触することができるにしても、自分にだけは、絶対、触れないのよ。すげえ論理的でしょう?」

「いやいや、つまんない頭の体操ていどのことだよ。でもどうしてそげなことが言えるわけ?」

「ええ? どうして? いやいや、これて、説明を要するようなことではないよ。そういうものなのよ。物質て、自分には触れないのよ。これて一種の公理だよ」

「いやいや、是が非でも説明しないといけないよ」

「こげなこと、説明できるわけ?」

「青葉がじぶんで言うたのよ。説明できるでしょう?」

「難儀やなあ……。じゃあさ、ミミズさんを例にして言うよ」

「ええ? ミミズ?」絵理は胡散臭げな顔で言いつ。

「そうだよ、ミミズさんだよ。ミミズさんて、多機能の複合機能なのよ。なので、ミミズの全体を論じるわけにはいかないけれど、でも、ミミズの先端だけに的を絞るなら、ちょうどいい実例になるよ」

「へーえ、ミミズの先端?」

「そうだよ。つまり、触るという単一の機能を、ミミズの先端に与えるのよ。それだけを与えるのよ。すると、その先端て、どげに足掻いても、自分自身には決して触れないのよ。たとえ、体の協力をあおぎ、体にどげにグネグネ身をよじりてもらいても。どう? これでいいんじゃないの? 明らかなのよ」

「ああ、そう。まあ、そこまで具体的なことを言われれば、認めざるを得んかもね。物質は、自分にだけは触れない。まあ、そうかもね」

「そうだよ。この宇宙てそういう世界なのよ」

「でーさ、それでどうだと言うわけ?」

「それで、そのゆえ、機能も自分には触れないのよ。なぜって、無は存在しないから。そして、無以外のものとは、空間を構成しかつ物質に質量をもたらすヒグズ粒子をふくめ、物質なのよ。それで、この宇宙という物理世界において、どげな機能であろうとも、機能て物質により体現されるのよ。それで、機能が自分に触れないなら、それ以上に、自分の動作アルゴリズムを変更するなど、逆立ちしてもできないことになるよ。なぜって、自分のアルゴリズムを変更しようにも、そもそも、それに触れないからね。このため、思考機能も、じぶんの考えかたを変更すること叶わず、自由に考えることができないわけなのよ。つまり、考えかたて、要するに、思考アルゴリズムのことだから。よりて、自由思考は存在しないのでR。まる」

「おっと、いきなりそこまで言うの?」

「まあ、この程度の話なりきのよ。意外に簡単にケリがつきてしまいつよ」


「ちなみにさ」青葉が言いつ。「いまの話からのもう一つの帰結として、自己動作アルゴリズム変更機能というものは決して存在しえない、ということも、言えるよ。仮にそういう機能を想定してみるにせよ」

「自己動作アルゴリズム変更機能?」セァラが胡散くさげに言いつ。

「うん、自分の機能の動作アルゴリズムを自分で変更する機能だよ」

「あれ? 今までそれにつき話していつのではないの、あたしたち?」

「うん、そうだよ。ただ、今までは、機能の全般につき話していつのよ。一般論なりしわけ。つまり、なにかあることを果たす機能がありて、その機能て、その機能を果たすほかに、じぶんの動作アルゴリズムを変更することまではできない、という話なりきのよ。

 それで、ここで、念のため、自己動作アルゴリズム変更機能に特化して、その機能だけを果たす機能を想定してみつのよ。つまり、自分の動作アルゴリズムを変更するという自分の機能を果てしなく変更しつづけるだけの機能なわけなのよ」

「ああ、そういう妙な機能だ? 一種、再帰的な機能なわけだ?」

「ああ、そうね。そして、そういう特殊な機能て存在しえない、ということなのよ。それを、念のため、表明させてもらいしわけなわけ。とにかく、いかなる機能も、じぶんには決して触れないからね」

「なるほど」


「でもさ」セァラが言いつ。「これまで言うてたことには、思考機能が物質により実現されるということが暗黙裡に前提にされていつけれど、それはいいの?」

「うん、そのことは」青葉が言いつ。「これまでにもう説明してしまいつので構わないのよ。兎に角、この宇宙に存在するものは、全て、空間をふくめて、物質により実現されるのだから」

「それは認めるしかないかな? しかし、結局、物質がものを考えていつなんて、思いも寄らなかりきよ」

「それはあたしも同じだよ。でも、兎に角、意識というものをどんどん追い詰めてゆくと、どうしても、最後は、物質と物質基本機能に逢着しないではいられないのよ。兎に角、ものを考える主体て、絶対に物質でなければいけなかりきのよ。ものを感じるのも物質なりきけど。あたしたちの意識て、統合波動という摩訶不思議な物質なのだから。物理的なものなのだから」


「こういうことも言えるのではないの?」絵理が言いつ。

「どういうこと?」青葉が言いつ。

「つまりさ、思考機能て、思考機能なのよ。思考機能て、その名のとおり、思考機能だけを果たすものなのよ。もしも、仮に、思考機能に自己動作アルゴリズム変更機能も付与されているとすりゃ、それて、複合機能ということになるよ。そして、思考&自己動作アルゴリズム変更機能と呼ばないといけないのよ。よりて、言語学的な見地から見ても、思考機能に自己動作アルゴリズム変更機能は具わりてはおらず、自由思考は不可能なのでR。以上、証明、おわり。まる」

「おっと」セァラがびっくりせしように言いつ。「言語学で証明するわけ、絵理? でも、なんか、えらいインチキ臭かりきよ」

「そうかな? この通りじゃん」

「そうかなあ?」

「じゃあ、否定してみなさいよ」

「ええ? 否定? 否定なんかできるかなあ? うーん、なんか、無限ループしてしまいそうだよ」

「もちろんだよ。青葉は、どう?」

「あたし?」青葉が言いつ。「そうね、一見、尤もなようには見えるよね。でも、どうも、怪しげな雰囲気がつきまといているよ。なにがどうとも言えないけどね、今、この場ではね」

「やはりこれで正しいのよ。そのものズバリだから。余計なことなど何ひとつ言うてはいないのよ、あたし」

「まあ、確かに、言語学的に攻めてこられつとすれば、返す言葉がないかもね。おお、あたし、言語学により、返す言葉をなからしめられつ。でもさ、念のため、セマンティクスの観点からも詳細に検証する必要は、あるかもね」

「いやいや、それは、これまで、つぶさに検討してきつのよ。そして、大よそのところ、ああいうことに落ちつきぬのよ。あたしは、それを、言語学の立場から補強してあげしだけなのよ」

「まあ、そうかもね。すぐには反証できそうもないので、今はまだ保留にしておくよ。でもさ、まさか、言語学で証明できるなど、夢にも思わなかりきよ。いやはや、いやはや」

「あたしもビックリ仰天だよ。やれやれ、やれやれ」セァラが言いつ。

「あたしも自分で信じらんないよ。おほほほほ」絵理が言いつ。


「じゃあさ、あたしも補強してあげるよ、屋上屋を架すようだけど」セァラが言いつ。

「なにを?」絵理が言いつ。

「自己動作アルゴリズムは変更できないことだよ」

「へーえ、まだ補強できるわけ?」

「まあ、できるのよ。蛇足ながら」

「いつのまに考えしわけ?」

「そりゃ、あたしも、せっせと考えているからね、並列分散処理をしながら」

「なるほど」

「それでは、まず、大前提として、自分に触れる機能があると仮定してみるのよ」

「へーえ。どげな機能?」

「いやいや、これはそういう想定なのよ。これも一種の思考実験だから。しかも、実際、そげな機能があるかも知んないからね。そういう事態に備えておくのよ」

「ふーん」

「まず、かりに、自分に触れる機能があるとする。しかし、自分に触ることは一つの機能である。すると、その機能のほかに、自分の動作アルゴリズムの変更も果たすとすると、その機能は複合機能ということになる。しかし複合機能は認められない。ゆえに、自分の動作アルゴリズムを変更できる機能は存在しないのでR」

「あれ? それて、言語学的な証明の変形のようなものではないの?」

「ああ、そうかも知んないね。意味論における具体的な検討になるかもね」

「なるほど」

「それで、これで話はもう終わりということになりてしまうけど、それでは余りに愛想ないので、変更できることの他に触れる機能も有していることは、一旦、大目に見ることにするのよ」

「へーえ」

「そして、改めて、ここで、自分を変更するほかに、自分に触ることもできる機能があると仮定する。すると、自分の動作アルゴリズムを変更するには、代替とする新規の動作アルゴリズムの設計、もしくは、アルゴリズムそのものが、必要になる」

「うむ」

「それで、まず、そういうものが当の機能にもう具わりているとする。すると、必要なことは、その別の機能で現在の機能を置換することである。しかし、置換を実施するには、置換機能が必要である。すると、ここでもうNGが出てしまう。なぜなら、その場合、当の機能は変更機能のほかに置換機能をも具えていないといけないことになるが、それでは複合機能になりてしまうから。複合機能は認められないのでR。

 また、さらに、代替のものがもう組込済であれば、それは新規のアルゴリズムとは見なせない。そげなものを使う変更は、ただの切り替えでしかないのでR。

 また、代替のものを無限に用意しておくことも不可能である。

 ゆえに、このケイスでは、自己動作アルゴリズムは変更できないのでR」

「ほう」

「つぎに、代替の設計もしくはアルゴリズムが、組みこまれていない場合を検討する。すると、ここでまず必要なことは、その代替物を、その場で新規に考案もしくは製造することであるが、しかし、そういう作業はまた別の機能ということになる。しかし、複合機能は認められない。しかも、新しいものを生みだすということは、きわめて困難な行為でR。ほぼ不可能である。さすれば、変更機能ごときに果たせるわけがない。よりて、このケイスでも、自己動作アルゴリズムは変更できない、ということに、なる」

「うむ」

「さらに、ここで、また別のケイスとして、手元になにも持たなく、手当たり次第に、無茶苦茶に、変更作業を敢行するものとする。しかし、これは、変更と言うより、ただの解体である。ただの破壊行為というものである。このため、このケイスでも、変更は不可能である。

 よりて、こういう次第で、自己動作アルゴリズムは変更できないのでR。まる」

「なんか、いろんなケイスがありて、かなりややこしかりきよ。ポイントゥはなんなりきわけ?」

「ええ? ポイントゥ? ポイントゥまで言わせるの?」

「ポイントゥをまとめておかないと、すぐに忘れてしまうじゃん。もう忘れてしまいつよ」

「また考えないといけないよ」

「考えればいいじゃん」

「ああ、そう。まず、①として、意味論の立場から、複合機能は認められない、ということだよ。

 つぎに、②として、代替とする新規の動作アルゴリズムの設計、もしくは、アルゴリズムそのものが、もう組込済であるとして、それらで置換するときには置換機能が必要になる。なので、このケイスも複合機能になるのよ。それで認められないということ。しかも、それらを無限に用意しておくことも不可能なのよ。

 さらに、③として、代替とする新規の動作アルゴリズムの設計、もしくは、アルゴリズムそのものを、その場で考案もしくは製造するケイスも有りうるが、これも、また、複合機能になるよ。それで認められないわけなわけ。しかも、そもそも、新しいものを考案することが不可能なのよ。

 そして、最後の④として、設計も代替物もなく、無茶苦茶に変更することは、破壊でしかないということ。

 以上」

「なるほど。いずれにしても、自己動作アルゴリズムは自分では変更できないということね?」

「そのとおり」


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