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縹局の作戦会議室を出てみれば、扉の前でゴートが待っていた。
いや、さっきからずっと居たのも分かってはいるが。
大分やきもきしていたようだが。悪かったなあ。
「悪い、待たせたか」
「待たせたか、って、お前さん、そりゃないぞ。結局、思いとどまったのか? まあ、無事なのは見りゃ分かるがよ」
ああ、これが普通の感覚なんだろうなあ。
昼前に飛び出して夜には戻ってきてるんだから、移動距離もたかが知れている筈、ってとこか。日本時代に日帰りで海外旅行とか聞いたら、俺も冗談だと思うもんな。
「いや、セル族の氏族長と会ってきた」
「……冗談、って訳じゃなさそうだな……」
「ああ」
「どこから突っ込んでいいのか、もう分からんな。まさか、サルディニア軍を殲滅してきたとか言わんよな」
「いや、全員と酒を飲んできた」
「……あり得ん……」
ディルスランなら、ないわ~、とか言っているところかなあ。
だが、結果自体は俺自身でも予想外のところに落ち着いたが、切っ掛けは間違いなくゴートだ。
改めて、居住まいを整えてゴートに向き直る。
「ありがとう。お陰で大侵攻を止めることが出来た。馬賊の締め付けにサルディニア軍も協力してくれることになった。全部ゴートのお陰だ。感謝する」
「何言ってやがる。俺は何にもしてねえぞ、って、ちょっと待て。今、なんつった?」
「今年の大侵攻は無しだ」
「ちょ、おま!」
絶句するゴート。まあ、無理もあるまい。
敢えて軽く言ってみたが、歴史的に見れば、考えられない展開だよな。分かっちゃいるんだよ。
ただ、何となく思う。これが当たり前、これが普通なのだ、と思ってもらいたい、と。何も特別な奇跡を起こしたわけではないのだ、と。
特別扱いがトラウマになったわけではないと思うが。
「まあ、飯にしようや。その様子じゃ、まだ食ってないんだろ?」
「……当たり前だ」
「じゃあ、楽しみにしててくれ。ルクアの飯はうまいぞ」
「……分かった。考えるのはやめだ。飯は本当にうまいんだろうな」
「ああ」
「楽しみにしておくことにするよ。で、お披露目は、飯のあとでいいのか?」
「リムがまだ戻ってないからなあ。多分、大和と狩りに回ってから戻ってくるだろう。そのあとで頼む。早く見たいのはやまやまなんだけどな」
「分かってる。お熱いこったな」
あれ?
そんなに惚気たかなあ。
晩飯はうまかった。
ゴートは賓客待遇なので、それっぽく整えた食堂でもてなすことになった。
まあ、実際は俺と差し向かいなだけで、給仕役はシャナだけなんだが。
一応、凛はまだ非公式、という体裁なので、同席はしていない。
最近ようやく完成した、自分の部屋に引きこもっている筈である。
本来、凛の部屋は正室として、奥向きの一番立派な部屋に入ってもらう予定だったのだが、まあなんと表現すべきか、グリードにとってもそこは奥向きの部屋だったようで、すっかり荒れきっていた。
年頃のレディーを入れたくはないと思うくらいには。
そんなわけで、徹底した清掃、いや、むしろ消毒、改修をやりきったのである。
どうせなら、ということで竜胆藩の力も借り、取り寄せた畳を敷き詰めたそこは、思わず俺も入り浸ってしまうくらいに快適な和室となっていた。
季節がどうなるのかはまだ分からないが、もし冷え込むのなら、是非炬燵を再現したいところだ。
とまあ、話は逸れたが、ともかく、飯はうまかった。ゴートも満足してくれたことと思う。
食後のお茶を楽しんでいると、ふと、リムの気配を感じた。
大和も一緒だ。うん、戻ってきたらしい。
「ゴート、待たせた。そろそろお願いしていいか」
「お? ああ、分かった。場所は何処でやるんだ?」
「大和の部屋が裏庭にあるから、そこでどうだろう。元々厩舎があったところで、それなりに広い庭もある」
「おう、十分だろうよ」
まあ、広いとはいえ、大和にとっては狭すぎることに変わりはないだろうが。
下界は、大和の足には狭すぎる。想像するに、俺たちで例えるなら四畳半に押し込められているようなものか?
生活は可能だが、決してのびのびは出来まい。
たまにリムと狩りに出るのが、まあ、飯の必然でもあるのだが、良いストレス発散になっているのではないだろうか。
そして、それは、実はリム自身にも言えた。
リムにとっても、下界が狭くなってしまったのだ。
全力でぶつかり合えるのが俺と大和だけ、というのは、やはりストレスなんじゃないかと思う。
あれ?
そういえば、俺はあまりストレスに感じていない気がするなあ。
まあ、そりゃそうか。
凄いパワーは太郎丸がいればこそだし、鈴音に助けられた身体制御からすれば、手加減を敢えて意識する必要すらないくらいだ。
……本当に、俺は守られているよなあ。