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「これで良かったのかね」
「さての、良し悪しなど、誰が決めるものか。そんなものは後世の人間が好き放題、論評するだけのことよ。お主が心のままに動いた結果がこれじゃ。良いも悪いもないわ」
黄昏の大草原を歩きながら、俺はハクと向かい合っていた。
サルディニア軍の陣を出るときは飛んで出たのだ。そのまま心の中で話していてもよかったのだが、なんとなく、顔を見て話したかった。
あのあと、ミルトンの鶴の一声で、本当にナーダムに雪崩れ込んだのである。
個々の心中には温度差があった筈だが、全体の雰囲気としては、やはり成人の儀、という意識の方が強かったお陰で、すんなりとナーダム開催は受け入れられたようだ。
まあ、今回の侵攻が初陣という連中も多い。前回の侵攻時に大切なものを失ったやつや、過去の侵攻で父や兄とか親しいものを失ったやつもかなりいる筈なんだが、恨み骨髄に達した怨念の軍勢、というよりも、やはり成人の儀を立派に飾りたい、名を揚げる場、という雰囲気の方が強かった。
ここのところは、結構心配だった部分ではあるが、俺が思うよりも本当にこの世界は死が近いのかもしれない。いや、もしかしたら、サルディニア人の気質にもよるのかも知れないが、あまり恨みが持続していないようなのだ。
拍子抜け、とまでは言わないが、想像以上に祭りは盛り上がった。
「まあの、元々サルディニア人は、我が風の民、ロスディニアの血を色濃く残す民であるよってな、風を愛するものも多かろうよ。お主の中には風の神珠がある。お主の風を受けたいと思うのも、まあ不思議ではないの」
「そんなものか。その辺はよく分からんが、まあ、いい祭りだったとは思うよ」
最初はノリと勢いだけで突っ走ったものだが、俺が一発風を放つ度に、笑顔の輪が広がっていったように見えた。いや、怪我人も次々増えていったと思うんだが。
我も我もと集まってきて、結局、本当に言葉通り、全員を吹っ飛ばしたんじゃないだろうか。
神が去った代わりに、風の御子が降りてきた、祝福された成人の儀、となったと思われたのかもしれない。
そして、そのあと、まるで当たり前のように、宴会が始まったのである。
正直、いつ宴会に切り替わったのか、よくわからない。これがシームレスか。
いや、違うか。
ともかく、そこから始まったのが、大宴会だった。
そこで、俺は、その場に集ったサルディニア人、一人一人と、一杯ずつ杯を交わしたのだ。
実際の人数はわからないが、万に届くんじゃないかと思うほどに集まったサルディニア人。もちろん、そんなには集まっていない筈だが、俺も無茶をしたものだ。
最初は半信半疑だった皆も、笑っていたやつらもだんだんビビり始め、最初のうちはいつ力尽きるかという賭けすら行っていた連中も、どんどん静かになっていた。だが、半分を過ぎた辺りからは、もう大喝采の嵐だったと思う。
一杯一秒で飲めば、一時間で三千人は行ける。
ワンコ蕎麦かよ。
我ながら改めて、太郎丸と心臓に感謝、というか、驚きも新たにはなったが、本当に底無し、らしいな。
未だにエネルギー源が不明の心臓、そこに蓄えられているのだと考えておこう。消費量も、貯蔵上限も、何もかも、目安すらわからないが。
ともあれ、やれるだけの事はやったと思う。
成人の儀は、大盛況の中に終えることができた。
無茶をした甲斐はある。
もう一つの狙いも、果たされた筈だ。
あざとい、とか、小賢しい、とか、言われるかも知れないが。
死者こそ出なかったが、大量に出た怪我人。
大宴会で悉く消費され尽くした糧食。
感情がどうあれ、これで、物理的にも大侵攻の継続は困難となったことだろう。
時間は稼げた。
今後の侵攻がどうなるか、それは氏族長会議の結果だ。
また改めて、頑張ればいいさ。
……風の民、ロスディニア、か。
ジークムントは詳しく知っているかもな。
「古き伝承に語られる、原初の四氏族、ですな」
「そういうのが、あるのか」
「そのようです。既に滅びた氏族であり、実態も謎に包まれておりますが」
「地水火風の四つだよな」
「左様です。エスト山系を中心とする風のロスディニア、タント奥地、白銀の森を本拠とした水のラウィット、リスト王国南部、炎の森のラハル、そしてモス・ロンカ王国ロンカスト山に住んでいた地のロディス、これらが原初の四氏族と伝えられております」
「今の世代とは違うのか」
「神話に語られるところによりますと、そうですな。四氏族は遺産を多く残しましたが、全て滅び、今の民族に代替わりしております。サルディニア人は現民族の中でも、最も原初の四氏族の血を色濃く残す、と聞きます」
「伝承は結構詳しく残っているものなんだなあ」
「左様ですな。ローザ神の加護を受けた語り部が多くを伝え残しております」
なるほど、そりゃ、正確だ。
「現民族は、大陸中央のルーデンス人を筆頭に、タントのタルタンディア人、リストのリベリット人が主な民族ですな。モス・ロンカ王国は自分達をロディス人と名乗っておりますが、原初の四氏族とは別物と考えるべきでしょう」
「ありがとう、よく分かった。国の違いは民族の違いでもあるわけだな。あとひとつ気になることがある」
「はい、何でございましょうか」
「大陸中央、ルーデンス人の昔には、四氏族の世代の民族はいないのか」
「左様ですな、ルーデンスに連なる始祖の伝承は、寡聞にして聞いたことがありませぬ。もとより神代の代には大陸を四氏族で四分しており、中央、がなかったとも言えると思います。ルーデンス人は、四氏族の末裔を名乗る四か国を四方に追いやって、大陸中央に覇を唱えている、とも言えますな」
「ははあ、なるほどね。そりゃ、みんな反抗したがるわけだ。一度は力で制圧されたのに、今はみんな独立してるんだもんなあ」
ふうむ、これは、かなり根が深そうだ。
ミルトンは、想像以上に好意的に俺の言葉を聞いてくれたと考えるべきだな。
今の縹局の交易相手は、勢力配置的にエスト山脈付近を基盤とするセル族が相手になっている。それが効を奏しただけか。
氏族長会議は、本当に、油断できないだろうな。
今度は国のトップが相手になる。凛レベルがごろごろいると考えれば、力ずくで我を通すわけにもいくまい。
まあ、会議の結果がどうなろうとも、縹局の存在意義に変わりはない。
惜しまれて死ねれば、それでいい。
願わくば、サルディニアの皆にも、惜しまれるようになれればいいな。