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喬静蘭、名前の響きからは中国っぽい感じがあるが。
「央華の裔か?」
「そこまでご存じか。同じ華桑人なれど、袂はわかっている。槙野の威光は通じぬと、お見知りおきください」
それ以上の問答は無用とばかりに、構えに力が入る。
左半身に構えた喬静蘭は、槍の石突き部分を握る右手を大きく引くと同時に、大きく後足に体重をかけ、身を沈めた。
イメージ的にはあれか、引き絞った弓みたいだな。ここから突き込んでくるんだろうか?
そう思っていたら、一瞬、膝下だけが霞むように動き、体勢を変えないままに滑るように間合いを詰めてきた。
しかも、滑らかな動きに騙されそうになるが、岩相撲の突進よりも速い。
間合いは近いのに、静蘭の体は遠いという不思議な感覚。
その時、ふと気付いた。右手の位置が変わっている。
そして、気付いたときにはもう、槍の穂先が目の前にあった。
なんという、距離感の掴みにくさ。
槍の又に、抜き様に鈴音を差し込み、突きを受け止める。
この瞬間、予感はあった。
三ツ又の槍、十手のような使い方をしてくるんじゃないか?
時代小説でも、絡めてからの得物取りを見た記憶がある。
果たして、その予感は現実のものとなった。
体重移動で体が迫ってくるのと同時の踏み込み。
何か破裂したような、甲高い爆音。これが発勁か?
渦を巻く体と、突き込む右手。
そして、螺旋を描いて捻転する槍の穂先。
空気が震えるほどの凄まじい回転力を持った槍が、一直線に胸元に伸びてくる。
途中に立ち塞がる全てを巻き込んで粉砕しながら、敵を貫通する一撃必殺の突き。
俺には、そう見える。
なるほど、恐るべき一撃だ。
だが、回転に巻き込まれても、恐らく鈴音が折れることはあるまい。
太郎丸のパワーをもってすれば、握力で負けることも無いんじゃないか?
とはいえ今までの経験上、武術的な動きは、想像できる物理的な力とは何か質の違う、ある意味得体の知れない威力を秘めていた。
力で対抗するのは愚策。
そうだ、凛の言葉を思い出せ。
逆らうな、祐。
ガチリと噛み合う槍と鈴音。そのまま巻き取られようとする動きに逆らわず、俺は宙に跳んだ。
槍の回転と一緒に、空中でぐるぐる回る俺。
だが、鈴音に高められた俺の認識力は、その程度の回転で自分を見失うことはない。
凛を前にした時のような、あの異常な感覚、間合いを盗まれた感覚はなかった。鈴音に引き延ばされた時間感覚の中、槍の穂先が俺の体に届く。
それでも、突きに逆らわずに動いた時点で、俺に向かう槍の勢いは殺されていた。
軽く胸を小突く程度、太郎丸に毛ほどの傷も付く筈がない。
気にせずに身を翻し、着地する。
仕留め損なったことに気付いたものか、それとも当初の予定通りか、突きを放ち終えた静蘭の動きに淀みはなかった。
するすると槍が引かれたと思ったときには、俺の周りを円形に回りながら、自身の頭上で槍をぐるりと回し、大きく弧を描いた槍の石突きが斜め下の低い位置から俺をカチ上げに来る。
大したもんだ、一瞬たりとも、油断はしないということか。
一撃放って戦闘態勢を解いていたミルズとは違うなあ。
この動き、足払いか。薙刀でお脛、とか、よく狙うと聞いたが。
最速、最短でかわすとしたら、俺のその動きは予測されるだろうか?
かわさずに、攻めるか。
石突きを踏みつけて止め、それを踏み込みとして間合いを詰めよう。
そう思った矢先、まるで俺の足を掻い潜るように、石突きが跳ね上がってきた。
横の動きが急に縦に変わる。なるほど、普通ならかわすのは困難だな。咄嗟に顎を引き、鈴音に導かれるままに、上半身をスウェーバックさせる。
鼻先を掠めるように、石突きは目の前を抜けていった。
なんてギリギリ。
そして、静蘭は石突きを一直線に、自分のもとへ手繰り寄せた。当然、槍の本体は自分の後ろ側だ。
俺の方からだと、槍の柄と穂先は静蘭の体に隠れて見えなくなる。
その瞬間。
響く鈴の音に引かれて見上げてみれば、俺の頭上から落ちてくるかのような、槍の穂先が目に飛び込んできた。
今、この寸前まで、確かに静蘭の背中の向こうに隠れていた筈の槍が、どういうわけか、逆落としに俺に向かって突き込まれてくる。
背中越しに槍を跳ねあげ、視界の外、頭上真上から突き込んできたのだ。
恐るべし。
鈴音がいなかったら、さすがに気付けなかったろう。
上から落ちてくる槍を、鈴音で横から払い、軌道を逸らす。
大技の後だ、チャンスか?
だが、俺が攻めに転ずるよりも早く、静蘭は槍を引き、構えに戻る。
むう、隙がない。
それに、なんというか、戦闘スピードに差がありすぎた。
例えは難しいのだが、恐らく、一呼吸の間、一つ一つの動きは、俺の方が圧倒的に速い。
だが、俺の動きは、以前に比べれば随分滑らかになったとはいえ、やはり単発なのだ。
一呼吸に一手、俺が打ち込む間に、静蘭は、二手、三手動いていた。
いや、違うな、静蘭の一呼吸の間に、俺は少なくとも三呼吸、三手打ち込める。
にもかかわらず、静蘭は一呼吸で三手以上動くものだから、結局はトントンだ。
ならば、技として繋がりの良い方、技として洗練されている方が勝つ。
つまり、静蘭の方が手数の回転で俺を上回るのだ。
参ったね。
さて、このあとはどうしようか?
少し悩む間に、静蘭が口を開いた。
「貴男は、偃月三叉戟と対峙した経験がおありか?」
「いいや、槍と戦うのも今日が初めてだよ」
「……信じがたい。蠍の尾を、初見でここまで鮮やかに返されたのは、初めてです」
微かな嘆息。
お互いを恐れ、攻めあぐめているのもお互い様か。
にしても、蠍の尾か。上手いことを言うな。
背中越し、頭上を越えての一撃は、確かに蠍の尾に見えなくもない。
これこそ必殺技、奥義だよな。
鈴音に守られて互角に見えるが、まあ、静蘭の方が圧倒的に格上なのは間違いない。
凛には及ばないにしても。
そう思えば、毎日凛に鍛えられている成果、かな。
よくよく考えてみれば、間合いや、静蘭の中の力の流れなど、今まで見えなかったものが、何となく分かるようになっている気がする。
凛に比べれば、姿勢や構えに歪みや力みが見えるし、それが打ち込む隙にも見える。
鈴音と太郎丸に守られているばかりではなく、俺自身も、少しは強くなってきたのだろうか?
まあ、見えた隙にどう打ち込むかは、鈴音に教えてもらうわけだが。
さて、どうしたものか。
殺すだけなら手は幾つかあるんだが、それでよし、とは言えないし、だらだら打ち合うのも本意ではない。
目的は、別にあるのだから。
やはり、魔法で崩すか?
その矢先だった。
「そこまで、で留めては頂けんじゃろうか」
輿に担がれた老人が割って入ってきた。
「喬将軍、槍を引けい。わしはセル族長、ミルトンと申す。お若いの、ここはわしに預けてはいただけんか?」
やっと出てきたか。
「構わんよ。あんたに聞きたいことがあって来たんだ。あんたが出てきたなら、話はそれで済む」
「風の加護受けし若者よ、話を伺おう」
「お待ちくださいミルトン様。まだ勝負はついておりませぬ。氏族長をお守りするのが私の使命です」
なんだ、静蘭、えらく攻撃的だな。
それとも、なにか功でも焦っているのか?
「将軍、この若者を侮ってはならぬ。比武の間は比武に留め置くのが上策。この者を相手に、殺し合いをしてはならぬぞ」
「くっ……分かり申した」
渋々と、槍を納める静蘭。
ふうむ、えらく高い評価だが、このじいさんは、俺の何を見たんだろうな。
まあ、本気で殺し合いになれば、俺は無限の体力だ、例え時間はかかっても、いずれ相手を殲滅できるわけだが。
魔法もまだまだ。
あらまあ、思ったより凶悪だな、俺も。