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「久しぶりだな、ニーア」
馬車から降りてきたのはゴート・ジェニングスと、なぜかやたら疲れきった感じのニーアだった。
魔法使いっぽい黒いローブに身を包んだ彼女は、恐らくはそれなりに小綺麗にしていた筈だ。まあ、疲れきっていて見る影もないが。
「恨むよ、ユウ様」
開口一番、ご挨拶だな。
ゴートは苦笑いしている。なるほど、事情に心当たりがあるわけだな。
「えらく疲れているじゃないか。普通の旅よりずっと早く着いた筈だぞ?」
「誰のせいだと思ってるのさ」
毒舌は相変わらずみたいだな。さすがにいつもの勢いはないが。
「誰のせいなんだ?」
真面目に、真っ正面から問いかけてみると、ニーアはぐっ、と言葉に詰まっていた。
まあ、八つ当たりっぽいよな。
「ユウ様、なんて人と知り合いなのさ」
王都での知り合いで、ニーアがここまで憔悴する相手か。さっぱり見当もつかん。
いや、嘘だ。
何となく、あいつじゃないかって気がするぞ。
「今朝方までな、ブラウゼル卿が一緒だったんだ」
ゴートが助け船を出してくれる。やっぱりな。あいつか。
「そうか、そいつは大変だったなあ。馬車もさぞ狭かったろう」
「そっちじゃないよっ!」
うん、突っ込みのキレは健在だな。
「解析が一段落したから、ひとまずは、と思ってルドン行きの隊商を探してたんだよ。そしたら、朝いきなりブラウゼル卿が来てさ、ついでに連れてってやるって馬車に放り込まれてそれっきり。ブラウゼル卿だよ? ブラウゼル卿。侯爵家の若君と馬車で差し向かいになった気持ちがわかる?」
「いや、それよりも、不可侵の聖域の筈の学院にブラウゼルが乗り込めるって方が驚きだが」
「ああ、そっか。ブラウゼル卿も、ゴート様も学院へは出入り自由だよ」
なんだって?
そうなのか?
「まあ、そうだな。加工に当たっては、魔法的な細工をすることも多くてな、学院内に工房を持ってる。お前さんの銀狼の皮だって、魔法の助けがなければ切ることすら出来なかったからな」
「ブラウゼル卿の黄金の重鎧装も、整備は学院でやってるよ。だから、出入り自由なのさ」
な、なるほどなあ。
エルゼール家は絶対不可侵みたいに言われていた学院に、自由に出入り出来る特権階級だったわけだ。
「学院も意外と国家権力に近かったんだな」
「ユウ様、勘違いしてない? なんだかんだ言っても、学院は国営なんだよ?」
「なるほどね、だいたい分かった」
「貴族様を目の前に三日間なんて、拷問と変わらないよ」
「そいつは、本当にお疲れさんだったな。まあ、ルクアのうまい飯でも食って機嫌を直せ」
「余計に気を使うよっ、バカっ!」
あっはっは、元気になったじゃないか。
「ゴート、お披露目は少し待ってくれ。リムが戻ってからにしたい」
客間にゴートを案内して、俺たちはそこで話し込んでいた。ニーアは自分の部屋に帰っている。睡眠不足だそうで、寝る、とだけ一言言い置いて去っていった。
ゴート自身の用事と言えば、銀狼の鎧が完成した、ということである。
加工で行き詰まったとかではなく、もう完成したらしい。
さすがだ。
どんな姿になったのか、逸る気持ちは抑えがたいが、それでも、俺の分まで頑張ってくれているリムを置いて、俺だけが先に見るわけにもいかない。
「ああ、取り込んでるらしいな」
「馬賊狩りだよ。サルディニア軍の接近に伴って、本気で遠慮がなくなってきやがった」
「まあ、ルドンの風物詩みたいなもんだからなあ。騎士団にも動員がかかってる。そっちに任せるわけにはいかなかったのか」
むう、こいつもか。
「みんな似たようなことを言ってくるな。取りこぼす小さな被害は、折り込み済みか?」
「そりゃあ、拾える数には限りがあるだろうよ。何百年と繰り返してきてんだ。どこかで割り切らなきゃあ、なるまい」
「そっちにはそうでも、俺にとっては初めてだ」
「いくらお前さんの腕が長くても、全部拾える訳じゃねえぞ?」
「ありがとう、さすがに分かってる。それでもな、見捨てられたうちのいくつかは、守れると思ってるよ」
ゴートは軽く肩をすくめると、小さく嘆息した。
「俺らの方が、慣れすぎちまってるのかも知れねえな」
「それだけ延々、繰り返してるってことだろ」
それが歴史の硬直とも言えるし、歴史の重みとも言える。
積み重なった恨みが消えることはあるまい。確かに割り切らなければ、心も削れていくだろう。
「いや、麻痺しちまってるんだろうよ。良い実戦訓練の場と思ってるくらいだからな」
おいおい、それは割り切りすぎじゃないか?
「向こうさんにとっても、成人の儀式になってるくらいだ。誉められた話じゃあ、あるまい」
なんだって?
「そうなのか?」
「まあ、聞いた話だがな。若手ばっかり、全氏族の戦士が集まってくるんだ。あながち間違いじゃあるまいよ」
マジか。
心が冷えていく気がする。
ということは、だ。
前の世界でも成人式で破目を外して暴れまわる連中がいた。巻き込まれて怪我をしてしまったやつだっている。
サルディニアの成人式に巻き込まれて里を追われたリムは、破目を外した連中の割りを食ったってことか?
おもむろに立ち上がる。
「おい、いきなりどうした」
「……確かめてくる」
落ち着け、俺。
ゴートも、あくまで噂を伝えてくれただけだ。本当のところは、恐らく誰も知らない。
だったら。
俺が確かめてくればいいじゃないか。
唖然とするゴートを置いて、俺は部屋を出た。
「ハク」
「うむ、行くのじゃな?」
「ああ」
そのまま、大空に舞い上がる。
慌てたようなゴートが追いかけてきていたようだが、俺に振り返る余裕は、なかった。