87 騎士団長の憂鬱
王に呼ばれるのは、珍しいことではない。
私の立場は、親衛隊の隊長ともいうべき、王宮騎士団長なのだから。
その日、呼ばれたのは城内の道場だった。
ふむ、王としてではなく、四水剣総帥として呼ばれたか。
さて、いかなる案件だろうか。
ここのところ王の寝襟を騒がせているのはルドン近郊の情勢だが、そちらで何かあったのだろうか。
華桑、槙野家が動いているという報告もある。
彼らが表舞台に僅かなりとも名前を出してくるとは、余程のことが起きていると考えていい。
私の代では今回が初めてのことだし、恐らく数代に遡って、槙野の名を聞くことなく任を全うしてきた筈だ。
さて、何が起こっているものやら。
道場につけば、珍しい人物が王と共に待っていた。
ジェレミー・ジェニングス。
ルーデンス建国以前からその名を継ぐ、大陸最大の商会、その当主がそこにいた。
話を聞いてみれば、確かに判断に困る案件だった。
タカナシ・ユウと名乗るその華桑人の少年は、単身エスト山脈上層に至る能力を有し、そこで入手した魔獣の素材を加工できる最高の職人を求めている、という。
これまで彼が拠点としてきたファールドン、そして現在のルドン、そのどちらの領主からも正式な面会の報告はない。
タカナシ・ユウの中に、恐らく王国の存在感がないのだ。
手に入れた珍しい素材を、王都にまで出向きながら王家への献上など考えることもなく、自身のために使う。
彼の見ている世界に、国の影がない。
あり得ないだろう。
それでいて、やっていることが、ルドン周囲の治安維持ときた。
彼は新しい国でも作るつもりなのだろうか?
本来ならば、国として招聘するなり、仕官の打診を打つなり、接触の手だてを考えるべきだろう。
しかしながら、それを妨げる重大な情報が共にあった。
槙野家の姫君と、非公式ながら既に婚儀を終えているというのだ。
そして、公式に、王に向けて結婚披露宴参列の招待状が届いているのだという。
槙野家主導での動きが、表舞台に現れてきたと考えるべきだろうか。
華桑は、領土的野心を持ち始めたのだろうか?
さりとて、タカナシ・ユウの動きに関する何らの要望も匂わせてこない。
王の決断は早かった。
四水剣総帥としてタカナシ・ユウに最大限の配慮をする、それが我々の行動指針となった。
王が言うには、槙野家から非公式の使者が何度か王国を訪れているそうだ。そして、その動きから我が王が見抜いたことは、槙野家がタカナシ・ユウを守ろうとしているということ、だった。
王のその直観を、我々は共通認識の基盤としたのだ。
そして、ジェニングス商会に接触してきたアルマーン商会と連携し、彼を王都に迎える運びとなった。
その直後の報告に、私は耳を疑ったものだが。
ジェニングス商会の用意した高速馬車から送られてくる伝信報告から、彼が大型魔獣を伴って来ることが分かったのだ。
アルマーン商会は、何故それを見過ごすのか。
反論を許さぬほどの暴虐の徒なのか?
槙野家は、何を思ってそのような輩を守ろうとするのか?
いや、もし逆に考えるならば、槙野家が守ろうとするような人物の行動だ、魔獣を伴うことに意味があるのかもしれない。
どちらであるかは、私が見極めればいい。
魔獣が来るとなると、王国守護の王国騎士団が黙っていないだろうが、王が配慮すると決めた以上、口を挟ませるわけにもいくまい。
それからの三日間の忙しさは、あまり思い出したくない類いの忙しさだった。
王国騎士団を抑え、王宮騎士団を演習名目で出撃させ、我々は彼を迎えることになった。
実際に目にした彼の姿は、当初の予想からは大きく外れたものだったが。
一言で言えば、別世界の住人と言うべきだろうか。
異国人や、異民族という範疇ではない。
価値観があまりにも違いすぎる。
彼に比べれば、まだタント人やリスト人の方が共感は容易い。
かといって、ただ異質なだけでもなかった。
物事に対する理解が早い。
権威や暴力を持ちながら、その上に胡座をかく気配がない。
そして、彼の配慮の行く先は、王でもなく、国でもなく、民に向かっていた。
王家を無視しながら、王都の民をおもんばかる。
一体どこの王族か?
彼の目線は支配者の目線だ。
であるにも関わらず、ただの一商人に過ぎないアルマーン商会当主に対し、仲介の労をねぎらい、頭を下げる。
頭が良く、礼儀正しい。そして、それを鼻にかけたところがない。
なるほど、不思議な人物だ。
そして、彼の連れてきた魔獣。それもまた、異常だった。
強さの質が違う。
これを討つには、どれ程の損害を覚悟せねばならないだろうか?
負けるとは言わないが、負けに等しい損害を被るのは明らかだった。
その魔獣を操る娘もまた、同じように強いとすれば、この二体を相手にするだけで、その結果は考えるまでもない。
狼の姿をし、巨大な銀狼を操るその姿は、伝説のロワ・ルーを彷彿とさせる。遥かタントの奥地にその名を残す、伝説の狼神。
一体、これはなんなのだ?
タカナシ・ユウは如何にしてこの二体を操っているのか?
ゴート・ジェニングスから聞いたその方法が、また奮っていた。
娘を妻とし、魔獣を子として、家族の絆で結ばれている、と。
既に婚儀がなされていると聞いた。あの娘、槙野の姫か?
だが、それにしてはあまりにも容貌がルーデンス人そのものだった。
側室を構えているとなると、やはりいずこかの王族と考えるべきか。
陣に戻ってみれば、いつのまにか馴染んだ魔獣とタカナシ・ユウがいた。
臨戦態勢を解いたわけではない。
だが、少なくとも今は敵ではない。何かしらそういった信頼感が、陣全体を包んでいるようだった。
彼は一体何をしたのだろうか?
本当に、一つの和やかな家族のように、お互いにもたれ掛かりながら空を眺めているその姿は、魔獣の恐ろしさを、一時忘れさせるものではあったが。
そんな彼が問う。
四水剣総帥の言葉の重みを。
疑っている様子はないようだったが、何故確認が必要なのだ?
城壁から狙われている、と?
彼は如何にしてそれを察知したのだろうか?
遥か彼方の城壁の様子を、何の道具も魔法具も用いずに克明に描写していく。
あの距離が、見えているというのか。
疑うのは容易い。だが、彼の描写が連想させるものにも心当たりがありすぎた。
ブラウゼル・フォン・エルゼール。
名門エルゼール家の次期当主候補。
若手の中では最も腕の立つ、武才の塊のような若者。
生まれに恵まれ、育ちを保証され、その武才を存分に伸ばすことの出来た、次代の王国を背負って立つべき騎士だ。
彼の家が伝えるエルゼール流鎧甲術は、技もさることながら、体格をも同時に要求する武術だったが、ブラウゼル卿はその要件をも完璧に満たしていた。
エルゼール家に伝わるルーデンス国宝の一つ、黄金の重鎧装を、まるであつらえたがごとく、手足のように着こなせるという。
これは、エルゼール家の長い歴史のなかでも、数少ない資質だ。ブラウゼル卿以前には、歴史に名を残す英雄、ライゼル・フォン・エルゼールが、まるで衣服のごとくに鎧を扱ったと聞くが。
そんな彼が、こちらを狙うか。
王宮騎士団と王国騎士団とに確執がないとは言わない。
四水剣と王家を奉じる我が王宮騎士団と、王家と領民守護を掲げる王国騎士団、共に王国に抱く思いは同じ筈なのに、お互いを譲らず暗闘を繰り返してきた歴史すらある。
王国騎士団長は、今回は矛を納めてくれていたがその手綱をも振り切ってきたか。
血を見ずには治まらないだろう事態を、だが、タカナシ・ユウは自ら矢面に立った。
そして。
そこからの立ち回りは、見事の一言に尽きた。
ブラウゼル卿の血気をいなし、裏に潜む陰謀をも暴いてみせたのだ。
猪突猛進をもって知られるブラウゼル卿を、ここまで鮮やかに止めてみせようとは、想像だにしていなかった。
よほど馬が合ったものか、ブラウゼル卿とタカナシ・ユウとの間には、一定の信義すら芽生えたようだ。
そら恐ろしさを感じる。
王宮騎士団に溶け込み、敵対心に満ちていた筈のブラウゼル卿と友誼を結ぶ。これは一体なんだ?
タカナシ・ユウの中には、如何なる垣根も無いのか?
魔獣を子となし、人としての垣根をすら越えているのか。
槙野家が、王が認めた、これがタカナシ・ユウの資質か。
だが、同時に、これは危険だ。
彼の中に、既存の権力に対する垣根もないのだとすれば、彼は、体制の破壊者となる。
彼は、秩序の破壊者となる。
王家に如何なる災いをもたらすだろうか?
彼は、恐らく王家を敵として躊躇うことがない。
ブラウゼル卿に告げた、たとえ王国を滅ぼそうとも譲らん、との言葉。
あの言葉を発した瞬間、彼を貫いていたのは確かな覚悟だ。
あの一瞬で、彼はそこまで覚悟を決めていた。
最大限の配慮を持って対すべし、との王命を受けてはいるが、禍根はここで断つべきなのではないか?
まだ、芽の出る前に。
そう思いが至った瞬間だった。
悟られた。
殺気が漏れたとは思えないのだが、何故か、悟られた。
そのタカナシ・ユウの、まるで裏切られたかのような心細そうな瞳。
今、この瞬間まで、彼は、我々を心から信じてくれていたのだろう。
もし、彼が敵対するとしたら、その切っ掛けは私になるのか。
参った。
私の負けだ。
謝罪を素直に受け入れて貰えるとは思えないが、これは、借りになるだろう。
王には伏してお詫び申し上げよう。
……時代が、変わるか。