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「王宮騎士団は腑抜けたか!」
おいおい、いきなり喧嘩腰だなあ。
黄金鎧の開口一番が、それだった。
「王都門前までむざむざ魔獣の侵攻を許した挙げ句に、よもや、無傷の帰還を許そうとは一体いかなる了見か! ルーデンスの要を自認する、これが王宮騎士団の誇りか!」
イラッと来るなあ。
「おい」
一歩前に出れば、黄金騎士の視線がちらりと俺を見た。ふむ、歯牙にもかけていないつもりかな。本当に、こいつはなにしに来たんだ?
「俺にいちゃもんをつけに来たんじゃないのか。相手を間違えるんじゃない。噛みつきやすい相手に吠え猛って悦に入るとは、お里が知れるぞ」
ざわり、と空気がざわめいた。
真っ向から反駁するとは、思っていなかったんじゃないか?
いや、違うか。こんな無礼な物言いに触れたのが初めてってところかな。周りを囲む部下たちの方が驚いているんじゃないか。
「貴様、誰に向かってそんな口をきいているか、分かっているのだろうな?」
「知るか。名乗れ」
「なっ!」
「何処の馬の骨とも知れん輩の戯れ言を、わざわざ聞いてやるほど暇じゃないんでな。聞いて欲しければ名乗れ」
はっはっは、自重は何処へ行った、祐よ。
ううむ、短気だなあ、俺も。
やめないけど。
「……名を聞いて後悔しても遅いぞ。我が名は、ブラウゼル・フォン・エルゼール」
怒りに震える声。地獄の底から響いてくるような、って感じか?
体格は化け物じみているし、兜の中の顔までは分からない。だが、それでも何となく、若そうな気配だ。
俺が子ども扱いするとか可笑しいけど。
「うん、分かった。よし、話を聞いてやろう」
その瞬間、きっと漫画だったらコマ割りにでっかくプチン、と描かれたことだろう。
盛大な轟音と共に、地面が爆ぜた。
金色の光の尾を曳いて、巨大な鉄の塊が突っ込んでくる。
凄いな、迫力は竜の突進に次ぐぞ。
よほど頭に血がのぼったのか、それでなくともでかい黄金騎士の、その身の丈よりさらにでかい巨大な剣を抜き放ち、問答無用で叩きつけてくる。いや、ぶったぎってくると言うべきか?
まともに食らうとヤバイかな。ザイオンの斬撃よりよほど痛そうだ。
こちらも一歩踏み込み、間合いを崩して懐を目指す。
思い出すのは、あのディルスランの踏み込み。どこまで再現できるかどうかは分からないが、試してみる。
鈴音に導かれ、一歩踏み込み、俺はブラウゼルの目の前にいた。
落ちてくる剣身の根元を交差させた腕で受け止め、目の前の下腹に真っ直ぐ蹴りを突き込む。体格差は大人と子どもだ。当たりどころは勘弁してほしい。
金属同士の激突する凄まじい音が響き渡り、黄金騎士の体は思いきり吹っ飛ばされていった。
とはいえ、姿勢が全く崩れていない。
いや、それ以前に手応えがおかしかった。俺は一体何を蹴ったんだ?
心臓に守られ、太郎丸に包まれていてなお、どうして蹴った足が痛いんだ?
なんという頑丈さか。
俺も、こんな感じに思われていたのかなあ。
吹っ飛ばされていったブラウゼルを見て、残りの部下たちが臨戦態勢となる。鎧の隙間から、金色の光が漏れ出ているようだ。
だが、分かっているだろうか。
ブラウゼルは抜いたが、俺はまだ抜いていないんだぞ。
これは、俺からのサインだ。さあ、気づけ。
その思いが届いたものか、一触即発の気配を漂わせながらもなお、彼らは襲いかかっては来なかった。
うん、どうやらまともな連中らしいな。
さて、あとはブラウゼルか。
地面を足で削りながら滑っていった黄金騎士は、一跳びで戦場に戻ってきた。
「貴様あ、許さんぞ……!」
「ふむ、つまり私怨による私闘の申し込みだな。受けても構わんが、それで間違いないか」
「ふざけるな、何が私怨か!」
「ほう、ならば大義を聞かせてくれ。因果も含めず、丸腰相手に抜剣した大義を。こちらは話を聞こうとしたのではなかったか?」
「ぬけぬけと……!」
歯噛みするブラウゼル。
まあ、俺のイメージが悪いせいだと思えば仕方がないよなあ。気持ちは分からなくもない。
「魔獣を操り、ルドンを力で脅かす無頼の徒が、王国騎士に大義を説くか!」
ふうん、王国騎士ね。王宮騎士とは違うのな。警察庁と警視庁みたいな違いかな?
「王国騎士の大義は相手によって姿を変えるのか。誰を前にしても変わらずに掲げるからこその大義ではないのか。王宮騎士団にあれだけ歌ったんだ、俺にも説いてみろ」
ほんの一瞬、ブラウゼルが怯んだのが分かった。
きっと、彼の大義には俺を責める材料がない筈。最初から俺を悪と断じていたから見過ごしていたことに、ようやく気付いたのではないか?
さて、何故ブラウゼルは俺を悪と断じたのだろうな。
ルドンでの俺の、何を知っているというんだ?
「それで? 俺が喧嘩を売られる理由はなんなんだ?」
「魔獣を率い、王都の民を脅かしながら開き直るか」
「ふうむ、民衆を怯えさせないように、ここに留まっていたんだがね。王都の民のどれだけが、俺がここにいることを知っているんだ?」
恐らく、誰も知らないんじゃないか。
どうせ王宮騎士団も、演習名目で出撃しているだけだろう。
ブラウゼルが言葉に詰まる。
すると、そばにいた重装騎士の一人が何やら耳打ちを始めた。
だが、それは悪手だぞ。
全部聞こえちゃうんだから。
「言葉に惑わされてはなりませぬ。ルドンにおいては力で裏社会を牛耳り、商会連合の首をすげ替えました。その際、サルディニアと組んでいます。かの者の配下にはタント人もおります。ゆめ、油断召されるな。タントの狡猾なこと、裏で何を画策しておるやら知れたものでは……」
「なるほど、お前が元凶か」
ある程度聞けば十分だった。残りの言葉を遮る。
「黙れ、異民族。弁舌を弄し何を企んだとて……」
「お前の言葉が真実なら、ルドン領主は全くの無能ということだな。王国の騎士団長を前にそれを言うのは、ルドン領主の罷免勧告、告発と理解していいか?」
「な、何を……」
「ブラウゼル、俺にはそいつの言葉が全部聞こえていたぞ。その上で判断しろ。公爵に対する勇気ある断罪か、誹謗中傷に基づく不敬罪か。その上で、俺に罪があるというなら、聞いてやろう」
ブラウゼルに判断材料が与えられているとは思えない。操作された情報しか持っていないことに、こいつは気付けるかな?
まあ、傍若無人が罪というなら、俺は間違いなく真っ黒だが。
「ブラウゼル、お前はルドンの何を知っているんだ?」
「……なるほど」
お、声が変わった。
怒りをおさめたか、声の震えが消えたぞ。
「なるほど、理は貴様にあるようだ。噂に目が眩んだこと、否定はせぬ。貴様に罪有りと断じたこと、誤りだった。認めよう」
おお、鎧は固いが頭は柔らかかったようだ。
「だが……!」
む、声に気迫がこもる。あらら、虎の尾を踏んだかな。
「だが、それならばなお、貴様に罪無しと断ずることも出来ん!」
気付かれた。
気付きやがった。
「故に、貴様の罪の是非は問わぬ。ならば残るは我らの大義。魔獣より王国を守ることこそ王国騎士の本懐、これが大義だ!」
ヤバい。
ここが正念場だ。
ブラウゼルの大義は、この大陸に生きるもの全ての大義だ。
俺が、おかしいんだ。
ハクは言った。俺が新しい風だ、と。
新しいものは、そう簡単には理解されない。
俺が、常識外れなんだよな。
だが。
この場の全てが敵になろうとも。
つがいと子と共に、孤立無援に果てることになろうとも。
譲れないものは譲れない。
「魔獣は討ち果たす。それがエルゼール重甲騎士団の使命にして王国騎士団の大義だ!」
「分かった。ならば、俺も俺の大義をもって、お前の前に立とう」
「聞こう。貴様の大義はなにか」
「大和は俺の子だ。子を守らぬ親に生きる価値はない」
「貴様、魔獣を子と呼ぶか。正気か?」
「別に、のべつまくなしに魔獣を子と呼ぶ趣味はないが、大和は俺の子だ。たとえ王国を滅ぼそうとも、譲らん」
本気だぞ。
「よく言った。重甲騎士団を前にそこまで怖じぬはいっそ見事」
「ところでな、ブラウゼル」
「なんだ」
「結局、巡りめぐって最初の通り、やり合うことになるわけだよな」
「お互いに譲れぬ大義がある。必然だろう」
「そいつの狙い通りになったわけだが、さて、誰が得をするんだ?」
俺が指したのは、ブラウゼルに耳打ちをしたやつだ。
「何故、煽ったのか、納得のいく説明をしてくれ。ブラウゼルに嘘を吹き込んだ理由も頼む」
話が終わったと思うなよ。
「ああ、それともう一つ。お前自身はある程度正確な情報も持っているようだな。その情報の出所はどこだ?」
「クライン……どういうことだ?」
うむ。思った通り、ブラウゼルは筋を通してきた。狙い通りだ。
クラインとやら、ブラウゼルはもう落ち着いている。煽るのは、無理だぞ。
「大義のぶつかり合いで戦うのと、嘘に踊らされて戦うのとでは、俺たちにとっては大きな違いだが、お前にとっては変わらないな。どちらにせよ俺たちが潰し合えば、それで良かったんだろう? どうして俺たちに潰し合って欲しかったんだ?」
「クライン、説明してくれ」
「若、若までがこの者の戯れ言に耳を傾けなさるのか。これまでの私の忠誠を、お疑いか?」
ああ、語るに落ちたなあ。さて、どうやって突っ込んでやろうか。
と、そんな俺よりも、ブラウゼルの方が早かった。
「勘違いするな、クライン。お前への信頼は揺らがぬ。ただ、俺は筋を通さねばならぬ。怒りに駆られて一度は抜いてしまった。ヤツには借りがあるんだ」
ふうむ、ちゃんと気にしてくれていたのか。
うん、こいつ、いいやつだな。
正義感の暴走も、若気の至りっぽくて好感度大だ。
さあ、クライン、若の期待には応えなきゃなあ。
「……若、お許し下さい」
心の中に響く鈴の音と、その呟きとは同時だった。
来る。
何度も見た、この重装騎士の爆発ダッシュ。いや、少し違うな。
今までのは直線的な動きだったが、今回は体が大きく回っている。
まるで渦を巻くかのような回る体が、一直線に飛んできた。
その遠心力を加えたせいか、やたらめったら重たく速い斬撃が、俺に襲いかかる。
なあ、鈴音よ。
血の味は、また今度な。
ただ一筋、はっきり輝く斬線に沿って、鈴音を抜き放つ。
クラインにとっては、必殺の一撃だったのだろう。確かに渾身の力がこもっていた。
だが、同時に捨て身の一撃でもあった。
凌がれた後がない。
最後まで舐めやがって。
剣だけを斬り飛ばし、ただ斬られるのを待っているようなクラインの頭をつかむ。
「殺してもらえるとでも思ったか。甘えるんじゃない」
何も吐かずに死んで逃げられると思うなよ。
死なない程度に兜ごと頭を締め上げれば、ひとしきりの絶叫と共に意識を失ったようだった。
「なあ、ブラウゼルよ。国が乱れて喜ぶやつに心当たりはあるか?」
「……無いとは言えんな」
傷ついたような声。
クラインに裏切られていたことが、よほどショックなんじゃなかろうか。
「こいつを操っているやつの思惑に乗るのも、癪だよなあ」
「だが、それで魔獣を見逃せ、というのはお門違いだ」
「そうだな、分かってるよ。だがな、もう少し、待つことは出来ないか?」
「何を待てと言うか」
「今まで大和がその手にかけたのは、人に仇なす魔獣と、街道を荒らす盗賊だけなんだよ」
「それを信じろと言うか。いや、例えそれが真実であったとしても、この先を誰が保証するか」
「子の責を負うのも親の務めだよな」
「貴様がその責任を持つというのか」
「そうだ」
試してくれても構わないぞ?
「どうしても信じられなかったら、ルドンへ来い。その目で見て、確かめてみろ」
黙りこむブラウゼル。
さあ、どうだ?
「……一つ、条件がある」
「うん、なんだ?」
「名乗れ。貴様の名を教えろ」
「おま、知らずに襲いかかってきてたのかよ!」
「うるさいな、俺は魔獣を討ちに来たのだ。貴様の名など知ったことか」
ははっ、兜の向こうでは、一体どんな表情なんだろうな。
「祐だよ。縹局、竜狼会局長、小鳥遊祐だ」
「そうか、覚えておく。ルドンでユウの名がどう語られているかが勝負だ。首を洗って待っていろ」
ったく、素直じゃねえなあ。
だが、どうにか落ち着くべきところに落ち着いたようだ。
任された甲斐もある。リムも一安心だろう。
その瞬間だった。
脳裏に響く澄んだ鈴の音。ヒヤリとした寒気も感じる。
思わず振り向いてみれば、酷薄そうな瞳のライフォートとバッチリ目が合ってしまった。
しまった。
ライフォートが何を企んでいるにせよ、俺が気付いたことに気付かれてしまった。
どうなる?
だが、ライフォートは俺に向かって頭を下げてくれた。
「警戒が顔に出てしまいましたか、申し訳ない」
いや、謝られてもなあ。
「見事に収められましたな。その若さで末恐ろしい、思わずそう思ってしまったのですよ。年寄りの嫉妬と聞き流して下さい」
ふうむ、なんだ、この真っ当な謝罪は。
かえって怪しくないか?
ライフォートには隙を見せられないな。
今後も要注意だ。
ともあれ、無事に済んで良かったよ。
思わぬ足止めを食ってしまったが、さて、ヒノモトに帰るか!