82
館に一つ、部屋が増えた。
部屋の主はルクアである。
搦め手作戦成功といったところか。
あの場でどれだけ押したとしても、ルクアの中で気持ちの整理がついていない以上、どんな選択とて最善とは言いがたい。
要らぬ負い目を背負わせることは明白だった。
だから一旦、話を持ち帰り、少し間を空けたのである。
ルクアの気持ちに冷却期間を与えることと、もう一つ、俺が外堀を埋める時間を作るために。
あの日の晩、俺は凛たちにことの顛末を話した。
「ルクアを、側室として迎えたいんだ」
俺と差し向かいで酒を呑んでいた凛の片眉が、ピクリと跳ねた。
「貴方が言い出すのだから、よほどの事情があるのだろうな。はい、分かりました、で終わる話ではないということか。何があったんだ?」
なんという察しの良さ。
それとも、よほど顔に出ていたのだろうか。
酌をしてくれているシャナや、俺に背中を預けているリムに動じた気配はない。我関せず、とまでは言わないが、話自体に拒否は見られなかった。
「出来ないと諦めていた筈の子どもが、産めるかも知れない、となってな、俺の子どもが欲しいって言ってくれたんだ。でも、嫁になるのは遠慮するって、言っている」
「ふむ、来るべきものが来た、な」
「来るべきもの?」
「ああ、そうだ。貴方の血を欲しがる者は、今後増えこそすれ、減ることはない。今でこそ、その、慈しんでもらえているけれども、私とて、最初は扶桑の血を求めていただろう?」
「まあ、最初はそう言っていたよな」
「子どもが元気に育つために、父親の力を求めるのは自然なことだ。貴方の子どもならきっと、強くなるよ」
そうかな、そうかも。竜の血は、遺伝するんだろうか?
「力だけではない。立場も、権力も、何もかもが得られる。貴方の寵愛を受けるのも、子どもが出来るのも、貴方が持つ力を受け継ぐための条件だからな。貴方の後継者の座を巡って、権力争いが起こらない方がおかしい」
「ううむ、実感はあまり無いんだが、そうなんだよな。世襲にするとか考えてもいなかったけれども」
「他にもある。貴方の後継者は、鈴音と太郎丸をも受け継ぐのだろう」
「いや、鈴音はやらんが」
やれんが。
「貴方がそう考えていたとしても、期待する人間は現れるよ」
「そりゃそうだ」
「貴方の妻の座というのは、そういうものだよ」
「なるほどね、だから、ルクアは遠慮するって言うわけだ」
確かに、権力争いに巻き込まれたら、ルクアは吹き飛ばされてしまいそうだ。
本当にただの、普通の女なのだから。
権力と無縁に生きてきて、本人に野心がないとしたら、地位が上がるのはただ不幸になるだけではないのか?
それに娼婦上がりという立場が消えることはない。
これはシャナとは違う。
誰かとの養子縁組で、社会的立場を上書きすることが出来たとしても、経歴を消せるわけではない。
そういう意味では、子どもを作る時期も、よほど間を空けなければ、要らぬ汚名を着せられそうだ。
五月蝿い外野を黙らせるために魔法でDNA鑑定とか、そんな都合のいいことが出来たりしないだろうか?
「もう一つ、理由はあると思う」
リムも会話に混ざってきた。
「あなたの妻になれば、あなたの弱味になる。ルクアはきっと、嫌がる」
そうか。人質になりうるのか。
「だけどそれなら、俺の手から離れる方が怖くないか?」
「秘密のまま、静かに暮らすつもりだと思う」
なんだと?
子どもを俺に見せもせず、か。
俺は、ルクアと子どもをいないものとして扱うというのか?
……ふざけるなよ。
「俺の知る歴史や、どんな物語でもな、隠し子なんてバレるものだったよ。権力を求める連中は、本当にどうにかしてルクアを探し出すことだろうよ。間違いない」
「私もそう思う」
「まあ、その通りだろうな。だから、本気で守るなら、手放しては駄目だ。貴方は縹局の全てを挙げて、ルクアどのを守るしかない」
「……いいのか」
嫌だと言われても困ってしまうが。
「貴方がそんなにも望んでいるんだ。妬けてしまうくらいに。叶えてやらねば女がすたる」
「別にいい。嫌な感じはしないし」
「えっと、その……私の想いも申し上げた方がよろしいのでしょうか?」
なんか、顔を見れば答えは分かるような気もするが。
「シャナはどう思ってる?」
「ルクア様は大変に喜ばれるのではないかと思います。そうすれば、ユウ様もきっと嬉しく思われるでしょう。それはとても、素敵なことだと思います」
そうか。
ここで済まないとか、絶対に言えないな。
「ありがとう」
本当に。
心から頭を下げる。
やっぱり、俺は幸せものなんだと思うよ。
翌日、ルクアが引っ越してきた。どうやら凛が説得、迎え入れたらしい。
まあ、側室としては、正室の言うことは聞かねばなるまいし。
「えっと、いいのかな。あの、これから、末長く、よろしくお願いいたします」
少しばかり落ち着かなげだが、まあ、きっと、慣れていくだろう。きっと大丈夫だ。
この先の顛末に、特に言うべきことはない。ないったらない。
全く歯が立たなかったとか、心臓に守られていなかったらどうなっていたことやら、とか、全部内緒の話である。