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通された部屋は、予想に反してシックな落ち着いた部屋だった。
ふかふかの巨大なソファーに腰を下ろせば、半裸に近い格好の美しいメイドさんがお茶、もとい、酒だな、きっと、ともかく飲み物を入れてくれる。
明らかに十八才未満お断りのお店なんだが、敷居を跨ぐのに結構勇気が要ったのは内緒だ。
内心そわそわしてるんだが、外に見えないといいなあ。
やたら喉が乾く。
飲み物はありがたくいただこう。
飲んだ瞬間だった。
一瞬、くらりと来た。
ああ、何か入っていたんだろうな。構わずに、残りも飲み干す。味は悪くない。
飲んだのを見届けたからか、一礼してメイドは部屋を出ていく。
「主はすぐに参ります。ごゆるりとお寛ぎ下さいませ」
「ああ、そうさせてもらおうか」
このメイドには敵意も悪意もないらしい。鈴音が大人しいままだ。
そう言えば、揉めるかと思っていたけれども、俺が帯刀したままなのに、咎められることはなかったな。さて、何が自信の源なのやら。
まあ、太郎丸も偽装モードだし、刀一本、大したことないと思われているのかもしれないが。
お、なんだか体の芯に熱がともるような感じがある。ムラムラ来る、ってやつかな。
なるほど、催淫剤か。
そういう感覚の薬の作用が分かるだけで、俺自身には全く影響はない。
心臓が、俺を守ってくれている。
設定的に、毒無効なのだ。ルールブック上は最高ランクの能力を付加したため、あらゆる毒が効かない、なんていうアバウトな表記だったが、あの神だか天使だかは、どこまで再現してくれたんだろうか。
毒と薬は紙一重だし、濃度で作用が変わったりもする。ルールブックなんて、いい加減なものだよな。
……薬も効かなかったりして。
そして、部屋に、お香の香りが漂ってきた。部屋のあちこちの壁の隙間から、これも催淫効果があるのだろう煙が流れ込んできている。
次の展開は、予想に容易いなあ。
案の定、扉が開き、ほぼ全裸の薄絹だけを身にまとった女性が入ってきた。スタイル抜群、すごい美人さんである。それも三人。
まあ、凛の方が綺麗だが。
三人の女性は、既に呼吸が荒かった。潤んだ瞳に上気した頬。
ふうむ、こいつらも香の効果を受けてやがるな。我が身もろとも、か。
三人同時とか、勘弁してください。俺は経験不足も甚だしいぞー。
一人相手で一杯一杯の俺に、なんてハードルの高い。
薬の効果を信じこんでいるのか、淫蕩な笑みを浮かべ、まとわりついてくる。しなだれかかってきてるのかな?
「済まないが、そういうもてなしは要らんぞ」
「そう仰らず……」
「精一杯、ご奉仕させていただきますわ」
話を聞けよ。
いや、無理か。こいつらに薬が効いてるのは間違いないもんな。
「体が熱うございます……」
「お鎮め下さいませ……」
「ふむ、籠絡して、女と薬で縛るのがお前らのやり方か。まともな商談だと良かったんだがな」
女たちの表情が変わっていく。
訓練を受けているのだろう。薬で自我を無くしたりはしていないらしい。欲望を制御できるのかまでは分からないが。
ともあれ、俺が全く動じていない、誘いが効いていないことに、気付いた筈だ。
真ん中の女が悲しげな瞳を向けてきた。欲情の潤みとは別の滴が、その目の端に光っているような気がする。
「後生でございます、お情けを……」
そう言われてもな。
「もてなしは充分だぞ。目で楽しませてもらったからな」
お仕置きでも恐れているのか?
敢えて笑いかけてやったその時、その女が泣いた。涙がこぼれた。
なんて大袈裟な、と、虚を突かれた隙に。
するりと絡み付くように、唇を奪われていた。畜生、不覚だ。
これも浮気かなあ。
だが、余裕があったのはそこまでだった。
女の唇を通して、何かが俺の中に流し込まれたのだ。
まさか、なんと短絡的な。
女の目が、ぐるりと白目をむく。
腹の中に感じる、一瞬の灼熱感。
間違いない。毒だ。それも即死毒。
白目をむく寸前の、女の瞳が、俺の目に焼き付いている。涙をこぼしたあの瞳が、最後に浮かべた悲しみ、そして絶望の色。
意に沿わぬ終わりだったか?
不本意だったのか?
本気の悲しみを感じてしまったが、どうやらそれは間違いではなかったらしいな。
この女、死を強制されたんだ。
脅迫か何かは知らないが、無理矢理に、やらされたんだ。
残りの女二人の表情も、悲痛の一言に尽きる。
やりたくもない仕事を強制されたのは明らかだった。
なんのため?
俺を騙すためだ。
あの瞬間の悲しみを、本物にするためだ。
演技ではないあの悲しみに、俺は確かにほだされた。気を呑まれて、毒を食らったんだ。
ああ、畜生、作戦は成功してるよ。
俺をコントロールするためだけに、ヤツは女を捨て駒にしたんだ。
ノルド、殺そう。
絶対に許さん。
「おい」
竦み上がる女に向かって、俺は問うた。
俺が動くとは思っていなかったのではないか?
別の意味で、女たちが怯えている。
そりゃそうか。俺も思いっきり、毒を飲んでるもんな。
「何をされた。何故ノルドに従った」
返答はない。頭がついてきていないのか?
薬が思考力を落としているのかもしれんな。
ふむ、確かにこの香の匂いは邪魔だ。手で振り払う。
風で全てを吹き払うように。
そして、女たちの心を曇らせる煙をも、吹き払うように。
中学の修学旅行で行った伊勢神宮、あの清浄な空気感を思い出しながら、女たちの体を清めの風が吹き抜けていくように。
女たちの表情がはっきりしてくる。うん、成功だ。
「お前らは何をされて縛られている」
僅かな逡巡が見てとれる。
そりゃそうか。ここで話してしまえば、当然ノルドから粛清されるよな。彼女らにとって、ノルドは絶対的な支配者だろう。
酷な話だな。よし、聞くのはやめよう。
白目をむいた女の死体をソファーに寝かせ、その瞳を閉じてやる。
済まない。
これは、俺の油断だ。
俺自身は確かに無傷だが、巻き込まれるお前らにまで、意識が向いていなかった。
全部拾えるとは言わないが、ノルドのやり口を、もっと調べてから来るべきだった。
済まない。
手向けにはならんだろうが、ノルドは殺すよ。
絶対に殺す。
太郎丸、行くぞ。
『御意』
立ち上がった時には既に重装モードだ。
俺たちは、扉を開けずに粉砕した。
これが、反撃の狼煙だ。