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「確かにご意向は承って御座る。お披露目は別として、固めの儀のみ執り行われる、と」
「ああ、構わないか?」
「異存は御座いませぬ」
櫓の上に酒席を張り、俺たちは月見酒、と洒落込んでいた。
さて、異存がないのは、本当に問題がないからなのか、それとも、扶桑人の言葉だからか。
まあ、どう考えても、扶桑人の言葉だからだよなあ。
悔しいが、よほど言葉に気を付けなければ、俺の心が折れそうだ。
何を言っても全肯定されてしまうなら、俺は俺の生き方を、すべて自分で律しなければならない。
正直、荷が重いぞ。
畜生、このまま倒れてしまったらどうなる?
シャナに悲しい顔をさせるわけにはいかない。
リムならきっと突っ込んでくれる筈。
アルマーン老に失望されるのは嫌だ。
ジークムントとヴォイドの魂のために、俺は天に恥じるわけにはいかない。
あれ、意外と歯止めは多いな。
あいつと作り上げた、鈴音と太郎丸、そして心臓。
俺たちの理想像。
絶対に、泥にまみれさせるわけにはいかない。
なんだ、頑張れそうじゃないか、祐。
よし、気張るぞ、俺。
「俺が知っている結婚の儀式は、そんなには無いんだ。固めの儀式としては、三三九度の盃と、水合わせの儀くらいなんだよ」
「それはどんなものなんだ?」
凛が興味深げだ。まあ、自分の結婚式だしな。日本文化への好奇心も、山盛りありそうだが。
「三三九度は、新郎新婦が、同じ盃で、お神酒を回し飲むことで固めの盃とするものだ。水合わせは、これは準備がいるけれども、新郎新婦双方の故郷の水を持ち寄って、一つに合わせるという、まあ、これも固めの儀式だな。もし、叶うならば、お披露目の時にでもやれたらいいな、とは思うよ。俺の場合、扶桑の水は持ってこれないから、エスト山頂の氷でも取ってこようかね」
「エスト山脈の頂上まで、そんなに簡単に行けるのか。正直、信じがたいな。過去の英雄たちの誰一人として到達できた者の無い峰だぞ」
「左様ですな。私の知る過去のいかなる歌や詩にも、そのような記録、伝説は残っておりませぬ」
「そうじゃのう。我のもとに辿り着いた人間は、確かにお主が初めてじゃな」
な、なんだよ、三人がかりで。
「そんなものか? 凛、お前だったら、上のどんな魔獣にも遅れをとることはないだろうが?」
「無理だな。ただ戦うだけなら魔獣に負けることは、確かに無いかもしれないが、そもそも山を登りきれるとは思えん。山で力尽きれば、魔獣に不覚をとることもあり得る」
ああ、そう言えば、リムが言っていたなあ。
魔獣には勝てても、山に殺される、と。
俺にとっては、山の環境は脅威ではなかったからな。純粋に魔獣と戦うことだけ、考えていれば良かった。
そうだ。
俺は、太郎丸と心臓に守られていたからこそ、エスト山頂まで登りきることが出来たんだ。
俺だけにしか、出来ないことなんだ。
「ならば、なおさら価値があるな。俺にとっては、この地に骨を埋める覚悟を決めた場だ。言わば、俺の新しい故郷だよ。俺の身の内の竜の故郷でもある。俺の再誕の場と決めてしまおう」
「貴方がエスト山の水を持ってくるなら、私はローザ山の湧き水を持っていけばよいか? それとも、山頂の氷の方がいいだろうか」
「どちらでもいいんじゃないか? 強いて言えば、お前が故郷の水、と思える水でいいんじゃないかな」
「ならば、ふさわしい泉がある。私はそこの水を汲むことにしよう」
まあ、これは披露宴の話だけどな。
結婚式そのものの手順は、もっと練らなければならないだろう。
すぐにやりたいとは言ったが、準備の時間も要るかもしれないしな。
「三三九度のやり方はな、天、地、人の意味を持たせた盃を、新郎新婦で交互に干し、天を男、女、男、地を女、男、女、人を男、女、男、と順番に飲み交わす儀式なんだ。三つの盃を三杯ずつ、合わせて九度、で、三三九度、ってな」
「なるほど、それが固めの儀、か。他にすることはないのか?」
「そうだなあ。あとは見届け人の前で誓いを立てる、くらいかな。神に誓う神前式もあるけど、ローザはもういないことだし、人前式でいいんじゃないか?」
あまり詳しくもないから、これ以上突っ込まれても困る。
誓いの文面なんて、ジークムントに任せればいいし、言うべきことはこれくらいかな。
「ああ、そうだ。なあ、凛は白無垢を着たいとか思うか?」
「あ、ああ、そうか、私が着るのか」
なんだ、その如何にも想定外だった、みたいな反応は。
「私が着ることになるとは、思っていなかったから……。分かってはいる筈なんだが、どうもな……」
勝手が違う、という感じだろうか。
「婚礼衣装は、国許に用意している。が、本当に私が嫁ぐことになるかどうかは、来る前は皆、半信半疑だった。それに、もし結婚するとなるにしても、今の時点では結納止まりと考えていたからな」
「さすがに手元には無いか」
「ああ」
「まあ、いいや、儀礼に必要な衣装というなら、お披露目の時に着ればいいよな。あなた色に染まります、とか言われても、俺は今のままの凛がいいし」
「なんだ、その意味は?」
「え? いや、結婚の服が白いのは、嫁ぎ先の色に染まります、という意味だと聞いたんだが……」
あれ、そう言えば、どうなんだろうな。通説とか俗説とかのレベルのような気もする。
元々の意味がなんなのか、とか、考えたこともなかったなあ。
「私たちの仕来たりでは、白無垢は死装束なんだ。元々の家のものとして、まあ、私の場合、槙野家の凛としては一度死ぬ。そして、婚儀の中で嫁ぎ先の家に、つまり、小鳥遊家の凛として新たなる生を受ける。新たな血を受けるという意味で、緋の打掛に色を直すんだ」
「そうか……お色直しって、そういう意味だったのか」
ははあ、なるほどねえ。
婚礼衣装の意味なんて調べたこともなかったから、何が正しいのかなんて分からないけど、俺の知識は間違いなく偏っていると思うし、凛の言う意味の方が、なんかしっくり来るなあ。
確かに、最初にあなた色に染まるとか言っておきながら、途中でド派手な自己主張に切り替わるなんて、考えてみれば変な話だ。全然染まってねえじゃん。
本当の意味なんて、今となっては知るよしもなし、俺は、凛の言う意味の方が気に入ったぞ。
「よし、それでいこう。槙野凛として一度死ぬ必要があるのなら、やっぱりそれは、お披露目の場、槙野家の面前でやるべきだよな。俺たちの固めの儀は、三三九度の盃だけでいいんじゃないかな。あとは、祝宴で」
「ふむ、分かった」
さて、やるべきことは決まった。
あとは準備だけだ。
エルメタール団全員の礼装なんて用意していたら、時間などいくらあっても足りないし、ある意味、無礼講になるのはやむを得ないか。
アルマーン老やディルスランなど、立場のある人間にだけ日時を確認して、出来るだけ早く、やってしまおう。
よし、凛。俺は、覚悟を決めるぞ。