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「さてと、太郎丸、準備はこれでいいか」
俺は座り心地のいいソファーに深く身を沈めていた。立てないのは分かっている。まあ、これで怪我をするようなこともあるまい。
「御意」
心にではなく実際に耳に返事が聞こえた時には、酷い脱力感が襲いかかってきていた。
鈴音を奪われた時と同様、目眩にも似た感覚がある。
だが不思議と、最初に目覚めた時ほどの無力感は感じなかった。事実、腕を頼りに身を起こすことが出来たのである。
ふらつきはするが、自分の力でソファーにちゃんと座ることができた。これは嬉しい誤算である。
これがスコーンの力だろうか?
改めて見下ろした自分の体は……全裸だった。なんてこった。
横に佇む古びた鎧武者は、目を赤く光らせるだけで何も言ってくれない。
うん、シャナに下がってもらって正解だった。さすがに悲鳴をあげるとまでは言わないが、居たたまれなかったこと疑い無い。
それにしてもなんと貧相な体であることか。骨と皮しかない。
記憶の自分に比べればいくぶん肌色が鮮やかな気もするが、これは社会復帰までに相当なリハビリが必要だろう。太郎丸を着てしまえば何の問題もないわけだが。
……餓死か。
なんとも凄絶な末路を選んだものである、我ながら。
そう言えば痩せこけてはいるが、末期の記憶に比べて垢染みてはいないな。肌色が鮮やかなのも体表の汚れがないからか?
血色が良いとまでは、さすがに言えないな。
汚れ具合からは必要がなさそうだが、しかし、風呂か。心惹かれる。せっかく作ってくれたんだ、無駄にするのも申し訳ないしな。よし、入ろう。
「太郎丸、頼む」
「御意」
うん、この弱った体で太郎丸に抱えられるのは普通に拷問だった。固い。痛い。力加減は絶妙なのかもしれないが、そもそもが固すぎる。
「ごめん、無理」
「む、申し訳御座りませぬ」
小さく縮こまる太郎丸には申し訳ないが、風呂場までの距離を俺は耐えられなかった。早々に挫折する。
「いいや、また機会もあるだろう。最悪、シャナに頼むのもアリだよな」
そう、いきなりなら辛いが、心の準備さえ出来ていれば恐れるものは何もない。存分に頼もうではないか。
まあ、せめて自分で立てるようになってからな。ささやかな決意を胸に秘めながら俺は風呂を断念したのだった。
さて、それでは身だしなみをどうにかしないといけないな。
服を用意してくれたと言っていたが、どんな服だろうか?
これがヨーロッパ貴族風にタイツとかだったりしたら、断固着用は拒否したいところだが。
「ごめん、太郎丸、服を広げて見せてくれないか」
「御意」
なんともシュールな光景だが、古びた甲冑が服を取りに出向き広げて見せてくれる。眺める俺は全裸でソファー。
人には見せられない姿であること、この上ない。俺の格好はとりあえず棚にあげて、服を評価といこうじゃないか。
それは一見、和装に見えた。
ボタンやらベルトやらは一切ついていない。
シルエットが洋装というか、トレンチコートのような角張った感じだが、服自体は前で合わせる形のようだ。細身の袴のような、ズボンのような下衣と、ロングコートに近い羽織風の上衣。太郎丸のデザインに通じるところのあるような凄く格好いい服である。
男たちの服装は、もっと作りは荒かったがボタンや留め具も普通に使われていたし、もっと洋のエッセンスが多かったように思う。
もしこれが華桑のデザインなら俺に合わせてくれたとも思えるが、そんな簡単に用意できるレベルで華桑文化が残っているのだろうか?
古き詩に歌われるレベルと思っていたのだが……。
あと、寸法が大きすぎる。太郎丸を纏った姿しか見せていないから分かる筈もないが、今の俺がこれを着てもダボダボもいいところだろう。せっかく格好いいのになんと勿体無いことか。
ここは太郎丸に一肌脱いでもらうしかあるまい。
「太郎丸、偽装モードは一枠空いていたよな」
「いかにも、空いて御座る」
「なら、それでいこう。頼むよ」
「御意」
首肯した太郎丸が服を自身の胸元にかざしたその時、胸のパーツが開き、まるで喰らうかのように服を鎧の中に飲み込んだ。
「覚えまして御座る」
「よし、なら、偽装モードで」
「御意」
返事と共に再び太郎丸のパーツがバラバラに弾け飛ぶ。それが俺自身の体を覆うと共に、俺の姿はコートのような、着物のような、もらった服装に変わったのだった。
身の内を支える力は随分と控えめになっている。それでも設定的にはプロレスラーと喧嘩しても力負けは絶対にしないレベルではある筈だが。
実は太郎丸には三つのモードがある。
基本型にして最大限の力を発揮する重装モードと、材質が皮革化して防御力が抑制される代わりに、静音性など、隠密性が向上する軽装モード、能力は大幅に制限されるが取り込んだ服装の姿になることのできる偽装モードの三つだ。
偽装モードは三つの姿を選ぶことが出来るが、その条件が、偽装する服の実物を太郎丸が取り込むこと。三つの枠が既に埋まっているため、もし新しい服装になりたくなったら入れ換える必要がある。
うむ、三つのモード、三つの姿、何でも三つだな。まあ、ルール上の作成点配分で三つくらいがちょうどバランス良く設定できたからなのだが、ここまで重なると少々面映ゆい感じだ。今更ながらしもべも三つだし。もっとも、三つ目のしもべは鈴音や太郎丸と違い、普段表に出てくることがない切り札みたいなものだ。こいつをお披露目しなければならない時は、まあ、死ぬ寸前と言って良いだろう。
ともあれ少しばかり頼りなくはあるが、新たな姿を俺は手に入れたのだった。
さて、俺の目の前には一つの扉がある。
出るべきか、出ざるべきか。
まあ、単なる部屋の扉な訳だが、風呂を断念した俺は時間を持て余していた。部屋の備品を眺めるのにも飽きた。むしろ使い方が分からなくて困る。
用もなくシャナを呼ぶのも何かはばかられるし。砦の中を見てみたい、ただの好奇心でしかないことを知られるのがなんとなく恥ずかしい気がするのだが、分かってもらえるだろうか?
それに、一人で探検というのもロマンじゃないか。そうだ、ロマンだよ。よし、行こう。
まあ、ジークムントになら見つかっても絶対に怒られないだろうしな。
鈴音を握りしめれば、砦の中を動き回る人々の気配がなんとなく分かる。はっきり分かるのは強者の気配だろうか?
一番大勢集まっているなかの中心にいるのが、おそらくジークムントだろう。
さて、行こうか。
この服は和装に近いだけあって、腰は帯で締めるようになっている。本当に華桑の服なのだろうか?
帯に鈴音を差せば、あまりにもしっくり来る。
これで袖に袂があれば完璧だったのだが。
うん。
腹をくくって、扉を開ける。
この部屋に来るまでに一度見てはいるのだが、改めてみるとかなり堅牢な造りのようだった。基本は石造りのようだ。あまり木材が使われていないな。いや、部屋の方が木の壁だったか。そう言えば、あまり意識していなかったが部屋の中は木造だった。
石組で外郭をつくって内張りに木を使っているのかな?
まあ、知ったところでどうにもならない話ではあるが。
砦の中は、あまり入り組んではいない。
これは魔獣と戦うための砦だったのかも知れない。ジークムントの話し振りからは国もいくつかあるようだし、人同士の戦争も無いわけではなさそうだが。
ともあれ見るべきところが多くあるわけでもなく、人の多く集まる場、大広間にすぐにたどり着いてしまったのだった。
広間のような中庭のようなそこは、一言で言えば戦場だった。巨大な猪の解体工場と化していたのである。
多分、森の中で大雑把に解体したのを運び込み、より細かく丁寧に仕分けていっているのだろう。男女問わず集まり作業を進めている。
その指揮を執っていたジークムントが俺に気がついた。表情が輝き、嬉しげな笑みを浮かべる。
むう、好かれて嬉しくないわけではないが、あれはあくまでおっさんだからなあ。手放しで喜んでしまうと俺の嗜好が疑われてしまいそうだ。
「おお、我が君、ご機嫌麗しゅう」
優雅な礼と共に、ジークムントがそばに歩み寄ってくる。
「シャナにはご満足いただけましたか?」
おっと、開口一番それか。
いや、正直言って衝撃だった。ジークムントがこんなに下世話な事を言ってくるとは思ってもいなかったのだ。それに団のものとの関わり方から、団員を大事にしている筈と思い込んでいた。こんな貢ぎ物のように扱うとは信じられなかった。しかも、それを大勢の前で恥ずかしげもなく口にするのか?
他の団員達も、それで良いのか?
俺の驚愕に気付いた様子はないが、ジークムントは少しばかり申し訳なさそうな表情になる。
「恥ずかしながら、我がエルメタール団は粗忽者ばかりの集団でありまして、貴人への礼節を教育されたものがシャナしかおりませんのです。それとてまだ未熟者。足りぬところはご寛恕お願い申し上げます」
……。
……そうか。
済まない、下世話なのは俺の方だった。
許してほしい。ジークムントにあらぬ汚名を着せるところだった。
……穴があったら入りたい。
今回も、太郎丸は黙ったままでいてくれた。
ジークムント、ほんと、ごめん。