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「銀狼の魔珠を……」
「うん。私は、狼と親和性が高いんだ。最初に大怪我した時も、狼の魔珠の身体活性で助かったから」
「その銀狼の子どもが、あのヤマトなのね」
「ああ、そうだ。俺が斬って、その時に託された子だ」
谷の外れ、普通の住宅地の一角に、リムの家はあった。こじんまりとした、本当になんの変哲も無い家だ。
部屋数も少ない。親子の寝室すら一つなのかもしれないな。
谷自体が狭い中に人がひしめき合っている。一つ一つの家もなかなか大きくは出来ないのだろう。
なるほど、生きにくい土地だ。
それでも、安全には代えられないのか。
通商ルートを確立すれば何か助けになるだろうか?
対価になる特産品や、提供できる何かが、この谷にあればいいんだけどな。
エスト山脈の中で狩猟中心の生活をしているんだから、戦力としてはかなり強力なものを持っているかもしれないけど。
家族団欒の中に、混ざるような、混ざれないような微妙な距離感で、俺は谷のことを考えていた。
エナの喜びは本物だったし、ザーレムも、まあ、あれだけ人のことを殴って泣いたんだ。リム相手にはもう、わだかまりを見せずに素直に抱き締めていた。
リムの方も、思いっきり抱き締めたかった筈だ。だけど強くなりすぎてしまったからなあ。本気で抱き締めれば、即死間違いなしである。
リムが思いっきり抱き締められるのは、もう俺くらいなんじゃなかろうか。
俺なら、抱き潰されてもすぐに治るしな。
今はまだ、生身ではリムに完敗状態だが、竜の力が定着するにつれ、差は埋めていけるだろう。
それはそれとして、素直に喜び合うリム一家を前に、俺が嘴を突っ込むのも無粋な話だった。そんな俺と同じような距離感というか、微妙な疎外感を味わっている同志が隣にいた。
誰あろう、レムスである。
「リムのことは、覚えていないのか」
「うん……あんまり……。父さんも母さんも、話に出さないようにしてたしね。姉さんがいた筈、ってくらいしか覚えてなくって」
「そうか。良かったな、美人の姉さんができて」
「うん、あんな綺麗な銀髪、初めて見た……」
なんだ、弟はずいぶん素直だな。父親も、リムも、なかなか素直じゃなかった気がするが。
「お義兄さん?」
「ああ、そうなるな」
「兄さんが、また出来た。少し嬉しいよ」
「そうか」
このニュアンス、やはりリムには、少なくとももう一人、弟がいたんだろうな。
谷を出たか、それとも死んだか。レムスの言い方からは、死んだっぽいと思えるけど、まあ、突っ込むのは俺の役目ではないわな。
リムたちの話も、いずれそこに行き着くだろう。
「リム、大型は狩れたのか?」
話に一段落ついたのだろうか。エナがお茶の準備に席を立ち、ザーレムは言葉少なに見守るだけで、会話が途切れている。
そこで少しリムに話しかけてみた。
「大型、なのかな。分からないけど、今まで大型だと思っていたやつも、なんだか中型程度なんじゃないかって思えた」
うん、そんな感じだ。
もっと上まで登れば、大型だと思っていたレベルが、実は子ども扱いされてしまうことに気がつけるぞ。この先、もっと慣れればリムと大和なら充分行けそうな気がするが。
「魔珠は好きにしていいぞ。無理に持って帰る必要はない」
まあ、必要ならまた狩りに来れば済むしな。
強化に使う必要も無し。ならば、リム一家の財政援助に一役買えるんじゃないだろうか。
「うん、分かった。ありがとう」
「さて、俺は先に帰るよ。リムはゆっくりしていけばいい」
俺とリムのやり取りに、ザーレムは驚いたようだった。
「もう帰られるのか。泊まってはいかれないのか?」
「寝室はリムと一緒でいいのか? 明日の朝、起きた時に殴られるのは御免蒙るぞ」
敢えて悪戯っぽく、笑い飛ばしてみせる。
六年ぶりなんだ。家族水入らずでゆっくりしたらいいだろう。それに、俺を入れるくらいなら、レムスを入れてやれよ。
「砦をいきなり飛び出してきてしまったからな。俺は早めに戻るよ。リム、大和は任せた。俺は谷長に挨拶して、その足で帰る」
「うん」
厨房から慌てて飛び出してきたエナを押し止め、黙って深く頭を下げるザーレムと仲直りの握手をし、義弟と再会の約束をして、俺はリムの家を出た。
家の前には、不機嫌そうな大和がいる。道を塞ぎそうなくらい、でかいんだよなあ。
「うん、分かってる。リムを頼むぞ」
そっと大和に声をかける。鼻の頭を引っ掻いてやれば、少し落ち着いたようだった。
そう、分かっているよ。さっきからな、鈴の音もチリチリと聞こえている。
ううむ、説明を後回しにしたツケかなあ。
トレオンのまとめる力が足りないか、それとも、俺が脅かしすぎたかな。
一見大人しそうに見える大和は、美味しい獲物のように見えるんだろうか。
大和の強さは、この辺の魔獣とは本当に桁違いなんだが、違いすぎて強さがよく分からないのかもしれない。
壁を飛び越えて見せたので、察してくれれば良かったものを。
さて、回りに迫る気配の中心はだあれかなっと。
取り巻きの中心、あいつか。何軒か向こうに潜む集団に当たりをつける。
何気なく、そちらに向かい歩きながら、俺は太郎丸を重装モードに換えた。
周囲からこちらを窺っていた奴らが、ギョッとしたのが分かる。
さあ、まだ手を出してくれるなよ。せっかくリムが家に帰れたんだ。谷を殲滅したくはない。大和が暴れ始めても、止める気はないぞ。
「おい、お前らトレオンとは仲が悪いのか」
身を潜めて俺をやり過ごそうとしていた連中に、いきなり声をかけてやる。
「なんだ、お前は。何を言っている」
「惚けるならそれもいいが、俺はトレオンにはしっかり釘を刺したからな。お前らがそれを聞いていないのか、それとも敢えて無視してるのかは、知ったことではないが、谷の命運を賭ける覚悟はあるんだろうな」
「盗賊狩りだか、エルメタールだかなんだか知らないが、所詮は盗賊同士の仲間割れだろう。流れ者風情が偉そうな口を叩くな。俺たちは谷を守る。谷の中に魔獣が入って見過ごせるわけがない」
こいつら、さっきの場にはいなかったな。
麓側の警備に当たっていた、と考えてやるのは親切に過ぎるだろうか。
俺が言うのもなんだが、トレオンも若いしな。谷も一枚岩ではないってことか。
エルメタール団の知名度自体も微妙なところだ。
グリードを殲滅した話が届くには、まだ早かったか。あの話が聞こえていれば、またこいつらの反応も違っていたのだろうけどなあ。
「なあ、その剣を、ちょっと貸してはくれないか?」
「何言ってやがる。そんなこと、出来るか」
「まあ、そう言うな、つれないな」
速さに任せて、手近にいた奴の腰から剣を抜く。
「なっ、貴様っ!」
「本性を見せたか、盗賊がっ!」
「早とちりするな。これは警告だ」
抜き身を皆の目の前にかざし、剣身の中程を握り締めて見せる。
普通なら刃が食い込む筈だ。みな、俺が何をしているのか分からないのだろう。ドン引きしている。
もっとドン引きするぞ。
俺はそのまま、剣を握り潰した。
「なっ……!」
そして、真っ二つになった剣を重ねて、今度は縦に押し潰す。
柄頭の方を左掌で押さえ、剣身の折れ口は右掌で押さえて、そのまま両手を合わせてみせたのだ。
「返すぞ」
まるで踏み潰した空き缶のようにペチャンコになった剣を、軽く放り投げる。
「考える機会をやろう」
絶句しているのか、返事はない。構わずに言葉を継ぐ。
「谷の上、山側の防壁は大したものだよな。俺たちはそちらから来たわけだが、さて、どうやって壁を越えてきたと思う?」
果たして理解が進んだのだろうか。
何人かの顔色が変わっていく。
「答えはトレオンに頭を下げてでも教えてもらえ。さあ、俺は谷長に挨拶に行きたいんだよ。案内してもらえないかね」
怪訝そうなやつは何人かいたが、察した奴が慌てて案内を買ってでてくれる。
取り巻きの中心がまだ理解できていないのはご愛敬か?
リーダー格のようだし、こいつを残しておくのは危険だな。
よし、連れていこう。
軽く肩を組んでやれば、そこは太郎丸のパワー、身動きなど全く出来なくなる。
「じゃあ、案内を頼むよ」
リムのことだ、もしかしたら聞こえていたかもしれないが、大丈夫だ。俺に任せろ。
お前は家族のことだけ考えておけ。
谷と戦争になったら、家族だけは逃がしてやらないといけないだろうからな。
なんてな。