65
袋からそっと取り出したミントスの花を、リムは母親に渡す。
「これ……」
「あらまあ、ほんとに、本当に摘んで戻ってきてくれたんだねえ」
「ろく……」
「なあに?」
「六年かかったけど、その代わり、花だけじゃなくて、つがいと子どもも連れてきたよ」
ぽかんとしたのは分かる。すっげー分かる。正直、俺も唖然とした。
いや、リム、素直すぎだろう。
畜生、なんて可愛いんだ。
そんなリムに応えるためにも、俺は動揺を見せてはダメだ。
当たり前じゃないか。唖然となんてしていないぞ?
「子どもって……?」
怪訝そうなエナ。ザーレムの顔はさっきよりもっと怖くなった。
ただ、なんだろうな。ザーレムの瞳の奥には感情を押し止める何かがある。
悔恨、かな。
まあ、捨てておいて、今さら父親面は出来ないわな。
「ヤマト、私の子ども」
誇らしげに大和を見やるリム。
エナの視線が、大和と俺を交互に行き来する。
「つがい……?」
「そうだ。大和は俺たちの子。託された子、だ」
納得は、出来ただろうか?
まあ、出来なくても別に構いやしないのだが。
「さあ、積もる話もあるんじゃないか? 一旦家にでも帰ればどうだ。他のみなも、騒がせたな。話はあとで聞いてくれ」
恐々と周りを囲む里人に向かって、俺は声をかけた。
ほら、とっとと日常に戻ってくれ。見世物じゃないんだから。
「ユウは?」
「あとから行くよ。まずはこっちの始末をつけてからな」
このまま帰るわけにはいかないこの場の責任者、トレオンを指しながらリムを促す。
「分かった」
リムとエナはお互いに支え合うように、家に向かって歩き始めた。それについて行くレムス。
ザーレムは残るだろうな。
うん、やっぱり。
トレオンが他の里人を帰らせながら、こちらに向かって来る。
俺の横には大和がいるのに、たいした勇気だ。
この場に残るのは、俺と大和、ザーレムにトレオンか。
もう一度、歩いていくリムを見送る。
六年ぶりの帰宅、か。
リム、おかえり。
「さて、話を聞こうか」
まずは俺から口火を切る。
聞きたいのは向こうの方だというのは、分かった上で。
「その、あなたがエルメタール団のユウ殿である、と、証明はできるだろうか」
「無理だ。エルメタール団は、紋章も旗も持っていないからな」
そう言えば、そうだった。
ふうむ、これは考えどころかもしれないな。
縹局を立ち上げるなら、なにかエンブレムを作るべきか。うん、これはいいアイデアだ。いや、必要なアイデアと言うべきだな。
「この谷へ来られた目的は?」
「リムの里帰り」
「その……この狼の魔、狼は一体……」
「魔獣は魔獣で間違いないぞ。かなりの上位種だがな。親狼から託され、俺の子とした大和だ。安心しろ、下手を打たなければ、食いはしない」
まあ、それは俺も同じことだが。さっきまで、割りと本気で殲滅することを考えていたからなあ。
「この谷は、里帰りにうるさいのか? リムの身元はハッキリしたのだから、もう行ってもいいだろう?」
「い、いや、確かにリムは、あのリムで間違いないんだが、その、あなたのことが……」
まあ分からないよな。
エルメタール団の祐と言っても、主戦力はリムとかジークムント、ベルガモンたちに任せていたから、俺自身の知名度は微妙だ。
エルメタール団で手に負えない時に出張る用心棒みたいなものだしな。
だから、俺にはリムみたいなあだ名は無い筈。
俺たちのことを調べていた筈のグリードでさえ、俺のことは鎧のやつ呼ばわりだったからな。
「リムは俺のつがいだ」
はっきりと断言する。
ザーレムの体に微かに震えが走ったのが分かった。まあ、鈴音ならではの感覚だが。
「このあと何か聞きたいなら、それは家族との話になると思うがね」
ザーレムに視線を移しながら、言う。
頬のシャープさといい、凛々しい感じといい、リムは父親似だな。
父親似の娘は美人になるという俗説を聞いたことがあるが、なるほど、真実だ。
「あなたが、あなたがリムを生かしてくださったのか」
絞り出すような問いかけ。
どこまで踏み込んでいいものか、距離感がつかめていないのだろうな。
どこまで父親面していいものか、の。
別にお義父さんと呼んでやってもいいんだが。
「死にかけたリムを救ったのは俺ではない。エルメタール団頭領のジークムントという男だ。まあ、縁あって、俺もジークムントの旗のもとに集まった一人だよ」
「そうですか……。お礼を申し上げねばなりますまい」
苦渋の決断といった風情だな。
まったく、素直じゃないのも父親譲りか。
「もっと喜んだらどうだ。生き別れの娘が帰ってきたんだぞ?」
「そんな資格が……」
やっぱりな。捨てたことを後悔してやがる。
でもまあ、その時はそうせざるを得なかったのだろう。
なにも知らない俺が、後悔するくらいなら最初からするな、とか、無責任なことを言うわけにはいくまい。
まったく、世話の焼ける。
「まあ、素直には喜べんか。戻ってきたと思えば、得体の知れない男をくわえ込んでいたんだからな」
「なっ!」
「心配していた愛娘じゃないのか。俺が父親なら一発殴るくらいじゃ納まらないぞ」
「今さら、今さらどの面下げて……!」
「面倒な男だな。お前が心配しないでどうする。母親にはああ言ったが、リムの腹の中には、本当に俺の子がいるかもしれないぞ?」
「貴様っ!」
激発。
うん、いいパンチだ。
いや、ごめん、いいパンチの筈だったんだ。
太郎丸が重装モードでさえなければ。顔が剥き出しなのはデザイン上だけのことなんだよなあ。
やべえ、折れたかな。
「ああ、済まんな、鎧を脱いどくべきだった」
言いながら、偽装モードへ。
驚きに目を見開くトレオンは、この際無視だ。
「さて、これで終わり、か?」
「貴様に、貴様に何がわかるっ!」
「なんだ、何か分かって貰えるとでも思っていたのか?」
「がっ、ガキが知ったげにっ!」
もう一度殴りかかってくるザーレム。
偽装モードなら、大した護りではない。多少、拳が痛い程度だ。
うん、頑張れ、ザーレム。
「捨てたっ! 娘をっ! 今さらっ! 心配なんてっ!」
殴り続けられると、それなりに痛いなあ。
まあ、今となっては、素体の耐久力自体かなりのものだし、どれだけ痛め付けられたところで一呼吸と続かないし、そもそも剣で斬られまくったことに比べれば、涼しいもんだ。
「ああ、一つだけ言っとこう。リムはミントスの花を摘むよう言いつけられた、と聞いている。だから摘んできたんだよ。ただ、それだけだ。ただ、六年かかってしまっただけさ」
その瞬間、ザーレムの瞳に涙が溢れた。
泣きながら、俺を殴り続ける。
今までの鬱屈も、後悔も、やりきれなさも、すべてをぶつけるように。
それをすべて、受け止めてやる。
太郎丸と心臓に支えられて、俺はすべてを受け止められる。
ザーレムはやがて力尽き、膝から崩れ落ちた。
「さあ、帰るか。きっとリムが待ってるよ。家まで、案内してくれ」
涙が乾いたわけではない。
だが、ザーレムはもう、泣いてはいなかった。
全部吐き出せたかな?
これでリムに故郷が戻ってくれば、いずれ孫を見せに来ることが出来る筈だ。
いずれ生まれる子どもたちに、おじいちゃんおばあちゃんを会わせてやれたら、きっとリムは喜ぶだろう。
そう思えば、殴られたのもきっと、悪くない。
そう、痛くもないさ。