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ありえない。
そうとしか考えられなかった。
だが、だからこそ、理由がある筈。
全部忘れられるくらいにメチャクチャにしてください、とかエロ漫画みたいな展開もあるまい。
「まあ、落ち着け。話を聞こう」
さて、長丁場になるだろうな。
凛は明日だ。済まないなあ。
カチュアが口を開くには、やはりかなりの時間を要した。つっかえながらの言葉は、なかなか先に進まず、核心に触れてこない。
だが、要約してみれば、全ては竜の力の奇跡、その噂が一人歩きした結果だった。
エスト山脈から戻ってからの三日間。
橘宗助を認めたのを皮切りに、立て続けに起きた奇跡。
寵愛を受けていたと言われているリムと、シャナに起きた変化。
リムの雰囲気は大きく変化したし、外見的には銀髪に尻尾、と、変化は一目瞭然だ。
本当は魔珠のお陰なんだが、入れた直後はすぐに大和と狩りに出てしまい、要は、人目に触れたのは翌朝、俺の部屋から出てきた時なのだ。
まあ、俺に抱かれたから、と思われて不思議ではないわな。
そして翌日はシャナだ。
俺の部屋に入った時は幼い姿だったのに、翌朝出てきてみれば美しく成長していた、と。
噂に確信を与えてしまったと言えるだろう。
なんともはや。
そう、思われていたわけだなあ。
グリード戦の時に何人も怪我を治してはいるわけだが、あれは治癒魔法か何かのように思われていたようだ。
橘宗助の時のはったりが、こんなにも短期間に、こんなにも大きくなるとは、正直予想外だった。
決して急かさないように頑張りながら聞き役に徹したお陰か、カチュアの言葉はだんだんスムーズになってきている。
話はようやく核心だ。
ただ、その分、辛い話に、なるだろうなあ。
「私の身体は、壊されてしまいました。まともに見えず、聞こえず、歩けもしません。あの時のことなんて、思い出したくなんか無いのに、身体を見るたびに思い出してしまうんです。足を引きずらなければならない時に、うまく声が聞き取れなかった時に、色んな物がぼやけて見えるたびに……」
俯いた頬から雫が膝に落ちている。とめどなく。
暴行の時に殴られ過ぎたのか、片目と片耳がダメになっていたらしい。足を引きずっているのは知っていたが、そこまでは気付かなかった。
よし、治そう。
「話は分かった。だが、抱く気はないからな」
「で、でも、私には、戦う力もありませんし、認めていただくには、こんな壊れた身体でも、私にはこれしかないから……!」
「勘違いするな。カチュアはエルメタール団の仲間だ。理由なんて、それで充分」
「え……?」
「認めることが必要というのなら、俺はもう、とっくに認めているんだよ」
言葉を失うカチュア。
果たして、信じてもらえるだろうか?
前の世には、ただより高いものはない、という諺もあったけど、俺が、本当に対価を求めていないことを、信じてもらえるだろうか?
まあ、エルメタール団からは、充分なものを、俺は既に貰っているとも言えるが。
「どうして、どうしてそこまでして下さるんですか?」
「出来るから」
「そんな、それだけで?」
「そんなに大層なことかな。どうせ出来ないことは出来ないんだぞ。その代わり、出来ることに力を惜しむつもりはない」
最初に決めた通りだ。
俺が出来ることは全部、あいつと一緒に作り上げたこと、そのものだろう。
鈴音で出来ること、太郎丸で出来ること、心臓で出来ること。
俺とあいつの生きた証を、腐らせるつもりは微塵も無い。
出し惜しみは無しだ。
「俺を、信じろ」
顔をあげたカチュアの涙は止まらなかった。
涙の理由、涙の質が変わったと、信じたいなあ。
「カチュア、俺に触れられるか?」
「は、はい」
カチュアは勇気を振り絞って一歩、俺に近付こうとする、ように見える。
そんな彼女に少しだけ笑いかけて。
「俺の心臓に、だぞ?」
戸惑うようなカチュアを、シャナが支える。
その目の前で、俺は胸を裂いた。
「驚かせてすまないな」
相変わらず痛いなあ。カチュアはもっと痛かっただろうけど。
「カチュア様、大丈夫ですよ」
シャナに支えられ、ごくりと唾を飲み込んだカチュアがおずおずと手を伸ばしてくる。その手をも、シャナはそっと支えてくれていた。
思わず目を閉じてしまったのだろうカチュアの手を、シャナが心臓まで導く。
触れる指先。
確かな拍動。
そして、伝わる熱。
なあ、しもべよ。
お前はどこまで癒すことが出来るのだろうなあ。
きっと設定通りなのだから、体の傷以上に癒しが及ぶことはあるまい。
だが、傷がなくなることで救われる心もあるよな。だとしたら、お前は心を救えるんだよ。
カチュアの全てを、あるべき姿に。
傷を受ける前の笑顔を、取り戻す手助けをしてやってくれ。
下世話な話をするならば、そうとも、膜だってなんだって、お前は治せる。
カチュアをもう一度、生き直させるんだ。
「どうだ、俺の顔が見えるか」
「見えます。見えます、はっきり!」
そのまま、顔をおおって号泣。
気持ちが分かる、とは、口が裂けても言えないが。
「シャナ、ルクアさんとこまで、連れていってやってくれ」
「かしこまりました」
足元は覚束ないが、あの引き摺り方とは全く違う。ふらつきながらもしっかりと、カチュアは歩き始めた。
これがリ・スタート、再生だ。
カチュアのこれからに、幸多からんことを祈る。
……大袈裟かな。