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 歓迎は下にも置かぬものとなった。


 外に出ていた者は戦闘能力の高い者、つまりはエルメタール団での地位もそれなりに高い者たちばかりだ。それがまず、砦に残る者たちに率先して俺を歓迎してくれている。

 砦の者たちも、分からぬなりに分からぬまま、歓迎ムードに飲み込まれてくれた。


 そして何より皆の態度を決定付けているのが、俺を主と仰ぐジークムントの姿だろう。


 頭領の座に復帰し伸び伸びとしているように見えるが、その上で何をするにも俺を立ててくれる。

 ダメだよ、あんまり甘やかしたらダメンズになってしまうぞ。異世界まで来て蝶よ花よと愛でられて、ニート街道まっしぐらなど笑い話にもなりはしない。それにどうせかしづかれるならおっさんよりは美少女がいい。いや、違うか。


 今、俺は部屋をあてがわれて宴席の準備が整うのを待っているところだ。


 わりに豪華なしつらえの部屋、まあ、たぶん今までマジク兄弟が占有していた部屋なのだろう。大急ぎで片付けてくれたのか少し乱雑な感はあるが、大きなベッドのシーツも綺麗に洗濯されたものだし座り心地の良さそうなソファーも整えてある。


 それにしてもジークムントよ、いまだに俺の名を聞いてもいないというのはどうかと思うぞ。

 そう、俺はまだ自己紹介すらしていないのだ。ジークムント以外とも、また。

 だから、俺はまだあの犬耳少女の名前も聞けていないのである。とは言えどうやらジークムントにご執心な様子だったし、そんなに興味もないけどな。


 それよりも驚いたことに、この世界には湯あみの習慣があるらしい。装備や服の作りが荒い割りに顔や剥き出しの肌、布地などが小綺麗だと思っていたら、思った以上に水が豊かな様子である。

 しかもこの部屋にはバスタブまであったのだ。入浴習慣があるとは予想外だった。現在、お湯張り真っ只中である。


 そう言えば今のところ全くもよおしてはいないのだが、トイレがどんなものかがちょっと気になるな。

 まあ、その時はその時でいいか。故郷も田舎で長く下水の整備が遅れていたし、水洗トイレじゃないとダメだとかいう都会人ではないのだ。どこぞの国の公衆便所の様に仕切りすら無いとかなら、さすがに御免こうむるが。


 などとつらつら考えているのは人待ち中だからである。身の回りの世話をするものを寄越す、とジークムントに言われ、どんな相手が来るものか、自分で言うのもなんだがそわそわしているのが分かる。

 メイド服、が、ちゃんとあるような服飾文化には見えなかったが、格好はどうあれ専属メイドがつくと言うのはなんとも心くすぐられる響きだ。


 響きといえば、頭の中に澄んだ鈴の音が響いている。

 その鈴の音に意識を引かれれば、重なるように部屋に近付く微かな足音が聞こえてきた。


 うむ、いよいよか。

 ほどなく控えめに扉が叩かれる。

「ああ、入っていいぞ」

「はい、失礼します」

 返事は驚くほど幼げな声だった。俺の声は上ずってなかっただろうか?


 果たして扉を開けて入ってきたのは。


 よっしゃっ!

 ネ、コ、ミ、ミ、キッターッッ!


 いきなり取り乱したことを許して欲しい。大丈夫、俺はソファーに座ったままだ。動揺は表に出していないぞ?

 いや、何が大丈夫なのかは分からないが。


 犬耳少女がいたのだから猫耳もいるはず、と期待していた。その期待は見事に叶えられたというわけだ。犬耳よりは猫耳。異論はあるかもしれないが、俺は猫。垂れ耳は認めん。


 十二、三才くらいだろうか?

 小綺麗なエプロンスカート。メイド服ほど完成されてはいないが、小間使いが着ていそうな控えめな衣装だ。幼げな声の印象通り、まだまだスレンダーな肢体はかなり小柄な感じである。驚くほど小さい顔に黒目勝ちの大きな瞳。猫目ではないんだな。ショートカットの耳元からとがった猫耳がつんと天井を向いている。

 捧げた手はティーセットを支えており、流れるように一礼をして彼女は音もなく部屋に滑り込んできた。ああ、身ごなしのしなやかさが猫っぽい。


「シャナと申します。すぐにお茶をお()れしますね」

 控えめな笑みを浮かべながら彼女はそう名乗った。むう、控えめな笑み?

 どことなく儚げな、陰があるようにも見えるな。これは要注意か?


 ソファー前に用意された装飾の凝ったローテーブルに、シャナは手際よくお茶を準備していく。茶菓子はスコーンっぽいな。砂糖は貴重品だろうか、そうでもないのだろうか?

 ああ、久しぶりの甘味だな。


 いや、待てよ?


 食べる、飲む?

 一体いつ振りだろうか?


 最後に何か食べたのはいつだったろうか。その時、何を食べただろうか。正直、全く覚えていない。

 俺の胃は食べ物を受け付けてくれるだろうか?

 だが、その割りには口中に唾液が溢れてきたのが分かった。


 食べたい。


 久しぶりに、俺は確かに食欲を感じていた。

 準備が整いそっとスコーンに手を伸ばす。最初は茶から行くべきか?

 それでも食べたい、その思いに逆らえなかった。


 さっくりした食感に(ほの)かに広がる砂糖っぽい甘味。麦っぽい香りと、噛むたびに深まる米のような甘味。最初の甘味と後から来る甘味は感じが全然違う。

 全体的にはあっさりしていて優しい味わいだった。宴会前にガッツリ系もないか。


 それにしても、旨い。甘さや旨味が身体中に広がっていく感じさえする。これは鈴音の力だろうか?

 味わいの感覚をも強化してくれているのだろうか?


 気がつけば夢中で食べきっていたようだった。皿にはもう何も残っていない。いつの間にかシャナの姿もなかった。まあ風呂場にいる気配はわかっているのだが。

 ほっと一息つきつつ、ゆっくりとお茶を飲む。


 どう考えても紅茶だった。色も、味も、香りも。紅茶の種類までは全く知らないが。

 今、この場だけを見れば異世界感はあまり無かった。

 お茶とお菓子、女の子達がスイーツで癒されるという話を聞いたことがあるが、なるほど、この感覚なのかもしれないな。気持ちがずいぶんと落ち着いたような気がする。

 鈴音と太郎丸に会えてからこっち、テンションが高いというか、やはり気持ちはかなり高ぶったままだったのだろう。

 シャナには感謝しないといけないな。手配してくれたジークムントの心遣いにも。


 ほんの微かな足音と共にシャナが戻ってくる。

「お召し物を用意致しました。湯殿の準備も整ってございます」

「あ、ああ、ありがとう」

 おっと、ここで風呂か。まあ確かに宴席前に旅塵を落とすというのもアリか。

 スコーンの感動に心が浮わついたまま、シャナの案内に応じて腰を浮かす。


 ふふふ、実は風呂とて何日振りだろうか、というレベルである。湯船など年単位で入っていないし、離れには簡易シャワーしか無かった。それすら最後に浴びたのがいつか思い出せないくらいだ。

 少しばかりうきうきと心を弾ませながら席を立ったは良いが、少しシャナの様子がおかしかった。何か言いたげな、でも迷っているような、もどかしげな様子である。


「どうかしたか?」

 うん、気になるなら聞いてみればいい。

「いえ、その……あの、なんとお呼びすれば?」

「ああ、そうだったな。たかな……、いや、祐だ。祐と呼んでくれないか」

「かしこまりました、ユウ様」

 そう言えばそうだった。自己紹介がまだなんだよ。思えば初名乗りだ。いや、あの神だか天使だかも、あの人も、名前は呼んでこなかった。と言うことは前の世界からこっち、どれだけ久しぶりに俺は名を呼ばれたんだろうか。

 あいつに最後に名を呼ばれたのは、もう何年前だっただろうか。


「ユウ様、お召し替えを。差し支えなくばお手伝い申し上げます」

「そっか、頼もうかな……太郎丸」

『駄目に御座る。お館様の体調は万全とは申せませぬ。ご自重(じちょう)召されませい』


 即答だった。

 言われてみればその通りだった。思い返せば俺は自力では立ち上がることすら出来なかったのではなかったか。太郎丸に支えられているから支障なく動けているだけで、俺自身は今すぐ死んでも不思議ではないレベルだったのだ。


 気持ちが腹の中央に戻ってきた感じがする。そうだ、俺が目を覚ましてからまだ二、三時間といったところだ。ここがどういう世界なのかも、自分の体の状況も、まだ何もわかっていないし検証する時間もなかった。ジークムントの献身に疑念そのものを持ち得ていなかったが、さっきも考えていた通りそもそもまだ自己紹介すらしていない間柄なのだ。

 それを、可愛い()に声をかけられて浮わついてその気になって忘れ果てるとは、ほとほと情けない限りではないか。


 太郎丸、感謝するぞ。(いさ)めてくれる忠臣ほど得難いものはない筈だ。これが鈴音なら、何も言わずに従ってくれていたことだろう。元々何も言えないけれど。

 俺が誤っていたら正してくれるのが太郎丸。周りを斬り捨ててでも俺の誤りを押し通すのが鈴音だ。

 ……我ながら、ピーキーな設定にしたものである。


 ともあれ、太郎丸の忠告には従った方が良さそうだ。

「いや、手伝いは不要だ。シャナは下がってくれていいぞ」

「左様で御座いますか」

 彼女は控えめに答えると、そっと部屋から出ようとする。その横顔が寂しげに見えた。


 ラノベとかだとこういう場合、頼られなかったら自分の存在意義がない、とか、捨てられる、とか思い詰めるパターンだが、もしやシャナもそういうタイプだったりするのだろうか?

 いや、まあそんな筈もないか。もし思うにしてもジークムントに対してだろうな。

 なにか仕事というか、任務でも与えられていたのかも知れないし。


「ああ、シャナ」

「はい、何で御座いましょうか?」

「今は取り立てて頼むこともないが、その、なんだ、後からなにか出てくるかもしれん。その時は頼んでいいか」


 その瞬間の、彼女の顔色の変化は劇的だった。背中越しに尻尾がまっすぐ逆立ったのが見える。いや、今さらだが尻尾もあったんだな。


「申し訳ございません。お伝えし忘れておりました。何か御座いましたら、いつでもその伝声管でお呼び下さいませ。すぐに飛んで参ります」

 一瞬真っ青になったかと思うと恥じ入るように顔中を赤く染めて、いくぶん早口で捲し立てる。

 そのまま逃げるように部屋から出ていってしまった。いや、きっちり礼をしていったし礼儀にはかなっているんだろうけど。


 何か、別の意味で微笑ましい感じになってしまった。俺が気を回したのは空回ったわけだが、まあ良しとしようか。

 太郎丸が寡黙で良かった。何か突っ込まれたら、俺はきっと居たたまれなかっただろう。


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