57
「さて、ジークムント、聞きたいことがある」
「何なりと、我が君」
ニーアの部屋から戻り、俺はジークムントを呼び、部屋で向かい合っていた。
「昨夜の宴席で言ったこと、あれが俺のやりたいことだ」
「縹局、でしたな。素晴らしい展望と存じます。国の手の届かぬ民を守る、人類の希望と申せましょう」
相変わらず、大袈裟だなあ。
ジークムントが賛同してくれるのは分かっていた。確実についてきてくれるだろう何人かの顔も、すぐに頭に浮かぶ。
だが、全員が全員、そうではあるまい。
宴席の場で感じたエルメタール団の皆の反応は、明らかに戸惑いの色の方が濃かったように見えた。
元々、はぐれものが安住の地を求めて辿り着いたのが、エルメタール団だ。生活さえ安全に成り立つのなら、団の存在意義は既に果たされていると言える。
それはつまり、団員の目的も果たされているという事だ。
「ジークムント、心して聞いて欲しい」
「我が君の、み心のままに」
「エルメタール団の頭領として考えてくれ。俺の縹局に、何人ついてくる?」
「左様ですな、戦えぬ者たちは、縹局をやりたくてついていく、とは限りますまい。しかしながら、縹局が生活を保障する以上、今とさして変わるものではありませぬ。どちらでも同じならば、我が君の元に集うものと心得まする。戦える者たちのほとんどは新参が多く、我が君の元、盗賊狩りを支えるために集ったものでありましょう。エルメタール団が縹局と名を変えたとしても、共にあることに否やはありますまい」
「そうか、そうだったか」
「しかしながら、エルメタール団と縹局は、別のものとした方がより良いかと存じます」
「ふむ、その心は?」
「エルメタール団の頭領は不肖、このジークムントが務めております。また、縹局の局長位は我が君の座と心得まする。そのため、別の組織とした方が通りが良いかと愚考致します。また、我が君が心配なされている通り、エルメタール団に否やはなくとも、縹局までは心の及ばぬ者も出てきましょう。縹局の下部組織としてエルメタール団の名を残して頂けますれば、その受け皿となり得るかと存じまする」
参ったね。
さすがジークムント、俺のことをよく見ているんだろうな。俺が何を聞きたかったのか、正確に理解してくれている。
本当にありがたいよ、ジークムント。
組織運営にはヴォイドが必須かと思っていたが、どうしてジークムントも立派な頭領ぶりである。方向性は違うけど。
ジークムントの本領は、弱者保護の視点を常に保っていることなんだろうなあ。
俺の意志と、それをシステム化するヴォイド、そして方向性を修正するジークムント。
うん、結構、いい形になれるかもしれない。
「分かった。近い内に、正式に縹局の設立を宣言することになるだろう。よろしく頼む。縹局幹部とエルメタール団の頭領として、兼任、負担はかけるが任せた」
「我が君のみ心のままに」
さて、動く方向は決まったな。あとは具体化、か。
槙野本家の動きのタイミングにも左右されるかな。
いや、お構いなしにやった方がいいか。槙野本家がどう動こうとも、俺の動きは左右されない。そうであらねばなるまいよ。
ヴォイドに早く来てもらいたいものだなあ。
局中法度の一条だけは、思い付いているんだが。
「ユウ」
ジークムントと入れ替わるように部屋に来たのは、リムだった。
朝の鮮烈な光景がフラッシュバックし、少しばかり動揺したのは内緒だ。
何しろ、リムの態度に変化は一切みられない。ごく自然体のままだ。
俺だけ慌ててるなんて、悔しいじゃないか。
「どうかしたか」
「ヤマトと狩りに行ってくる」
「うん、構わないが、どうした、時間をかけるつもりなのか?」
「昨日よりは足を伸ばす。せめて大型が出るところくらいまで」
「分かった。今さらだが、油断するなよ」
「うん」
そういえば、リムの姿はいつのまにか、鎧姿に戻っていた。服の修正は済んだのだろう。
腰のパーツの組み合わせが変わっている。尻尾対策は万全なようだ。
うん、女の子にこういうのはどうかとも思うが、よく似合っている。というか、見慣れた姿に戻って、少しばかり俺も落ち着いて見れる。
鎧姿の方がしっくり来るって、誉め言葉にはならないよなあ。
「武者修行じゃないから無理はしない。明日には戻ると思う」
おっと。
チクリと刺してきやがって。
いや、山行き前に泣かせたのは俺だから、まあ、俺が悪いのだろうけど。
畜生、ちょっと反撃しとこうかな。
ひょいと手を捕まえて引き寄せてみた。
素直に身を寄せてくるリムに、そっと口付ける。
リムに動じた気配はない。
むしろ、小さな笑みを浮かべてきた。
「ふふっ、帰ってきたら続き?」
なんて余裕。勝とうと思う俺が馬鹿なのか?
まあ、いいや。言うべきことだけ、言っておこう。
今まで言えなかった分も合わせて。
「ああ、怪我なんてしてくるなよ」
「うん」
「リム、大好きだ」
「うん」
穏やかに、身を離すリム。じっと黙って、見つめてくる。
そして。
「今のは、ユウが悪いと思う」
いきなり、押し倒された。
いや、ちょっと待て。続きは帰ってからではなかったのか?
「まあ、自業自得じゃな」
なんだよ、ハク、いたのか。
リムの動きに淀みはない。よく見れば、頬が上気していた。
ヤバい。リムは、本気だ。スイッチを入れちまった。
『お館様、お覚悟めされい』
一瞬の目眩と、脱力感。おい、太郎丸、またかよ。
「ユウから言ったのは、初めてだから」
ああ、やっぱり俺が悪かったんだな。
少しばかり予定は遅れたが、リムは無事に出掛けていった。
そんなに時間はかけていないぞ。
とっくに日は落ちているけど。午後一杯、いや、なんでもない。
いかんな、自重しないと。
とはいえ、エルメタール団そのものに、今、仕事がない。
グリード戦後の休暇と言えば良いだろうか?
まあ、実際は砦の修復など、俺以外の面々は結構忙しく働いているのだが。
ううむ、もう一度魔珠集めに行ってこようか?
元々の予定では、まだまだ山籠り中だった筈だしなあ。今度は中腹くらいにとどめておくとして、今使える魔珠を集めるのもいいかもしれない。
こないだ取ってきたやつは、しばらく保留せざるを得ないからな。
そんなことをだらだらと考えている俺の横では、シャナが針仕事に精を出していた。
繕っているのは、ルーデンス剣士の古装である。
今となれば、ルーデンスの古装がなぜ和服っぽいのか、よく分かる。最初の剣士像が、そもそも華桑の剣士だったのだ。
まあ、当たり前の話だよな。
リムの服の尻尾穴を調整してもらったように、俺は翼の穴を任せていた。
背中に開けた大穴を、翼に合わせて形を整え、翼を出していようが、出さずにいようが、どちらでも使えるように手直ししてもらっているのだ。
「出来ました。試していただけますか?」
「ああ」
太郎丸の偽装モードになり、改めてハクを呼ぶ。
背中の脇に開けたスリットから、翼が綺麗に姿を見せた。
もし普通にこの古装を身に付けたのだとしたら、実際に飛んでみないことには分からない。
というか、羽ばたけば下手をすれば破れてしまうかもしれないが、偽装モードならばその心配はない。
うん、これで対人用の一張羅の出来上がりだ。
さて、いい感じに夜も更けてきた。そろそろ休む時間だろう。
まあ、俺に休息は必要ないけれど。
なんだかんだと働き者のシャナは、いい加減疲れているんじゃないか?
そういえば、アルマーン老は、俺がシャナに手を出していないことにやきもきしていたと言っていたが、本当だろうか?
俺ですら、外見年齢的に子ども扱いされることが多いのに、俺よりももっと幼く見えるシャナに、手を出すことが当たり前だったりするのか?
マジク兄弟は、子どもに興味はないタイプの、ごくまっとうな嗜好をお持ちだったようだが。
思いが通じ合ったからといって、はいそうですか、と手を出すには、シャナは幼すぎるように見えるのだが。
「シャナ、そろそろ休むか?」
「はっ、はい!」
おっと、驚いた。
シャナの声が上ずるのなんて、初めてじゃないか?
「ふ、不束者ではございますが、今宵はよろしくお願いいたします」
「え、いや、ちょっと待って。その、なんだ、昼間は確かにああ言ったけど、その、まだ早くないか? もう少し大きくなってから……」
シャナといい、リムといい、俺の回りの女の子は、みんな積極的にすぎないか?
それとも、戦国時代の日本のように、死が近い世界だと初婚年齢が下がったりしているのだろうか?
今というチャンスを逃せば、次の機会には戦死してしまっていたりするかもしれないもんなあ。
とはいえ、シャナは随分と年下に見える。キスくらいならともかく、その先を躊躇ってしまう程度には。本当に大丈夫なのか?
「申し訳ありません、私の体が幼いばかりに」
「いや、それはお前のせいじゃないだろ。いずれ大きくなるわけだし」
「……はい」
沈んだままのシャナの表情。
いや、何かおかしいな。
そういえば、シャナがエルメタール団に来たのは何年前だった?
その時には幼児だったとでも?
体が幼い、との言葉。普段の大人びた言葉。
猫の姿に変えられていた外見。変えられていたのは形だけか?
「ユウ様には、私が幾つに見えていらっしゃいますか?」
「十二歳」
ほろ苦い笑みを浮かべ、シャナはそっと首を振る。
西洋人は日本人からすると、年の割りに大きく見えるという。逆に日本人が幼くみられるように。
まあ、たぶん違うんだろうけど。
「十歳くらいか?」
「いいえ」
一呼吸、間をおく。
「十八になります」
やはり、そうか。
本当に、外見をいじられたんだなあ。
思い出してみれば、あの白い世界ではシャナの姿は俺と同年代に見えた。
あれが、あるべき姿だったということか。
「方法までは存じませんが、私の成長は、止められております」
「そういうことか」
くそ奴隷商め。どんな変態だ。
姿形をいじり、心縛の呪いをかける。
とても許せるものではないぞ。魂まで磨り潰してやりたい。
「このまま時を過ごしても、本当に成長できるのか、私には分かりません。あてのない先を待つよりも、私は、今の体でも、出来ることをなんでもして差し上げたいと願っております」
むう、シャナの気持ちは分かった。
シャナの全てが、俺に預けられているのがよく分かる。
いつまでも成長しない、幼い体。
くそう、これも呪いの一つかよ。
なんとか出来ないか?
断つ?
断てる呪いの形があるのか?
治す?
治せる呪いの症状があるのか?
いや、待てよ。
これは、成長を不自然に歪められた、言わば、後天的な障害じゃないか?
橘宗助の古傷、それに伴う後天的な障害を、第三のしもべは治癒してのけた。
ふむ、試してみる価値はあるかもしれない。
駄目元でもいいじゃないか。
どうせ代償は、俺が痛いことだけなんだから。
「シャナ、試してみたいことがある」
「はい、なんでしょうか?」
「太郎丸」
『御意』
「俺の心臓に、触ってみてくれ」
「は、はい」
戸惑いは大きいだろう。何をするのかもよく分からない筈だ。
だが、シャナは躊躇おうとはしなかった。
それだけ、俺は信じて貰えているという事だと思う。ならば、その想いに応えたい。
頼むぞ、俺の心臓。
シャナの指が触れると、確かに感じる拍動。
その波が、シャナの指を伝い、腕を伝い、体から頭、足の先まで広がっていったのが分かった。
一度大きく、シャナの体が震える。
通ったか?
そして、次の瞬間、シャナの体が一回り大きくなった。
ヤバい、服の締め付けがきついぞ。このまま大きくなれば、いずれ弾けるかもしれないがその前に体が痛む。どうせ治るからいい、とは言えないだろう。
迷う暇はない。躊躇なく、シャナの服を、服だけを鈴音で斬り裂く。
こうなることくらい、予測できたろうに。俺はアホか。
裂けた服の隙間から、シャナの素肌がのぞき、それが大きく広がっていく。
その姿は。
まるで、サナギの裂け目から羽化した蝶が、美しい羽を広げていくような、そんな姿に思えたのだった。