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敬服する。アルマーン老は、本当にシャナの事を考えているんだな。
シャナにかけられた鎖を全て、なくそうとしているんだ。
体にかけられた呪いの鎖は、俺が断った。
心に残された隷属の鎖は、今、乗り越え始めた。
そして、最後、社会的にかけられた立場の鎖を、アルマーン老は外そうとしている。
俺とシャナの想いは、面映ゆくはあるが、確かに通じ合った、と思う。
話だけなら簡単で、言ってしまえば、このまま俺が手を出してしまっても誰も文句は言わないし、俺が望めば側室の列に並べることも出来るだろう。
だが、元奴隷、という立場が変わるわけではない。砕いた言い方をすれば、要は御手付きメイドに過ぎないからだ。
しかしながら一度アルマーン家の養女となれば、名目上、奴隷上がりという経歴が上書きされる。
これは、昔の大奥とかではよくあった話と聞いたことがある。
身分が低い女性を、一旦どこかの武家が養女として、士族の身分を与えてから奥に入れるのだ。
当時の感覚からすれば、女性として究極の成り上がりであったろう。やっかみの嵐にも見舞われた筈だ。
そこから守るために、後ろ楯が睨みをきかせてくれたのだろう。
まあ、逆に、成り上がりたい武家が、見目麗しい適当な娘を自分の娘として奥に入れ、あわよくば後継ぎの外戚を夢見た、ということもよくあっただろうけど。
アルマーン老がどちらの側なのかは、考えるまでもないが。
「それにしても、時間がかかったものよ」
あー、アルマーン老、何を言い出すのかな?
「二ヶ月以上、側に置きながら、全く手を出す素振りもないのでな、やきもきしておったよ」
「うう、うるさいな。そういう突っ込みはシャナのいないところでやってくれ」
嬉しそうにシャナを見やるアルマーン老の視線には、確かに慈父の温かみが籠っているように見えたのだった。
「さて、話を戻そう」
畜生、何事もなかったかのように、本題に戻りやがって。
シャナはリムのところに戻ってしまったし、じいさんを、止めるものがなくなったぞ。
この鉄面皮、勝てる気がしねえ。
「職人のあては、王都のジェニングス商会を頼るとして、もうひとつの頼みはなにかね」
「あ、ああ、これを見て欲しい」
手渡したのは、大きな魔珠。
「なんと……これが魔珠かね……」
さすがのアルマーン老も、言葉がないようだ。
「山脈の上の方で狩ったものだ。純化処理の過程で出てくるものさえ、くずではなく、低級の魔珠、という代物だよ。強化に使いたいとは思っているが、正直、手に余る」
「ふうむ、純化処理はしてみたということか」
「試しだけな。うちの技術者では手に負えない。本職が必要、だそうだ」
「魔珠に詳しいわけではないが、これ程のものは初めて見るの。なまなかな技術者では、確かに手に余ろう。これも、王都に送る方が良いかもしれぬ」
なんとまあ。
人類初との話だったが、本当に大事になってきたな。しかし、王都か。
「心当たりは学院、か?」
「そうさの。確かに学院ならば処理も解析も出来るであろうよ。いや、学院で出来なければ、この世の誰にも出来ぬということになる」
本当かよ。学院、すごいな。
「じゃあ、学院へ送るのか」
「何を言うか。学院へ届くつてなどあろうものか」
「え、学院って、そんなに凄いのか?」
珍しく、アルマーン老がため息をつく。
「こういう時に、つくづくと実感するな。貴公がルーデンスの生まれではないのだ、と」
そんなにか。
「魔法回路技術者そのものが少ないにも関わらず、さらにその中の一握りのみが初めて門をくぐることを許される、いわば神域とも呼べる場よ」
「そこまでなのか。だとしたら、そこにつてが出来れば凄いことだよな」
「簡単に出来ぬから神域とまで呼ばれるのだろうよ」
そう言うと、そうなんだけどな。
「なにか、当てでもあるのかね」
「どうだろう。まあ、試してみるさ」
さて、どうなることやら。まあ最悪、直接乗り込んで、この魔珠を見せつけてみればいい。
それでも興味を持ってくれないのなら、それはそれで凄いと思うよ。
しかしなあ、開かれてもいないのに学院って、なんか違和感があるな。
話を聞いていると研究機関っぽいし、学園ラブコメの舞台、とは違うようだ。白い学ランの本来の出番、というわけでもなさそうだな。
ネーミングが適当だし、ローザの仕業、といったところか。
まあ、いい。
日に二度訪ねるなんて、初めてだな。
ニーアの仏頂面を思い出しながら、俺はアルマーン老の部屋を辞したのだった。
「また来たぞ」
「今、忙しい」
こちらに振り向きもせず、作業台に向かうニーア。純化処理に挑戦中か?
作業の邪魔にならないようにか、髪をアップにまとめていて、うなじのラインがよく見える。
……リムのうなじに生えた、たてがみの手触りはすごく滑らかだったなあ。
っと、いかんいかん、昼間っから何を思い出しているんだ。色ボケしている暇はないぞ。
作業を妨げないように、しばらく黙って待っていると、小さなため息が聞こえた。
髪をほどいて、ニーアがこちらに顔を向ける。
「今度はなに?」
「ああ、ちょっとした相談だ」
「とりあえず、座ったら? お茶はないけど」
勧められるままに、テーブルでニーアと向かい合う。
「相談って?」
「学院へ行ってくれないか?」
「……は?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔。
「魔珠ならやるよ。持っていってくれて構わない。それで、学院に入れるんだよな?」
「ちょっと待って。話が見えない」
「学院につてが欲しいんだ。さっきの話だと、この魔珠があれば、ニーアなら学院に入れるんだよな? 一個とは言わない。二個でも、三個でも持っていっていいから、学院へのつてになって欲しい。俺たちは学院へのつてを手に入れる。ニーアは学院に入れる。一石二鳥だと思うんだが」
言葉を聞きながら、ニーアの顔から、どんどんと表情が抜け落ちていくのが分かった。
そのまま、一言も発せず、じっとしている。
「……二個でも、三個でも、って、ユウ様にとっては、これはその程度の価値なんだね……」
鈴音のお陰ではっきり聞こえてはいるが、普通なら聞き逃すような、小さな呟き。
「違うぞ。価値ではない。労力の問題だ。俺にとっては、取りに行くのは容易いからな」
「エスト山脈を、ちょっとした散歩先みたいに言わないでよっ!」
突然の激昂。
思わず立ち上がってしまったのか、俺を頭の上から見下ろしながら、だが、ニーアの声に滲んでいるのは、どうにもならない悔しさのように聞こえた。
「なんでボクがこんな所にいると思ってるのさ」
「済まないが、知らん」
力なく、崩れるように椅子に腰を下ろしながら、ニーアは教えてくれた。
「禁呪に、手を染めたからさ」
「そうなのか?」
とはいっても、何が禁呪なのか、俺にはさっぱりなんだが。
心縛の呪いが禁呪だったか。
「学院に入れと言ったよね」
「ああ」
「残酷だよ。ボクがどれだけ学院に行きたかったと思ってるのさ」
そんなことは知る由もない。だが、真っ正直に答えては駄目だ。今は、ニーアの声を聞こう。
彼女が何を思っているのか。
俺は黙って、言葉を待つ。
「ボクには、そんなつても、お金もなかった。おまけに……」
おまけに、なんだろう。何となく予想はつくが。
「おまけに、素質もなかったんだ」
「そうか」
だが、そこで終わっていれば、今のニーアはないよな?
そして、どうしたんだ?
「それでも諦めきれずに、ボクは禁呪に手を出した」
顔の半面を覆った髪、それをニーアが持ち上げる。
本来なら眼球が収まっている筈の眼窩には、小さな魔珠が入っていた。その目の回り、顔の半面を埋め尽くす入れ墨のような紋様。あれは魔法回路だろうか?
「魔素の流れすら見えなかったボクはこの目を手に入れたけど、学院には届かず街も追放されたよ」
なるほど、アルマーン老の片眼鏡の魔法回路か、それに類する機能なんだろうな。
「ボクは、禁呪使いなんだよ」
「そうか。強化人間というわけだな。魔珠を放り込んで強化するのが当たり前なわりに、なんでニーアのそれが禁呪なのか、よく分からないが」
ニーアがため息をつく。
「嫌がらないんだね。ユウ様の常識知らずに感謝する日が来るとは思ってもみなかったよ」
「悪かったな」
「魔珠を入れるのは、力を制圧することだから問題ない。でも、ボクのは魔珠で操るんだ。全然違うよ。人間が魔珠を使うのとは逆、魔珠が人間を操るんだからね」
「使い方によっては、意図的に獣堕ちを引き起こせるってことか」
「そうだよ。それだけじゃないと思うけど」
「ああ、そうか。魔法回路は、応用がきくんだな。ニーアの術式は目を与える程度だとしても、同じ形式で、もっと凶悪な能力を付加するような回路が組めるかもしれない、だから禁じられたんだな?」
ラノベとかで、よく魔法システムの設計とかを詳しく書いている作品をみたが、その辺りの知識から考えてみれば、そう的外れじゃないとは思うんだが。
まして、テーブルトークRPGのシステムと言えば、魔法の設定に多くの項を割いているのが当たり前だったように思う。
戦闘システム自体には極端な差をつけるのが難しい。その中でゲームの個性を分けるのが何かと言えば、世界観か魔法システムだったように思うのだ。
魔法の設定に力を込めたルールブックを、俺たちは多く読み込んできた。
そこから考えれば、どんな形であれ魔「法」である以上、一定の法則がある筈だ。そして、法則そのものは、条件が整えば必ず、均質に働く。だからこその法則だ。
魔法回路も、機構的に説明できる筈。
「その通りだろう、とボクも思ってる。なんで今のやり取りだけでそこまで分かるのさ」
「俺の故郷にも、似たようなことを考えるやつがいたからさ」
まあ、創作の上の話だったりするけど。
だが、まあ、そうでも言わなければ、納得はしてもらえまい。嘘では、ないからな。
「その人たちは、どうなったの?」
「さてなあ。社会から隔離されていたり、あるいはそういう素振りを見せずに社会に溶け込んでいたり、まれに皆に認められているやつもいたよ。まあ、俺の故郷のことはいいだろう。どうせ帰るあても無し」
嘘はついていないけど、俺の心のライフはガリガリ削られている。そろそろ勘弁してくれ。
「そうだね。そちらと違って、ボクは認められる当てなんか無いからね」
「さて、どうだろうな。聞く限りだと、学院の連中はきっと気にしないと思うぞ」
「なんでそんなことが言えるのさ。禁呪を定めたのは学院なんだよ? 許される筈がない」
「いや、逆に考えるんだ。学院は、それを禁呪と決められる程度には、その禁呪に詳しい。研究している証拠さ。どうせ中は治外法権なんだろ? なら、中に入ってしまえば、お咎めなんて無いさ」
「……なにさ、その屁理屈」
「屁理屈結構、どうだ、間違ってると思うか?」
「ふふっ、確かに思えないね」
おお、ようやく笑ってくれたか。少し、落ち着いたようだな。
「もし学院が受け入れてくれなければ、戻ってこい。部屋は空けておく」
「うん、ありがとう」
穏やかな表情のニーア。
だが。
その左目から、一筋、涙がこぼれた。
「神様は不公平だ……」
さて、どうだろう。あの神だか天使だかは、力及ばず、ではあったが、全てに公平にあろうと努力してはいなかったか?
挙げ句にまあ、パンクしたわけだが。
「ボクにユウ様みたいな力があれば、きっと迷ったり間違ったりしなかったんだろうね」
「それは違うぞ」
くそう。何を言ってやがる。
俺は確かに斬ることに迷いはないが、俺自身のことなら、さっきシャナに救われるまで、どれだけグダグダだったと思ってるんだ。
「出来ることに迷いがないだけだ。出来ないことはさっぱりだぞ。魔珠や魔法回路を持ってこられても、お前に泣きつく自信があるね。お前だって、魔珠の純化処理で、今さら迷ったりはしないだろうが」
「それはそうだけど……」
「俺に出来ることと出来ないこと、お前に出来ることと出来ないこと、これは全く重ならないぞ。やりたいことだってそうだろうがよ。俺の力は、お前の夢の役には立たんぞ」
「ボクの……夢……?」
「禁呪に手を染めてまで、行きたかったんだろうが、学院。元々行くために禁呪に手を出したんだろ? 今さら、禁呪使いだからって二の足踏んでるんじゃねえよ」
ガツンと、殴られたような表情になるニーア。お、届いたかな?
「そっか。それもそっか」
「まあ、最高学府のようだし、入ってからついていけるかどうかは知らんがな」
「その時は、部屋を空けておいてくれる?」
「潰しておこうか。背水の陣をしくために」
お互いに、ニヤリと笑い合う。
「分かった。その話、乗ったよ」
片手を差し出しながら、決意のこもったニーアの言葉。
「ああ、頼んだ」
応じて俺も、固く握り返す。
なんか新鮮だ。
この世界で握手したのは、これで二人目だな。