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朝食後、リムとシャナは連れ立って出ていってしまった。
なんでも、尻尾穴を開けて服を繕い直すのだそうだ。仲の良いことで。
二人がいなくなってホッとした気持ちがあるのは否めない。だが、そこで落ち込むと、またハクに蹴られそうだ。
「そうじゃの」
ハクが、構えていた蹴り足を下ろした。うん、危機一髪だったらしい。
「お前、なんでシャナと一緒にいたんだ?」
「乙女の秘密じゃ」
そうかよ。
いや、別にハクが乙女と言ったって、なにも思うところはなかったぞ。それなのに、ポカリとやられた。理不尽だ。
さて、俺は俺でアルマーン老に会いに行こう。もしくは華桑の面々でもいいんだが。
銀狼のもうひとつの遺産、あの美しい毛皮を、リムに贈りたい。
俺と、リムとで身に纏って、常に共にありたいと願っている。
その為に金を惜しむつもりはない。
使えるコネを使い尽くして、最高峰の職人に頼むつもりだ。
そいつが必要と言うならば、何度でもエスト山脈に行ってもいい。
さて、どうなることやら。
今の客間の配置はどうなっているのかね。大所帯になっている気がするんだが、誰が何処にいるんだろう?
っと、その前に、用事を済ませておくか。
訪ねたのは、砦の片隅、小さな部屋だ。
それでも、大部屋で雑魚寝がほとんどの中で、個人の部屋を持っているのは珍しい部類に入るだろう。まあ、ほとんど仕事部屋な訳だが。
「ニーア、入るぞ」
「うえ、何しに来たのさ」
俺が入ると、心底嫌そうな顔をしてみせる部屋の主。
飾り気の無い黒いローブに、顔の右半面を覆い隠すくすんだ金髪。少し小柄な体格の彼女は、あまり特徴の無い顔立ちをした、ごく普通の女性に見えた。が、露になった左目には、険がある。
俺に対して遠慮もなく、嫌そうな顔や毒舌をぶつけてくる貴重な人材が、エルメタール団唯一の魔法回路技術者、魔珠使いのニーアだった。
魔獣狩りに始まり盗賊狩りへと続いたエルメタール団強化の中で、彼女の果たした役割は大きい。その分、負担も大きかったわけだが。
魔法回路技術者としては、基本的な部分しか知らないらしいが、何より有り難かったのは、魔珠の純化処理が出来たことだった。
俺たちが積み上げる多くの魔珠を、一人で泣きながら、徹夜で純化してくれた時は、さすがにアルマーン老に頼んで最高級の菓子を差し入れしたものである。
殺されそうな勢いで睨み付けられたが。
それ以来、ニーアは俺の訪問を心底警戒しているようだ。
まあ、正解なんだが。
「頼みがある」
「なんだよう、今度はいくつあるのさ 」
「あー、数えてない」
「はい、やり直し、数えてから来てください」
「まあ、そう言うな。本気で面倒だから」
「いったいいくつ持ってきたのさ!」
悲鳴をあげるニーアをそのままに、大型の器を探しだし、魔法の収納袋を引っくり返す。
百は下らないその数。今まで持ってきたことの無いような澄んだ輝き。普通はビー玉程度の大きさなのに、ピンポン玉くらいの大きなものまで混じっているその魔珠の山に、悲鳴は絶えた。
まあ、まさに絶句、だな。
「……なにこれ」
「なにって、魔珠だろ」
「こんなの、見たことない。どこで狩ってきたのさ」
「だから言ったろ? エスト山脈に行くって」
「ホントに山脈まで行ったんだ。どこまで登ったの?」
「山頂」
「……聞くんじゃなかった。聞いたボクが馬鹿だったよ」
心底呆れ果てたような声。無茶をした自覚はあるが、ここまで反応してくれると、まあつくづく鈴音と太郎丸の規格外さが際立つというものだ。
「純化、出来るか」
「うーん、正直、分からないなあ。試してみてもいい?」
「ああ、やってくれ」
「相変わらず太っ腹だね。普通は貴重な魔珠を賭けみたいには使わないよ」
「まあ、無くなればまた取りに行くさ」
「……ボクが馬鹿だったのは分かっていたつもりなのになあ」
ため息ひとつ。
魔珠の純化処理は、研磨作業に似ている。実際に形を削るわけではないが、魔素を磨くのだそうだ。
その過程で出てくる削りカスが、いわゆるくず魔珠である。
そこまでは知っていたのだが。
「それ、くずには見えんな」
「そうみたい。低級だけど、立派な魔珠だよ」
純化処理の過程で出てきたのは、普通の魔珠だった。
いくら低級とはいえ、削るだけでポロポロと魔珠が出るとか、どれだけの価値があるんだ、こいつは?
こいつを市場に流せば、国のパワーバランスが揺れるんじゃないか?
「全部が全部、ここまでの魔素が籠っているとは思えないね。たぶん、一握りの最高位の魔珠なんだと思うけど。でも、人が初めて踏み込んだ領域だと思うよ。こんなの、聞いたこともない。人の身に入れて何が起こるのか、分かったもんじゃないさ」
リムに入れたけど。
これ、口に出したら何言われるか分からんな。
「どれくらいの価値があるんだ、こいつは?」
「ボクに分かるわけ無いじゃん。バカじゃない?」
「分からんことは誇れるのかよ」
「人間が初めて手にした魔珠だよ。他に比較がない。値段なんてつけらんないね。エスト山脈の上だなんて、ユウ様以外に取りに行ける筈もなし。独占出来るんだし、言い値以外につけようがないね」
「そんなものか」
「これ一個持って王都まで行ったら、学院に入れるかもしれない。それくらい凄いものだよ」
「いや、学院の凄さを基準にされても、学院が何か分からんぞ」
一瞬、物凄いジト目で睨まれた。
え、俺が悪いのか?
「学院はローザ神の神託で建てられた大陸唯一の魔法回路研究機関だよ。常識知らずはこれだから嫌いさ」
「悪かったな、ルーデンス生まれじゃないものでね」
アッカンベーをして睨まれる。こいつ、幾つだったっけ?
二十歳は過ぎていたと聞いた気がするんだが。プライベートでの付き合いは全くないからなあ。
学院か。言葉の響きから察するに、魔法回路技術者たちの憧れの登竜門とか、そんな感じだろうか?
「しかし、価値が分からんか。商談に使おうと思っていたのになあ」
「それもいいんだけど、これ、本当にどうするつもりさ。売るのも使うのも怖いよ?」
「純化すりゃ大丈夫だろ、頼りにしてる」
「くそう、こんな時ばっかり……」
「当面、売るつもりはない。全部強化に使う」
「さっき商談って言ったじゃん」
「頼みごとがあったのでね、その分だけな」
ううむ、これの市場価値が読めないのは辛いな。迂闊に売っていいものかどうかの判断すらつかん。
頼みごとついでに、アルマーン老に相談してみるか。
「じゃあ、あとは任せていいか」
「いいけど、でも、ボク一人ってのも無茶だよ。一個純化するのにどれくらいかかるかも分からないのに」
「手伝いがいるか?」
「ううん、悔しいけど、本職の方がいい。ボクの手には余る。むしろボクの方が手伝う側だね」
そんなにか。
「分かった。考えておく。アルマーン老の部屋は知っているか?」
「うん、北西角の小さい方」
「ああ、いつもの大部屋は譲ったのか」
「当ったり前じゃん。華桑のお偉いさん相手だよ。アルマーン商会なんて吹けば飛んじゃうさ」
むむう、槙野家、恐るべし。うちに嫁に来るけど。
「助かった、あとは頼む」
「はあい、仕方ないなあ」
内心は目の色を変えているかもしれないが、表面的にはうんざりした様子のニーアにあとを託し、俺はその足でアルマーン老を訪ねた。
大きな魔珠を一個、失敬して。
さて、どんな商談になるかね。
「御無沙汰だ。昨夜はゆっくり話もできず、失礼した」
「槙野家との会談に混ざろうとは思わぬよ。改めて祝おう。山脈よりの無事の帰還、なによりだ」
相変わらず天然の威圧感が凄いな。
「会談は無事に済んだのかね」
「まあ、会談はな」
「伺っても良いかね」
「ああ、相談もあるしなあ。取り敢えず、凛と結婚することになった」
「そうか」
察するところがあったのだろうか?
思ったよりは驚いていなかった。さもありなん、といった風情か。
みんな、当たり前のように結婚話をすすめてくるなあ。結婚自体が嫌とかではないのに、どうしても憂鬱な感が否めない。
凛に申し訳ないくらいだ。
まあ、いい。本題に入ろう。
「二つばかり、頼みがあってきた」
「うかがおう」
「まずはこいつ、こいつを加工できる大陸最高の職人を紹介してほしい」
「なんと、これは……」
全部出したら部屋が埋まるので、一部だけ見せてみる。
アルマーン老は毎度お馴染みの片眼鏡姿だ。
「ここまでの品となると、この近辺では無理だの。せめてルドン、大陸最高と言うなら王都まで行かねばなるまいよ。心当たりは一つしかない。創業をルーデンス建国期にまで遡る武具の名門、ジェニングス商会、そこしかない」
「そうか。繋ぎはとれるだろうか?」
「力は尽くそう。ただ、条件がある」
「聞こう」
「シャナを引き取らせてもらいたい」
なんですと?