53
狼少女の先制攻撃によって、第一次ユウリム会戦は幕を開けた。
お互いが経験の無い未知の戦闘において、本能に任せた戦いが始まる。
より本能に正直なリムが優勢に戦闘をリードするものの、俺は蓄積された知識を武器に立ち向かい、幾度か反撃に成功していた。
だが、リムの攻勢はとどまらず、緒戦は手痛い敗北を喫したような気がする。畜生。
それでも、お互いに理解が進み、双方一通りの攻防を終えると、戦いは持久戦の様相を呈してきた。
こうなってくると、兵站の強いものが勝つ。
ごめん、リム。無限の体力って反則だよな。
朝の光の中、泥のように眠るリムの髪を撫でながら、俺は内心で謝っていた。
こうなってしまった事に、今さらではあるが、俺は後ろめたさのようなものを感じていた。
我ながら度しがたい。この思いはなんなんだ?
いや、思いを進められていないのか。
この期に及んで、俺はまだ、自分からリムに、好きだ、の一言すら言えていない。
嫌いなんて事はあり得ないし、好きであることには間違いがない。好かれていることも、本当に嬉しい。
なのに、俺からはまだ何も、アプローチ出来ていなかった。
思えば、他の皆相手でもそうだ。
俺が相手をどう思っているか、俺はそれを突き詰めてこなかったし、表明したこともない。
相手の思いを受けるばかりの、受け身の付き合いしか出来ていなかった。
まして、家族に繋がるような愛や恋の話は見ようとすらしていなかった筈だ。
凛との結婚話も、あれは好き嫌いの話ではない。ただ、凛を、コンプレックスから解放してやりたかっただけ、そう言われてしまえば俺には否定できない気がする。
なぜ、好きだ、の一言が言えない?
殺しの時と同じか?
日本の倫理観に縛られている?
さすがにそれはないだろう。
今後、俺に強制される社会的立場からしても、現代日本の倫理観とは縁遠い世界を生きることになるのは明白だ。
凛はもとより側室を容認しているし、扶桑の血を残すことが最優先ならば、むしろ俺は多く子を成さねばなるまい。
リムに至っては、人間社会から一部逸脱しているとも言える。
そういう意味では、俺には、ある意味やりたい放題をしても許される空気がある。
だから、きっとこれは、俺自身の問題なのだ。
髪を撫でる俺の手に、無意識にだろうリムが、そっと頬擦りをする。
なんて可愛いんだろう?
いとおしさが込み上げてくるのが分かった。
この感情が確かにあるのに、俺は、なぜ踏み込めない?
不意に、音もなく扉を開けて、太郎丸が入ってきた。
おお、鈴音を携えていれば、太郎丸の動きも最適化されるのか。滑らかに無音で動いている。すごいな、それは。
「お館様、湯殿の準備が整って御座る」
「そうなのか、済まないな。ありがとう」
驚いた。
いや、太郎丸が風呂の準備って、出来るのか?
俺ですら魔法回路の使い方がよく分からないというのに、太郎丸に先を越されたとか、驚きだぞ。
シャナ、かな。
「おい、リム、起きられるか?」
「だめ、力が入らない」
お、起きてはいたのか。
「風呂、入れそうか」
「無理だけど……浴びたい」
「そうか。洗うぞ、いいか?」
「うん、お願い」
本当に力が入らないのか、くったりとしたリムを抱えあげ、風呂場に向かう。
光のなかで見るリムの姿は、なんと言うか、言葉に困るほどに美しかった。
昨夜は暗い部屋の中、鈴音の強化を失った感覚でしか見られなかった姿。改めてその均整のとれた肢体が、瞳に焼き付く。
ダメだ、雑念よ去れ。
これは重要な任務なんだから。
あれ、そう言えば、ハクがいないな。いつからだ?
手早く入浴を済ませて戻れば、朝飯の支度が済んでいた。きっちり二人分。
ふらつきながらではあるが、リムもようやく立ち直り、どうにか自分の足で立っている。
部屋の隅には、シャナが控えていた。
リムを見つめて、心底驚いた顔をしている。
朝飯を二人分用意しておいて、リムがいることに驚く筈がないんだが。って、そうか。
リムの姿は、大きく変わっている。
銀髪に変わってから初めて会うのか。おまけに尻尾もあるぞ。
お陰で、今のリムはまだ服を着れず、シーツをそれっぽく巻き付けただけの、あられもない姿である。
まあ、シャナの驚きも、推して知るべし、か。
……なんというか、いたたまれない気がする。
気恥ずかしいというか、なんというか。
それなのに、リムはごく自然体だった。
「おはよう」
「おはようご……おはよう、リム」
二人の掛け合いを見るのは初めてだな。いや、なんか新鮮だ。
シャナは敬語を使わない努力でもしているのだろうか?
「おはようございます、ユウ様」
「あ、ああ、おはよう」
ううむ、この後ろめたさは、あれだな。
約束がうやむやのままに他の女とあれこれしておいて、感じて当然のあれだ。
対するシャナは、まるっきり平常運転、いつも通りに見える。
だが、そこにがっかりする資格は、俺には無い筈だ。無い筈なのにがっかりしている俺は、本当に最低なんじゃないだろうか?
強い視線を感じる。
視線を転じれば、ハクがいた。
いや、転ずるほどの位置ではなかったが。
ハクは、シャナの肩に乗っていたのである。なんでそんなとこに?
まるで、睨み付けられているように感じる強い視線ではあったが、ハクの顔は別段怒っているような感じはなかった。少し細めた目は、むしろ気遣わしげな、心配げな表情のようにさえ見える。
あれ?
俺が、心配されているのか?
それ、逆じゃね?
シャナの配膳を普通に手伝うリム。それを待つ俺。
なんてお殿様。
なんだか申し訳ないなあ。
そう思っていたら、頭を蹴り飛ばされた。
いつの間にか、ハクが肩に戻ってきている。
「景気の悪い顔をするでない。お主がそんなでは部屋の空気がよどむわ」
「そ、そうか」
とは言ってもなあ。
こんな時に、どんな顔をしたらいいんだよ。
「知らぬわ」
ハクから救いはない。畜生。
いいさ、顔だけでも明るくいこう。
リムはいとおしいし、シャナには感謝している。
今はそれだけ信じていこう。
朝飯の味は、分からなかった。