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 部屋に戻る道すがら、俺は考えていた。


 宴会は無事に終了している。

 凛にだけはしっかりと伝えた。結婚を受諾する、と。


 ほんのりと涙を浮かべ、凛は嬉しそうに頷いてくれた。

 じきに、槙野本家が動き出すだろう。


 しかし、結婚、か。

 それ以外に方法がないのは明らかだった。凛も俺の事を好ましく思ってくれているだろう。翻って俺自身も、凛のことは好きだ。

 可愛いと思う。


 それなのに、俺はこの先の事、結婚の事を、具体的にイメージ出来ずにいた。


 何故だろう?

 結婚という制度に対する抵抗か?

 世の中の男性は結婚の二文字でまず逃げることを考える、と、聞いたことがあるしな。


 まあ実際、結婚するならもっと大人になってから、何年も先の話だと思っていたし。

 それとも、気になる相手でもいるのか?


 浮かぶ顔は、シャナとリム。あとルクアさんか。

 そう思えば、俺はその三人とも、あえて距離感を詰めようとはしなかった。


 シャナだけは別だが、それはそれで立場による強制の恐怖もあった。

 リムはジークムントの管轄だ、と見ないようにしていたとも思う。エスト山脈に向かう時に泣いてくれたから、もしかして、という思いはあるけど。


 ルクアさんはちょっと違うか。はからずも、命の恩人となってしまった俺に向けてくる好意は、嬉しくもあり、照れ臭くもあり、だが。


 思い返せば、俺は本当に果報者だよなあ。

 たった四ヶ月足らず、まだ半年も経っていないというのに、こんなにも可愛い女たちに、こんなにも好意を向けてもらえているなんて。

 それに応えようとしない俺ってどうよ。

 最悪だ。


 でも、何故だろう。


 好意の次に愛になり、いずれ構えるだろう家庭。

 俺は、それをイメージ出来ない。


 シャナの体の柔らかさや、リムの綺麗な裸に胸はドキドキするし、凛と迎えるだろう夫婦生活のあれやこれや、その、エロい事に興味もありありだ。

 だが、そこに踏み込んでいく自分が、想像できない。


 そもそも、俺は俺自身の家庭を思い出せていなかった。


 俺の実家の記憶は、母屋にはない。裏の森の片隅に建てられた小さな離れで完結している。

 そこは俺とあいつの二人きりの世界だった。


 お金に不自由した記憶はないが、お金にしか不自由しなかったとも言える。

 家族との団欒は、本の中の世界でしかなかった。俺の団欒相手はあいつだけだった。


 家庭を思い出せない。

 家庭を想像できない。

 家庭の中にいる自分を、思い描くことが出来ない。


 そうして具体化を避けてきた関係が、今の俺と彼女たちか。

 最低だ。


 いつの間にか部屋に着いていたが、俺はまだ考えに没頭していた。

 シャナが淹れてくれたお茶を無意識にすすりながら、シャナが退出していったのにも気付かなかった。

 まして、入れ替わりにリムが入ってきているなんて、想像すらしていなかったよ。


 尻尾のせいで鎧下の姿のまま、靴を脱ぎ捨てソファーの上に横向きの三角座りになったリムは、無造作に、そっと俺に背を預けてきた。

 軽くもたれ掛かってくる重みに、初めて隣にリムがいることに気付く。


「お、おい、リム」

「考え事の邪魔はしない」


 いや、そういうことではなくてだな。


「いや、何でここに?」

「なにか問題がある?」

 質問に質問で返すなよ。


 ヤバい、リムは、心底当たり前にここにいる。

 意味は……分かっているんだろうな。


 だが、はいそうですか、とは応じられないぞ。

 奇しくもたった今、悩みまくっていた事じゃないか。

 それに、俺はついさっき、凛との結婚を決めたばかりだ。その夜に他の女と同衾どうきんとか、さすがに不実に過ぎるだろうよ。


 話、そらせるかな。


「お前、宴会に来なかったな。どこに行っていた?」

「ヤマトとご飯」

 狩りかよ。


「山の方まで行けた」

 少し、誇らしげなリム。


 マジか。

 いや、あの大和の足で考えれば、無茶な話ではないか。ルドンやらを経由せずに、最短距離で山脈に向かえば、麓で狩りの一つも出来るだろう。

 リムはとんでもない機動力を備えたなあ。縄張りの範囲が半端ないぞ。


 しかし、だとすると。

「なら、凛たちとは面識は?」

「知ってる。昨夜からいたから」

 そう言えば、そうか。


 さて、爆弾を落としてみようか。さすがにこれを言えば、リムも部屋に帰るだろう。


「その凛だがな」

「うん」

「結婚することにした」


 さて、どうだ?


 いや、ちょっと待て、俺は何を言っている?

 これをここで言って、俺はリムに何を伝えたかったんだ?


 いかん、頭が混乱しているんじゃないか。我ながら、何をしているのか、意味が分からん。


 だが。


「ふうん、そうなんだ」

 リムは、あっさりスルーしてきた。全く動じた気配がない。


「え、それだけ?」

「華桑のお姫様が群れに入るんでしょ? そうなる気はしてた」

「そうなのか?」

「強い男には雌が集まる。あなたの群れが増えるのは当たり前」


 なんという高評価。


「考え事は終わり?」

「え、あ、いや、どうかな……」

 今まさに悩みの渦中にあるぞ?


 いつの間にか、リムがこちらに体の正面を向けている。

 おいおい、顔が近いぞ。


 真っ直ぐにこちらを見つめている、氷青の瞳。綺麗、なのは間違いないよな。

 しかも、感情が真っ直ぐにこちらに向かってきている。

 目を背ける事が出来ない。


 少しずつ、にじり寄ってくるリム。思わず身が引ける俺。

 普通、逆じゃね?


「リ、リム、落ち着いてるか?」

「どうだろ? 落ち着いては、いないと思う」

「な? なら、まずは落ち着こうぜ」

「いや」


 なんだ、この聞き分けの無さは。


「お前、分かってるのか? 俺は別の女と結婚するって言ってるんだぞ?」

 そう言うと、リムの動きが止まった。


 思わずホッとする。


 少し考え込むような風情で、リムは首を傾げた。

「それがなに?」


 絶句。

 大変です。リムさんには通じていません!


「私は、あなたが私を好きなことを知っている」

 いや、そりゃあ好きだけど。

「私もあなたが好き」


 決定的な告白。

 あれだけ悩んでいたつもりなのに、いざ、好きと言われると、嬉しさが込み上げてくるのが分かった。

 いや、そりゃ、嬉しいけど。祐よ、ちょっと即物的に過ぎないか?


「何も問題はない」

 リムの両手がのびてくるのを、思わず食い止める。


「ちょ、ちょっと待て、リム」

「待たない」

「お前、ジークムントが好きなんじゃなかったのか?」

「なんでジークが出てくるの?」

「いや、だって、てっきり……」

「あなたの好きとは違う。……お父さん?」

 いや、せめてお兄さんと言ってやれ。


 また一つ、退路が塞がれる。


 押し倒そうとするリムと、押し返そうとする俺と。

 力比べは太郎丸が頼りだ。凛とやりあってからこっち、重装モードのままで良かった。


 リムの眉がひそめられた。ご機嫌ななめか?

「タロウマル、どいて」

『御意』


 え?

 マジで?


 一瞬の脱力感。

 太郎丸、俺を裏切るのか?


御前ごぜん様の命にありますれば」


 なんてこった。太郎丸の中ではリムはもう嫁扱い確定かよ。しかも、ご丁寧に鈴音まで持っていきやがった。

 いや、そりゃあ、下手に手元にあって万が一リムが握ってしまうようなことがあれば、それこそ最悪だから、太郎丸が気を利かせてくれたというのは有り難いんだが。


「おい、リム、続きはないんじゃなかったのか?」


 鈴音を失ったことで、感覚が失われる。

 言わば広域レーダーが切れたことで、索敵範囲は目の前だけだ。

 視覚は目の前のリムに釘付け。


 ほのかに香るいい匂いは、リムだ。嗅覚も占領された。

 耳にはリムの息遣いしか聞こえない。聴覚、陥落。


「帰ってきたら、自分の力で引き寄せるって言ってた。私も強くなったけど」

 挑戦的な笑み。


 そうか、そうだよ。

 生身で力比べをしても、勝ち目はない。抱き寄せることなんて、出来る筈ないじゃないか。

 抱き寄せられなければ、俺の負けで話は終わりだ。めでたしめでたし。


 ぐい、と力を込め、リムを引き寄せる。

 ふわりと柔らかく、包まれた感覚があった。


 骨なんかどこにも無いんじゃないか。

 あたたかく、柔らかなリムは俺の腕の中。

 してやったり、の笑顔。


「抵抗なんてしない」

 耳をくすぐる囁き。

 触覚は、もはやリムに埋め尽くされていた。


 リムの両手が俺の頬を挟む。

 力比べに勝ち目はないが、もう、俺も抵抗など出来ない。


「私たちは、つがい」


 五感の最後、味覚が、リムに染まった。


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