51
地に大の字に寝転がり、月を見上げる。
傍らには、凛が座っていた。
肉体的な疲れはない。だが、正直、動きたくはなかった。
まあ、ハクの言った通りである。
こてんぱんに伸されたのだ。
唯一、一矢報いる寸前というか、驚かせるのに成功したのは、ミレイアの突きを真似した事だった。
進退極まっていた俺はグリード戦の時と同じく、見た技の再現で一矢報いる事が出来ないかと考えていたのだ。
一番印象深いのは派手なディルスランの技だが、あれは四水剣である。その源流だろう水心流に通じるとは思えない。
ならば、ミレイアの突きしかないだろう。
そして俺は、踏み込んでいった。
鈴音の切っ先が、小さな渦を描く。
その螺旋の力を、鈴音に導かれるままに突きのエネルギーに換えていく。
その瞬間、確かに、凛の顔は驚愕に彩られた。
鈴音の切っ先が、まるで凛の刀を絡めとるように円を描く。これは行ったか?
だが、絡めとられていたのは鈴音の方だった。
まるで吸い取られるように鈴音に込めた力は失われ、ただ、かざされただけとなった刀身の上を凛の刀が滑ってくる。
強かな打ち込みは、それまで食らったどの一撃よりも重たかった。
「今のは春水剣の突きだな。どこで知った? 思わず返し技を打ってしまったぞ」
「春水剣?」
「ああ、四水剣の一つ。春を冠した細剣の流派だ」
「そうか。アルマーン老の護衛が、一度使っていたんだ」
「一度見て、それを再現したというのか、貴方は」
あきれたような凛の声。
うるさいな。正直心は折れたぞ。
ミレイアまで四水剣士だったのかよ。もう、残りのリックが四水剣じゃないと言われる方が驚きかもしれん。
四水剣、根付き過ぎだろう。
まあ、そんなわけで、力尽きた俺は、こうして寝そべっているわけだ。
「それにしても、凄まじいな、凛は」
「まあ、これだけが取り柄だからな」
少し寂しそうに凛が答える。
なに言ってやがる、才色兼備のくせして。
まあ、口に出したら嫌がるんだろうけど。
「連綿と続く水心剣を継承するのは我が誇りでもあるから、悔いはない。だが、貴方に与えられるものが剣しかないというのは、申し訳ないとも思うよ」
「水心剣、教えてくれるのか?」
「当然だ。いや、お返しすると言った方が良いか」
ううむ、華桑人にとって、扶桑とは本当に大切なものなんだなあ。
身体的に純血の扶桑人であるということが、心底申し訳なく感じられる。
俺に出来る恩返しは、なんだろう?
華桑が守ってきた、凛が守ってきた大陸の平和、それを乱さないこと、だよな。
むしろ、華桑の権限を強化する側に回るべきか?
いや、野心を出してもダメなんだよな。
いずれにせよ俺には、華桑と一蓮托生で生きるしか、まともな道はないのだろう。
どこかの国につくわけにもいかない。俺が仕官すれば、大陸中の華桑人もついてくるだろうからな。
国にとらわれない江湖の縹局を目指すつもりだったが、本当に、国にとらわれるわけにはいかなくなった。
エルメタール団に続いて華桑か。
大事にしたい集団の規模が、いきなり膨れ上がったな。
「それにしても、結婚かあ」
全くの想定外だったなあ。まだ未成年だぞ、俺は。多分だけど。
我知らず、溜め息が出る。
「やはり嫌か、済まない。だが、槙野家との縁は結んでもらえないか?」
憂いを帯びた声。
ああ、またやっちまったか。
「違うよ、嫌なんじゃない。考えていなかっただけだ」
「いや、無理しなくていい。本来なら、私ではなく妹が貴方に嫁ぐべきだったんだ」
「なんの話だ?」
なんだろう。
たまに感じるが、凛は自己評価がかなり低くないか?
「妹は国許でも評判の美姫でな。妹ながら私も鼻が高い。妹ならば貴方にも相応しかろうと思うのだが、昨年、婿をとってしまったんだ」
「へえ、そんなに美人なんだ」
本当かよ。凛よりもっと美人とか、想像すら出来んぞ。
というか、あれ?
「あれ、お前、容姿をどうこう言われるの、嫌がっていなかったか?」
「む……」
凛は、ぐっと、言葉に詰まった。
なんだ、その悲しげな顔は。なんだろう。何となく見当がついた気がするぞ。
「それは……嫌だ……」
「妹さんはそんなに美人なのか」
「……ああ」
「凛より美人とか、想像も出来んぞ」
「何を言う! そんなおためごかしなど聞きたくない! 貴方には言われたくなかった!」
怒った顔も美人だなあ。
分かったぞ。
「凛、お前、自分が不細工だと思っているだろう」
凛からは、返事すらなかった。傷ついた表情。
フォローフォロー、急がないとな。
「俺にとっては絶世の美女だぞ、凛は」
「な……聞きたくないと言ったろう!」
「まあ、聞け」
「う……」
これはあれだ。平安美人は現代でも美人とは限らない、というやつだな。華桑が昔の日本の価値観に近いなら、確かに俺が美人と思う凛の顔は、華桑人にとって美人に見えないんじゃないか?
「妹さん、ほっぺた膨れてるよな」
「ああ、ふっくらした優しげな頬だよ」
「目は結構細くないか?」
「ああ、糸で引いたように美しい」
「唇はちょっと尖ってないか?」
「慎ましやかな可愛らしい唇だよ」
「おでこは狭いよな」
「神山を模したごとく美しい稜線を描いているよ」
ローザ山のシルエットか。間違いなく富士額だな。
確定だ。
「妹さんの顔、想像がつくわ」
「それは……絵になるような美姫だからな」
「多分……ハク」
「嫌じゃ」
「おい、まだ何も言ってないだろ」
「うるさいわ。何が悲しゅうておかめにならねばならぬのじゃ、断固拒否する」
おいおい。
ハクの姿はイメージ次第で変化が可能なんだから、おかめの面の再現をしてもらおうと思ったのだがなあ。ハクの美意識とは、かけ離れていたらしい。
「じゃあ、衣装を替えてみてくれないか? ほら、ひょっとことかの図柄の法被とか」
「むう、それくらいなら、仕方ないな。やってやらんでもない」
どんだけ嫌なのかと。
「なんの話をしているんだ?」
おっと、凛を置いてきぼりだったな。
「ハクの服の意匠、妹さんに似ていないか?」
ハクの法被の背には可愛らしく微笑むお多福の顔。
「あ、ああ、よく似ている」
やっぱりな。
本当に、伝統を守り抜いてきたんだなあ。
「妹さんはお多福顔、昔の日本の美女だな」
「昔……?」
「ほら、昼にも言ったが、文化とは変わるもの。今の日本の美人の条件は、昔とは大分変わったよ。変わってしまった今の日本では、凛がとんでもない美人なんだ」
「な、何を言うんだ。そんなこと、信じられるものか!」
ううむ、そうは言ってもなあ。
「まあ、いきなり言われても、価値観が変わるのは難しいよな。俺も、今すぐお多福顔を美人と思え、と言われても無理だし」
「あ……貴方は本当に、妹を美人と思わないのか?」
「まあ、愛嬌とか性格とかで表情の印象は変わるだろうけど、顔の作りを美人とは、思えないだろうな」
青天の霹靂と言うべきだろうか?
凛は言葉を失っている。
「私はずっと、自分が醜女だと思ってきた。いや、本当に醜女なんだ」
「華桑の価値観ではな」
「この鋭く尖った頬も、顎も」
「小顔は女の子の憧れだったな」
「品なく腫れぼったい唇も」
「瑞々しく艶やかな唇を目指して、女の子達は化粧していたぞ」
「のっぺりした額も」
「おでこちゃんは可愛さの象徴じゃね?」
「はしたなく膨れた胸も」
「おっぱいは正義だ」
「細く頼りない腰も」
「柳腰は昔から誉め言葉だぞ」
「あと、その……あの……」
なんだ、よほど言いにくいのか。コンプレックスの芯か?
「化け物が如き大きな抉れた目も……」
思わず溜め息が出た。凛がビクッとする。
「変われば変わるもんだな。日本では一重瞼を嫌って、整形してまで二重瞼にしようとするのがいるってのに」
「あと……あとは……」
「なあ、凛、無理に探さなくていいぞ。お前が何を言おうとも、俺にとって、現代の日本にとって、お前は本当に美人なんだから」
その瞬間、沸騰したかのように、凛の顔が真っ赤に染まった。
ようやく届いたか。
「じゃあ、じゃあ、さっき目の毒だと言ったのは……」
「ま、誉め言葉だな。美しいおみ足、眼福でした」
「うああ……」
凛がよろめいた。
頭の中に、澄んだ鈴の音が響く。
改めて見れば、凛の姿は輝きに包まれていた。
全身、斬線に覆われている。
鈴音、お前も容赦ないよな。
「凛、一本とったぞ」
あまりにも隙だらけな可愛い女。
その脳天に、俺たちは軽くチョップを打ち込んだのだった。