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「少し、外の風に当たってくる」
「え、一人でか?」
「ああ、案内は不要だ」
長く引きずる単衣を脱ぎ捨て活動的な小袖姿になると、凛は席を立った。
橘父を始め、武士団の面々はそのまま見送る構えらしい。いいのか、それで?
まあ、鈴音がいる以上、この砦で危険なことはあるまいが。
凛の頬は赤いままだ。照れて赤いのかと思っていたが、酒のせいだったのかもしれないな。もしくは少しのぼせたか。
凛が広間を出ると、橘宗右衛門が、徳利を片手にやって来る。
「姫様をよろしくお頼み申しますぞ」
おいおい、結婚は確定済みかよ。
そりゃあ、俺を取り巻く状況を考えれば、結婚以外に道はないようにも思える。
もちろん、戦乱を引き起こす覚悟があれば話は別だが、そんなことは、俺の望みではない。
自分を犠牲にしてまで平和に尽くす気もないけれど、敢えて諍いの種を蒔くつもりもない。
「たいした女傑だな、凛は」
「左様に御座る。我らが姫は才気煥発、華桑始まって以来の剣才をお持ちに御座る。心根も清廉清浄にて下々の信望も篤い。我が殿も常々男でないのが惜しいと申される程に御座る」
「ははっ、結婚話を進めようとしている俺に聞かせる評価ではないんじゃないか?」
「む、左様に御座った」
なんとも、部下に至るまで実直の極みだな。家老が嘘をつけなくてどうするんだ。
いや、確かに悪い気はしていない。もしかして、俺の感じ方が見抜かれたりしているんだろうか?
「しかし、それなら槙野家の大事な跡継ぎなんじゃないのか。俺は婿入りしたらいいのか?」
槙野祐、か。
うん、語感は悪くないな。小鳥遊の名に未練はないし、って、俺も結婚前提かよ。
ところが、橘父の反応は激しいものだった。
「とんでもござらん! よもや扶桑の御家名を消すような真似が出来ましょうや!」
「そうだよな、済まない。失言だった」
「とんでも御座らん。某、口が過ぎまして御座る」
ううむ。
扶桑か。重たいなあ。期待されても絶対に応えられないからなあ。
ましてや、血だぞ?
文化なら、教育の問題とかで言い逃れも出来るか知れないが、血はなあ、地球の血だからな。
ほとんど異種族じゃないか?
そもそも、子どもも出来るんだろうか?
悩んでいると、つんと頭に軽い痛みが走った。
見れば、ハクが何食わぬ顔で髪を引っ張っている。
何か言いたいのか。
「俺も、風に当たってくるよ」
「承知つかまつった。姫は櫓など高い処がお好きに御座る」
「そうか。ありがとう」
凛を追いかける訳ではないんだが、好意は受け取っておこう。
会えたら会えたで、それもまたよし、だ。
「ジークムント、少し席を外す。もてなしは任せた」
「我が君の御心のままに」
それにしても、なんだな。凛の誉め言葉の中に、美貌を誉めるものはなかったなあ。
見た目に惹かれるだけの相手なんぞ、お断り、ということなのかもな。ジークムントが誉めた時も嫌がっていたみたいだし。
「ハク、どうした?」
「うむ、お主の心配の種を消しておこうと思うてな」
ハクが指差すままに歩き、砦の外に出る。
「さて、少し走れ」
なんだってんだろうな。いっそのこと、と思い、重装モードで全力ダッシュ。
目的地にはすぐに着いたらしい。足を止めるのに合わせて、ハクが口を開いた。
「簡単に言ってしまえば、お主の血は、もはや地球の血ではないぞ」
……え?
な、なんだってーっっ!
いや、取り敢えず驚いてはみたが、意味が分からん。
「どういうことだ?」
「さての。どうじゃ、ここに覚えはあるか?」
「ここは……」
回りを見渡してみる。
あまり代わり映えのしない森の中
なんだろう。方角的には、グリードと戦った時でもこちらには来なかったような気がするが。
「ふうむ、異世界で初めての風景は、あまり印象に残らなんだか?」
ああ、言われてみれば、そうか。風景というよりは、砦からの距離感で分かる。
俺が最初に目を覚ました場所だ。
「後ろを見てみよ」
振り向けば、大きな木。
木の中ほどに巨大な瘤の痕のようなものが見えるな。弾けた後なのか、うろの中が見えているが。
「お主の体はその中で作られた。魔素を結晶化しての。世界が違うのじゃ。向こうの物質を持ち込めるわけがあるまい。お主に合わせ、こちらで体を再構成したのよ」
なんとまあ。
済まない、ついていけなくなりそうだ。
改めて思う。俺はいったい、どこまでが俺のままなのだろうか?
「魂、じゃの。心はお主のままよ。何も変わってはおらん。体だけじゃの、こちらに合わせたのは」
「つまり、子どもの心配はないと?」
「そればかりではないぞ。ローザめは構成する際にの、人種的に一番近しかった扶桑人の体を参考にしたのじゃ」
おい、マジかよ。
「うむ、マジじゃ。つまり、お主の体は、このルーデンス大陸の中で、もっとも純粋な扶桑の遺伝子形質を持つということになるの」
……なんてこった。
血脈として、本当に俺は扶桑人だったのか。
「うむ、そういうことだ」
退路がひとつ、消えた。
扉の閉まる音が、聞こえたような気がした。