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「いきなりなんてこと言うんだ!」
「まあ、落ち着いて聞いてくれ、理由ならちゃんとある」
慌てふためく俺と、宥める凛。
どう考えても、構図が逆じゃないだろうか?
しかし、お姫様自らプロポーズとか、どういうことだ。
こんな美人の奥さんもらって、夫婦生活のあれやこれやとか……。
いかん、しっかりしろ、祐。
そういうことはまず、お互いをよく知ってからだ。そうだろう?
落ち着け、俺。
「理由を聞かせてくれないか」
落ち着いて考えれば、求婚は華桑のためと考えるのが自然だ。
戦国時代の姫なんて、同盟のための小道具みたいなものだった。
江戸時代でも、士分の結婚は家を結ぶものであって個人は関係ない。町人の方が普通に恋愛結婚していたにも関わらず、だ。
そう思えば、凛の上には華桑の存続、が大きくのし掛かっている筈。
俺に惚れたとかいう話ではない筈なんだ。
美人に告白されたといっても、浮かれるんじゃないぞ。
「まず、ルーデンスにおける華桑の役割を説明せねばなるまい。ルーデンスの王が華桑を憚っているのは知っているだろうか?」
「ああ、ルーデンス国技の剣祖、マクナートが華桑を師と仰いでいたからだろう?」
「うん、まあ、そうだ。正確には初代マクナートこそが槙野の人間なのだがね」
ん?
どういう意味だ?
「マクナートは訛って伝わった名だ。本名は槙野明人という」
なんだって?
ああ、なるほど、そういうことか。
剣祖が華桑人では確かに都合が悪い部分もあるよな。
剣祖の源流の一つが華桑の流れをくむ、くらいの距離感がないと、華桑の権限が強くなりすぎる。
「ルーデンス国王は、王位継承に当たって神山ローザに詣で、ローザ神の承認を受けるというしきたりがある」
「なるほど、ローザ山は槙野の本家か。つまり、ルーデンス王の承認に、槙野本家が大きな影響力を持つということだな」
この世界、神が色々口を出していそうだから、本当にローザ神の承認を得ているのかもしれないが、俺の感覚からすれば神の承認の名のもとに、実際は槙野家がコントロールしていると理解する方が自然だ。
「そうなんだ。だから槙野家は、暴虐の王を防ぎ、戦争を起こさぬよう、力の均衡を保つよう努めてきた」
「なるほど、そこは理解できる。だが、それなら気になってくるな。槙野家は、如何にして自身が清廉であろうと保ってきたんだ?」
一国の、しかも大陸最強の国王をコントロールできる力、権力を持ちながら、なおも華桑は表舞台に出ることなく我欲に染まってこなかった。それは、これまでのジークムントたちの話や、凛の立ち居振舞いを見ていれば明らかだ。
七百年、自らを律し続けてきたのなら、それは驚異的なことじゃないか?
「それが、我ら華桑の矜持だからだ」
その言葉には、今までになく力がこもっていた。
その名に相応しく、正に凛と胸を張り、俺を見据え、自信と誇りをもって応えてくれている。
「自らの故郷の滅びを免れ得なかった我らの祖は、新天地たるこの大陸において、二度と滅びを迎えさせぬよう戦うことを誓いとした。我らの祖が誓い、戦い抜いて勝ち得たこの大陸の平和を、我らは次代に繋ぐ使命がある。その為に我らは居る。それが華桑の矜持なんだ」
そうか。
そうなんだ。
そうして、華桑は独自の文化と自治独立を勝ち取ってきたわけだ。
ルーデンス大陸の平和のキャスティングボードは、華桑の手の内にあるということだな。
もし華桑に野心があったなら、ルーデンスは全軍を挙げてでも華桑排除に動いた筈だ。
権力が、おのが内に別の権力を認めよう筈がない。
華桑に野心がないからこそ、尊重し、権威付けに利用したりもしているのだろう。だが、目の上のたんこぶであることには違いあるまい。
「華桑の立場は理解してもらえただろうか?」
「ああ、多分な。華桑の立ち位置は、君臨すれども統治せず、といったところか? 周知はされていないようだが、ルーデンスとの駆け引きがずっと続いているんだろう?」
「その通りだ。慧眼、敬服するぞ」
さて。
実際に大陸最強である筈のルーデンスが、華桑に遠慮するのは、過去の権威以外に何かあるのだろうか?
大陸中に広がるネットワークは脅威か。
宗助の技や、四水剣の源流ということも考え合わせれば、戦力的にも簡単に手出しは出来ないんじゃないだろうか。
そう思えば、ルーデンスにとっては、本当に厄介な存在かも知れないなあ。
難しい立場だ。
「そこで問題になってくるのが貴方だ」
俺かよ。
「貴方を取り込んだ陣営が、槙野家の上に立ちうる、と言えばどうだ?」
あ。
ヤバい。そういうことか。
俺が扶桑の人間と理解されている以上、槙野家は俺を尊重する。必ず、俺に配慮する。
その俺が、例えばルーデンス王国に仕官なんぞした日には、ルーデンスはもう、槙野家の顔色をうかがわずに済む。
別の国だともっと大変だ。権威的に、ルーデンスの上に立つことが出来てしまう。
どんな方法でもいい。
俺を手に入れることが、大陸の覇権を意味することになる。
俺が扶桑人として生きる以上、そこから逃げることは出来ない。
……詰んでる。
「貴方が槙野から離れれば、貴方の奪いあいが始まるだろう」
くっ。
こんな熱愛は嬉しくない。
「貴方がローザ山に来てくれるなら話は別だが、在野に留まるのならば、槙野家との繋がりが抑止力になる。大陸の平和のためにも、本家の娘である私を本妻に迎えてはもらえないだろうか?」
あれ?
なんか、引っ掛かるな。
「本妻?」
「そ、そりゃあ貴方も男だ。その、美姫に惹かれることもあるだろう。側室に迎える分には構わない、と思う。本妻が私であれば」
なんだ、この違和感は?
ここまで素直にぶっちゃけてくれたんだ。話の内容に間違いはあるまい。
俺自身の立ち位置も、説明してくれた通りなんだろう。
側室云々も、俺が持ちうる立場から想像すると、無い方がおかしいくらいではないだろうか?
側室を持たない大名がいたと聞けば、俺だって珍しいと思う。
だが、なんだろう?
凛は自分をあまりにも二の次にしてやしないか?
名目以外に、俺に価値を見出だしてくれていないのかもしれない。そう思うのは少しばかり哀しくなるが。
その割には、俺の事をすごく立ててくれているようにも聞こえる。
ううむ、やっぱり違和感を感じるぞ。
揺さぶってみるか。
「理由はそれだけなのか?」
この違和感、気になるなあ。
理由がわからないだけに、なおさら気になる。
「もうひとつ、大きな理由がある」
うん、なんだ?
「扶桑の血、純血の華桑の血が欲しい」
……なるほど、そっちか。
「この異郷の地で、血が薄くなるのは、避け得ないと思っていた。純血を守り続けるのはとても難しい。華桑の血筋のために、貴方の血が欲しい」
なんだろう、完全に負けた気がする。
ここまで内情を明らかにしてくれたのだ。
ここまで素直に、全てをさらけ出してくれたのだ。
この真心を、踏みにじるわけにはいかない。
この赤誠は、決して汚してはならない、そう思う。
例え、凛が、俺自身になにも感じていないとしても、迂闊な返答をしてはならない、そう思う。
「考える時間は、あるんだろうか?」
「あ、ああ、もちろんだとも。我らの歴史を今日初めて聞いて、即断しろと言うのも失礼だろう。しばらくはここに逗留させて貰いたい。その間は、外野の声からは私たちが守る。ゆっくり考えてくれ。叶うならば、槙野家との縁は結んで欲しい。たとえ私との結婚が嫌だとしても……」
最後の言葉は、凛にしては珍しい、力の無い声だった。
ああ、そうか。
即断しかねると言えば、まるで凛に魅力がないと言っているようなものか。
でもなんだろう、だとしたら、凛自身は嫌がってはいないと考えていいんだろうか?
華桑に俺を迎えたいだけではなくて、凛自身が俺との縁を望んでくれていると、考えていいんだろうか?
少しばかり沈んだ表情にも見える。声に力はない。
凛らしく、ない。何かが、引っ掛かる。
……腹をくくるか。
「嫌なわけがないだろう。凛はとても魅力的だ」
その瞬間、凛の顔が真っ赤に染まった。
「な、何を言うんだ」
狼狽える凛。
これは、照れてくれてるんだよな?
憎からずは思ってくれているんだな。
だとしたら、ごめん。
あとはこちらの覚悟の問題ということになる。
昔の元服の歳を思えば当たり前なのかもしれないが、俺にとっては、結婚なんて意識の遥か彼方だった。
「結婚が嫌とか、凛が嫌とかは全く無いんだ。むしろ嬉しい。ただ、結婚って事を考えてもいなかったから、驚いただけなんだ」
「そ、そうか。嬉しく思って、くれるのか」
少しばかり落ちつかなげな様子の凛。挙動不審とまでは言わないが、顔は赤いままだ。
この様子を見れば、さすがに凛が嫌がっているとは思えないし、俺の事をなんとも思っていない、というわけでもなさそうだ。
自意識過剰の謗りは免れないかもしれないが、これで俺の事を血脈以外に魅力は無いとか言われたら、軽く人間不信になりそうなレベルである。
「日本でも昔は、十五、六で結婚していたと聞く。けれども今の日本では、二十を前に結婚する方が珍しいくらいなんだ。俺に結婚話が来るなんて、思ってもみなかった、ごめん」
「いや、いいんだ。その、嬉しく思ってくれるとは思っていなかったから、私も嬉しい」
なんだ、この無防備さは。
そこまで明け透けに喜んでくれるなんて、惚れてしまうじゃないか。
ええい、主家の姫がプロポーズしているんだぞ。武士団の面々はどう思っているんだ?
意識を橘父を始め、華桑の武士団に向けてみる。小声の話であっても、鈴音と一緒なら全部聞き取れるからな。
「めでたいなあ。姫様に結婚話が持ち上がるとは思ってもみなかった」
「頑張れ、姫様」
「姫様……、一生結婚しないって言っていたのに……」
なんだ、こいつら。
どうやら、この話自体は好意的に捉えられているらしい。
しかし、不思議だな。
今回の話がなければ、凛は結婚できないもの、と思われていたんだろうか?
高嶺の花すぎたのかな?