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長い独白だった。
ジークムントと名乗った、あだ名が詩人の案内で砦に向かう道すがら彼の半生を聞くことになったのだが、思いの外、長くなったものだ。
詩人と呼ばれる理由が分かるほどその語り口調は純粋に面白く、随所に古い詩を引用してくれるため退屈することのない道中となった。
初めての異世界、そもそも退屈することなどないと最初は思っていたのだが、見える風景は田舎だった故郷の山林とさして代わり映えがせず、周りを囲む男たちもどこか映画で見たような馴染み深いファンタジックな姿とあって、新鮮な感動はあっという間に薄れてしまったものだ。
それでも興味深いキーワードはいくつもあった。
魔獣が存在すること、世界が魔素とやらに満ちていること、魔珠と呼ばれるパワーアップアイテムがあること、などだ。
これらの詳細はいずれ詳しく聞きたいものである。
だが、それにも増して、マジク兄弟の後始末が気になって仕方がなかった。
彼らの死体は先程の遭遇した場所に放置してある。いずれ獣が片付けてくれるのだろう。質が良さそうな鎧や武器は綺麗に取り外して回収済みだ。ここまでなら予測の範疇。充分に理解できる。
だがその後、ジークムントはごく当たり前のように、躊躇いもせず、マジク兄弟の胸を切り裂いたのだ。そして心臓のあたりから、くすんだ灰色の珠を取り出したのである。
大きなビー玉くらいだろうか。なんだアレは。
魔獣の腹に入っているとかなら分かるのだが、そうではなくこの世界の人間の胸には、みんな入っているというのだろうか?
恐ろしい想像だが、まさかアレが魔珠なのではないか? だとしたら、人間を狩ってパワーアップなんてことがあり得てしまう。もしそれが本当ならこの世界、凄惨にもほどがあるぞ。
あまりにも恐ろしく、真相を聞く勇気が出ない。俺は流されるままに疑問を胸に仕舞い込み、詩人の語りに聞き入ることになったのだった。
彼の半生をまとめてみれば、はぐれものを集めて盗賊団を結成、頑張っていたもののマジク兄弟に団を乗っ取られ、組織のNo.3としてこき使われていたといったところか。
さすが元頭目、マジク兄弟の人望の無さもあるだろうが、突然の凶行にも関わらず四人の男たちは反発していない。現在のところ大人しく俺の存在を受け入れてくれている。
まあ、正直まだ理解が追い付いていないだけではないかとも思うが。
今の内になし崩しに既成事実を重ねてしまえば、容易く異世界への足掛かりを作れそうである。多少あざとい気もするが、力ずくよりは良いかもしれないな。
さて、今はまだ彼の話を聞くだけで済んでいたが、そろそろ俺も自分のことをどう話すか、決めておかねばなるまい。
ジークムントだけなら何も気にしないだろうが、全員に鈴音を握らせるわけにもいくまい。
ふむ、どうしたものか。神の姿がアレだからな。神の悪戯、という言葉が一番信憑性が高そうなあたり、何とも度しがたい話である。
と、そんな時だった。
砦の方から一つの気配が凄まじいスピードで駆け寄ってきた。瞬く間に視界に入ってくる。
次の瞬間、テンションの上がった俺を、どうか責めないでほしい。いや、むしろ共感してはもらえないだろうか?
駆け寄ってきたのは一人の少女だったのだが、なんと、耳が犬耳だったのだ。
ようやく異世界に来た実感が湧いてきたぞ!
この世界には獣人がいたんだ。この少女は犬耳だが、この分だと猫耳もいておかしくはない。
うむ、やっぱりテンションが上がってきたぞ。
「ジーク、魔獣が出た」
張りのある声だった。俺の方をチラリと見ながらも何ら揺らぎなく、凛としてジークムントを見つめている。美しいとかよりはやはり、凛々しいという形容が似合いそうな少女だった。金髪碧眼は変わりないが、発達した犬歯なのか唇の端から八重歯が覗いていた。
魔獣、その言葉に男達がざわめきだし、ジークムントの表情が険しくなる。
「どこだ」
「二層の内側、南西方向」
今度こそ、皆の表情が震撼した。
「二層の内側? 外側に痕跡は? 三層は破られたのか?」
「湧出だって。今はまだ構成中。時間がかかっている。大物の可能性が高い。頭は?」
「マジク達なら私が斬った。今は私に従え」
「……分かった。お帰り、頭領」
短く端的な質疑応答に、皆の信頼関係が透けて見える。特にジークムントにお帰りを言った時の間、あれには万感の思いがこもっていた感じがする。ジークムントも嬉しそう、というか、少し誇らしげな感じがした。
うん、これが元々のエルメタール団の姿だったんだろうなあ。
それにしても魔獣か。話しぶり、焦りぶりから推測すると、結界の内側に突然現れたといったところだろうか。俺自身がそうだったようだしな。しかし、今まで砦近くでは魔獣の出現がなかったのではないか?
いや、だからこその焦りか。今までの安全が保証されなくなったのだから。
犬耳少女とやり取りを終えたジークムントは、険しい表情を崩すことなく俺に向き直ってきた。
「我が君、事は緊急を要します。先行することをお許し下さい。案内は一人、残しますゆえ」
その言葉は予測通りではあった。だからこそ、渡りに船とも言えた。
おそらく待っているのは戦いだ。しかも、厳しい戦いが予想される。もしここで共に戦うことが出来たら、エルメタール団により溶け込みやすくなるのではないか?
打算的ではあるが、ここは逃せないチャンスと思えた。
それに、いくら言葉を飾っても隠しきれない想い。ジークムントがあまりにも凄まじい剣の冴えを見せつけてくれた、あの鈴音の力、それを、俺は自分自身の手で振るってみたかったのだ。
言葉は躊躇いなく出せた。
「俺も行く」
「……我が君のみ心のままに」
一瞬、逡巡が見えたが、ジークムントは深く一礼し俺の要請を受け入れてくれた。
よし、戦いだ。
改めて意識を広げていけば、砦を挟んでちょうど反対側に何か渦を巻くような力の奔流が感じられた。周辺にある何らかの力がその渦に吸い込まれていっているようだ。
うむ、普通に気持ち悪い。
感じたことのない感覚を当たり前に感じられる不思議な感覚だ。まるで三本目の手が突然生えたにも関わらず、それを自在に操れるような。
それでも、今はそれが武器になる。
「行こう」
決意を新たにジークムント、他の皆にも向けて声をかける。
全員が頷いてくれたこと、それが地味に嬉しかった。
横目に見ながら通り過ぎた砦跡はところどころ崩落してはいたが、修復中の箇所も多く順調に拠点として機能しているようだった。早く中が見てみたいものである。
もちろん今は、それどころではない。
故郷の山林で森を走るのに馴染みはあったつもりだが、インドア派でもあったし着いていくのがやっとと言って良かった。
鈴音と太郎丸に支えられた力があればこそ、道の先を読み余裕をもって走れてはいるのだが、気分的には最後尾である。
この心と体のバランス調整が、喫近の課題だな。
全能感に振り回されて失敗するなど愚の骨頂だし、かといって出来ることを見誤って鈴音達の力を腐らせるのも、断固として本意ではない。
果たして、今の俺にどれだけのことが出来るだろうか?
たどり着いた現場ではわだかまるような闇の中、巨大な影が蹲っていた。縮尺を無視すれば、故郷でもよく見かけていた猪に酷似している。大きさが4トントラック並みだが。
吸い込まれていくような力の流れは、徐々に終息しているようだ。
本当になにもない空間に湧き出るのだろうか?
まだ動きを見せていないのにその巨体を中心に木々を押し広げていったのか、周囲の木が放射状に押し倒されている。
誰かが息を飲んだのが分かった。
「頭領、どうします? 魔珠はまだ安定してねえ。狩っても旨味が……」
「いや、ダメだ。戦力が足りない。動く前に討つしかない」
ジークムントの決断は組織を預かるものとして正しい選択だろう。だが、遅かったようだ。力の吸収は既に終わっている。定着は……今だな。
「もう遅い、動くぞ」
「くっ、散開!」
俺の忠告に、ジークムントは一瞬の遅滞もなく反応してくれた。犬耳少女も素早く反応している。
だが、男たちが一歩出遅れる。
特に、急ぎの討伐に否定的な男が致命的だった。
とっさの展開についていけず、たたらを踏んでしまったのだ。
そして、その時にはもう、猪は凄まじい勢いで走り出していたのだった。慣性の法則を疑いたくなるような信じがたい初速。それを成すだけの筋肉があると考えるべきか、それとも魔獣に常識は通用しないのか。
ふむ、だが、それでも。
一歩前に出ながら感じる。
太郎丸の方が、強い。
これは全能感か?
いや、違う。確信だ。
男達を背に守り、俺は突っ込んでくる猪の鼻面に掌を向ける。
衝撃は、感じなかった。
自身の体が最適化された動きをなぞる。
関節でエネルギーを吸収し、ぶつかり合う力をいなし、大地に流していく。
猪の足が地面にめり込んでいっていた。踏ん張れば踏ん張るほど深く地を抉っていく。
全員の目が、点になっているのが分かる。なんという小気味良さか。
掌を通じて相手の体が理解できる。猪首というだけあって肩にめり込んでいるようにも見えるが、首の位置がはっきり分かった。
頸を断つに充分な隙間が目に見え、最適化された斬線が手に取るように見える。
一歩、体を横に開きながら、鈴音を抜刀。
納めると同時、描いた斬線の通りに猪の首が落ちた。
静寂が満ちる。この嬉しさをなんと表現すれば良いだろうか?
抵抗など全く無いかのように、流れるように斬ったにも関わらず手応えはしっかりとこの手に残っていた。
この重みは、鈴音の存在を強く俺に刻み付ける重みだ。鈴音がここにいてくれる、その実感そのものだ。
噛みしめる喜びに身が震える思いがする。周りはまだ、誰も動こうとしていない。
肉の断面が鮮やかに見える猪の首に、ぽつりと血の山が盛り上がった。
次の瞬間、勢いよく鮮血が噴き出す。
まるでそれが合図になったかのように、俺は、皆の歓声に包まれたのだった。