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 変化は、すぐに現れた。


 リムの呼吸が乱れ始める。

 それでなくとも紅く染まっていた頬が、さらに上気していた。


 体がふらついたのか、リムの前にかざしたままの俺の手にしがみつく。

 それをそのまま抱え込んで、って、リムっ!


 当たってる、当たってるから!


 なんだ、この感触は。

 まさに、筆舌に尽くしがたい。


 よくマシュマロに例えた話を聞いたりしていたが、全く違うね。あんなもっさりした感触など、この足元にも及ばん、というか、比べることすら失礼だ。

 これを表現できない自分の語彙の無さが恨まれる。いや、別に表現できたからどう、ということも無いんだが。


「……あつい……からだ……あつい……」


 目を固く閉じたリムの素肌に、珠のような汗が浮かぶ。


 いかんな。

 色っぽすぎる。

 全くもって、けしからん。


「うああ……!」

 手だけでは支えきれなくなったのか、リムは全身でしがみついてきた。


 平常心、平常心。

 熱い吐息の裸の美少女に抱き締められているけど、平常心。


 所在の無い俺の両手が宙をさ迷っている。


 えっと、リムさん。

 背中の素肌に手を回してもいいですか。

 抱き締め返しても、怒りませんか。


 まあ、聞こえるような余裕はないよな。

 頑張っているのはリムだ。俺は紳士であらねばなるまい。


「くあっ……つっ……うああああっっ!」


 その時だった。

 一際大きな悲鳴をあげて、リムが思いきり体を反らした。強調され、つんと天井を向くバスト、って、見るべきはそこではない!


 大きく開いた口に、輝く犬歯。

 ヤバい。

 それは直感だった。


「太郎丸っ!」


 俺から離れ、鎧武者姿になる太郎丸。

 鎧下だけの姿になって、むき出しになった俺の肩。


 そこに。

 リムは思いきり、噛みついてきた。


 くああ、いってえ。

 竜の神珠で強化されたとはいえ、牙に勝てる道理はない。


 食い破られた肌から、鮮血が噴き出す。

 まあ、すぐに治るだろうけど。


 ともあれ、間に合って良かった。

 リムの歯と、偽装モードとはいえ太郎丸とを喧嘩させるわけにはいかないもんな。


 それに。

 きっと、これは、あれだ。


 俺が竜の体全てを食ってしまったのと同じだろう。

 俺の血の中の、銀狼の血が、きっと、リムと魔珠とを繋いでくれる。

 この程度の痛み、なんてことはない。


 チョットクライナラタベテモイインダヨ?


 俺の血が、本当に効果があったのかは分からないが、そこからはリムもどんどんと落ち着いていった。


 そして。


 俺の腕の中には、完全に脱力しきって、しなだれかかったリムがいる。

 目を閉じ、浅い呼吸に胸を上下させていた。


「うむ、無事に済んだようじゃのう」


 いやあ、無事とは言いがたいぞ。

 このままリムが目を覚ましたら、殴られるか突き飛ばされるかする自信があるね。


 完全に俺の胸に身を預けているから、なめらかな背中の素肌がよく見える。

 緩やかな曲線は腰に続き、締まったくびれを作り出していた。


 そこから、柔らかそうな、形のいいお尻が剥き出しになっている。


 下着もなにもつけていない。

 まあ、リムの殺意メーターを振り切るのに、充分な光景だろう。


 一応、弁解させていただけるなら、俺のせいではない。

 断じて俺のせいではなく、むしろリムのためだったのだが、まあ、聞き入れてもらえないだろうことは、予測に容易い。


 背中のほとんど半分を隠す美しい銀髪。

 その髪の下では、柔らかな銀のたてがみが首筋を覆っている。


 そう、銀髪だ。


 今までリムは綺麗なブロンドの髪だった。

 それが今では、冴え冴えとした蒼銀の光を放っている。


 変化は髪だけではなかった。

 肩に食い込んだ牙は、どんどんと鋭さを増していたし、首筋のたてがみもそうだ。

 力一杯、俺の背中をかきむしった鋭い爪は、俺の鎧下を散々に引き裂いてくれた。


 まあ、そのお陰で俺自身、上半身裸になってしまい、俺の腹に押し付けられたリムの胸をダイレクトに感じることが出来るわけだが。

 俺のせいじゃないぞ。分かってくれないだろうけど。


 そして問題のお尻だ。


 髪の色が変わった頃だったろうか。

 鎧とズボンの腰の締め付けを、無理矢理に押し上げようとする変化が起きた。


 つまり、尻尾が生えてきたのである。


 生えようとする尻尾と、邪魔をする鎧とズボン。

 このままだと尻尾を痛めてしまう。


 ズボンをずらしてお尻を剥き出しにしたのは、尻尾を守るためだったのだ。

 他意はない。

 本当だよ?


「ま、無事だろうの」

 我関せずといった風情のハク。


 分かってるよ、いいよ。

 俺だけ、覚悟を決めておくさ。

 この幸せな感触のお礼と思えば、むしろ刺されてもいいね。


 とはいえ、そろそろ起きてはくれないだろうか?

 宴会まではまだ間があるけれど、いつまでもこのまま、というわけにもいくまい。

 さて、どうしたものか。


「う……ん……」


 お、起きたか。

 あと五分とかは無しだぜ。

 まずは何と言ってやろうか?


 ゆっくりと、リムの目が開いていく。


 そして。


 俺と目が合って。

 リムはとても嬉しそうに、柔らかな、穏やかな笑みを浮かべたのだった。


 なんだ、この可愛らしさは。

 予想の斜め上を行きすぎて、全く心の準備が出来ていなかった。

 用意していた言葉がすべて、白紙になっていく。


 心のどこかが、警鐘を鳴らしている。

 誰かと勘違いとか、していないか?


 だんだん、リムの瞳の焦点がはっきりしてくる。


 まず、上半身裸の俺を見た。

 次に、上半身裸の自分。

 俺とリムとの間でつぶれた自分の胸。


 じわりと、リムの瞳に涙が浮かんでくる。


 視線は俺とリムとを交互に移ろい。

 脱げかけた自分のズボンに至って硬直した。

 うん、気持ちは分かる、ような気がする。


 ギリギリと音がしそうな動きで俺の顔を見つめてくる。

 いいぞ。

 準備は出来てる。さあ、来い。


 悲鳴は、聞こえなかった。

 だが、霞んで見えるような勢いで、リムの腕が振るわれる。


 まあ、予想通りだ。歯を食いしばれ、祐。

 次の瞬間、目の奥に散る火花。


 なんてこった。

 俺は平手打ちを予測していたというのに。

 俺の頬を綺麗にとらえて打ち抜いていったのは、やたらと腰の入った、見事なグーパンだった。

 ちくしょう、やるじゃないか。





「体調はどうだ。問題ないか?」

「……大丈夫、と思う。その、ごめん」

「大丈夫だ、問題ない」


 片手で胸を隠し、片手でズボンを押さえながら、リムは答えてくれた。

 尻尾が邪魔で、ズボンをはけないのだ。


「まあ、これでまず一個、なんだけどな。本当に変わった感じはしないか?」

「うん、大丈夫」


 むう、その素直さが変わった感じと思えなくもないが、口に出したが最後、さっき以上のグーパンが襲ってくるに違いない。

 君子、危うきに近寄らずってな。


「続き、行けそうか?」

「……いける、と思う」

 ズボンを押さえるのは諦めたのか、手を離し、リムはもう一つの蒼銀の魔珠を手にとって、俺に渡してくれた。


「やろう。お願い」

 受け取った魔珠は、やはりあたたかい気がした。


 リムは頬を染めてはいるが、顔を背けはせず、目も閉じず、俺を見つめ、胸を隠す腕をそっと外す。


 むう。

 二回目とはいえ、思わず手が震えた。


 なんだよ、リムの方がよほど度胸が座っているじゃないか。

 見事な双球を俺の前に晒しながら、リムはもう、震えてはいない。


 くそ、俺が狼狽えてどうするか。

 覚悟を決めてリムを抱き寄せ、蒼銀の魔珠を、その胸にそっと触れさせた。


 一瞬、リムは大きく体を震わせた。


「……くあっ、は……あ……」

 熱い吐息をつきながら、リムは俺の手を取り、自分の胸に押し当てる。


 え?


 さっきみたいな、無意識の、偶然の動きではない。

 意識して、リムは自分の意志で胸に触れさせたのだ。


 な、ななな、何をするんだ!


 どこまでも指が沈みこんでいきそうな柔らかさと、しっかりと掌を押し返す弾力と、という相反する感触に、俺の心は振り回されていた。

 思わず、手を引きそうになる。勿体ないけど。


「待って……このまま……」

 リムの手に力がこもる。俺に退くことは許されていない。

「お願い……私の中の狼に、あなたの手を感じさせて。あなたがここにいる、と、教えてあげて……」


 リムは顔を真っ赤にしながら、懇願してきた。

 ここで、じゃあそういうことなら、と堪能できるほど、厚顔ではないつもりだが。


 それでも、リムが言うのなら、俺にも出来ることがある筈だ。

 掌を通じ、リムを感じようとしてみる。

 そして、さらにその奥の心臓の鼓動。


 銀狼よ、そこにいるのか?

 もう落ち着いたか?

 さっきも言ったけど、本当に、頼むな。

 リムを、守ってやってくれ。


「もういい、終わった」

「そうか」

 リムの手が緩み、俺の手が解放される。


 名残惜しいのは内緒だ。


 落ち着いた表情で俺を見るリムは、静かな気配とあいまって、少しだけ大人びて見えた。

 美しい銀髪。

 氷青の瞳は、少し色が薄くなっただろうか?

 つんと天井を指す、尖った狼の耳。

 どこまでも柔らかそうで、それでいてしなやかそうな、体のライン。

 ふさふさの尻尾。


 完璧だな。

 元々の顔立ちが、可愛らしさよりは、凛とした少年ぽさをイメージさせるものだから、ますます凛々しい雰囲気になった。


「この子達は、私の群れ。さあ、おいで」

 ローテーブルに残った魔珠に手をかざしながら、リムが呟くと、残りの魔珠がすべて光となり、リムの中に流れ込んでいく。


 あれ?

 胸に入れるんじゃないのか?

 手からでも、いけるの?


「うむ、我がお主に入った時も、そうであったろう。別に胸から入らねばならぬという決まり事など、ありはしない。強いて言えば、伝達効率の問題じゃの。完全に支配できるなら、体のどこからでも入れるぞ」


 なるほど、そういうことか。

 つまり、リムは群れの頭として、あれだけの魔珠全てを完全に支配したということだ。

 頼もしい話じゃないか。


「少し、あっちを向いていて」

「あ、ああ」

 視線を反らせば、後ろから衣擦れの音が聞こえてきた。


 ああ、リムは知らないんだよなあ。

 鈴音に強化された感覚は、目を背けた程度で見えなくなるわけではないってこと。

 リムの一挙手一投足、それこそ、動くたびに揺れる胸まで、はっきり感じることが出来るんだが。


 リムは、脱げかけたズボンを一旦完全に脱いでいた。


 お前、大胆すぎるだろう。

 俺が目を反らしているだけで、それを信じて真横で全裸、とか、本気かよ。


 そこまで信じてくれていると思えば、俺も紳士になるしかないじゃないか。

 なんだか、別の意味で動きを封じられたような気もするぞ。


 リムは、脱いだズボンの尻の部分に、鋭い爪で穴を開けていた。なるほどね、尻尾用か。

 もし、今後仕立て直すのなら、シャナの助言が有効そうだな。


「もういい」

 振り向けば、鎧下をきっちり着込んだリム。

 鎧は諦めたらしい。


「ねえ、ちょっと表に出よう」

 わずかばかり弾んだ声で、リムはそう提案してきた。

 ああ、いいぜ。紹介してやるよ。

 よし、行こうか、太郎丸。


 砦の門に向かうリムの動きは以前に比べると、どちらかと言えばゆったり、ゆっくりとした動きになったように見える。

 今までみたいな、強化が目に見えるような変化ではないようだ。


 だが、鈴音を通してみれば、その動きに芯があり、しなやかさが段違いに増しているのが分かった。

 動きの中に継ぎ目が見えないのだ。全てが滑らかに繋がって動いている。

 なんだろう、動きの質が変わったというか、格が上がったのかもしれないな。


 そうして。

 門を開き、表に出る。


 夕暮れ間近の、赤みを増した光の中に、子狼が座って待っていた。

 子狼の銀毛と、リムの銀髪が、同じ色を宿して光を返す。


 刹那の間、見つめ合う二人。

 リムはもう、萎縮してはいなかった。


 動き出すのは、子狼の方が早い。

 初速からトップスピードにも見える勢いで、リム目掛けて突っ込んでいく。


 応じるリムは満面の笑み。

 なんだろう、ここまで素直な笑みをみるのは初めてではないだろうか?


 一瞬、見失いそうになるような速さで、リムも駆け出していた。

 すごいな、子狼と同レベルで走ってるぞ。

 俺自身では、多分、欠片も太刀打ち出来そうにない。


 鈴音がいれば、まだ俺の方が早いけど。

 竜の力の確認で、子狼に振り回された記憶がフラッシュバックする。つまり、リムにも振り回されること、間違いない。


 俺が見守るその前で、リムと子狼はまるで絡み合うように遊び始めた。

 いや、きっとこれは、遊んでいるんだと思うぞ。

 誰かが巻き込まれれば、一瞬で挽き肉になりそうだけれども。


「あはははははっ!」

 初めて聞く、リムの大きな笑い声。嬉しそうな、楽しそうな、弾んだ笑い声。


 やがて、リムが子狼に跨がり、二人は駆け出し始めた。

 おいおい、誰がついていけるんだよ。


「ねえ!」

 遠くに聞こえるリムの声。

「この子、名前なんて言うの!」


 ははっ、そう来たか。

 俺はまだ決めていないぞ。


「ねえーっ、私が決めていいーっ?」

「構わんぞーっ!」

 走る二人の軌跡が不意に向きを変え、俺の方目指して突っ込んでくる。


 太郎丸、重装で頼むわ。

 本気で、受け止めてやる。

 というか、そうでなければ、受け止められん。


 ひとしきり、三人でじゃれ合う。災害レベルで。


「名前、迷う」

「そうか」

「ユウなら、なんてつける?」


 そうだな。

 俺も真面目に考えてみようか。

 不意に、凛の顔が思い出される。


 そうか。俺があの世界から来た証を、我が子に残すのも悪くない。

 ああ、いい名前が、あるぞ。


「……大和やまとだ」


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