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「取り敢えず、座ってくれないか」
部屋の入り口でじっと立っているリムに声をかける。
学ラン姿ならソファーを壊す心配もない。俺自身も腰を落ち着ける。
戸惑っていたようなリムは、一度鋭い視線で俺を見ると、意を決してソファーに向かってきた。
おいおい、意を決したってなんだよ。そんなに覚悟が要るものかね。
固い表情のまま、リムは勢いよくソファーに腰をおろした。
肩先が、軽く触れる。
まあ、いい。用事を済ませよう。
「これを見てくれ」
ローテーブルの上に広げたのは、蒼い魔珠の数々。
全部で三十個以上はあるだろうか?
何頭狩ったか、数えていなかったからなあ。
一際澄んだ、十足らずの魔珠は、あの群れのもの。
そして、最も美しく、最も大きい蒼銀に輝く魔珠が二つ、それが、あのつがいの魔珠だった。
「これは……?」
「エスト山脈で俺が斬った、狼たちの魔珠だよ」
「……こんなに……」
俺はそっと手を伸ばし、蒼銀の魔珠を二つとも、手に取る。
なんだろう、とてもあたたかい気がする。
「こいつらは、あの子狼の親なんだ」
「子狼? あの表の狼、あれでまだ子どもなんだ」
リムは少しばかり萎縮しているようだった。
そうか。
狼としてみるなら、そりゃあ麓の小さな狼たちに比べれば、圧倒的な上位種なんだよな。
グリードが連れてきた群れ程度、子狼でも殲滅出来そうだしなあ。
「ああ、今は俺の子でもある」
「どういう意味?」
「覚悟して、戦って、勝って、食って、託された。あの子は、俺の子になったんだ」
「そう、なんだ」
さて、今の説明でも分かってくれるものだろうか。
これ以上言いようがないのは事実だし、下手に言葉を重ねるのも蛇足な気がしてしまう。
とは言え、端折り過ぎでもあるか。
リムは神妙に聞いてくれているけれど。
「それでな、この魔珠を、お前に入れて欲しい」
「……え?」
予想していなかったのだろうか?
リムの反応は、ワンテンポ遅れた。
「なんで、なんで私?」
「最初はな、俺に入れるのが筋かな、とは思っていた。あの子の親になるのだから。でもな、俺では無理なんだ」
元々リムに贈ろうと思っていたところでもある。だが、あのつがいだけは、俺が入れるべきなのではないかという思いが、ずっとあった。
それが出来なくなってしまったのだ。
「なんで?」
「ハク」
「うむ、祐の中には既に我がおるでな。幼いとはいえ、これでも神竜じゃ。狼が来ても、我が食ってしまうよってな」
「意味が分からない。竜の魔珠? 魔珠の姿が見えてるの?」
「否、我は神珠じゃ。魔珠と一緒にするでない」
済まん、余計に混乱させたか。
きっと常識はずれな話なんだろうなあ。
リムは頭を抱えて絶句しているようだ。
「まあ、聞いて、ハイそうですか、と言える話じゃないよな。ともかくは、そういうもの、として聞いてくれないか? 俺には、入れられないんだ」
「……それは、分かった」
挑むような目付き。なんだろう?
俺の次の言葉を待っている?
ああ、そうか。それで、何故リムなのか、という話だよな。
「お前なら、魔珠をそのまま入れられるだろう? お前以外にやるなら、純化処理をしなければならない。それは嫌なんだ。銀狼の魔珠のまま、お前に入れて欲しいんだよ」
「狼と親和性が高いのは、私だけじゃない。私より親和性が高い人もいる筈」
何を言い出すんだ、こいつは。
お前だから頼みたいに決まってるじゃないか。
なんで見知らぬ他人に、大事な銀狼を託さなきゃならないんだ。
って、そうか。
それを、言葉で伝えないと駄目なんだな。
「なあ、リム。お前って時々凄く馬鹿だよなあ」
「何を言うの」
ムッとした顔を見せるリム。こんな言葉だけ、真に受けやがって。本当に、可愛いなあ。
「大事な銀狼の魔珠だぞ。お前だから頼んだに決まってるじゃないか。ここに狼人間がずらっと並んでいたとしても、俺はお前を選ぶよ」
お前が俺にしてくれたこと、俺は忘れていないぞ。
お前が俺を心配して、泣いてくれたこと、俺は忘れていないぞ。
「……何を言うの」
ストレート過ぎたか、さすがに照れたようだな。
うつ向いてしまったリムから、か細い声が聞こえる。
「……分かった。私が入れる」
「うん、貰ってくれ」
「あう……」
上目遣いでおずおずと手を伸ばしてくるリムの掌に、銀狼の魔珠を、そっとのせる。
「な、綺麗だろう?」
「うん、綺麗……あったかい」
まるで魅入られたかのように、魔珠を見つめるリム。
うん、よし。
だが。
俺が魔珠から手を離した瞬間、それは起こった。
「きゃん!」
何か、竹でも割ったようなバシッという音が響き、リムの手から、魔珠が弾け飛んだのだ。
地に落ちる前に魔珠を宙でつかみ、リムを見やると、彼女は涙目になっていた。
「か、噛まれた……」
マジかよ。
え?
魔珠に残った魔獣の残滓って、そこまでの干渉能力があるのか?
俺の手の中では落ち着いている魔珠。
おい、ハク、魔珠ってそういうものなのか?
「ふうむ、我も初めて見るのう。魔珠に残るはあくまで残留思念の類いであって、自発的な何かは無い筈なんじゃがの」
え、マジかよ?
いくら規格外でも、ここでそれは無いだろう。
これだと、俺が食ってしまうか、純化処理をするかしか、なくなってしまう。
おい、銀狼よ、お前、本当にそれでいいのか?
消えてしまうんだぞ?
俺が触れている間は大人しかったくせに、リムを認めてはくれないのか?
俺の大事な人なんだぞ?
「ふむ、お主が直接入れてやればどうじゃ?」
「なんだって?」
どういう事だよ、そりゃあ確かに、俺が触れている間は大人しかったけどなあ。
え、ちょっと待てよ。
直接?
俺が?
何処に?
魔珠を何処に入れるのかに思い至った俺は、言葉もなく口をパクパクさせて顔を真っ赤にしているリムを見た。
うん、分かるよ、そりゃ絶句するわ。
「お主が認めたということを、態度で示してやればよい」
「いや、ちょっと待てよ、方法がそれしかないのなら、それはそれでいいが、そんなやり方で危険はないのか? 大人しく入ったはいいが、中でリムを食うとか、危ないかもしれないじゃないか」
魔珠に残った銀狼の意志がどこまで作用するものなのか、それが分からない以上、リムを危険にさらすわけにはいかないぞ。
リムに入るのがどうしても嫌なら、仕方がない、俺が食うしかない。
「リムが危ないくらいなら……」
その俺の袖が、ついと引かれた。
目を向ければうつむいたままのリム。
「いい」
え、なんだって?
お前、意味がわかっているのか?
「お前、本気か?」
「あなたが認めるなら」
くそっ、こいつは本気だ。
覚悟を決めるのは俺の方なのか?
覚悟を決めて、リムの胸に、胸に……。
本当に分かって言っているのだろうか?
「あなたが狼狽えなくていい。恥ずかしいのは、私」
ぐはっ。
本気の本気だ。
言いながらリムは、鎧を外し始める。
鎧はすぐに外し終わり、下に着込んだ服をはだけようとする、その手が確かに震えているのが分かった。
む……、くそっ、思わず、無理するなと言ってしまいそうになる。
だが、それはダメだ。
それはリムの覚悟に泥を塗ることになる。
そもそも、ここでやめたら、じゃあ銀狼の魔珠はどうなる?
俺が食うか、消すしかない。
それを俺が嫌がっているから、だから、リムが身を呈してくれているんだろう?
そんなリムを、俺が止めていい筈がない。
ちくしょう。
てめえ、こら、銀狼よ。
お前、リムにここまでさせたんだ。リムがここまでしてくれたんだ。
もう、分かっているよな。
リムはすごいやつだ。
もう、分かっているよな。
俺の目の前には、上半身、裸になったリム。
組んだ腕で胸を隠してはいるが、その肌は普段の白さとは全く違い、桜色に染まっている。
リムは涙目でじっと俺を見ると、ついと顔を背け、そして、ゆっくりと組んでいた腕をほどいてくれた。
あらわになる、リムの豊かな膨らみ。
綺麗だ。
最初に感じたのはその一言に尽きる。
まだ明るい室内で、なにも隠さずに、リムは俺を待ってくれている。
だが、それを見ながら、俺は身動き出来ずにいた。
初めて間近に見る女性の胸に、呼吸を奪われていたのだ。
これに、今から触れるのか?
触れていいのか?
なにも出来ずに動けない俺を、どう思っただろうか。
「……早く……」
絞り出すような小さな囁きが、俺の耳を打った。
しまった。
なんてことを。
羞恥に耐えるリムをそのままに胸を見つめているなんて、あまりにも酷すぎるだろうよ、祐。
済まない、リム。
意を決しリムの胸に、心臓の上辺り、左の乳房に、そっと蒼銀の魔珠を触れさせる。
なあ、銀狼よ。
もう、分かっているよな。
頼む。
リムを、守ってやってくれ。
お前が子狼を俺に託してくれたように、俺はリムを、お前たちに託すよ。
頼む。
リムを、守ってやってくれ。
あたたかい蒼銀の魔珠は、俺の手の中で一度、脈打って、リムの胸の中に沈んでいった。
ひたと見据えるあの静かな目。あれを俺に思い出させながら。