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二人が落ち着くまでには、少し時間が必要だった。
俺にとってもだ。
シャナが淹れてくれた香草入りのお茶で、心を落ち着けている真っ最中である。
もはや、俺が華桑人の父祖の地、扶桑の末裔であることは否定できなくなった。
百歩譲って、まあ、それはよしとしよう。
だが、持ち上げて、尊重して、王様のように迎えようとするのだけは勘弁してほしい。
槙野の姫様を泣かせてひれ伏させただなんて、人聞きが悪すぎる。
ディルスランに知られたら、末代まで祟られそうだ。
チートを受け入れた時点で避けがたい展開だったのかもしれないが、俺はただ、皆と仲良くなりたかっただけなのに。
決して畏まられたい訳ではない。
タメ口に近いやり取りができるのが、ディルスラン一人と知って落ち込んだのも記憶に新しい。
どうにかならないものか。
どんなに強くなったとしても、この問題は解決できまい。むしろ難しくなるか?
ああ、友達が欲しい。
支配者の孤独なんて、一介の高校生には荷が重すぎるぞ。
かといって、全てを無かったことにして、新天地に向かうという選択もあり得ない。
捨てることなど出来ないくらいに、俺はもうエルメタール団に愛着を持っている。
それに、このまま行っても、どうせ新天地でまた、そこの人たちに畏まられて終わりだ。
環境を変えたところで、同じことの繰り返しに決まっている。
皆に惜しまれる俺になる、という目標は既に達成した。
ならば、よし。
これからの目標は、友達を作ること。
立場はついて回るだろうが、逃げずに頑張ろう。
「そろそろ落ち着いたか?」
「はい、醜態をお見せしました」
「おっと、その、出来れば畏まらないでくれないか。俺自身、立場を持った人間というわけではない。普通に接してくれると嬉しいんだが」
言いながら、問題のある言い回しだと思わなくもない。
槙野の姫ともなれば、彼女自身に立場がついて回っているだろう。そんな彼女の普通ってなんだ?
もしかしたら、俺と同じように、タメ口の相手など居ないかもしれない。
それに、俺をどう扱う?
立場無く接するってどんなんだ?
部下でもなく、目上でもなく目下にするわけにもいかず、困らせているだけなのではないだろうか?
「あ、いや、その、難しいことを言ってるよな。立場を伴わない間柄なんて、そうそうあるものじゃない、済まない」
ううむ、なんと言えば良いのだろうか?
友達になってくれ?
いかんな、まだ俺自身、落ち着けていないじゃないか。
取り敢えず、問題は先送りだ。
話を進めよう。
「お心遣い、ありがとうございます。いえ、ありがとう、と言った方がよろしいでしょうか? 」
うう、心遣いが痛い。
「任せる。無理はしないでいい。あなたの心のままに頼む」
うわあ、この期に及んで丸投げとか、泥沼だよ。
どうすればいいんだ?
敬語を使え、というのも嫌だし、使うな、というのも変だ。
だが、不思議なことに、凛は少し微笑んでくれた。
「分かった。努力してみよう」
その、少し苦笑にも似た、包み込むような笑顔に、俺は思わず見とれてしまっていた。
ちょっとつり目がちの切れ長の瞳に、勝手に厳しそうなイメージを持っていた分、この微笑みは反則だと思う。
しかも、さっきまで泣いていた分、微妙に潤んだその視線。
美しすぎる。
参ったね、これが本物のお姫様の破壊力か。
不覚にも、本気でドキッとしてしまった。
「さ、さあ、話を戻そう。出自のことはこれまでの事、これからの事を話すべきだと思うんだ」
強引に話を変える。
そう、俺はまだ、凛たちが、何の目的でここまで来たかを聞いていないのだ。
まさか、俺の顔を見に来た、というだけではあるまい。
凛は、ひとつ頷くと、話を橘父に振った。
改めて、橘父が居住まいを正す。
「先にも申し上げました通り、我ら華桑の民、祐様をお迎えに上がりまして御座る」
「迎えだって?」
「左様に御座る。華桑の民であればもちろんの事、ましてや扶桑の裔ともなれば、槙野一族をあげて、お守り申し上げる、それが我ら華桑のならいに御座りますゆえ」
なんともはや、そういうことか。
管理外の華桑人が居れば保護し、結集する、そしてお互いに助け合うのか。それが、華桑の団結というわけだ。
なるほど、本当にマフィアみたいだな。
移民たちの相互扶助組織がマフィアの母体という話を聞いた覚えがある。
異郷の地で文化、習俗を守り抜いた、これが華桑のやり方だったという訳だ。
だが。
「申し出は有り難いが、俺には不要だ」
「なんと申される?」
「あなた方と結び合いたくない訳ではない。ただ、俺にはここでやりたいことがある。ここで受けた恩義もある。俺は、ここで生きていく」
橘父は、唖然としたようだった。よもや断られるとは思ってもいなかったに違いない。
文化も人種も、何もかもが違う中にいきなり放り込まれたら、同郷を求めるのは、当たり前な心の動きだろう。
ルーデンスに迷いこんだ扶桑人、苦難にまみれ、心細くなって当たり前。同じ扶桑の末裔である華桑人が居ると知れば、当然、寄り添っていくのが自然だ。
本当に、扶桑人であるならば、だ。
だが、済まない。
俺は、元異世界人であり、仮に心細くなるとしても、それはルーデンスに居ようが、華桑に居ようが、同じことなのだ。
味噌や醤油は欲しいと思うが、愛着あるエルメタール団の面々を放っていけるほど、価値あるものとも思えない。無いなら無いで我慢できるんだから。
とはいえ、これを説明する事は出来ない。
ううむ、分かってもらえるだろうか。
華桑に行きたくない訳ではないのだが。
ハッと、橘父は何かに思い至ったようだ。
「よもや、祐様はこの地に新たな王朝を建てるおつもりに御座るか」
マジか。
そう来るのか。
思わずお茶を噴きそうになった。
「王朝ってなんだよ、俺は皇族でもなんでもないぞ」
「さ、左様に御座るか。失礼仕まつった」
「日本には格言があるんだよ、一宿一飯の恩義、ってな。この土地に落ちてきて、右も左も分からなかった俺を、守り、ここまで共に歩いてきてくれたジークムント達。この恩義はそうそう返しきれるものではないと思ってるよ」
「もったいないお言葉です、我が君」
感涙を抑えきれないらしいジークムント。
そう言えば、感謝の思いとか、大事に思っている気持ちとか、考えてみればちゃんと言葉にしたことは無かったな。
悪かったなあ。ちゃんと伝えておけば良かった。
「エルメタール団と一緒にやり始めたこともあるんだ。最後までやりきらないと信義にもとる。だから、俺はここに居る」
「そうか。あなたの気持ちはよく分かった」
まだ何か言いたげな橘父を抑え、凛はそう答えてくれた。
澄んだ瞳で、真っ直ぐにこちらを見据えながら。
本当に綺麗な瞳だ。
くっきりと大きく、黒目がちの瞳、二重瞼に、長い睫毛。少しつり目っぽいところが、また涼やかに見える。
その、なんだ。
こんな綺麗な瞳と見つめあうとか、勘弁してください。
ヤバい。目を逸らせない。ええい、静まれ、心臓!
何か、何か別の話題!
「空の上から、ローザ山が見えたんだ。とても綺麗な山だった。日本の象徴、富士山ととてもよく似ている。いずれ、必ず行くよ」
「そうか。それは良かった」
そして凛は、嬉しそうに微笑む。
その横で、橘父は少しほっとしたような様子を見せていた。
そうなんだよ。華桑と結び合いたくない訳ではないんだ。
さて、こういうのも出会う順番が少し違っていれば、とかいう話になるのかな。
ともあれ、会談は無事に済んだのだった。
宴席を楽しみに、と約束してから一旦別れる。
ふう。
少し気疲れを感じながら部屋に戻ると。
部屋の扉にもたれ掛かり、所在なげに溜め息をついているリムがいた。
物思いに耽ってでもいるのか、かなり近付いたのにこちらに気付いていない。
珍しいな。
不意に顔を赤らめたかと思うと、頭を抱えて唸っていたり。
百面相を見ているのもいいが、少々趣味が悪い気がする。
来てくれと頼んだのはこちらだ。
礼を尽くそう。
「済まない、待たせたようだな」
「うわう!」
おいおい、どうした、斥候。
とっくに索敵範囲内に踏み込んでいたというのに、驚きすぎだろう。
「な、何の用」
「話があるんだ。取り敢えず入ってくれないか」
「ここでいい」
この前と同じようなやり取り。
だがな、今回は結構真面目なつもりなんだが。
そんな気持ちが、もしかして、顔に出ていたのだろうか?
一度は拒否したリムだったが、おずおずと、部屋に入ってきてくれたのだった。