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部屋に着いたはいいが、よくよく考えれば、落とす旅塵など無かったな。
体を確認するついでに雪渓で洗ったから、魔獣の返り血なども残っていない。強いて言えば、さっき裂いた胸の血くらいだろうか。
まあ、どちらかと言えば、身仕度だよな。
会談にしろ、宴席にしろ、まさか太郎丸の重装モードで、というわけにもいくまい。
ルーデンスの古装は格好良いけど、俺の立場がルーデンス寄りとなってしまっても困る。
あくまで俺は、自由でいたい。なにしろ目指すは江湖の縹局なのだから。
そもそも背中に大穴が空いているしな。
となると、どうするか。
俺の出自、と考えれば、いよいよ偽装モードの他の服の出番か?
あいつと設定を考えていた時は、ゲームの公式舞台が現代社会だったこともあり、学園モノっぽく、学ラン姿を偽装モードの一つとしていた。
格好良いことは、格好良いのだが、あまりにもネタに走り過ぎたというか、趣味全開過ぎて、さすがに面映ゆい感じがする。
なにしろ、純白の長ランである。しかも鈴音専用剣帯付き。
文化が違いすぎるだろう。
だが、もう一つは和装は和装なんだが、取り立てて特徴の無い、普通の着物である。
江戸をさ迷う旗本の三男坊が着ていそうな、あまりにも普段着なのだ。
宴会のホストとしては、少しは気張って見せるべきなんじゃないだろうか。
いや、どうせ進行はジークムントに丸投げするんだが。
むう、迷うなあ。
シャナに聞いてもせいぜい、お似合いです、くらいの返事しか貰えないだろう。
誰かに相談してみようか、なあ、ハク?
「ん? なんじゃ、答えは決まっておろうに」
返事を返すハクを見て、俺は思わずガックリと地に膝をついていた。
ちんちくりんの幼女が、真っ白な学ランをまとっていたからである。
「どうじゃ? お揃いにしてみたぞ」
ああ、そうかよ。
まったく、ナチュラルに心を読んできやがって。
その格好をするのなら、せめて格好いいお姉さんでやってくれ。
というか、しっかりそこまで読んでくれ。
「お召し物の仕度が整いました」
「ああ、ありがとう、シャナ」
よし、これで太郎丸を着込んだ時の鎧下は確保した。毎回毎回、別に裸を晒したいわけではないのだ。
そして肌着を身に付けて。
本邦初公開、偽装モードⅡである。
翻る白い長ラン。うむ、格好いい。
「よくお似合いです」
「うむ、そうじゃろう」
ハク、お前が答えるんじゃない。
そこには、いつの間にかかっこいいお姉さんの姿になったハクが浮かんでいた。白い学ランが似合いすぎである。人形サイズだけど。
それにしてもシャナは、二人きりになったにも関わらず、全く普段と変わった様子がない。
なんだろう、舞い上がっていたのは、俺だけなのかなあ。
一応、初めてのキスだったのだが。
「準備をして参ります」
「うん、よろしく頼む」
一礼して出ていくシャナ。
う~ん、女って謎、とか、こういう時に使うのかねえ。
「初々しいのう」
ハク、お前、何でもまとめようとするんじゃない。
会談は小規模に行われた。
こちら側は俺と、ジークムント。向こう側は凛と髭だ。
まずは、髭の挨拶から始まった。
「某、槙野家家老、橘宗右衛門に御座る」
お。
「橘?」
「先のは、我が愚息に御座る」
ほほう、そうだったのか。
息子相手にえらい剣幕だったな。いや、息子だからこそか?
家老職から見れば、贔屓と思われるわけにもいかないもんな。
それに、死を覚悟した息子が思いがけず、命を拾ったのだ。この髭も、平静では居られなかったのかもしれない。
「そうだったのか。先程は当てつけがましかったな。申し訳ない」
「とんでも御座らん、某の失言、お許しいただき、誠に忝のう御座る」
うん、もう気にしてないぞ。
なんだか急に、橘父がいい人に見えてきた。
「こちらは、俺が今、身を寄せているエルメタール団の頭領、ジークムントだ」
「ご紹介に与りました、ジークムント・エルメタールにございます。槙野家、麗しの姫君におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
あれ?
おい、ジークムント、あまりご機嫌麗しくはないみたいだぞ。
おべんちゃらには慣れているんだろう。表面的には何も変化はないように見える。
だが、鈴音に強化された感覚は確かにとらえていた。
凛姫の手が、見えない机の影で、一瞬握りしめられたのだ。
なんだろう、あのフレーズに、癇に障るようなところがあったか?
「単刀直入にお伺いしたい。御家名はなんと申される?」
おっと、物思いに耽る時間はなかったな。
橘父が真正面から踏み込んでくる。
まあ、あまりいい思い出のある家庭ではなかったが、アルマーン老にも教えたことだし、今さら隠しだてするようなことではあるまい。
「小鳥遊だ、小鳥遊祐だよ」
「申し訳御座らんが、存じ上げませぬ。華桑より流れ、槙野家のもとに集いし同胞にその家名は御座いませぬよって」
「そのようだな。アルマーン殿より聞いているかとも思うが、どうやら、俺はこの大陸の産では無いらしいぞ。大陸は定かではないが、我が故国は日本という」
「左様で御座るか。如何にしてこのルーデンスへ?」
「さてなあ、実は俺もそこのところがよく分からんのだ。気がつけばこの砦の近くの森の中に居たものでな」
「その通りにございます。あの日、我が君は結界の内に突如として顕れられました。神の導きによりて天より降臨されたと理解しております」
ジークムントが、ルーデンス的に補足してくれる。
確かめようのない事だけは、間違いがないからなあ。
しかし、天から降りたとか、天孫降臨じゃあるまいし、大袈裟な話になっている気がする。
奇跡のような出会いから、弱き者を護るための戦い、盗賊狩りの志、と、ジークムントの誉め言葉は留まるところを知らない。
こう語られると、俺も結構なことを成し遂げてきたんだなあ、と、改めて感慨深い気もしないでもない。
正直、照れくさいが。
と、その時だった。
盛り上がるジークムントと橘父を横目に、ふと、凛が呟いた。
「扶桑という名に覚えは?」
それは、ジークムントの言葉に苦笑を禁じ得なかった、ほんの僅かな心の隙間にするりと飛び込んできた問いだった。
ああ、覚えがある、と答えかけて、思わず止まってしまうほどには意表を突かれてしまった。
扶桑、その言葉には覚えがありすぎるくらいだが、この異世界でその言葉を聞こうとは、思ってもみなかったのだ。
ああ、しまったなあ。
もう言い逃れは出来まい。あからさまに反応してしまったのだ。
凛の目が、キラリと輝いた気がするよ、まったく。
「ご存じか」
畳み掛けてくる凛。問うと言うより、確認しているのは明らかだ。
ええい、ままよ。腹を括ろう。
「ああ、覚えがあるよ。確か、古代での日本の異名だった」
他にも戦艦の名前、とか、日本のさらに沖合いにある伝説の土地とか、諸説もあるらしいが、概ね日本の異名として理解されているところが多い。
ああ、結び付いてしまったかな、これは。
凛と橘父の反応は激烈とも言えた。
二人とも、ひれ伏さんばかりの勢い、いや、ひれ伏した。勘弁してくれ。
「我ら華桑に連なる民、父祖の地の名が央華、そして神州扶桑と伝承に伝え聞いております。我ら槙野を筆頭に、扶桑の血を守り続けて参ったのは、今日この時の為だったのでしょう。華桑の裔として、受け継いだものが報われました」
「異郷の地にて、さぞかしや、御不自由のあった事に御座りましょうぞ。今よりは我ら華桑の民が、お迎え申し上げまする」
「よしてくれ、扶桑の血を引く者としての立場なら、同じ末裔、立場に差など無い筈だ。俺だって、扶桑の文化を直接知っているわけではない。俺にとっても扶桑は過去の伝承だよ。あなた方と何ほどの違いがあるものか」
くそっ、誤算だった。ここまで有り難がられるとは思わなかったな。
同じ扶桑の子孫なんだねー、で、済むかと思っていたのに。
しかし、央華と扶桑か。中華と日本みたいだな。畜生、くそローザめ、変なところを符合させようとするんじゃない。
ダメだ、言い逃れがどんどん出来なくなっていく。違うと言い張るためには、嘘をつく以外に無い。
嘘をつかないなら、本質が違うにも関わらず、情報が重なりあってしまうのだ。
華桑の民は扶桑の末裔。
日本を故国と言い張った俺の方も、日本の古い呼び名が扶桑。
同じ扶桑の末裔になってしまった。
ならば本当の事を言うのはどうだ?
あり得ない。
星の概念すら怪しいこの世界の人間に下手に異世界とか言うと、今度こそ天孫降臨にされてしまうかも知れない。
そもそもファンタジーにどっぷり浸かった俺でさえ、異世界だなんて理解の外だった。
あの花畑で、あの人に、イメージとして理解させられたから受け入れられたようなものだ。
言葉ではなく、直観的に理解させられてしまったという方が正しい。
俺の言葉で、異世界を説明することなど、出来よう筈がない。
「この格好を見てくれ、あなた方が知る扶桑の服装とは、まったく違うものだろう? これが今の日本の姿なんだ。文化とは変わっていくもの、同じ先祖を持っていたとしても、今はもう時代が違う。そんなに有り難がらないでくれ。変わってしまった日本よりも、扶桑の魂を守り続けているあなた方の方が、よほど尊いじゃないか」
今の日本の代表が白い長ランとか、おかしすぎるが、ここは利用させてもらおう。
下手に着物にしていなくて良かった。
……あれ?
また何か地雷を踏んだか?
二人の動きが止まった。
いや、動けなくなったのか?
二人の目から、止めどなく涙が溢れている。
やっちまったか。
「うむ、報われたのう」
ハクが、我が子を慈しむような目で、華桑の二人を見ている。
ああ、そうか。
自分達の人生、いや、受け継ぎ、守り抜いてきた華桑人全ての人生と努力を、俺は今、扶桑人として、全肯定したんだ。
……詰んだな。