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さて、室内に入るのに、翼は邪魔になってしまうなあ。
ここは、重装モードでいこうか。
ハクには、肩に乗っていてもらおう。
「さて、改めて、帰ってきたぞ。俺が、祐だ」
自己紹介が必要だろうな、この姫さんの一団とは。まあ、華桑のお偉いさんらしい気配は濃厚だが。
しかも、皆、腕が立ちそうだ。
具体的に分かるわけではないが、あの弓の一撃を考えても間違いはあるまい。
おお、そういえば皆、反りのある剣を差している。まあ、間違いなく刀だろうなあ。
顔立ちも皆、日本人っぽいぞ。
この集団だけ見ると、なにか、戦国時代モノの大河ドラマを観ているみたいだ。
うう、かっこよすぎる。時代劇の世界が目の前だ。
まずは、うずくまったままの若武者を立たせてやる。
「名前を聞いていなかったな」
「せ、拙者、橘宗助と申しまする」
「うん、覚えた。さあ、戻っとけ」
一礼し、橘は姫のもとに戻ろうとして、いきなりスッ転んだ。
お?
傷とかはもう無い筈だが。
「あ……足が……」
茫然としている橘。
そこに、鋭い叱責が飛んできた。
「橘、疾く控えよ! 姫の御前であるぞ、一度ならず二度までも……!」
声の主は姫さんの隣の口髭親父だった。公衆の面前、声は抑えているが、苛立ちが透けて見える。
カチンと来るなあ、このお偉いさんめ。虐めかよ。
目の前で転ばれたんだ、改めて、起こしてやる。
「二度までも、と言ったが、一度目はなんの事を指しているんだ?」
橘の方を見ながら、敢えて聞こえよがしに言ってやる。気遣いに感謝しろよ、髭め。
髭に直接問うたら、詰問になってしまうかもしれないからなあ。
だが、俺のその呟きに、髭は即座に思い至ってくれた。
「某の失言に御座る!」
そのまま、俺に向かって頭を下げてくれた。
おお、なんという潔さ。立場もあるだろうに、即、非を認めることが出来るとは。
よし、手打ちにしよう。聞かなかったことにしとく。
揚げ足取りは終わりだ。
橘の一度目の失態は俺を射た事だろうが、俺はそれを認めた、と宣言したのである。
だから、これ以降、俺を射た事を蒸し返すのは、認めた俺をも非難することになるのだ。
一度は印象を落としたこの髭親父だが、この潔さは凄いと思う。
華桑の武士、恐るべし。
橘は、今度は転ばずに普通に歩いて陣列に戻った。
あれ?
それの何がおかしいのか、皆、ぎょっとした顔をしている。
なんだよ、もう。気になるなあ。話が進まないじゃないか。
「仕切り直しといこうか。俺が、祐だ」
改めて名乗ると、姫さんに代わって、髭が答える。
「こちらにおわすは、槙野家姫君、凛さまにあらせられる」
合わせてお辞儀をしてくる姫君。
ノリは水戸黄門だな。控えろ、とは言われていないが。
いや、アルマーン老とか、ディルスランは平伏しているぞ。あとリックとミレイアも。
ディルスランは剣の師匠筋だからかな。
「槙野凛か、初めまして。ローザ山から来られたのか。いつ着いた? 待たせたか?」
敢えて平静に。
ディルスランが何か言いたげだが、華麗にスルー。師匠筋が黙っているんだ。ここで騒ぐこともあるまい。
「着いたのは昨夜遅くだ」
わあ、男言葉だよ。お姫様、とはいっても深窓の御令嬢というわけではなさそうだ。
確かに格好も、旅装束だからかと思っていたが、活動的な袴姿である。刀すら差していた。
これは男勝り、と考えればいいのか?
こちらの傍若無人な態度に気分を害した様子はない。
いや、むしろ、少しばかり挑戦的な視線かな?
考えすぎかもしれないけど。
「そうか、よく来られた。歓迎の宴を開こう。話はそこで聞こうか。それとも、別席設けた方がいいか?」
「そちらこそ、旅から戻られたばかりで、疲れてはいないのか?」
ふむ、なるほど。
判断はこちらに委ねてくれるのか。なら、応えてやろうか。
「問題ない。なら、一席設けよう。ジークムント、手配を頼む」
「我が君の御心のままに」
「ベルガモン」
「はい、こちらに」
ふふん、見て驚け。
「宴席は任せる。こいつでな」
魔法の収納袋から取り出したのは、大型の魔獣の死体だ。
実際に食って旨かったやつを、偶然、二頭目も見つけられたので、そのまま持って帰ってきたのだ。
タイプとしては何だろう。鹿、かな?
肉食だったけど。
サイズも家ほどあるけど。魔法の袋、凄いな。
うん、この皆のビックリ顔を見るのが楽しみになっている。
我ながら、たちが悪いなあ。
「さあ、玄関前で立ち話もあるまい。話は場を改めてな。旅塵くらいは落とさせてもらうよ」
「分かった、では後程」
姫さんの返事を皮切りに、皆、動き始めたのだった。
ハクのこととか、みんな聞きたそうだったなあ。
ジークムントに案内させ、華桑の一団には砦の中へ入ってもらった。
ベルガモンとエルメタール団の実働部隊は宴会準備だ。大急ぎで解体作業にかかっている。
取り敢えずはまず、ルクアだな。
「ただいま。帰ってきたよ」
「うん、おかえりなさい」
にっこり笑って、ルクアは迎えてくれた。
なんだか日溜まりに溶けそうな柔らかい笑顔である。
なんなんだ、この可愛らしさは。綺麗なお姉さんの面影は全く無いぞ。思わず頭を撫でたくなってくる。
と、思った時には撫でていた。
おいおい、正直すぎるだろう、俺。
ルクアもさすがに吃驚したようで、目を大きく見開いている。
だが、ルクアは怒りもせずに、頭を撫でる俺の手に、自分の手をそっと添えた。そして、嬉しそうに頬を染める。
「えへへ、美味しいの、こさえるからね。楽しみにしといて」
「あ、ああ……」
撫でたのは俺だが、ダメージを受けたのも俺だった。なんなんだ、あの可愛らしい生き物は。
身を翻して走り去り、ベルガモンと合流したルクアは、もう料理人の顔になっている。
帰ったらルクアのところに行く、その約束を果たしただけの筈なのに、なんだか、やり場の無い何かが胸の中に渦巻いている。
「青春じゃのう」
黙れ、ハク。
「久しぶり、と言うほどは間は空かなかったかな?」
気を取り直してアルマーン老やディルスランたちに向かい、俺は声をかけた。
シャナは、黙って頭を下げてくれている。
「うむ、まずは無事の帰還、めでたいと言っておこうか。壮健そうで何よりだ」
さすがの年の功か、アルマーン老は常と変わらぬ様子で返事を返してくれた。
他の面々はドン引きしているというのに。
「……お前なあ~」
なんだ、このドスのきいた声は。
普段と違いすぎるぞ。どこからその声を出しているんだ、ディルスラン。
そのディルスランは、俺の襟首を締め上げようとして、重装モードに阻まれて果たせず、両肩をつかんできた。
「お前は、なんで、槙野家のご令嬢を前に、いつもと欠片も変わらんのだ。少しは恐縮してみせろ!」
「いや、だから槙野とか言われても知らんのだよ。四水剣士からしたら許せないかも知れんけどな。そこんところは、済まん」
「くあ~、自分が持ってる宝の価値を全く分かっていないって、腹立つ~~!」
まあ、言いたいことは分からなくもないが、普段とキャラが違いすぎて、俺の方も正直ドン引きだ。
リムの話では凄く冷酷だったり、とか、多重人格か、こいつは?
まあ、憧れの主家の姫、みたいな存在と、ぽっと出の得体の知れない奴が親しげ、かどうかはともかく、対等に話していたら、そりゃ内心穏やかではいられまい。
「ないわ~、言葉もないわ~」
お、ディルスラン、平常運転に戻ってきたか?
これ以上無いくらいに盛大な溜め息。
「まあ、ユウさんは、最初からずっとそんなんだったよね」
「おい、なんだか失礼なことを言われている気がするぞ」
「いえいえ~、本当に失礼だったのは、さっきまでです。気持ちが昂り過ぎました。申し訳ありません」
「お、おう、気にするなよ」
なんだよ、もう。落差が激しすぎるんだよ。
「それで、竜を倒したら癒しの力を手に入れた、ということで公表するのかな~?」
「ああ、まあな」
「分かったよ。先の戦いでは、死人は出たけど、怪我人はほとんどいなかった。接敵したやつだけ殺されて、そうでなかったら無傷、まあ、ミルズらしいよね~」
そうかよ、こいつめ。
「ああ、その通りだ。報告は、それで頼む」
「はいはい~、了解」
これは、借り一つになるのかな?
まあ、友情と思っておこう。なんだかんだ言って、タメ口に近いやり取りができるのは、ディルスラン一人だけなんだから。
あれ、考えると寂しくなってくるな。
いや、深くは考えまい。改めてアルマーン老に向かい合う。
「思ったよりも早く帰って来れたよ」
まあ、具体的には一週間くらい早くかな?
まさか空を飛んで帰ってこれるなんて、思ってもみなかったからなあ。
アルマーン老としては残念だったんじゃないだろうか。
「うむ、そのようだの。私の方はしばらくこちらに留まらせていただきたいのだが、構わないかね」
「ああ、構わないぞ」
なんだよ、そんなにシャナの近くにいたいのかよ。
って、違うよな。これは、商売人の顔だ。
「槙野家の御本家と誼を結ぶ機会など、今を除いてあろう筈がないからの」
なるほどね、そういうことか。
「シャナを返してもらっていいか」
「うむ、思わぬ旅に巻き込んでしまったが、確かにお預かりさせていただいた。お返ししよう」
さて、ようやっと、シャナと向かい合う。
「約束通り、無事帰ってきたよ」
「はい、お帰りなさいませ」
「はいはい~、退散、退散~」
うるさいぞ、そこ。
気遣いは目立たないようにやれよ。
まあ、当て付けっぽいけど。
「ご無事のお帰り、よう御座いました」
うん。
「取り敢えずは一旦、部屋に戻るよ。支度を頼む。あと、華桑との会談では接待を頼むことになるだろう。ジークムントの指示を仰いでくれないか」
「かしこまりました」
一礼したシャナは、すぐに砦に向かっていく。
なんだろう、全くいつも通りの平常運転みたいだ。
約束がちらついてどぎまぎしていたのは、俺だけなんだろうか。
まあ、真っ昼間の屋外だしな!
俺が意識しすぎなんだろう。
さて。
あとは、このガン見の視線の主だな。
あいつなら、聞こえるだろう。
「あとで部屋に来てくれないか」
「つっ、続きはないって言った!」
微かに聞こえる悲鳴にも似た叫び。
身を翻して走り去っていく。
そうだけど、そうなんだけどな。
傍らに大人しく控える子狼を見上げる。
リム、お前に頼みたいことがあるんだよ。