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銀狼の毛皮を魔法の収納袋に入れ、狼たちの魔珠と銀狼の蒼い魔珠とを、他の魔獣のものとは別の小袋に納めてから、俺はまた、山を登り始めた。
それからほぼ一日。目の前には崖。
周囲は広場のようになっていて、崖には洞窟が口を開けていた。
いかにも何かが棲んでいそうなシチュエーション。
鈴の音は聞こえないが、だが、確かに大きな気配が感じられる。
何となく、予想がついていた。
ゆっくりと姿を見せる、もう一頭の銀狼。
敵意は感じられない。
静かな瞳で、俺を見つめている。
と、その足元から、小さな毛玉が駆け寄ってきた。
いや、小さいとは言っても、馬並みだが。
そいつは、まっすぐ俺に飛び付いてくると、ちぎれんばかりに尻尾をふって、俺に体を擦り付けてくる。
今の俺は重装モードの太郎丸に包まれているわけだが、鉄の塊に特攻をかけて全く堪えた様子はない。
いや、むしろ俺の方が押し潰されそうです。
まあ、さすがに太郎丸が力負けすることはないが。
まとわりついてくる子狼を撫でながら、俺は改めて銀狼と目を合わせる。
考えるまでもなかった。
こいつは、つがいだ。
俺が食ったあの銀狼の、つがいなんだ。
しかし、魔獣同士で子どもも出来るんだな。
本当に、生態系に組み込まれるんだ。
銀狼は、ゆっくりと俺に近づくと、一度、その鼻面を俺に押し付けた。
四トントラックよりも大きいくらいの狼だ。なんとも恐ろしい邂逅ではある。
銀狼は、大きく息を吸い込んで、深く匂いを感じているようだった。
そして、瞑目する。
なんだろう、こいつからは深い知性を感じる。このまま喋りだしても、俺は驚かない。
少なくとも、太郎丸が喋りだすよりはまだ、意表を突くまい。
だがまあ、実際には銀狼は喋ることはなく、そのまま身を離すと、俺と子狼を見守るような位置に身を伏せた。
子狼はいよいよもって、俺に遊びかかっている。
これはなんだろうか。
俺から、あの銀狼の匂いでもするのだろうか。
あの銀狼は、確かに俺の血肉となった。
相変わらず、排泄とは無縁のこの体、血の一滴すら余さず、俺の身になってはいる。
だからといって、匂いで俺を親認定でもしたか?
縮尺を別にすれば、じゃれついてくる子犬にしか見えない。
なんとも可愛いものである。
これがいわゆる、もふもふというやつだな。
殺伐とした武者修行の旅。
険しい山と、繰り返される魔獣の襲撃の合間にできた、思わぬ癒しのひととき。
銀狼に見守られながら、ひとまず俺は、子狼と全力で遊ぶことにした。
そして。
日も暮れ、遊び疲れた子狼を洞窟の中に寝かしつけ、俺は改めて銀狼に向かい合う。
俺を見つめる、深い知性を感じさせる瞳。
そこに、覚悟を見いだすのは容易いことだった。
やはり、そうなのか。
どうしても、避けられないのか。
銀狼は、ゆっくりと立ち上がると、先に立って歩き出そうとする。
俺が動こうとしないのを見ると、銀狼は戻ってきて、俺をその鼻面で押しやってきた。
まるで、俺を洞窟から遠ざけるように。
俺に、覚悟を決めろ、と促すように。
少しばかり洞窟から離れ、銀狼は俺から離れると、改めて向かい合う。
静かな敵意。
静かな殺気のようなものが、辺りを満たし始めていた。
うん、分かっているよ、鈴音。
俺はつがいの仇なんだ。
やらずには、いられないよな。
銀狼は、一度遠く、あの洞窟の方を見やる。
ああ、分かったよ。
「お前が勝てば、心配は要らないさ」
ゆっくりと、鈴音を抜き放つ。
「だが、俺が勝っても心配はしなくていい。あいつは引き受ける。確かに、任された」
言葉を理解しているわけではあるまいが、銀狼が頷いたように、俺には感じられたのだった。
洞窟に戻っても、子狼はまだ眠ったままだった。
なんだろう、いとおしさが身の内から湧き出してくるような気がする。
まさか、血肉だけでなく心まで俺の身になったとでも言うのだろうか?
さて、明日の朝、こいつはどんな顔をして、俺にじゃれついてくるだろうか?
分かるだろうか?
気付くだろうか?
お前の両親を、俺が体に宿していることに。
お前の両親の、想いを俺が受け継いだことに。
名前、を、考えないといけないな。
疾風。
……ベタすぎるな。