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砦はひどい状況だった。
俺にはそう見えた。
砦の外壁は所々崩落し、遠く、人の呻き声も聞こえている。
正門前の広場か。何はともあれ、そこを目指そう。
誰だ。
誰が生き残ってくれているんだ。
「我が君! 無事の御帰還、重畳に御座います」
出迎えてくれたのはジークムント。うん、生きていたか。
……片腕がないが。
向こうでベルガモンが指示を出している。怪我人はあちらか。
「ジークムント、その腕……」
「申し訳、御座いませぬ。人の身の悲しさ、不覚をとりました」
魔獣か、それとも、ミルズだろうか?
周囲の見回り中だったらしいジークムントと共に広場に至れば、そこは野戦病院と化していた。
中心になっているのはベルガモンの仲間たちか。さすがに手慣れたものだ。
一番の重傷者は、ロズウェルか。……両足がない。
魔珠のお陰なんだろうか。息があるのが不思議なレベルだな。切断ならミルズにやられたか。よく生きていてくれた。
「ベルガモン様、お湯をお持ちしました」
そこに、息を切らせながら桶を運んできたのは、シャナだった。
「シャナ!」
「ユウ様! ご無事でいらっしゃいましたか」
思わずほっとした、というのが正直なところだ。良かった。無事でいてくれた。
重そうな桶を、ジークムントがさりげなく受け取っている。
他に被害は……ロズウェル以外にも重傷の怪我人が何人かに、死体が四つ……。布をかけてあるから、誰かはまだ分からない。
あの規模の襲撃だ。誰も死なずに済むなんて思ってはいなかったが、だからといって、悔しくないわけがない。
それでも、それでもこの被害は覚悟の上の、戦いだった。
「ジークムント、状況は」
「はい、緒戦の後、しばらくして結界に多重反応がありました。それに先んじて、我々は凄まじい腕利きの襲撃を受けたのです。我々を薙ぎ払いながら暴風のように通り抜けてしばらくして、反応通り、魔獣の襲撃も重なりました。大型が多く、絶望に瀕したその時、謎の鎧武者が現れ、窮地を救って頂いたのです。我が君の命と言われておりました故、重ねて感謝申し上げます」
そうか、そういう流れだったか。
太郎丸は姿を見せたんだな。
周囲にはもう、魔獣の気配も、人の気配も残っていない。
ああ、ようやく終わったか。
その時だった。
遠くの方で、誰かが息をのむのを、鈴音に強化された感覚が捉えた。
直後に響く石の崩れる音、反射的に走り出した俺の目の前で、砦の外壁の一部が崩れていくのが見える。
近くには、バラバラに粉砕した大型魔獣の死体。多分、太郎丸が殺す直前に、外壁にダメージを与えていたのだろう。
今になって、そこが崩れたのだ。
畜生、今確実に、悲鳴が聞こえた。あそこは、厨房だ。
駆けつけた目の前に、顔面蒼白のシャナが、震えて立っていた。両手で口を押さえ、声も出ない様子だ。
そして何より、崩れた天井の下から、微かな息遣いが聞こえる。
「くそっ、死ぬな、死ぬなよ」
終わったんじゃないのか?
もうあとは後始末だけだった筈じゃないのか?
天井や外壁の石組程度、太郎丸の力の前に、何ほどの重さもない。
「頼むぞ、ルクアさん!」
下敷きになったのは、彼女だった。
やばい、体の半分が潰されている。顔中も血だらけだ。
命が、流れ出していく。
俺の手から、こぼれ落ちようとしている。
「あらあ……ユウ様……お帰り……なさい」
顔の半分だけで、場にそぐわないほど華やかに笑うルクア。
切れ切れの息遣い。
くそっ、無理にしゃべるな。
「勝った……?」
「勝った、勝ってきたぞ!」
「良かったねえ……、凱旋なのに……こんな格好で、ごめんねえ……ああ、痛いなあ……」
どうにか、どうにかできないのか?
魔珠の身体活性?
体半分なくなっても効果があるのか?
声にならないのか、唇が微かに動く。
「なんだ?」
耳を寄せた俺に届く、小さな囁き。
「部屋に、日記があるんだ……読まずに……燃やしてね……」
遺言か?
遺言のつもりなのか?
畜生、戦いは終わった筈だ。
今になって、どうしてこんな。
なにか、なにか出来る筈だ。
こんな傷、俺だったらもう治っているのに。
しもべの自動回復があれば。
いや、待てよ、俺たちは、こいつをどう設定した?
こいつには細かい設定も人格も与えなかった。
ただ、触れたものをずっと、自動的に再生させるだけの、能力だけの存在としていた。
だとしたら、当然、俺以外の誰が触っても、その傷は再生される筈だろう。
ただ、俺の胸の中にあるから、誰も触れないだけだ。
触れないなら。
触らせればいいじゃないか。
「太郎丸」
『御意』
太郎丸が離れるや否や、鈴音で胸を切り開く。
痛い。
めちゃめちゃ痛い。
アドレナリンが切れたか。
でも、ルクアの方が、もっと痛い。
俺は我慢できる。
それなのに、鋭すぎる鈴音の傷は一瞬で塞がってしまった。
くそっ、これだから自動回復は。
構うものか、覚悟を決めろ、俺。
「太郎丸、開け」
「御意」
後ろから覆い被さるように手を回し、太郎丸がスタンバイ。それに合わせて、もう一度、鈴音で斬った。
治るより早く、太郎丸が指を突っ込み、力ずくで胸を開く。
シャナが絶句している。まあ、そりゃそうだろう。
いかん、どこかに気を散らさないと、痛くて俺が死ぬ。いや、死ねないけど。
大丈夫、痛みは抑制されている筈だ。頑張れ、祐。
力を失いつつあるルクアの手を取り、胸の穴に突っ込む。
俺の心臓に、ルクアの指先が触れた瞬間、確かな拍動を、俺は感じた。
「離れろ、下郎!」
ジークムントの叫び声と、恐らく太郎丸を斬ろうとしたのだろう、甲高い金属音が響く。
なるほど、確かに後ろから襲われて胸に大穴開けられたようにも見えるわな。
それにしてもジークムント、相変わらず、手が早いな。
「落ち着け、ジークムント」
「はい、我が君」
声をかければ、ジークムントは一瞬で落ち着きを取り戻していた。
「こいつは太郎丸、俺の鎧だ」
「お初にお目にかかる、太郎丸に御座る」
「おお、ご丁寧な挨拶、痛み入りまする。知らぬこととは言え、大変に失礼を致しました。伏してお詫び申し上げます」
鎧に向かって丁寧に頭を下げるジークムント。多少シュールな光景ではあるな。
その時、握ったルクアの手に、微かに力が入った。
よし、通ったか。
胸の拍動感はまだ続いている。
その鼓動に合わせて、少しずつ、いや、みるみるうちにルクアの体が治っていく。
よし、よし、成功だ。
うん、成功した!
「あれ……、ユウ、様?」
身を起こしたルクアが、己の片手の行く先を見て、顔色をなくす。
そりゃあな、人の胸かっさばいて、心臓つかんでたらビビるよな。
「ユウ様、何が起きたの?」
「怪我を治してる」
「う、うん……それは分かるんだけど、どうやって……?」
「俺の胸にはね、神様からの贈り物が、入ってるんだ」
神とはいっても、元の世界の神だけどな。ローザとかいう神だか天使だかじゃないぞ。まあ、調整してくれたのはローザだけれども。
「ルクアさん」
「は、はい」
傷は完全に癒えたか。俺が離すと、ルクアは俺に突っ込んでいた自分のその手を、そっと胸に抱いた。
「日記の始末は、自分でやってくれ」
「あう……」
真っ赤になって脱力するルクア。なんだか随分しおらしく見えるな。
「シャナ、ルクアの世話を頼む。あと、ベルガモンに伝えてくれ、怪我人を全員ここに運べ、と」
「かしこまりました」
うん、シャナはさして動じていない。
シャナだけは知っているもんな、俺が神と会った、と。
さて、ここから長丁場だ。
ルクアを救えた嬉しさで、今の俺は脳内麻薬が出まくりである。胸の痛みを忘れていられる間に、全部終わるといいなあ。
「さて、ジークムント、俺の心臓に触れ」
「我が君の御心のままに」