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21 未来はどこにある?

 生まれは知らない。

 両親からもらった唯一のものはシャナという名前だけ。


 私は多分、売られたのだと思う。

 私と同じような女の子達が、たくさんいた。


 ある日、私たちは一列に並ばされ、魔珠を胸に入れられた。


 多分、初めてではない筈。

 無病息災を祈るおまじないとして、生まれた子どもに最初に魔珠を入れるのは、親としての愛の証だ。きっと、私にも入っている筈。


 一つずつ、一つずつ、列は前に進んでいく。


 そして私の番が来た。

 特に大きな違和感はなかった筈。それなのに、胸から広がる暖かさに身を任せて目を閉じ、次に開いた時には、私の耳は、猫の耳になっていた。


 それから、私だけが別の部屋につれていかれた。あまり仲良くはなれなかったけど、毎日顔を合わせていたみんなと別れるのは、少し寂しかった。

 そうして、私はとある貴族に買われることになった。そう、教えられた。


 礼儀作法を始め、教育を受けることができたのは幸運だったのだろうか。例え容姿を弄られたとしても。


 猫の姿に変えられ、猫の仕草を強制され、幼い体のまま仕えさせられたあの貴族は、間違いなくどこかが狂っていたのだろう。

 貴族とは名ばかりで、実際は奴隷商人本人だったと思う。


 多分、普通の奴隷を見飽きた彼は、自分の側仕えとして、普通ではないものを求めたのだろう。

 普通ではないのは教育もそうだった。


 あの貴族の館で見た大勢の奴隷候補たちは、教育という名で、心を折られていた。

 反抗したら罰するのではない。反抗しようとする心を無くさせていくのだ。

 その奴隷教育を、私は受けたことがない。


 理由はすぐに分かった。


 心縛の呪い。

 それが何かを調べる自由さえ、私には与えられていた。


 月に一度、あの貴族の手で、私は魔珠を使われた。体に入れられたのではなく、私を相手に魔珠を使っていた。


 私の体の中には鎖がある。

 反抗は自由だったが、代償は私の命だった。

 反抗して罰として打ち殺されるのならまだ良かった。反抗したら放置され、緩慢に死を待つことになる。それは、耐え難かった。


 転機は突然訪れた。


 あの貴族は多分、権力争いに負けたのだ。

 罠に嵌められ、身一つで逃げざるを得なくなった彼を待っていたのが、マジク山賊団だった。

 彼は売られたのだ。記録には、盗賊に襲われ不慮の死、と残されるように。

 彼が死ねば私の命を繋ぐものはなくなる。どうせ森の中。どう転んでも、死、以外見えなかった。


 心縛奴隷は普通にある存在ではない。誰も気がつかない筈。

 それなのに、ジークムント様は知っていた。心縛奴隷が何なのか、知っていてくれた。


 私の体は幼い。

 山賊団の親分たちは、私に興味を示さなかった。ジークムント様を奇特な趣味と嘲笑しさえした。

 でも、そのお陰で、私は命と心を拾うことができた。


 一月に一回、ジークムント様は、私にご自身の気力、生命力を分けてくださった。魔珠を湯水のように使えたあの貴族のようにはいかず、ご自身の身を削らなければならなかったけれど、ジークムント様は快活に笑って、私に命を分けてくださった。

 ほとんど一日動けなくなっていたけど、そのお世話をするのは、とても幸せだったと思う。


 けれども、おりはゆっくりと溜まっていったのだろう。

 ジークムント様の笑顔から、徐々に快活さが失われていくのが、そばで見ているとよく分かった。

 森の中の過酷な生活が、ジークムント様の理想に、徐々に泥をかけていっていた。


 一日動けないときに、もし魔獣に襲われたら?


 ジークムント様は、マジク兄弟には遠く及ばないとしても、大きな戦力だ。

 皆の安全と私の命とを天秤にかけさせるのは辛い。

 私が、重荷になっていく。

 私の命を繋ぐことが、ただの面倒な仕事になっていく。


 それが義務であり、責務である、と、ジークムント様がご自身に言い聞かせているのは耐え難かった。


 ジークムント様の理想が高すぎたと断ずるのは容易い。

 けれども、掲げた旗は、もう、ほとんど折れていた。

 マジク兄弟に折られたのではない。マジク兄弟も所詮一部にすぎない、過酷な現実を前に、彼の旗は曲がってしまった。そして、私という重荷が、止めをさしたのだ。


 そうまでして、私は生きていていいのだろうか?

 私が、浅ましいのではないだろうか?


 私の行動に束縛はない。

 ここは森の中。森に入れば、何かに殺してもらえるだろう。

 ジークムント様に何の恩返しもしないまま死ぬのは辛いが、私がいることが罪ならば、自ら死ぬことが恩返しなのではないだろうか。


 そのジークムント様が、笑顔を取り戻した。

 声に力が甦った。

 ユウと名乗ったあの男の子が、ジークムント様に力をくれた。旗を立て直させた。いや、違う、新しく旗を掲げさせたのだ。


 ジークムント様に、ユウ様のお世話をするように命じられた時、私が感じたのは喜びだった。

 私を重荷としてではなく、エルメタール団の一員として見てくれて、普通に仕事を与えてくれた。

 それが本当に嬉しかった。


 ジークムント様に、力を取り戻して下さったユウ様は、私にとっても恩人だった。

 誠心誠意、お仕えしよう。


 ユウ様の印象を一言でいうと、不思議な人、だった。


 すごく強いのに全然強そうに見えなかったり、すごく落ち着いて堂々としているのに、些細なことで狼狽えてみたり。

 最初に会ったとき、私の耳を見て、驚きと喜びの入り交じったような不思議な表情を浮かべながら、動揺を見せまいと、平静を装っていたのは可愛かった。


 そう、可愛かった。


 好奇の目や、嘲り、嫌悪の目、色々な目を見てきたけれど、ユウ様の目は、そのどれとも違っていた。

 仕事を進める上で別に知らなくても支障はないし、名前を伏せられた方のお世話をすることも珍しくはない筈なのに、思わず、名前を聞いてしまうほどに。


 私もきっと、普段とは違った筈。

 伝声管のことを伝え忘れたり、考えられないような失態だ。思わず消えてしまいたくなるくらいに恥ずかしかった。

 その事を咎め立てするような方ではなかったけれど。


 そう思えば、ユウ様からは、頼まれることがあっても、命じられることはなかったり、お礼を言われることがあっても、叱責されることはなかったり。

 礼儀正しく頭が良い、すごく育ちが良さそうに見えるのに、全然、召し使いに慣れていなかったり。


 やっぱり、不思議な人だった。


 私を普通の女の子として扱ってくれたのは、ユウ様が初めてだ。

 部屋の隅に控えていたら、ソファーに一緒に座るよう頼まれたり。

 私をそばに侍らせたいのかな、と思ったら、女の子を立たせたままなのが居たたまれなかっただなんて。


 ジークムント様は日々、生き生きとしておられ、砦全体の雰囲気も明るくなった。


 私みたいに尻尾があれば、きっと逆立っていたに違いないくらい警戒していたリムも、いつの間にか懐いていたり。

 ルクアさんに部屋に引っ張り込まれそうになっていた時は、胸の奥がざわついたけれども、慌てて逃げていく姿はとても微笑ましかった。


 ああ、幸せだ。


 でも、その幸せが、私を押し潰そうとしていた。

 何気なくお話ししてくださるユウ様が、他の誰にも話されていない生い立ちを、私だけに話してくださったユウ様が、私の心縛の呪いを知ったら、どうなるだろうか?


 悩みが少しでも軽くなればいい、ユウ様が前に進めていれば、悩みになんて囚われなくていい。一生懸命伝えたけれど、それ以上、私はもう、近付くことはできなかった。


 知られたくない。

 見る目が変わるのが怖い。

 今の幸せが壊れてしまう。


 今、胸を張って、真っ直ぐ前に進んでいるユウ様を、私が折ってしまうかもしれない。

 それは、絶対に、嫌だ。


 私のことを黙っておいていただけるよう、ジークムント様にお願いしたら、主に負担をかけないように、縁の下で泥を被ることこそ臣下の誉れ、とむしろ嬉しそうにしてくださった。

 もしかしたら、いずれ分かってしまう事なのかも知れないけれども、その日が少しでも、遠くありますように。


 儚い願いだったけれど。


 アルマーン商会のご当主様が、砦に来られ、おもてなしに出たときだった。

 何故か、私が心縛奴隷であることを、一目で見抜かれてしまったのだ。

 それも、ユウ様の目の前で。


 ユウ様は全く容赦がなかった。ジークムント様を問い詰め、心縛の呪いのなんたるかを知ってしまわれた。


 私に何が出来ただろうか?

 もう、終わりだ。


 ユウ様は決して私をお見捨てにはならないだろう。だけれども、だからこそ、私が重荷になる日が、いずれ来る。私が、ユウ様を折ってしまう、その想像が現実のものとなろうとしていた。


 気が付けば、真っ白い世界にいた。

 目の前には、裸のユウ様。見下ろせば、私も裸だ。


 でも、いつもの裸とは違っていた。


 本当なら、これくらいは成長している筈。

 そう思っていた想像通りの、裸だった。


 これは、夢だろうか。

 私は、夢に逃げ込んでしまったのだろうか。

 もし夢なら、どうして私の夢の中で、ユウ様が裸で叫んでいるのか、意味が分からないけれど。


 あまりにも乱暴な口調で、神様に悪態をついている。まるで、神様がここにおられるかのような言葉で。


 なんということだろう。

 本当に神様と会われたことがあるだなんて!

 大昔の英雄ならともかく、多くの加護を受けた方でさえ、神様の声を聞かれるだけ、という話なのに。


 もう、どう言ったらいいか、全然、分からなかった。


 神様の事を何気なく話すユウ様は、神様よりも、私の裸の方が気になるようだった。

 ユウ様に裸を見られるのは、どこかむず痒いような気がする。今まで、裸で猫の仕草をさせられたり、入浴のお手伝いをさせられたり、裸を見られることには慣れていた筈なのに。

 しかも、この姿は、本当の私ではない、私の夢の裸なのに。


 思わず身を隠そうと思ったとき、気が付いた。私が、鎖で縛られていることに。

 これは、私の中にあった鎖そのものではないだろうか。

 これが、心縛の呪いなのだろうか。私には、分からないけど。


 ユウ様は、私にお礼を言ってくださる。それは本当に嬉しい。

 私の言葉で、前に進めたのなら、そんなに嬉しいことはない。輝かしい未来が、ユウ様の前には開けている筈。


 でも、そこに私はいられない。

 私がいたら、ユウ様の未来が曇ってしまう。


 それなのに。

 それなのに。


 鈴音さん、とても美しい剣。


「未来はここにある」

 それが私の未来だったなんて!


 私の中に、鎖はもうない。

 こんなとき、どんな顔をしたらいいの?


 お茶の準備をするのは、もう少しだけ待ってください。仕事をしたくない訳じゃないんです。本当は、とびきり美味しいお茶を、淹れて差し上げたい。

 でも、ごめんなさい。


 ……立てないんです。


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